カナロ・ペレア前編後日談~それぞれの想い~

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●そしてまた、歩んでいく

 深い傷を負ったメリッサ・ガードナーは、自身の精神世界を彷徨っていた。
 傍らにはもう一つの精神がある。もうそのココロは何も語ってはくれないけれど……。
 確かに感じた、聞いた気持ちがあった。
『うれしい。
 はじめてちゃんと向き合って話してくれた。
 私はずっとレイザくんと話したかったの。
 いつも継承者のレイザくんの答えしかくれなくて、
 ぞばにいても心は遠いままでずっと淋しかったから』
 もう一つの心に、メリッサは語りかけていた。
『それがあなた自身の願いなら、
 絶対に叶えたいなぁって思うから、
 生きてみるね』
 彼女の中にある存在は――レイザ・インダーの精神は、生きることを望んでいた。
『でもよくわかんないや……
 あのとき私を好きでいてくれたの?
 未来があれば好きになれそうだったってこと?』
 彼女の問いに、答えてくれる声はないけれど――
『アホだってわかってるくせに、
 難しく伝えようとするのほんとイジワル!
 次は素直に好きって言える子に育てるからね』
 それはいつか、遠い未来、聞くことができるだろうか。
 そして、メリッサは『あとね、ひとつだけお願い――』と、自らの心で、彼の魂を抱きながら、願った。

 彼女は生きて、彼を産み育てる決意をした。


 レイニ・ルワールの娘、タウラス・ルワールの義理の娘ともいえる、リッシュ・アルザラは、記憶を失い海賊のアールとして燃える島にいた。
 偶然、燃える島で救助活動を行った際、タウラスはリッシュを見ていた。彼女がレイニの娘である可能性が高いということを解っていながらも、人命を優先した。
 そのことに、悔いはない。
 だが、リッシュの保護を疎かにした自責の念があった。

 海賊は元々スラムの住民であったと聞く。
 それなら、リッシュもスラムを訪れたことがあるのだろうかと、タウラスはスラム街に来ていた。
「金目のもん全ておいていきな、そしたら命は助けてやる」
 少し奥に入ってすぐだった。乱暴に裏路地に引き摺り込まれ、若者に刃物を突きつけられた。
 ここで命を落とすわけにはいかない。タウラスが慎重に若者に従おうとしたその時。
「!?」
 大地がぐらりと揺れた。次の瞬間、倒れかけたタウラスは別の方向から伸びた手により、表通りに引っ張り出された。
「ここはお前みてぇな奴がいるところじゃねぇ。道教えてやるから、とっとと帰れ」
 倒れているタウラスを見下ろし、そう言ったのは特別収容所から脱走したバルバロだった。
「ありがとうございます」
 礼を言って、タウラスは立ち上がる。
「……島に、いらした方……ですよね?」
(島にいたことを知られている? 逃げるか、それとも……)
 殺るか。
 逡巡するバルバロ
「リッシュ……いえ、アールさんと一緒に」
「……」
 タウラスの口から出たアール、という名にバルバロが反応を示す。
「少し話せませんか?」
 2人はその場から離れて、人気のない所で、話をすることに。
 タウラスはアールと呼ばれていた女性が、妻と前夫の娘であることをバルバロに話した。
 妻のために、娘の情報を集めているのだと。
アールの……? ……わかった……私もあいつを探してる……私にとってもあいつは……『大切』、だ……力になれるなら、なりたいし……力に、なってくれ」
 アールはここにはいないし、来ることもない。
 彼女はいつも、燃える島、もしくは海に居た。
「あのでっけぇ海賊船を、操ったり上手く指示出せんのはアイツだけでな」
 バルバロが海賊に加わった頃にアールは既に船に居て、本土には一度も来たことがないという。
 話を聞いているうちに、彼女がバルバロであることをタウラスは知った。
「あなたを探したいとメリッサさんに頼まれたことがあります。あれから一命は取り留めました」
「……そうか。……あいつ……生きてんだな……」
 それは良かったのだろうかと、バルバロは思う。
 メリッサが好きだった人は、死んだから。
(お前は……『大切』を、叶えられたのか……?)
「メリッサさんも直接話したいはずです。機会が設けられるよう回復には尽力します。あなたもどうぞご無事で」
「ああ、お前……いや、その……あ~~~」
 バルバロは言葉を探して、こう続けた。
「……あんたも、気をつけてな」
 あんたは彼女なりの敬称だった。
 笑顔で会釈をして、タウラスはスラム街を離れる。
 友人であるメリッサが心を砕く彼女は、信頼に足る人物だと判断した。


 病院のベッドの上で、ウィリアムはゆっくりと体を動かしていた。
 長期間意識が戻らず、戻ってからも絶対安静状態で、身体を動かすことが出来なかったのだが、そろそろリハビリを始めなければならない。
「間に合わせなきゃな……って、間に合うかねぇ、次の騒ぎまでに動ける様にならねぇと」
 深くため息をつく。
(レイザ殺しちまったなぁ)
 止めをさしたのは、自分だ。
(生かすための覚悟が足りなかった、確かにその通りかもしれん)
 止めをささなければ、彼は暴走して、世界を滅亡に導いていたかもしれない。
アールの奴、いい事言ってたな、あいつを信じても面白かったかもしれんな」
 とも思う。
 その魔石は、火の一族のものだと、一族であるらしい自分が、その魔石を――彼の身体を預かって、皆楽しく暮らせる島を造ればいい、と、彼女は言っていた。
 ウィリアムもアーリーを連れて島に来なよ、一緒に生きよう、一緒に幸せになろうよと。
(ただその後がどうも想像つかなかったしなぁ、食料やら政治やらで止まっちまう。これも覚悟の足りない処ではあるな)
 他人任せにしすぎたのかもしれないと、自身の足りなさを、ウィリアムは悔いていた。
「シルドにも悪いことをした」
 彼はどうしているだろうか。真面目な男だ。自責の念に苛まれているだろうなと思う。
「しっかし、アールの奴。――何とか出来たか、それは今では解らん。まぁ、いずれ謝らないとな」
 それから、ウィリアムは大切な人、アーリー・オサードの顔を思い浮かべる。
 彼女に、どう伝えるべきか……。
 同族が居たことを伝えたい。だが、レイザの事は出来れば、話したくはない。
「ショックでかいだろうしなぁ。もう知ってるかもしれんけど」
 アーリーにもレイザの件は、謝らなければならない。そして今度は、絶対に。
「間違えないようにしねぇとな」
 痛む体に力を籠めて、ウィリアムは次に備えていく。


 宮殿内の割り当てられた部屋で、シャンティア・グティスマーレはずっと寝込んでいた。
 歪んだ魔力に囚われたからでも、弾きだされた影響でもなく。
 彼女は深いショックを受けて1人、引きこもっていた。
 何が起ったのか全く理解していなかったかれど、何か、大きな事が。とても恐ろしいことが、起ころうとしていることは感じ取っていて。
 怖くて、怖くて、怖くて。寒くもないのにずっと、がたがた震えていた。
(あの方が、仰ったことは……どういうこと、なのでしょう)
 黒髪、赤い瞳の少女が、シャンティアに言った言葉。
 それをしなければ、アーリーの心が死んでしまうと。
 彼女の言葉が、真実なのか、自分にそれをさせるための嘘だったのか、シャンティアには全く分からない。
 ただ、アールが泣きながら言っていた言葉が、深く心に残っている。
「人の世界が……なくなって、しまう……」
 世界は火に包まれ、何もない大地が――。
「恐ろしいことがまた、起きる……起こす」
 アーリー、アーリーは?
「それで、幸せに……。……どう、ほう……」
 伝えなければ、伝えなければと思う。
「アーリーもアールと同じ? アーリーも変わってしまう?」
 シャンティアはベッドから転がり落ちて、床に膝をつき、よろよろ立ち上がり、アーリー・オサードのところへと、歩き始めた。


