カナロ・ペレア後編 3~4(前編)

 

●ジスレーヌ宮廷へ
 ジスレーヌ・メイユールは、ストラテジー・スヴェルでの会議後に宮殿へ足を運んだ。
 騎士に案内されて会議室へ一歩入ると、すでに帝国重臣と皇帝の側仕えのルーマ・ベスタナが着席していた。
 ジスレーヌが一礼して空いている席へ行き、着席すると会議が始まった。
 ジスレーヌは最初に、Sスヴェルで行われた活動の報告を行った。
 各地の作戦目標は全て達成されたこと、また前回燃える島から回収された古書の解読についてを、要点をまとめて説明していく。
 順調に進んでいることに、重臣達は安堵の表情を見せた。
「報告は以上です。次は西の魔力塔に関する提案です。現在、リモス島は中央塔の加護には含まれていません。島には帝国唯一の、魔法鉱石が採掘できる鉱山があります。ここが歪んだ魔力に支配されるのは痛手と考えます。そこで、燃える島で行われた浄化作戦のように、リモス村に歪んだ魔力が溢れた時には、魔力塔から回復魔法を送り吹き飛ばすことはできないでしょうか」
「了解した。指揮は貴女に任せる。村に住む貴女が最も状況を把握できるだろう」
 答えたのはルーマだった。
 彼は居並ぶ重臣達より低い立場にいるが、作戦に関する判断を任されているようだ。
 ただし、とルーマは付け加える。
「燃える島のように結界で覆うと、結界内では魔法が使えなくなる。それでは不都合が出るかもしれないから、すぐにはそうしないが、いつでも張れるように準備はしておいてほしい」
「わかりました。では、次に海底のマテオ・テーペの民の救出についてです。──ルース姫が精神を捧げて、水の魔力の暴走を静めたという報告が入りました。とりあえず儀式は成功と言えるでしょう。約束通り、残された民達を救うために協力をしていただきたいと思います」
 ジスレーヌは、重臣達の様子を見渡した。
 作戦の結果報告を聞いていた時の喜びの表情から、渋るような表情へと変わっている。ただ一人、ルーマだけは変化は見られなかった。
 ぎこちない空気になることはわかっていたので、ジスレーヌはかまわず続ける。
「氷の大地には、ルース姫の双子の兄がいたそうです。彼を魔石化して、マテオ・テーペに届けたいと考えています。新たな魔石と、魔石の力を引き出せる人がいれば、障壁はまだしばらく持つはずです。Sスヴェルで、彼の魔石化とそれを箱船に乗せることを許可していただけませんか? 帝国と彼らの助けが必要です」
 重臣達は互いに視線を交わし合うと、やがて一人が口を開いた。
「許可を出す条件として、ルース姫の身柄の引き渡しを求めたい」
「……どういうことでしょうか?」
 ジスレーヌがわずかに拒否の色を見せると、今度はルーマが説明を始めた。
「女性の継承者は、肉体を捧げることで吹き溜まりの魔力を中和できる。水と地の継承者の一族は、代々その方法で吹き溜まりの魔力を静めてきた。今回は、風の一族がもたらした情報と神器があったために、精神だけで暴走を抑えることができただろうが、肉体を捧げればより確実だったと思われる。……だが、姫はそうしなかった。その理由は、この世界の未来を救うためではないのか? 姫が子孫を儲けなければ、水の一族の血が絶え、二十年後の魔力の暴走を静める手段がなくなるからではないのか? ならば、我々が姫の体を保護する必要があるだろう」
「だが、マテオ側がそれを拒んでいるという。彼らを説得してくれないか? また、サーナ・シフレアンも次の箱船に確実に乗せて、ここに連れてくる……これらが、条件だ」
 ルーマを引き継いで、別の重臣が厳しい口調で言った。
 サーナが箱船に乗れば、魔石をマテオ・テーペに届けても扱える人がいなくなってしまう。
 ところで、とジスレーヌはいったん話題を変えた。
「魔石化とは、どのようにして行われるのですか? 必要な道具はありますか?」
 最後に発言した重臣が、眉を寄せて渋い顔になる。
 教える気はなさそうだ。
 だが、ジスレーヌは何となく察していた。
 世界に満ちる魔力に関することには、だいたい継承者の一族が関係している──。
 ジスレーヌが考えを巡らせていると、条件を受け入れることを急かすように重臣がまくし立てた。
「我が国の民は、重罪人である王女の処刑を望んでいる。しかし、自らの使命を果たし水の魔力を安定させたのなら、その功績に報いて無罪とすると、そう民を納得させた……。姫が自らの肉体を残したのは、世界のために、継承者としての使命を全うするために決まっている。それに、水の魔力を安定させることができなかった場合、入れ替わっている侍女に断頭台に上がってもらうと約束している」
 ジスレーヌはこの言葉の真意を測りかねた。
 ルース姫の心は、彼女と親しい人達しか知らないはずだ。
 その人達なら、姫が体を残した理由が解るだろう。
 Sスヴェルに集まった人々やリモス村にいる帝国人達を見る限り、ここに来たばかりの頃のような敵愾心は感じない。
 しかし、これから更なる災厄が帝国を襲ったのなら、どうだろう。
 だが、今考えても答えは出ないことだ。
(どこまでも居丈高な態度……でも、これだけは認めさせなくては)
「マテオの民は何の裁きもなくリモス島で囚人達と同じ扱いを受け、儀式の場でも命懸けで儀式成功のために力を尽くしました。ルース姫のことは承知しました。その代わり、帝国も約束を果たしてください」
 最初の約束のようなごまかしはもう通用しない、と睨むようにして言うと、重臣達はまた目配せをし合って最後にルーマへ頷いた。
「約束しよう。現在、姫の兄の魔石化に向かえるのは、氷の大地にいるメンバーだろう。成功したら、魔石を箱船に乗せるといい。その時は、我々は邪魔をしたりはしない」
 ジスレーヌは黙って首を縦に振る。
「魔石化には、継承者の一族の力を持つ者が行う必要がある。その者がマテオ・テーペに行って、サーナ・シフレアンと交代すれば、魔石の力を水の障壁維持に使えるだろう」
 魔石化の方法については後程詳しく説明する、とルーマは言った。
 ジスレーヌは、氷の大地にいるメンバーで継承者の一族の力を持つ人には誰がいるかを尋ねた。
「まずは風の一族。それから、箱船に乗っている水の魔術師に、一族の力が得られる魔法薬を一つ持たせてある。──身体への負担が凄まじい薬だがな」
 ジスレーヌは魔法薬の安全性に疑問を持ったが、手段を選んでいる状況ではないこともわかっているので、不安は無理矢理押し込めた。
(ルース姫については、みんながリモス村に戻って来てから考えましょう。その時には、状況が変わっているかもしれませんし)
 あとは、氷の大地にいるSスヴェル団員のうち、どれだけの人がマテオ・テーペに残された人達のために力を貸してくれるか、である。
 ジスレーヌは祈るような思いであり、重臣達は箱船出航前に魔石化を果たすのは無理だろうと思っていた。
 不安要素が多い作戦ではあるが、ジスレーヌにはもう一つ重要な事項があった。
「ところで、本部での会議でグレアムさんの精神が閉じ込められている特殊な石について、提案がありました。今、その石はどこにありますか?」
「あれは複製中だ。今はこの宮殿の研究開発室にある」
「その石を、グレアムさんの精神を戻した後に、本部の活動に使わせていただけますか? 使い方を聞かせてほしいのですが、よろしいでしょうか」
「本人がその特殊な石に精神を注ぎ込む。その後、複数の高位魔術師が石に封をする……そういったものだ。本部での使用については内容による。Sスヴェル団長か団長代理を通して相談してほしい」
 わかりました、とジスレーヌはルーマに返事をした。
(内容による、ですか……)
 ルース姫の精神をその石の中に入れて保護できないかとも考えたのだが、そう簡単にはいかないようだ。

