アルディナ帝国オープニングストーリー

 

 今から約5年前、世界は海に飲み込まれた。

 それはこのアルディナ帝国も例外ではなく、かつては広大な領土を誇ったこの国も、今では半径約三キロメートル範囲だけとなってしまっていた。

 失ったものは土地だけではない。人も大勢失われた。その中には、当時の皇帝のみならず国の中枢を担う重要人物達もいたのだ。

 そんな未曽有の危機から土地と民を守ったのが、現皇帝ランガス・ドムドールであった。

 

帝国皇帝 ランガス・ドムドール
帝国皇帝 ランガス・ドムドール

 この日、皇帝即位5周年を祝うパレードが街の大通りを賑わせた。

 皇帝夫妻が乗る儀式用に装飾された馬車を中心に、騎士団が前後に隊列を組んで進む。騎士団員はもちろんその馬も正装だ。

 大通りの両側は見物に集まった国民達で押し合いへし合いしている。ひと目でも皇帝の姿を見ようと、早朝から待っている者もいるほどだった。

 皇帝と妃が手を振るたびに、沿道から歓声があがる。凛々しく威厳のある皇帝と美しい皇妃はとても人気がある。

皇妃カナリア
皇妃カナリア

 熱狂する彼らが興奮のあまりパレードに雪崩れ込んだりしないよう警備を担当しているのは、皇帝の信任も厚いハルベルト公爵が設立したガーディアン・スヴェルである。スヴェルと略されることが多い。団長は公爵の長男グレアム・ハルベルト。彼が率いるこの部隊も人々の支持を集めている。

 たった今、パレードを見送った少年が興奮に頬を赤くして二人の友人に言った。

「見たか? 皇帝の顔を見たか? すっげぇカッコイイな! 強そうだ!」

「見た見た! それにまさか、グレアム団長まで間近で見れるとは思わなかった! 僕、絶対スヴェルに入る!」

「俺は騎士団に入りてぇな。それで皇帝をお守りするんだ」

「じゃあ、君は騎士団で皇帝を、僕はスヴェルで国民を守ろう!」

「ばぁか、一番はお妃様だろ。美しい! 女神ーっ! 俺、メイドになるぜッ」

「うるせえ! バカは黙ってろ!」

 ガーディアン・スヴェルは、魔力の暴走により不安定になった世界に安定を取り戻すためにつくられた団体だが、その活動の一環として魔物による被害から国民を守っているため、そちらの認識のほうが強い。

 国民に近い位置にいることから人気があり、入団希望者も多い。

 彼らの活動を物資の面で支援しているのがパルトゥーシュ商会である。商会長はフランシス・パルトゥーシュという二十代後半の女性で、店の利益のためなら人情は切り捨てる強欲女だともっぱらの噂だ。

 また、スヴェルの団員がよく行く宿酒場がある。ガランテ父娘が経営するハオマ亭だ。看板娘のパルミラはグレアム団長ファンクラブ会長で、父親は会員No.1である。非公認ファンクラブだが、会員数は着実に伸びているという。

「あれからもう5年か。助かったのは皇帝のおかげなんだよなぁ」

 少年達とは別のところで、壮年の男性達が話し始めた。

「並の魔術師が何百人集まっても、大地を隆起させるなんてとてつもねぇことはできないだろうよ」

「皇族は大地の神の一族らしいな。地属性の特殊な力を持ってるって聞いたぞ」

「俺達の皇帝は途方もないお方なんだな」

 彼らは、もう遠くへ行ってしまったパレードを眩しそうに見送っていた。

 また別の人だかりでは、開拓地が話題になっていた。

「そういや、あの流刑地──開拓地リモス村か。あそこから鉱石が採れるようになっただろ。おかげで職人に少しずつ仕事が入ってきてるそうなんだ」

「へぇ。うちの女房に何かプレゼントしてやりてぇが、高いんだろうなぁ」

 話しているのは労働者風の男達だ。

「管理してるのは子爵様だっけ? 確か、女の……大丈夫かよ。周りは犯罪者だらけなんだろ?」

「何でもずい分と腕っぷしの強いのが犯罪者共の監督についてるってな。何か起こってもそいつらがおとなしくさせるんだろ」

「食うに困って罪を犯した奴もいるって言うじゃねぇか。他人事とは思えねぇな」

 この地が、皇帝がつくりだした土の壁によって守られてから後に起こった惨劇を思い出し、彼らは陰鬱なため息を吐いた。生き残った自分達は運が良かったのだと、改めて噛みしめた。

 沈み込んでしまった空気を払おうと、一人が話題を変える。

「開拓村といやァ船が何隻かやって来たって聞いたぜ。まだ他にも生き残ったのがいたんだよな。苦労したんだろうな」

 そこに話を聞きつけた別の声が加わってきた。男達とそう年齢の変わらない女達だ。

「どこかの小さな国の港町の人と、どこかの島の民族だって噂だよ。どこにあるのか知らないけど、ただっ広い海をよくまぁ」

「ほとんどが開拓地に留まって、畑仕事や採掘の手伝いをするんだってさ。なんでこっちに連れて来ないんだろうねぇ」

「そりゃあ、こっちはもう家がねぇからだろ」

 本土とて民の生活はぎりぎりなのだ。

「けどさ、中には傭兵として騎士団に入ったりスヴェルに入った人もいるって聞いたよ」

「そうか。ま、困ってるようだったら助けてやんねぇとな」

 大洪水の恐怖や混乱を知っている者として、外から来た彼らに街の人達はおおむね同情的であった。

 ところで、そんな難民達には救いの手を差し延べようとする彼らだが、どうにも困った存在もあった。

 開拓地である島とは別のもう一つの島、燃える島だ。

 島が現れた当初は何かの遺跡がある島だったのだが、出現から約2年後に突然炎に包まれ出したのだ。島が燃える前、そこは海賊達の拠点だった。

「拠点が燃えちまった海賊共には同情しなくもねぇが、奴ら今度は海岸に居座りやがったからなぁ」

「おかげで漁師達は漁に不自由してさ、市場から魚が消えちまったよ」

 誰ともなくため息がこぼれた。

 