●バラの園で、継承者の一族たちと
 バラが咲き誇る宮殿の庭園に、宮殿に出入りする者たちの多くが、立ち寄っていく。
 マテオ・テーペ回顧録執筆中のマーガレット・ヘイルシャムも、気分転換に散策に訪れていた。
 色々とあったが、とりあえず今は落ち着き、執筆を再開できている。合間には新作小説も手掛け始めていた。
(本当に素敵なバラ。書いているのはユリですけれど……あら?)
 反対方向から歩いてくる一行の中に、知り合いの顔を見つけて、マーガレットはゆっくりと歩み寄った。
「ご機嫌よう、エルザナさん」
「あ、こんにちは。マーガレットさん」
 エルザナの隣には、30代半ばくらいの優しい雰囲気の男性の姿があった。
 他にも貴族と思われる人数人と、彼女は一緒に歩いていた。
 後方にはチェリア・ハルベルトの姿もあったが、チェリアはマーガレットに気付いていない。
「ご一緒されている殿方たちは、どちら様でしょうか?」
 マーガレットは小声でエルザナに聞いてみた。互いを気遣う様子や、会話をする様子がなんだかとても親しげに見えて不思議に思ったのだ。
「あ……ええっと……この方は親戚のマリオさんで、こちらの方はヘーゼルさんです」
 たどたどしく、そう答えるエルザナ。
「ま、まぁ、エルザナさんにも男友達の1人2人いますよね? 大丈夫、彼には言いませんから」
 なんて、意味深なアイコンタクトを送るマーガレット。
「あ、いえ、ホントに親戚で、うまく説明できない理由はそういうのではなくて」
 わかってますわかってますとマーガレットは頷いて「それでは良い時間を」と、エルザナの同行者たちに微笑んで会釈をし、優雅にその場を離れた。
(そうですねぇ、今はBL物は考えてないのですが……薔薇の園の美男子とか……ストックしときましょう)
 が、少し離れた位置から、ヘーゼルを介抱するマリオの姿を観察する。
 ヘーゼルは中性的な外見で性別はよく分からなかったが、マーガレットの脳内では絶世の美青年に変換されていた。

「チェリア様」
 後方を歩くチェリアに近づく男性の姿があった。
 彼――アレクセイ・アイヒマンの顔を見たチェリアの顔から、硬さが和らいていく。
アレクセイ・アイヒマン、無事に回復しましたのでご報告に上がりました」
「本当に大丈夫か?」
「ええ、もうこの通り元気です」
 胸を叩いてみせるアレクセイ……強く叩きすぎて咳き込んだり。
「私、寝るのは大好きなのですが、流石に寝すぎて体が訛ってしまいました。チェリア様さえよろしければ、剣の稽古を付けて欲しいです」
 不格好な素振りの振りをしてみせて、沈んでいるチェリアを笑わせようとする。
 ははは……と、チェリアは軽く笑って、アレクセイと並んで歩きだす。
「チェリア様には魔法で回復して下さったお礼もきちんと言えていなかったので……改めて、お礼を言わせて下さい。有難う御座いました」
「私は礼を言われるようなことはしていない。むしろ逆だ。隊長としての責務をまるで果たせず……」
 いいえと、アレクセイはチェリアの言葉を否定して、彼女に感謝の気持ちを伝えていく。
「あの時、チェリア様が傍に居てくれて……本当に嬉しかった。もしかしたらもう会えないかも……と気を失う時に頭を過っていたりして……己の力不足を痛感しました」
 生き残れたのはただの運だと思っている。何人もの仲間が命を落とした。
「だから、だから俺は……強くなりたいと思います。生きる為に。――貴女を守る為に」
 話を聞くチェリアの顔には戸惑いの色があった。
「……私のために……というのは、解せない。民や陛下のためにでははいのか」
「チェリア様が守りたいものを守ることが、貴女の笑顔につながるのでしょう? それが俺の動機になる」
 帝国の民全てとか、生きている人々全てを守りたいだなんて、アレクセイは考えていない。
 戦おうと決めた理由は、自らが大切に思うものを守るため。
 チェリアは彼の想いに、軽く眉を寄せて、苦悩をしているようだった。
 ありがとうと、素直に言えない理由があった。嬉しいと返せない理由があった……。
「チェリア隊長、今はもう正気に戻ってるんですか……?」
 そんな2人に、近づいてきたのはエルゼリオ・レイノーラ。燃える島の調査に向かったメンバーの1人だった。
 自分達を島に残したまま、本土から戻ってこないチェリアに、エルゼリオは不信感を覚えていた。
(一時は明らかに様子がおかしかったけれど、今は元に戻ってる?)
 彼女が自分達を見捨てるような人ではないと、解ってはいたから、正気ではなかったのではないかと思っていた。
「船の到着が遅れ、すまなかった」
 チェリアは本当にすまなそうに、エルゼリオに謝罪をした。
「その理由は? 一体何があったんです……!?」
 隊長の身に一体何があったのか? 部下には知る権利があるんじゃないのかと、エルゼリオはチェリアに訊ねていく。
「それに! ……僕なんか、最悪の場合は隊長を討つ覚悟までしてたんだよ……!?」
 討つという言葉に、チェリアは若干の動揺を見せた。
「……歪んだ魔力の影響を受けていたんだ。今は正気だ」
 そして、本当にすまなかったと、再度エルゼリオとアレクセイに詫びた。
「皆がもう少し回復したら、その時、改めて説明をする」
 その後、燃える島の調査隊は解散となるそうだ。
 チェリアもその件は、酷く気に病んでいるようで、エルゼリオはそれ以上問い詰めることはせずに、彼女から離れて、1人庭園を散策することにした。
(この数ヶ月の間……燃える島では色々あった)
 赤いバラと、記憶の中の炎の壁が重なる。
 その炎の壁の中に在った存在――居た人。
 彼、レイザ・インダーの事は生涯忘れる事はない。
(彼の命と世界を秤に掛けて、僕は世界を取った)
 彼にも大切な人は居た筈だし、彼の事を大切に想う人も居た。
 その事は絶対に忘れてはいけないと、深く胸に刻んでいた。
「贖罪という訳ではないけれど、レイザさんが護ろうとしたものを、僕も命懸けで護るよ」
 真っ赤なバラに、エルゼリオは語りかけていた。
「多分、僕達はこれから歪んだ水の魔力云々とかと対峙する事になるんだろうけど、絶対に負けないから!」
 エルゼリオはレイザの真の想いは知らないけれど……彼がその身に歪んだ魔力を集めて、生ている人々を護ってくれていたのだろうと、感じ取っていた。

 マテオ・テーペから訪れた人たちの様子を確かめた後に、ナイト・ゲイルも庭園に立ち寄った。
 自分が纏う雰囲気のせいもあるが、自分達は帝国の騎士や貴族に好ましく思われてはいない。
 人にあまり近づかずにおこうと思うのだけれど……。
 どこか影のある顔をしているチェリア・ハルベルトの姿が、目に留まってしまう。
 これまで、マテオの皆を救う事だけを考えてきたナイトだけれど、何故だか、帝国が一番で帝国の事ばかり考えている彼女のことが、放っておけなかった。
(チェリアの今の状態って、歪んだ魔力の影響を受けているんだろうから、こっちもそれに対抗できる何かを持つ必要があるな)
 そう思いながら、ナイトはチェリアに近づき、声をかけた。
「来てたのか」
 自分を見たチェリアの顔に、少しの安堵の色を感じたのは気のせいだろうか。
「これからのことなんだけれど、騎士団はどう動くんだろう?」
「わからない。少なくても私が指揮を任されることはもうないだろう」
 彼女は努めて抱えている辛さを表情に出さないようにしているように見えた。
「あのさ、俺の剣と魔法の訓練に付き合ってくれないか? 剣は一人でも大丈夫だが、この火の継承者の力を使いこなすためには誰かに教えてもらわないと。この先何があるか分からない、その為にも備えたいんだ頼む」
「本気で上達したいなら、私では役者不足だ。教えるほどの技能は持っていない」
 それだけじゃないんだと、ナイトはチェリアに言う。
「あんたのその状態も解決したい。情報が欲しい……どこか情報を得られそうな所を知らないか?」
「お前に解決できることでは……」
 ない、と言い切ろうとして、チェリアは言葉を止めた。
 彼は普通の人ではなく、希少な火の特殊な能力を有する人だから。
「安心しろ何かあれば俺が必ず止める」
 考え込んでいるチェリアに、ナイトは囁きかけた。
「その為にも出来るだけ傍に居たいんだが、理由もなく傍に居たら拙いだろうしな。何か手はある?」
「陛下に忠誠を誓い、帰化して帝国騎士になる、とか。……出来るわけないだろう、お前に」
 苦笑して、それから最後にぽつりとこう言葉を漏らして、仲間との会話に戻っていった。
「私たちは、生まれてくるべきではなかったんだ」