 

 ●氷の大地、カナロ・ペレア
 氷の壁内部。
 地下シェルターで、リーザは魔導装置を眺めていた。
 それはかつて、大洪水を起こした兵器。
 女性の継承者であるリーザが、膨大な魔力に作用する自分の心身全てを賭し、男性の継承者であるルイス・ツィーグラーが魔力を捧げて発動させて――世界を、壊した。
「そろそろルイス様が、始められるころですね」
 青白い肌の壮年の男が、近づいてきた。
「そうね、花火を上げるわ。誕生日のお祝いよ」
 リーザが魔導兵器に手を当て、壮年の男性が、稼働レバーに手をかけた。
「女神様、一つお聞かせください。貴女様は、ルイス様のことをどう思われていますか?」
 何故なら、彼は彼女を虐げ、利用してきたウォテュラ王国の血を引いている。彼女が水没させても殺し足りない程憎む、王家の王子だから。
「どうとも」
 感情を感じられない声で、素っ気なくリーザは答えた。
 密かに、壮年の男は薄く冷たい笑みを浮かべる。
「それでは貴女様には、会いたい人や精霊はいますか?」
「いないわ。……ああ、でも」
 リーザは首にかけているリングに、右手を伸ばして包み込んだ。
「ジェイに、JとR……」
 言った後、彼女はすぐに首を左右に振って、表情を無に戻した。

 ルース姫が精神を捧げた日の翌日。
 ルイスはハーフのフィーを伴い儀式の場の上部、鋭く美しい氷晶が密集した地に訪れていた。
 救急処置で傷口を塞ぎ、回復魔法を受けたが顔色は悪い。
「ルース、聞こえる? 僕のルース」
 悲しげに、ルイスは声を絞り出す。
 儀式の間――ルースの精神が在る場所と繋がっている氷晶に触れて、彼女の精神に呼びかけていた。
「君は人に騙されているんだ。人はみんな、親切を装って、もしくは親切な人を使って、僕たちがこうして犠牲になるよう、仕向けている」
 人のために、自分たちが犠牲になる世界なんていらない。
 自分たちが正しく生きられる世界を一緒に作ろうと、ルイスは魔力の中にあるルースの心に語りかけていた。
「ひとつになろう、ルース。僕の心に触れれば、君もきっと解るはず……」

 僕の中にくるんだ――。

 密集する氷晶の中央に立ち、ルイスは魔力の吸収を始めた。
 同時に、氷の大地、カナロ・ペレアの各地に、打ち上げられた火の花が落ちていった。
 大地の氷が溶けていき、留められていた水の魔力が空へと解放されていく。
 魔力は水の継承者の男性、ルイスに引き寄せられて、彼の中へと入っていく。

「ルースがどうしても、僕たちの気持ちを解ってくれなかった場合は、頼むよ」
 ルイスはフィーに悲しみに満ちた目を、向けた。
 フィーはこくりと頷く。
 彼女の手の中には、彼を魔石化するための道具があった。

 リーザ
 リーザ
 僕は君が好きだよ
 君が生きれる世界がほしい

 もし、ルースが解ってくれなかったら
 君に僕たちの全てをあげるよ
 世界は、君の好きにしていい
 君は、僕たちが生きれる世界さえも
 もう、いらないんだよね
 人だけではない
 一族だけでもない
 生命も、魔力も

 きみは

 すべて

 なにも

 いらないんだ