 

 パレードは折り返し地点である広場で停止した。

 ここで国民に向けて皇帝の演説が行われる予定だからだ。

 広場にはそのための壇が設置されている。

 スヴェルが敷く境界線ぎりぎりまで人々が押し寄せ、皇帝の言葉を今か今かと待っていた。

 やがて騎士団に護衛された皇帝が馬車を降り、壇上に上がった。

 彼の力のある視線が国民達をひと撫ですると、ざわめきはサッと止んだ。

 無数の目に注目された皇帝は、堂々とした立ち姿でまずは世界が回復に向かっていることを告げた。

「諸君らは、世界に選ばれ救われた者達である! 今後いかなる困難が立ちふさがろうとも、決して屈することなく挙国一致で立ち向かえば、必ずや平和を勝ち取れるであろう!」

 オオオオオオッ、と爆発したような群衆の声が空気を震わせた。まさに彼らは今、自分達なら何でもできると信じていた。

 しばらくその叫びを聞いた後、皇帝は片手をあげて次の言葉を発する合図を送った。再び静かになった国民に、彼はこれからの帝国にとって最も重要なことを報告した。

「先日、この大災害をもたらしたウォテュラ王国の姫がたどり着いた」

 思いも寄らない内容に人々がどよめく。

 皇帝は彼らの様子を注意深く観察しながら続けた。

「大罪国の姫など即刻処刑が当然であるが、姫は自国の罪を自覚し償うために命を捧げると約束した。もし暴走した水の魔力の安定が成されたのなら、世界はより回復に向かうだろう。さすれば、我が国は王国を赦す!」

 国民達の表情は懐疑的だ。彼らの中には肉親や友人を亡くした者が大勢いる。無理もないことだった。

 殺せ、とどこからともなく声があがる。

 それはすぐに大きな波となり、広場を埋め尽くす。

 しかしやがて怨嗟の声は皇帝を讃えるものに変わっていった。

 皇帝陛下万歳ッ、帝国万歳ッといった声にたちまち塗り替えられていく。皇帝が許すと決めたのなら、この偉大な統治者に従おうという気になったのだ。

 皇帝の口元に満足そうな笑みがうっすらと描かれる。

「諸君らのいっそうの励みに期待する!」

 締めくくった皇帝が壇から下り、宮殿へ向かうパレードが再開されても、広場の熱気はしばらくおさまることはなかった。

 

 

グレアム・ハルベルト
グレアム・ハルベルト

 祝賀パレードから数日後の夜、ガーディアン・スヴェルの面々は団員がよく行く宿酒場ハオマ亭に集まっていた。

 スヴェル入団を希望した者達への、ささやかな歓迎会の二次会である。

 本来の歓迎会は本部の食堂で行われた。

 要はみんなで飲みたかったのだ。

「だんちょ~! 今夜はほんっとーにだんちょーの驕りなんスよね?」

 すでに充分飲んでいる団員が団長のグレアムに呼びかけた。

 看板娘のパルミラと話していたグレアムは、彼のほうを見やって驚いたような顔をする。

「何を寝惚けたことを言っているんですか。おごりは新入団員だけですよ」

「……ゑ」

 支払額を思い青ざめた彼に、グレアムは一変してクスッと笑う。

「冗談です。ですが、飲み過ぎて店に迷惑をかけないでくださいね」

「だんちょぉぉぉッ、今一瞬、借金取りに追い回される自分が見えたっスよぉぉぉッ」

 涙目で訴える彼を、笑っていなすグレアム。

 パルミラが明るい笑顔で悪ノリした。

パルミラ・ガランテ
パルミラ・ガランテ

「借金取りの世話になんなくても、うちでこき使ってあげるわよ!」

 野垂れ死にはしねぇな、と周りからもからかわれる始末であった。

 楽しそうに騒ぐ彼らの様子に、グレアムもパルミラも笑顔になった。

「最近は、スヴェルの人達のおかげで変な事件もすぐに解決されるから、町の人もちょっと安心してるの」

「それは何よりです。町の人達の生活を守るのも仕事ですから」

「……でも、動物や植物が魔物化するなんて、どうしてなんだろう。この前も猟師が魔物化した鹿に襲われたよね」

 魔物による事件は少しずつ増えている。

「原因の究明も急いではいるのですが……」

「あ、ごめん。責めてるわけじゃないの。スヴェルなら、きっと全部解決してくれるって信じてる。でも、怪我には気を付けてね」

「お気遣いありがとうございます」

 それからだいぶ時が経った頃、静かな声がグレアムを呼んだ。

「団長、そろそろ戻りましょう」

 副官のヘーゼル・クライトマンだった。年齢は二十歳くらいだが、性別がわからない外見の持ち主である。声もどちらとも取れるもので、スヴェルでもどちらか知らない者がほとんどだ。

 店内を見回したグレアムは、苦笑して頷いた。みんなずい分派手に飲んだようだ。大半が潰れている。

 グレアムは二次会のお開きを告げた。

 いびきをかく彼らを叩き起こし、あるいは担いで帰っていくスヴェルの団員達を見送ったパルミラは、不満げに唇を尖らせた。

「あの副官め……あたしとグレアムさんの時間をまた邪魔してきたし」

 もっとお話ししたかった、という呟きがぽつりとこぼれた。