「エルザナちゃーん、体大丈夫?」
 マリオと並んで席についたエルザナのところに、ロスティン・マイカンが駆け寄ってきた。
「大丈夫です。ご心配おかけしました。本当にありがとうございました」
 エルザナは立ち上がってロスティンに頭を下げる。
「ありがとうはこちらこそだよ」
 そう言って、ロスティンはエルザナを座らせ、自分も椅子を持ってきてエルザナの隣に腰かけた。
「いやーほんと、俺あの時死ぬんじゃないかと思った。死んだり大怪我した人達は残念だったけどね」
「はい……」
「でも過去だけを見てはどうしようもない、これからの事も考えないと。図書館で話し合ってたみたいにまだまだ世界を安定させるためにする事あるんだよな?」
 ロスティンの言葉に、エルザナは少し間をおいて、こくりと頷いた。
「俺は継承者になれなくても誰かの力にはなれる。一人でも苦しい人や無くなる命を減らすことができるはず。上手く行けば皇帝の目に留まって、地位を得てエルザナちゃんを楽に幸せにできるようになるかもね?」
「ロスティンさん、その前に帝国人にならないと……」
 地位は得られませんよとエルザナは少し笑った。
「そっか、ここで地位を得るにはそれが先か」
 そう笑った後、ロスティンはエルザナの隣にそれなりに身分のありそうな、働き盛りな年齢の男性がいることに気付き、この人でいいかと声をかける。
「えーと、そこの人?」
「ん?」
 呼ばれて顔を向けたのはマリオだ。
「あ、ロスティンさん……ええっと、この方は……」
 何故かエルザナは慌てていたが、ロスティンは気付かない。
「証人ちょっとお願いします」
 言って、ロスティンは大切に持っていた、ケースを取りだした。
 蓋をあげて、エルザナの方に差し出す。
「私、ロスティン・マイカンはエルザナを幸せにすることを誓うと共に、ここに婚約を申し込みます」
 それは、ロスティンが密かに注文していた、婚約指輪だった。
「ロスティン……さん……」
 エルザナは驚きながら、顔を赤く染めていき、マリオを見上げた。
「あ、エルザナちゃんが嫌になったらキャンセルOKよ。その場合酒場に泣きダッシュするけどね」
 ロスティンは片腕で涙をぬぐう振りをしてみせる。
「しないですよ。私にはロスティンさんだけです。命、ある限り」
 エルザナが左手を差し出し、ロスティンが彼女の薬指に、指輪をはめた。
 見守っていたマリオが「おめでとう」と二人を祝福した。
「式には呼んでくれるかい? バージンロードのエスコート役に立候補してもいいだろうか」
「と、ととんでもございません。そ、そのようなことをお願いするわけには……でも、でも……」
「いいじゃないか、よし、この人にエルザナちゃんの父親役やってもらおう」
 などと、陽気に言うロスティン……。
「そんな日が……来るといいなと、思います」
 感極まったのか、エルザナの目から涙がぽとりと落ちた。

 

*    *    *    *


●遊びの収穫は
 手土産を持ちリベル・オウスは宮殿のルース・ツィーグラーを訪ねた。
 リベルが淹れたハーブティの香りに、ルースの表情が緩む。
 茶葉については、ベルティルデ・バイエルからアドバイスをもらった。
 焼き菓子にも花の香りを移してある。
「ベルから、私の好みを聞いたの?」
「ああ」
 お茶を淹れる腕前が、少し前までは本人曰く「クソみたいな腕前」であったことは黙っておく。
 二人分のハーブティを淹れ、菓子の包みをテーブルの上に広げた。
 椅子に腰かけたリベルは、さっそくリモス村でのベルティルデの様子を話して聞かせた。
 大まかな報告はルースのところへも届いているが詳細はわからなかったため、彼女は熱心に耳を傾けた。
 話し終わったリベルは、最後にベルティルデを褒める言葉を口にした。
「あいつは、よくがんばってる。魔法鉱石採掘の終盤頃はかなりきつかったろうに、泣き言一つ言わねえ。たいしたもんだ」
「そう……そうかもしれないわね」
 ルースは、誇らしげでいてどこか苦味を含んだ顔で頷いた。
「村であの子は一人じゃないのね」
「ああ。俺もいるし、他にも親しい奴らがいる。──何か伝えておきたいことはあるか?」
「ベルには、周りの人を頼りながらがんばりなさいと。それと、あなたにも頼みがあるわ」
「なんだ?」
 リベルは、飲みかけていたカップを下ろし、真剣な様子のルースの言葉を待った。
「近くにいるならあなたも気づいているかもしれないけれど、あの子は使命を果たすことを第一と考えているわ。もちろんそれは果たさなければならないんだけれど……その先に自分もいる未来を、ちゃんと考えてくれているかしら。あの時は、生きることを望んでくれたけれど……」
 マテオ・テーペで人々と接するうちに、ベルティルデはそう思うようになっていた。
「ベルのこと、よく見ていてあげてね。子供の頃から教え込まれてきたことが、どこでまた顔を出すかわからないから」
 旧王国で、ベルティルデは世間から隔離されて生かされていた。継承者の役目を果たすことだけを教えられてきたのだ。
 リベルは、神妙に頷いた。
 その時、苛立ちを含んだ声が割り込んできた。
 監視の帝国騎士の一人としてここにいる、故騎士団長の息子エクトル・アジャーニだ。
「我々は、継承者達の犠牲の上に生かされている。そうだろう?」
 まるで、それが当然であるという言い方だった。
 ルースは気に入らなさそうに腕組みした。
「ご立派なご意見をどうも」
「貴様ら王国の者達は──!」
「まあまあ」
 と、火花を散らす二人の間に、ヴィスナー・マリートヴァがとりなしに入る。
「せっかくこうして普段にはない場が設けられているのですから、もう少し穏やかに行きましょう」
「……そうね、私もわざわざ言い争いをしたいわけじゃないもの」
 ルースは出しかけていた角を引っ込めた。
「せっかくなら、あなた達とも話をしたいわ。たとえば、帝国で流行っている遊びとか教えてくれない?」
 と、尋ねられたヴィスナーは、休日前夜などに父親と行うあるゲームを紹介することにした。
「しりとりです。ただのしりとりではありませんよ。お題を決めたしりとりで、負けたら翌日の水回りの掃除を担当するルールなんです」
「ふぅん……それはなかなか知的な遊びね。おもしろそうじゃない」
 そう言って薄く笑みを浮かべたルースは、ヴィスナーが言わなかったお題付きの意味に気づいたようだった。
 エクトルも楽しそうだと思ったようで、バツゲームの内容について提案した。
「負けた者のルールだが、お前が負けたら旧王国の者として我々に謝罪してもらおうか」
 穏やかになったルースの気配が再び尖る。
「それはこの場にはふさわしくない内容じゃないかしら。そういう区別もつかないお子様が、この知的な遊びについて来れるかしらね?」
「俺はかまわねえよ。何なら代わりに謝ってやろうか?」
 不敵な笑みを浮かべたリベルが、茶化すように割り込んだ。
 舐められっぱなしは、彼の性に合わない。
「あら、それじゃあなたが損するだけじゃない。それに、せっかく遊びを教えてくれたこちらの騎士にも申し訳ないわ」
「勝てばいいんだ」
「それもそうね。なら、私が勝ったらおいしい紅茶をここにいる全員に淹れてもらうわ」
 いいだろう、と受け入れるエクトル。
「ではお題ですが、初回なので選択肢の多い食べ物系にしましょう。食材、料理、菓子類、酒類を含む飲み物であれば何でも」
 ここにもヴィスナーの狙いが隠されていたりする。
 そしてこれは、ルース&リベル対エクトル&ヴィスナーの構図だと他にも参加した騎士達は見たが、実は大きな間違いで。
 この遊びに慣れたヴィスナーは、エクトルに対し語尾を同じものにして選択肢を奪うという攻め方をした。
 お題の選択肢が多いためにできる技だ。
「お前……っ」
 エクトルから恨めし気な目を向けられるが、ヴィスナーは笑顔でかわした。
 ルースはそんなエクトルの顔をおもしろがり、しりとりがもっと続くように彼女の次に答える騎士には、選択肢の多い語尾の食べ物の名を言った。
 結果、エクトルはとても悔しそうに降参を告げた。
「クソッ、今回は負けてやったんだッ」
 と、捨て台詞を吐き、彼は紅茶の支度のために部屋を出て行った。
「楽しかったわ、ありがとう。後であなたが八つ当たりを受けないといいのだけれど」
 クスクス笑った後、ルースはやや心配そうにヴィスナーを見た。
「その時はその時で。……選民意識から来る先入観は、何の益にもなりませんから。それを知ってほしかったんです」
「私も、肝に銘じておくわ」
 戻ってきたエクトルは、きちんと全員分の紅茶を淹れたのだった。

