エピソード~取引~
マテオ・テーペから箱船が出航して、数カ月後。
箱船は帝国の小型船と遭遇した。
ルース姫と共にアルディナ帝国に連れてこられた――いや、戻ったエルザナ・システィック(ミーザ・ルマンダ)は、火の継承者の一族の生き残りであるアーリー・オサードを連れ出し、ルース姫より先に、帝国の要人と面会を果たした。
帝国の重鎮たちを前に、アーリーは動じずに余裕の表情で受け答えをしていた。
私は、世界のために犠牲になるつもりはない。
私の子孫を犠牲にするつもりもない。
私にそれをさせようというのなら、すぐにでも自分自身を燃やし尽くす、と。
彼女はそう言って、不敵に笑った。
「では、取引をしよう」
そう穏やかに微笑んだのは、皇帝の傍に控えていた壮年の男性だった。
硬い表情の皇帝と二言三言会話をしたあと、その男性はアーリーを別室に連れてきた。
「キミのことはミーザと名乗っていたあの子から聞いているよ。キミも私たちと取引がしたいんじゃないかい?」
かつて、ミーザが言っていた言葉がアーリーの脳裏に蘇る。
“貴女が私の国に来てくれるのなら、貴女が救いたい人を、助けてあげるわ。
それは、この国から私達の国に流れ着き、奴隷となっている人達?
ここで生きている人達?
生きていて欲しい人、1人くらいはいるでしょう?
助けてあげるわ。あなたと共に。
貴女が来てくれるのなら、私、貴女の身代わりになってもいい。
貴女が来ないというのなら。
貴女が死んでしまったのなら。
この、小さな世界なんて、無意味な世界。
いらないわ。
家族を失った。
大切な人達を失った。
守るべき多くの人達を失った。
ウォテュラ王国のせいで。連なる公国の民――ここに生きる人たちを、私は憎んでいる。”
「生きていて欲しい人は、箱船に乗ったわ。私はここに来るという彼女との約束を果たした。他にどんな取引が必要だと?」
「私達の手で、キミと、キミが大切な人を護らせてくれ」
男性の言葉に、アーリーは思わず眉を顰めた。
「火の継承者を絶やしてはいけない。キミに多くを求めたりはしない。好きな男性がいるのなら、共にここで暮らせばいい。キミの子どもも全て、これから生まれてくる火の一族全てを、私達が護るから」
そして、その男性は服をまくり、肌を見せた。
そこには、龍のような蛇のような痣があった。それは継承者の証。
「私が、ランガス・ドムドールだ。表向きには、キミには私の妻に――第2妃になってほしいと思っている」
キミと家族を我々が護るために、というランガスの言葉の意味が、アーリーにはよく理解ができなかった。
「私には、皇帝としての妻の他に、1人の人間として愛した女性との間に、子供がいる。皇位継承権を持たない子ども達だ」
公妾だった女性との間に、子どもがいるとのことだ。ただ、そのランガスが愛した女性は既に他界したそうだ。
元々、特別な存在であるランガスは、正妻を娶る予定はなかったのだが、帝都が滅び、やむを得ず皇位を継承し、妃を迎えたとのことだった。
「燃えている島のことは知っているかい?」
アーリーは注意深く、首を左右に振った。
「数年前に、海上に姿を現した島がある。その島は、2年ほど前に突如炎に包まれた。エルザナから、火の継承者が犠牲になったと報告を受けた後のことだ」
「……」
「エルザナは少々口が軽いところがあってね。魔力を統べる王の伝承については聞いているだろ?」
“女は、命と力を捧げて、魔力を鎮める。男は、命と魔力を取り込み、制圧して王となる”
アーリーは頷かなかったが、ランガスは彼女が知っているものとして話を続けていく。
「水の継承者が聖石の力を用い、生命力を送った。だが、それだけでは足りなかった。彼が王になるには」
その体で、魔力を中和することもなく、王にもならず。
蓄積された火の魔力は、海の底から地上へと解放された。
「恐らくその火の力が、島に集まっている。島は2年もの間、燃え続けている。魔力を閉じ込めるかのように」
海中から解き放たれた力の一部が、島に在るのは間違いないだろう。
「島が燃えている理由はわからない。火の継承者の意思によるものなのか。いずれにせよ、そこに魔石となり得る存在があるのなら、私はそれを確保し、正常な世界を取り戻す為に、王とならねばならない」
「……魔石?」
「魔力を安定させるために必要な特殊な魔法鉱石のことだ。聖石も魔石――魔力を集めた男性の継承者の身体から作られている」
もしその力を、ランガスが手に入れたのなら……聖石は、マテオ・テーペは不要になるだろう。
「その力を用いて、私は多くの人を救いたいと思う。だが、海の底で生きている民を全て救いだすのは、私が王となり、魔石の力を用いても難しいだろう」
ランガスの言葉に、アーリーは嘲笑のような笑みを浮かべる。
「いいえ、出来ないはずがない。王となったあなたがあの地に行けば」
ランガスは吐息を一つ、ついた。
「この国の民が、許しはしない。私が動けるようになるとしたら、国民の安全が確保されてからだ」
「……いいわ、取引をしましょう。あなたに護られてあげる。ただし、あなたが水の神殿に残るウォテュラ王家の血を引く女性を助け出すことができたらね」
その娘、サーナ・シフレアンは神殿の魔法具に使われている聖石の力を引き出せる娘。だから、海底で生きるマテオの民は彼女を手放せない。
「あなたたちの能力は知っている。命を捧げて抜け殻となった水の継承者や、私を意のままに操り子孫を残させようなんて、考えないことね」
そして、こう暗い瞳で続ける。
「私自身は、未来に絶望し、いつでも命を終わらせたいと思っている」
「尽力はする。だが、出来るかどうかはマテオ・テーペの民次第だ」
険しい顔で、ランガスは言った。
2000年前、4つの属性の特殊な魔法鉱石――魔石が、世界に誕生した。
その魔石から作られた魔法具が、3つの祭具としてアトラ・ハシス島の儀式にもちいられていた。
残る1つの魔法具「聖石」は火の魔力を抑えるために使われていた。そして今は、マテオ・テーペを護るための要となっている。
その4つの魔石はいずれも、力を失いつつあった。
ルースたちとは離れた場所に、アーリーは部屋を与えられた。
正式な婚約発表は半年後とされた。
「結局、私は彼を見捨てた。火が犠牲になる」
大好きだった、大切だった家族の想いではなく、一族の無念を果たすためではなくて。
自分が今、生きていて欲しい人、大切な人を護るために。
「……なんで……私はこん、なに……弱いの……」
ベッドで声を押し殺し、泣き崩れた。
再び訪れたこの時代――。
風の男の継承者は、王となる道を選ばず、女の継承者と共に魔力を捧げ拡散させた。
水の残された継承者は女性のみ。
地は男性だけ。
半年後、2000年の時が過ぎ、おそらく2000年前に造られた魔石の力が尽きる。
その時、世界に何が起きるのだろうか。
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