●いまだ目覚めぬ人へ
 キャロル・バーンは、閉ざされたドアの前にうつむいて立ち尽くしていた。
 ドアの向こうで眠ったままの人のために持って来た花束を抱えたまま。
 このドアを、開けようかどうしようか迷っていた。
 グレアム・ハルベルトは、まだ一度も目覚めないままだという。
 面会の許可が下りたと聞いて訪ねたものの……。
(自分の命と引き替えてでもグレアムさんを救いたかった──歪んだ魔力にあの人を奪われたくなかった……。でも結局、私がしたことはグレアムさんを傷付けてしまった)
 自責の念に囚われたキャロルは、今の自分にグレアムを見舞う資格はないと結論を出した。
 口を一文字に引き結び、彼女は誓いを立てた。
「……グレアムさん。貴方を目覚めさせる方法を、きっと見つけ出してみせます。──たとえ貴方から憎まれていたとしても……」
 いつか目覚めた時には、グレアムの怒りや憎しみを受けよう。それが、自分がしてしまったことへの当然の報いだと、キャロルは思った。
 とたん、言いようのない寂しさで胸がいっぱいになった。
 本当はグレアムから憎まれるのは怖いからだ。
 キャロルは花束をドアの脇に置くと、そこから小走りで離れた。
 足を止めることなく外まで走り出る。
 さらに建物から少し離れたところで、キャロルの足は止まった。
 乱れた息を整えていると、風に運ばれてバラの香りが漂ってきた。
 庭園のバラが咲いたそうだから、そこからの香りに違いない。
「ヘーゼルさん……」
 グレアムの副官だったヘーゼル・クライトマンも、見舞いに来ていると聞いた。
(あの人が受けた傷は、本来は私が受けるべき傷だった……)
 見舞いに行ったら、どんな顔をされるだろう。
 そう思うとまた怖くなってしまったが、行かなくてはならないのだと自分に言い聞かせて、キャロルは庭園へ向かった。

 グレアムを見舞いに訪れたルティア・ダズンフラワーは、ドアの脇に置かれている花束に気づいた。
 どうしてこんなところにあるのか不思議に思いつつも、その花束も抱えてドアをノックした。
 何の反応もないことが、悲しい現実をルティアに突き付けた。
 そっとドアを開けて入ると、窓際のベッドに静かに眠るグレアムがいた。
 彼は入室者にはまるで気づかずに、目を閉じている。
 一歩一歩近づいていくにつれ、ルティアの胸が震えていく。
 ベッド脇に着いてグレアムの顔を見たとたん、胸の震えは涙となってあらわれた。
 花束をベッドの横にある小さなテーブルに置き、自分が持って来た見舞いのはな一輪を、グレアムの枕元に置いた。
 この花は、ルティアの家の庭で今朝摘んだものだ。とびきり美しい花を選んだ。
 花はグレアムの瞳の色のリボンで飾った。
 ルティアには、グレアムがどのような想いで眠り続けているのかわからない。
 それでも。
「貴方が生きていて、よかった……」
 ただこれだけは伝えたくて、ここに来た。
 聞こえているだろうか。
 ルティアはしばらくそこに佇んでいた。

 部屋を出たルティアは、庭園へとゆっくり歩いている。
 彼女が受けた怪我は、また治りきっていない。
 複数個所の骨折や打撲などにより、歩くことができる程度だ。
 当然包帯も取れていないので、体への負担を減らすためにいつもよりゆったり目のブラウスとズボンを選んだ。
 ゆったり目ではあるが、宮殿を訪れるのに失礼にならないよう心がけてある。
 庭園には、ヘーゼルがいると聞いた。
 一時はかなり重篤てあったそうだが、マリオの助けを借りているとはいえ、外出できるくらいに回復したことにルティアは安堵していた。
 そんなヘーゼルのためにも花を一輪選び、瞳の色と同色のリボンを巻いた。
 やがて濃くなってきたバラの優しい香りと共に、数人が談笑する声が聞こえてきた。
 見頃のバラの鑑賞に、宮殿の貴族達も出てきているのだろう。
 いくつかのバラのブロックを通り過ぎたところに、目当ての人はいた。
 マリオに付き添われたヘーゼルが、やや落ち込んだ様子のキャロルと話をしている。
 最初にマリオがルティアに気づいた。
「やあ、こんにちは。だいぶ良くなったようだね」
 おかげさまで、と微笑みルティアは三人に歩み寄っていく。
 顔を向けたヘーゼルも、二人目のスヴェル団員との再会を喜び、珍しく淡く微笑んでいた。

「団長、タチヤナです」
 そう呼びかけても目を閉じたままのグレアムに、タチヤナ・アイヒマンの目に涙があふれそうになる。
 袖でグイと拭って涙をこらえた。
 見舞いに顔を見せたら、すぐに起きて笑顔を見せてくれると思っていた。
 けれど、そんな嬉しいことが起こることはなく。
 どんなに見つめても、寂しい沈黙が続くだけだった。
 だから、タチヤナは呼びかけた。
「スヴェルは大丈夫ですよ。団長の分も、私が、皆が頑張っています。だから、心配しないでゆっくり休んでください。これまで団長はずっと重責を背負って、無理されていたに違いないから」
 こんなにゆっくり休める機会はそうそうないですよ、と明るく言ってみるが、タチヤナが浮かべた笑みはすぐに消えていく。
 何か話していないとまだ涙が出て来てしまいそうで、彼女は声を震わせながら続けた。
「だから……だから……休んで元気になったら……絶対に戻って来て下さい」
 タチヤナは、願いを込めてグレアムの手を取る。
 その手のぬくもりが、グレアムが生きていることの証拠だった。
「私……まだ告白の返事、もらってません。──ええ、告白だったんですから。わかってます? どんな答えでもいいから……団長の……グレアム様の口から、グレアム様の言葉で返事がほしい、です」
 言った後、タチヤナは思い直すように首を振った。
「……ううん。私への答えなんてどうでもいいから……団長に帰って来てほしい……。団長が元気に笑ってくれているだけで、私は幸せだから」
 どうか届くようにと、とタチヤナは握る手に力をこめた。

●バラの夢
 腐れ縁に頼まれた見舞い品を届け終えたリンダ・キューブリックは、ふと気まぐれを起こして庭園へ足を運んだ。
 吸い込んだバラの香りが、腐れ縁──リキュール・ラミルを思い出させた。正確には、彼に託された見舞い品をだ。
 見舞い品の中身は、厳選した各種アロマオイルやポプリの詰め合わせである。
 グレアムが目覚めないのは、心や精神に関わる理由ではないかと考え、リラックス効果やリフレッシュ効果の他抗菌作用、ネガティブな感情の軽減を期待してこれらを選んだのである。バラが香る宮殿の庭も意識した。
 リキュールは医者ではないので、これが気休め程度であろうことは承知している。
「あのカエルめ、騎士に使い走りをさせるとは、いい度胸だ。この貸しは大きいぞ」
 などと呟くリンダは、リキュールが宮殿に入れる身分ではないことをわかっている。今回発行されたスヴェルへの特例対象ではないことも。
 彼は街の有力商人であるしスヴェルに協力もしてきたが、スヴェルに所属しているわけではない。
 関連があるとすれば、せいぜいファンクラブ会員であることくらいだ。
 見舞いたくとも叶わない身なのだ。
 庭園内に一歩踏み込むと、バラの香りはいっそう濃くなった。
 赤や白はもちろん、黄色やピンクのバラが美しく花を開かせている。
 庭師の腕の良さが窺えた。
 今度は思い切り吸い込み、バラの芳しい香りで深呼吸をした。
「うむ、実に爽快だ」
 やさしく包み込むような香りは、リンダの胸の奥底で煮えたぎる怒りにも似た衝動を、ほんの少しだけ鎮めたように感じられた。
 不意に、リンダはバラの花言葉を思い出した。昔、まだ家を飛び出す前の頃、貴族の一般教養として習ったことがあった。
 『愛情』『美しさ』──どれも、自分とは縁遠いと感じた。
 つい先ほどリンダを満たした爽快感が霧散した。
 代わりに、寂寥感が広がっていく。
(ここも自分にふさわしい場所ではない──)
 艶やかな色彩の庭園から、色が失われていく。
 リンダにふさわしい場所……戦場こそが、色鮮やかな居場所であり、帰るべき場所であり。
(帰りたい。戦友達が眠る、あの戦場に)
 彼女が最も命を燃やしていた戦地が、見えた。
 と、誰かの笑い声で、リンダは我に返った。
 見えていた懐かしい場所が消え、光があふれる庭園へと変わる。
「……」
 どれくらい立ち尽くしていたのだろう。
 長いようで、ほんの一瞬だったかもしれない。
 どうやら濃いバラの香りに酔ったようだ。
 リンダは、静かに庭園に背を向けた。

 リィンフィア・ラストールにとって、この庭園は大切な思い出の場所だった。
 やさしい香りに満たされると、すぐそこのバラのアーチから幼い頃の自分の笑い声が聞こえてくるような気がしてしまう。
 綺麗なバラの花々にはしゃぐ自分の後ろからは、元気すぎる娘に苦笑気味の父がいて。
 あの大洪水の時、リィンフィアは帝国騎士だった父親とはぐれてしまった。
 その後、父がどうなったのかはわからない。
 思い出の中の幼い自分はバラの庭園を駆け回り……とうとう父に叱られた。
 ──もっとお淑やかにしなさい。
「はぁい!」
 なんて、とびっきりの笑顔で父に返事をすると、すぐに父も笑顔になった。
 大きくなったリィンフィアがスヴェルで活動していて、魔物相手に短槍で挑むこともあると知ったらどんな顔をするだろうか。
(大好き、お父様。大好き。──お父様)
 お父様、とリィンフィアは父に呼びかける。
 リィンフィアには、大切なものがある。
 それを守りたくて頑張ってきた。
 もう子供ではないから、守られる側ではなく守る側でいたい。
(『今』を守れるように、もっと頑張ります)
 改めてそう決心できた。
 今日、ここに来られて良かったと思えた。
 バラのアーチの向こうで、手を繋いだ幼い自分と父が手を振ったような気がした。

●明日に繋ぐために
 スヴェル本部の訓練場で、キージェ・イングラムは訓練用に刃を潰した剣で素振りをしていた。
 魔法の才能もあるのでそちらの訓練をすることも考えたが、気が進まなかった。
 汗が顎を伝い落ちるほど一心に振り続けていた。
 しかし、彼の心は定まっていなかった。
 何度も同じ自問自答を繰り返していた。
 ──何のために強くなりたい?
 生きるため。
 ──生きてどうする?
 大切な人を守りたい。
 ──大切な人? 母は死んだではないか。
 リィンがいる。彼女の母も。大切な人だ。
 ──では、大切なものがいなくなったら?
 母は『いきなさい』と言って、死んだ。母はしかし、満足だっただろう。
 キージェは、その時のことを思い出す。
 自分の無力さを刻み込まれた、あの時。
 その後、リィン達親子と出会い、一緒に暮らすようになった。
 恩ある彼女達を守りたいと思うが、騎士になって守りたいというわけではない。
 騎士団に入れば、しっかりした武術訓練を受けられるけれど……。
 一人でやるには限度がある。
 もっと強くなりたければ、誰かに教えを請うしかない。
 ふと、海賊達のことを思った。
 彼らは救われたのだろうか?
 わからない。
 そして、また思う。
『何のために強くなりたい』のか、と。

 休日であるこの日、ローデリト・ウェールは自宅の裏手で魔法の練習をすることにした。
 ここなら誰かに見られることなく、集中できると思った。
 人の気配がないそこで、ローデリトは心を静めていく。
 上手に魔法を使うには、集中しなければならない。
(この前歌ったらいいカンジにできた……気がする)
 歌うことで他に気が散ることがないからかな、と考えた。
(よーし、歌を歌ってしゅーちゅーして風を起こしてみよー)
「LaLa LaLa subrdens facies
 LaLa LaLa subrdens facies

 春は花が歌う
 夏は陽が歌う
 秋は月が歌う
 冬は雪が歌う

 LaLa LaLa subrdens facies
 LaLa LaLa subrdens facies」
 そよそよと風が吹き始め、少しずつ強くなり木々の枝が揺れる。
(ふおおおお)
 と、感心している間にも、風が集まってきてローデリトの前髪を巻き上げた。
「あ、あんまり強く吹かなくていいよ。人間にしたらいきなり全力疾走かもしれないし。無理しないでゆっくりやろ?」
 誰だかわからない相手に呼びかけると、風はおさまっていった。
 ローデリトの集中力が切れたので、魔法が終わったのだ。
 それでも彼女は空を見上げて、風に感謝を示した。
「吹いてくれてありがとー」
 それから、彼女のことを原石だと言ったジェルマン神官を思い出す。
「今度神官に成果見てもらおー」
 おばーちゃん、と心の中で話しかける。
(心配してたおばーちゃん、僕は大丈夫だから、信じてね)
 その後もローデリトは、歌いながら魔法の練習を繰り返した。

●ささやかなお茶会
 ある程度人数がそろったところで、リモス村の広場での小さなお茶会は始まった。
 ホッとするような香りのハーブティを全員分行き渡らせたベルティルデ・バイエルは、コタロウ・サンフィールドに呼ばれて隣に座る。
「たまにはお茶会でみんなが集まるのもいいね」
「ええ。お天気も良くて暖かいですし」
 木漏れ日の下にいるとウトウトしてくるような、心地よい気温の日だ。
 コタロウとベルティルデは畑の作物のことなどを話していたが、話題はいつしか体力づくりのことになっていた。
 きっとまた来る怒涛の日々を乗り越えるために、体力はつけておいて損はない。
 提案したのはコタロウだった。
「あれから少し経つけど、ジョギングの効果って出てきた?」
 ベルティルデは、早朝にジョギングをしている。
「最近になって手応えを感じるようになりました。始めたばかりの頃とは、疲れの具合が違いますね。もう少ししたら距離を伸ばしてみようと思っています」
「効果を感じられるようになったのはいいね。俺はひたすら休養を取ってたんだけど、この機に何か能力開発しておいたほうがいいかも、とか考えてるんだよね」
「どんなことですか?」
 ベルティルデに聞かれて、たとえば、とコタロウは魔法について話した。
「魔力って鍛えられるんだっけ?」
「魔力は素質ですから何とも……ですが、練習をすればそれだけ上手に使いこなせるようになるはずです」
 要はジョギングと同じだ。
 ベルティルデは続けることで体の使い方を覚えてきたため、あまり疲れなくなってきたと言える。
「ふむ……後は、いろいろと即興で道具……車輪付きの搬送箱とか、投網、受け止めネットとか作ってきたし、その方面の技術を磨く手もあるかなぁ?」
 コタロウは、箱船の技師長でもある。
 マテオ・テーペで箱船の製造に関わってきた彼は、腕を見込まれて任命されたのである。
「コタロウさんは器用ですから、材料さえあれば何でも作れそうですね」
 魔法か技術系かとコタロウが悩んでいると、マルティア・ランツが「私も何か始めようかな」と呟いた。
「私も、まだまだ……」
「マルティアさんは、働きすぎです!」
 と、ジスレーヌ・メイユールが割り込んでくる。
「時々、目の下に隈ができてますよ」
「う……そ、そうかなぁ」
 苦笑し、目の下をかるくこする。
 畑仕事に雑事の手伝いに薬学の勉強に魔法の研究……これらをこなしていると、いつの間にか深夜におよんでいることがある。
 彼女自身が自分はまだまだだと思うため、できることは何でもやっておきたいという気性のせいだろう。
「マルティアさんの代わりはいないのですから、働きすぎはダメです」
 たいして怖くないしかめっ面のジスレーヌに、マルティアは頷く。
「うん。今日はゆっくりするつもり」
 笑顔で言うと、ジスレーヌもにっこりした。
「マルティアさんもコタロウさんも、体は大切にしてくださいね。お二人のお元気な姿を見ると、わたくしも元気が出ますから」
 おかわりどうですか、とベルティルデがティーポットを手にした。
 二杯目を注いでもらいながら、マルティアは周りから聞こえてくる笑い声や陽気なおしゃべりに耳を澄ます。
 それから、コタロウやジスレーヌ、ベルティルデ達の笑顔。
 彼女は、みんなの笑顔が大好きだ。
 先ほどのベルティルデではないが、誰かの笑顔を見るとマルティアの心に力が湧いてくる。
 笑顔の一つ一つが灯りのように。
 マルティアは、確信していることがある。
 この先、どんな暗闇の中を歩いていくことになるとしても、みんなの笑顔がきっと明かりを灯してくれると。
 今日の笑顔もきっと、その一つになるだろう。

 いつまでたってもお茶会の席に来ないバリ・カスタルセゥを迎えに、アルファルドヴィーダ・ナ・パリドはいったん彼らがいるという場所へ向かった。
 人が何人か集まっていたので、すぐにその場所はわかった。
 バリの声も聞こえてくる。
「本土に戻っても元気でな。もう二度とここに送られるようなことするなよ」
 バリの声は涙ぐんでいた。
 一塊になった元囚人達が、肩を組み合って別れを惜しんでいた。
 そんな彼らから少し離れたところで、セゥが困り顔で立っていた。
 セゥはバリと共に広場へ向かう途中だったのだが、こういう事態になり動くに動けなくなってしまったのだ。
 サク・ミレンもいると聞いたが姿が見えないところから、抜け出してどこかへ行ってしまったのだろう。
 ヴィーダがセゥのもとへ行ったので、アルファルドはバリのところへ進んだ。
「おい、そろそろ行ったらどうだ。うまいクッキーがなくなるぞ」
 クッキーの一言に、元囚人達が我に返った。
「クッキーなんて、これが人生最後かもしれねぇ!」
 などと叫び、ドタバタと広場へ走っていく。
 アルファルドはその中からバリを引っこ抜いた。
「仲良しなのはいいことだ」
アルファルド、あんたにも世話になったな。本当にありがとな」
「なぁに。……俺も泣いたほうがいいか?」
 冗談めかして言ったアルファルドに、バリから無言でハンカチが差し出された。さんざん涙を拭ったようで、何だか湿っている。
 アルファルドは、そっと押し返した。
 それからバリを促し、広場へゆっくりと歩き出す。
 アルファルドは、と鼻をすすりながらバリが言った。
「帰ったらどうするんだ?」
「そうだな……ここに来た時は二度と囚人の枷から外れるとは思ってなかったからな……。先のことは、まだ考えてない。どうしようかねぇ」
「きっと、いい仕事が見つかるよ。物知りだから」
「そうだといいがね。……本来なら、ここで一生を終えると思ってた命だ。こんなじじぃでよければ、何かあれば呼べば行ってやるよ」
「せっかく自由になれたのに、またこんなとこに来てくれるのか?」
 物好きだ、とバリは笑った。
 彼の言う通り『こんなとこ』にもしも未練があるとしたら、それは継承者の儀式を憂いていたバリのことやサクの現状のことだろう。
「俺も、アルファルドが困ってたら飛んでいくよ。だから、大声で呼んでくれ」
 そんなやり取りをしているうちに、お茶会が開かれている広場へ着いた。
 二人にも温かいハーブティと、ほんのり甘いクッキーが勧められる。
 アルファルドはジスレーヌ達と軽く会話を交わすと、後はバリに任せて自身は隅の方でのんびりしたのだった。
 一方、セゥを回収したヴィーダはというと、回収直後は少し拗ねていた。
セゥ、お前の伴侶は誰だよ」
 という具合だ。
 セゥと久しぶりに会える今日を楽しみにしていただけに、なおさらだった。
「悪かった。でも、迎えに来てくれてありがとう。助かった」
 ヴィーダはセゥのもとへ行くなり彼の腕を掴み、元囚人達に言ったのだ。
『こいつは俺のだから、返してもらうぞ』と。
 セゥは内心、その言葉に喜んでいた。離れていても、何も変わらないヴィーダを嬉しく思ったのだ。
 元囚人達の中には「こいつが姐御の……っ」と、何か言いたそうな者もいたが、ヴィーダの一睨みで口を閉じた。
 セゥと手を繋いで歩くヴィーダは、足を緩めて少し前を行くアルファルド達と距離をとった。
 できればセゥにだけ聞いてほしい話があった。
「……儀式で犠牲になった女の子と、その子達の墓を見た。生きたかったはずなんだ。怖くて苦しくて、それでも誰かのために何かのために、その命を捧げた」
 セゥは黙って耳を傾け、ヴィーダに寄り添う。
「お前とシャナが生きててくれたのは、本当に奇跡みたいなもんだって思うよ。だからこそ、儀式で誰かが犠牲になるのを止めたいんだ」
 弱音のように始まったヴィーダの言葉は、最後にはこれからも儀式に関わっていくことを宣言する内容になっていた。
「ヴィーダの心に従うといいと思う」
 危険なことになるのは明らかだが、セゥは止めなかった。
「けど、無茶はしないこと」
 と、繋いだ手に想いが込められた。
 それから、思い出したようにヴィーダに聞いた。
「姐御って何?」
「ああ……色々あって懐かれた」
 ヴィーダが簡潔すぎる返答をすると、繋いだ手に別の感情が混じったのか何やら痛い。
「そう……色々」
 色々って何だろうと考え込むセゥの隣で、ヴィーダはひたすら下を向いていた。
 この手の痛みが、セゥのヤキモチだと気づいたからだ。
 ヤキモチを焼かれるほど愛されているとわかったとたん、照れて顔を上げられなくなった。
 そして広場へ着くと、いつもシャキッとしているヴィーダの珍しい様子に、ジスレーヌ達に騒がれたのだった。

 アルファルドやヴィーダ達が加わり、お茶会に賑やかさが増す。
 始まった頃はテーブルやベンチ、芝生の上など好きなところに座っていた人達が、人が増えたことで歩き回りながらお茶とおしゃべりに興じている。
 以前ならこういう場には出てこなかったカサンドラ・ハルベルトも、今では姿を見せるようになった。
 彼女の表情が明るくなったことは、クラムジー・カープも気づいている。
「最近はもう、悪い夢は見ませんか?」
 話しかけると、カサンドラは小さく頷いた。
「夢が、なくなったわけではないの……。でも、もう大丈夫」
「そうですか。もし夢が現実になるなら、楽しい夢を見ることができればいいのですが」
「……そう、だね。でも、どうしたらいいのかな……」
 カサンドラは今まで夢をコントロールできたことはない。そもそもできるものなのか。
「楽しいこと、美しいものを思いながら眠る……とか」
 クラムジーの言葉に、カサンドラは首を傾けた。
 強く印象に残る出来事を体験した人が、それを夢に見るという話しはカサンドラも聞いたことがある。
 この村での楽しかったことを思いながら眠りにつけば、あるいは穏やかな睡眠を得られるかもしれない。
 カサンドラでなければ。
 彼女の夢には、強制力に似たものがある。
 拒否したくてもできない何かだ。
「クラムジーさんは……現実になってほしい夢、ある?」
 聞き返されたクラムジーは、一瞬面食らった顔をした。
 思わず言葉に詰まり、それから思案し……だんだん頬が熱くなっていくのを感じた。
 あまり見ることのない彼の変化を、カサンドラは不思議そうに見ていた。
 クラムジーは、軽く咳払いをして答えた。
「……失礼。あなた自身が幸せになる夢を見るのでないと……私ではなく」
 ありがとう、とカサンドラは微笑んだ。
 儚い感じだがやさしい笑みだ。
 クラムジーの口元も自然とほころぶ。
「少し笑うようになりましたね。いいことです」
 カサンドラ自身が幸せになる夢を見ることができるようになれば、彼女は救われるのではないか。
 マテオ民に好意的なカサンドラやインガリーサには、クラムジーも好感を持っている。
 彼女達との繋がりを保っておきたいという打算もあるが、この少女の幸せを願う気持ちは本物だ。
 少女は少女らしい時を過ごせればいいと思うし、自分達大人は、子供のそういった時間を守らなくてはとも思った。
 ハーブティを飲みながらぽつぽつと話をしていると、元気な声がカサンドラを呼んだ。
「やっほ、カサンドラちゃん」
 もうすっかり怪我が治ったアウロラ・メルクリアスだ。
 本土へ戻るカサンドラと会える時間は限られている。だから、自分から彼女に会いに出掛けたのだ。
「ここにいると思った。会いに来たよ」
 カサンドラは微笑んでアウロラを迎えた。
「もうじき会えなくなっちゃうからね……私がこの島から出るのはなかなか難しそうだし。いや、帰った後でも気合で会いに行く気ではいるよ。傍にいるって約束したし」
「だ、ダメだよ……危ないよ……」
 この島の周りは海流が荒いため、仮に小舟を出しても転覆の恐れがある。本土とは干潮時に繋がる道が現れるが、門番を務める騎士が常に目を光らせているのだ。
 オロオロするカサンドラに、アウロラは悪戯っぽく笑う。
「……っと、そうじゃなくて。今日はちょっと用事というか、その……お願いがあって来たの。カサンドラちゃん、手紙書いてくれるって言ってくれたよね」
 カサンドラは頷く。
 彼女にとってリモス村は、掛け替えのない場所になっていた。そこに暮らす人達も。
「そう言ってくれて、すごく嬉しかったの。ただ、その……」
 と、アウロラはらしくなく言いよどむ。
「その……私、字の読み書きってあまりできなくて。簡単なのならできるんだよ! でもその、難しいのは読んだりできなくて……。私もちゃんとカサンドラちゃんの手紙、一人で読めるようになりたいし」
 大切な人からの手紙だ。
 自分の力で大事に読みたい。
 アウロラはガバッと頭を下げて頼み込んだ。
「帰るまでの間、空いてる時だけでもいいから、私に読み書き教えてください!」
 勢いに押され、目をぱちくりさせるカサンドラ。
「あ、あの……アウロラさん。私でよければ……うまくできるか、わからないけど……」
 顔を上げて、と言われて姿勢を戻したアウロラの目の前に、カサンドラの手が差し出されていた。
「一緒に、がんばろうね」
「ありがとう。よろしくね」
 手を取り合い、二人は笑顔を交わした。
 その様子をたまたま目にしたジスレーヌが、私もちゃんと勉強しなくちゃ、と呟いた。
「そういえば、持って来たご本を箱船でも熱心に読んでいましたね」
 ジスレーヌはベルティルデに頷く。
「大切な本ですから。実は、果物も育てたいと思っていて、勉強中なのです」
「果物というと……」
「具体的にはリンゴです。日持ちしますし、お料理にも使えますから」
 リンゴは栄養も豊富だと本に書いてあった。
 と、真面目な顔で話していたはずのジスレーヌの表情が、突然好奇心に満ちたものに変わる。
 彼女の視線の先には、カサンドラとユリアス・ローレンがいた。
 二人は、本土に戻ったら何をするかについて話していた。
 カサンドラは、まだ決めていないという。
「ユリアス君は……どうするの?」
「僕はスラムにいる友人達が心配ですし、スラム街に戻ります」
 そこでは暴動が起きてたくさんの人が傷ついたらしい。
 スラム街は、ユリアスにとって縁のある場所だ。
「傷ついたスラムの人達のために、僕にできることをしたい。そして、落ち着いたら仕事を探そうと思います」
「うん……ユリアス君なら、いいお仕事……見つかると思う」
 特にユリアスの回復魔法の腕の良さは、カサンドラもよく知っている。
 それから話題は、残していくしかない花壇のことになった。
 今日も綺麗に咲いている。
「この村に留まる人に世話を頼もうと思います」
「そうだね……そうするしか、ないね」
 二人で作った花壇には、カサンドラも思い入れがある。離れるのは惜しかった。
「また一緒に花壇を作ったり、花の世話をしたいですね」
「うん……かわいいお花、たくさん咲かせようね」
「はい。それと、もう一つ。本土では、カサンドラさんと一緒に街を歩くのを楽しみにしています」
 カサンドラは明るく微笑んで頷いた。
 そういった経験がないため、とても楽しみに思った。
 しかし、彼女には一つ気になっていることがある。
 思いやりがあるユリアスは、きっと急かしたりはしないと思うからこそ、焦ってしまうことが。
 けれど、そのことについていくら考えても、答えを出せないのが現状で。
 こんな自分のまま、本土でユリアスと会ってもいいのかな、とまで考えてしまうこともあった。
 ユリアスは、このお茶会でカサンドラと話し始めた時から、そんな戸惑いに何となく気づいていた。
「返事は急ぎませんから、ゆっくり考えてください」
「……!」
 カサンドラはハッと息を飲み、ごめんね、と謝った。
 二人の様子から、何の返事か気が付いてしまったジスレーヌが、思わず「えっ」と声を上げた。
 目が合ったカサンドラが、みるみる真っ赤になっていく。
 一方ジスレーヌは、とうとうユリアスが想いを伝えたことに興奮していた。
 彼の態度から、いつ言うのかと気になっていたのだ。
 ベルティルデや、つい先ほどやって来たインガリーサにも注目され、カサンドラは小さくなって顔を覆ってしまった。覆いきれない耳が真っ赤だ。
 もともと引っ込み思案な彼女は、こんな時に開き直ることなどできない。
 それを見かねたというわけではないが、ステラ・ティフォーネが別の爆弾発言をした。
「私も、もうそろそろ真面目に結婚するつもりで、相手を探さないといけませんね……」
 ザワッ、とお茶会の空気が揺れた。
 主に元囚人達を中心に。
 ジスレーヌも、目も口もまん丸にしている。
 大きく揺れた空気は、次の瞬間にはピンと張り詰めた。
 周囲のそんな様子に気づいているのかいないのか、ステラは悩まし気に続ける。
「没落貴族として、お家復興……。それが最初の目的でしたけど、この状況でどれだけ意味があるのか……。それも、そろそろ答えを出さないといけないでしょうか……」
 ふぅ、と小さなため息を吐いた直後。
「俺と結婚してくれえ~!」
 という異口同音の叫びが殺到した。
 お茶会と聞いたステラは、いつも通りメイド服で給仕をしていた。
 何事もなければ、この村での自分の働きもそろそろ終わりだということで、しっかり努めようと思い丁寧に仕事をしていた。
 美しいメイド姿のステラに、元囚人達の目は釘付けだった。
 それが先ほどの発言で、彼女以外の人達の収拾がつかない状況になったのである。
「ス、ステラさん……もしかして、誰か気になる人がいるのですか? 誰です、いったい誰ですか!?」
 身を乗り出して、そんな相手がいるなら聞かせてほしい、と訴えるジスレーヌ。
 ベルティルデもじっとステラを見つめている。
 そんな彼女達や元囚人達へ、ステラは謎めいた微笑だけを返したのだった。
 もう一度ここに帰ってくる、などととんでもないことを叫ぶ元囚人達の騒ぎを縫って、マティアス・リングホルムが本土からやって来た。
 ベルティルデや他の人達の状況確認のためだ。
「よぅ。賑やかだな。ささやかなお茶会だって聞いてたんだが」
「あっ、マティアスさん! 大変です、ステラさんが!」
 と、ジスレーヌが興奮のままにステラの婿探しのことを話した。
「まぁ、年頃の貴族ならそういうもんかもな」
「言われてみれば、そうですね……。あ、こちらへどうぞ。座ってください」
 ジスレーヌに勧められた席に腰を下ろしたマティアスの前に、話題のステラが温かいハーブティを淹れたカップを置いた。
「宮殿のほうはどうですか?」
「ああ……」
 と、マティアスは何とも言えないため息を吐いた。
「正直、息が詰まる。あいつら……俺らをこき使って弱み握ったら支配しようとしやがってるんだぜ」
「まあ……。ふふ、正直ですね」
 ステラは品良く微笑みながらも、気遣うようにカサンドラとインガリーサをちらりと見やる。
 その視線に不思議そうにしたマティアスに、隣に座ったベルティルデが二人を紹介した。
 やべぇかな、と口元を引きつらせた彼に、インガリーサが微笑む。
「あの人達が騒ぐ声で、私には何も聞こえなかったわ」
 あの人達とは、元囚人達のことだ。
 カサンドラも頷いている。
「お二人には、とてもよくしていただきました。ルース姫はどんなご様子ですか? つらい思いはしていませんか?」
 心配そうなベルティルデに、マティアスは今まで見てきたルースのことを話して聞かせた。
 ベルティルデは、話の一つ一つに相槌を打ち大切そうに聞き入った。
 話し終えたマティアスは、ルースの耳に届いたリモス村の一件に話題を移した。
「この村での一件は宮殿にも届いている。無茶しやがって……」
 マティアスは、ベルティルデを軽く小突いた。
「む、無茶ではありませんよ。少し、がんばっただけです」
「すべては順調とか言ってたのにか?」
「ですが、どうしようもない問題が発生してしまったので……」
 マティアスが報告を聞いて心配しただろうことを察し、ベルティルデの反論が弱くなっていく。
 彼だけではない。
 ルースにも心配させてしまったはずだ。
 もっとも、マティアスは心配はしたが責めているわけではない。
「ベルティルデさんに頼るしかなかったの。だから、あまり言わないであげてね」
 インガリーサがとりなすと、マティアスは苦笑して肩を竦めた。
 その後少しすると、トゥーニャ・ルムナもふわりふわりと羽根のように飛び跳ねながら広場にやって来た。
 集まっているマテオ・テーペの人達──特に、箱船で助けに来てくれた人達へ、まずはお礼を言った。
「あなたが無事で、今もお元気ならそれでいいのです」
 代表してベルティルデが返した。
「うん、もうほとんど治ったんじゃないかな~」
 それでね……、とトゥーニャは回復を待つベッドの中で、ずっと感じていた気持ちをそのままベルティルデに伝えた。
「ねぇ? 結局あの『歪んだ魔力』ってなんだったのかな? みんな、とっても悲しんでた、泣いてた……そして憎んでいた。継承者の一族としてその身を捧げた人もいたと思うし、大洪水で犠牲になった人もいた。確かにみんなが取った行動は間違っていたのかもしれないけど、問答無用に消滅させるしか方法はなかったのかな?」
 あの時、その『声』を聞いたのはトゥーニャだけだった。
 ベルティルデは禍々しく強大な魔力を感じはしたが、『声』は聞いていない。
 どう答えていいのかわからなかった。
 トゥーニャは、寂しそうに続ける。
「みんなの声の中に『人間』を憎む声がとても多かったんだ……人間って、そんなにひどい生き物なのかな?」
 言葉に迷ったベルティルデだったが、やがてゆっくりと答えを口にした。
「わたくしが知っている人間は、マテオ・テーペとこの村の人達だけです。どの人も、誰かを嫌ったり愛したりしていました。反目し合っていた人達が理解し合えるようになったり、逆に、愛し合っていたのに憎み合って別れたり……。歪んだ魔力が強い負の感情の影響を受けたものだとするなら、その力は、わたくし達が使う魔法の力と同じものなのかもしれませんね」
「何かのきっかけで、魔力の歪みが元に戻るかもってこと? 力ずくの消滅ではなく?」
「ですが……魔力同士のコミュニケーションができるかどうかは、わたくしにはわからないので、一つのたとえ程度に思ってください」
「……うん。変なこと言っちゃって、気を悪くさせちゃったらごめんね」
「いいえ。トゥーニャさんは、その声の皆さんがお好きだったのでしょう?」
「……ぼくは『みんな』を助けたかったなぁ……」
 いくら耳を澄ましても、トゥーニャにはもうあの『声』は聞こえない。
「──本土に帰ったら、生まれ変わったつもりでまっとうに働くぜ! ガハハッ」
 元囚人達が集まっているほうから、そんな笑い声が聞こえてきた。

 リモス村がある島は小さいが、干潮時にはそこそこの崖になる場所がある。
 そこを見つけたヴォルク・ガムザトハノフは、修行の場として利用することにした。
 岩肌につく藻などでぬめる崖の突起を慎重に見極め、手足をかけて登る。
 ロッククライミングだ。
 ふと、姉と慕う女性のことを思い出した。
(──本望だろう。レイザがアホを極めた者であり、その道の達人に覚悟を決めて惚れたのだから。立派な大人が決意した結果、言うことはない。レイザのアホ極まりぶりだけは、俺にも真似できない、認めよう。言うなればアホ界の魔王、只者ではなかったのだ……)
 途中からレイザの悪口のようになっている。
 そのせいで集中力が乱れたのか、片足が滑った。
 それ程の高さはないが、眼下の波は荒い。波の間からは鋭い形の岩が顔を覗かせている。
 落ちたら、運が悪ければ死ぬ。
 心を落ち着かせ、一度体勢を整えた。
 それからまた、慎重に登り始める。
(悲しみ極まりないが、終わったことだ)
 けれど、彼女への見舞いは欠かさないつもりだ。
 もしも、それも空しく天に召されたとしても、墓は毎日磨いてピカピカにしておく。
 それが弟の務めだとヴォルクは思っている。
 どうなるにしろ、彼にとって最優先は姉の意思である。
(万が一、姉が死に、アホが蘇った場合は──)
「姉の元へ送る。即、だ」
 ぐっ、と突起にかけた手に力がこもった。
 ヴォルクの思考は、そこで一旦終わった。
 ここからは、黙々と登ることに集中する。今後は絶対に、不意打ちを食らうことや油断はしないと決意して。
 その最中、吹く風を介して水や地の声などが聞けないか耳を澄ましたが、聞こえてくるものは何もなかった。
 再び潮が満ちるまで、ヴォルクは何度も崖を登り下りした。

●遠い遠い国の物語
 最近、スラムに物乞いが一人増えた。
 と言っても、毎日誰かしら恵みを待っているため、増えても減ってもよくわからない。
 そもそも誰も気にしない。
 気にするとしたら、物乞いが手に入れた物を横取りするチャンスくらいだ。
 ボロ服を纏ったその物乞いは、フードを深く被っているため顔は見えないが、男性であることはわかった。
 彼は道行く人々相手に、物語を語っていた。
 題は『とある島での物語』。
「炎に覆われた島の話だ。そいつは遠い遠い国にある……」
 語り出しは、だいたいこんな感じだ。
「へぇ、炎の魔人かぁ。おっそろしいなぁ。でも、おもしろかった」
 その礼だ、と物語を聞いていた労働者風の中年男性が、物乞いの前に置かれている欠けたカップに硬貨をいくつか入れた。
 それから、ついでのように尋ねた。
「兄ちゃん、名前は何て言うんだ?」
「名前? 物乞いに名が必要か? そんなモノは忘れたぜ」
「そうかい、野暮なこと聞いたな。じゃあな。またおもしろい話があったら聞かせてくれよ」
 男性は物乞いから何かを感じ取ったのか、追及せずに立ち去った。
 物乞いは、そんなふうにして何とかその日その日をしのいでいた。
 だがある日、死亡したはずのエンリケ・エストラーダではないかのか、としつこく問い質してくる者に捕まってしまった。
 どうやら私服の騎士のようだ。
 やれやれ、と物乞いはうんざりする。
「さっきも言ったとおり、こいつはある海賊から聞いた話だ。その何とかって海賊は、そいつのことじゃねぇのか?」
「お前にその話を聞かせた海賊の名は!?」
「知らねえよ」
「本当にお前はエンリケではないんだな?」
 物乞いは、うっとうしそうにため息を吐くと、被っていたフードを外した。
 現れた素顔に、騎士は息を飲む。
「そのエンリケってヤツは、こんな顔だったかい?」
 顔の右半分は酷い火傷の痕があり、短い髪はいい加減に切り落としたのか不揃いだ。
「……人違いだったようだ」
 騎士は物乞いに背を向けた。
 その背を見送る物乞いの口元には、うっすらと笑みが浮かんでいた。

 


連絡事項
カナロ・ペレア前編にご参加いただきまして、誠にありがとうございました。

 

ただいま後編のワールドシナリオにつきましての、アンケートを行っております。
ご投票いただけましたら幸いです。

 

アンケート

 

尚、ささやかですが、ワールドシナリオのPC掲示板で、挨拶等行ってくださいましたPCに、ボーナスを贈らせていただきました。

 

後編の参加意思確認と、お金の使い道に関しましてのフォームの準備を行っております。

今回までのアクションで使うとお書きいただきました方も、お手数ですがフォームで改めてご申請くださいませ。
近日中にメールでご案内いたしますので、ご投稿の程よろしくお願いいたします。

●マスターより
【冷泉みのり】
こんにちは、冷泉です。
前編後日談にご参加してくださり、ありがとうございました。
引き続き、後編もよろしくお願いいたします。

【川岸満里亜】
ご参加いただきましてありがとうございました。
* * * より上を担当させていただきました。
前編が涙で終わった方も、笑顔で終わった方も、後編でより輝けますように!
後編でも皆様にお会い出来ましたら嬉しいです。