カナロ・ペレア前編 エピローグ

●命の行方
 その日、リモス村の子爵の屋敷の客間に、マテオ難民が集まっていた。
 リモス村に留まっている人達はもちろん、本土でスヴェルや傭兵騎士として活動していた人達も、来れる人は来ていた。
 屋敷の主の子爵は席を外し、この部屋にいるのはマテオ難民だけである。
 彼らの前にはベルティルデ・バイエルと本土から来たルース・ツィーグラーの側近の水の魔術師が立っていた。
 水の魔術師は、最初にリモス村で苦労しただろう同胞を労った。
「皆さんが集めてくださった魔法鉱石を用いた魔導装置が、順調に完成に近づいています。ありがとうございました」
「姫はお元気ですか?」
 ジスレーヌ・メイユールが魔術師に尋ねると、彼はやわらかく微笑んだ。
「ええ、元気です。姫──あぁ、僕達だけならベルティルデさんでいいでしょうか──彼女には、ここの事情は届いています。魔物が出たと知った時にはとても荒れていましたが、今は落ち着いていますよ」
 私が全部蹴散らしてやる、と息巻いていたらしい。
 強気な彼女らしい反応に、ジスレーヌに笑みがこぼれた。
 続く魔術師の言葉に、部屋の空気は真剣なものに変わった。
「こことは本土を挟んだ反対側にある燃える島の調査が、ある程度終わりました。その結果、島が燃えていたのは、マテオ・テーペから飛び立った火の力の仕業だったことがわかりました」
 海底火山での出来事を知る人達が、息を飲む気配がした。
 燃える島に調査に行った人は、沈鬱な顔になる。
「火の力は燃える島で歪んだ魔力を吸収し、恐ろしい化け物になっていたのですが……何とか倒されました。燃える島の炎は消え、新たな魔石が作り出されました」
 魔術師は、水の継承者であるベルティルデ──ルースを見た。
 彼女は頷き、決心した顔で言った。
「魔導装置と箱船の調整ができ次第、水の魔力の暴走を鎮めるために出航します」
 必要な他の道具はそろっている。
 先日、アトラ・ハシス島から三つの祭具が運ばれてきた。
 箱船が本来の役割を果たす時が来てしまったのだ。
 表向き、箱船は海底に閉じ込められたマテオ民を、地上に送り出すために造られたとされているが、真実は違う。
 聖石を持たせた水の継承者を送り出すための船だったのだ。
 障壁内のマテオ民を犠牲にし、水の継承者は命を捧げて暴走した魔力を鎮める。
 それが、もともとの箱船計画であった。

 そもそも吹き溜まりに集まった魔力を安定させるには、四つの属性の特殊な力を持つ一族の協力か、膨大な魔力の塊である魔石が必要である。
 アトラ島から運ばれてきた三つの祭具は、この魔石から作られたもので、なんと約2000年前のものだという。
 そして最後の一つは、現在もマテオ・テーペで水の障壁を張っている魔法具に使用されている聖石だ。
 その四つの魔法具は、おそらくルースが二十歳の誕生日を迎えるころに、力を失うと考えられている。
 彼女の誕生日は、秋だ。
 多少前後したとしても、水の魔力を安定させた魔法具は、約2000年間にわたる役目を終えるだろう。
 それは、海底にある聖石も同様と思われる。

「あの、水の魔力が安定したら、この洪水は引いていくのではないのですか? マテオも、もとの陸地に戻るのではないのですか?」
 想像したくもないことを想像しそうになったジスレーヌは、それを振り払うように早口に聞いた。
 水の魔術師は、沈痛な面持ちで目を伏せた。
「水の魔力が安定しても、元に戻るのは数十年……数百年の歳月がかかると思われます」
「そんな……それでは、マテオの人達はっ。……そういえば、燃える島の火の力を魔石にしたと言いましたね。その魔石をマテオに届けることはできませんか?」
 もとはマテオ・テーペにあった力だ。
 海底に残されている人達のために使えるはずだ、とジスレーヌは訴えた。
 魔術師は、顔を上げようとしない。
「……できないのですか?」
「まだ交渉はしていませんが、かなり難しいです。化け物となった火の力が歪んだ魔力を集めていたために、そこから発生した魔物により帝国は窮地に落とされています。また魔石を作り出すために、何人もの帝国騎士が犠牲になったそうです。マテオ民の勝手な行動が、被害を大きくしたとも言われています」
 これだけの凶事にマテオ・テーペが関わっているなら、帝国が力を貸してくれる可能性は低いと思わざるを得ない。
 ぎゅっと口を引き結ぶジスレーヌだったが、一つの可能性を思った。
「それは、全部帝国側から受けた説明ですよね。事実だとは思いますが、本当の帝国側の事情はどうなのでしょうか」
 もしかしたらマテオを牽制するために、帝国に有利な情報に変えられている点があるかもしれない。
 ジスレーヌは、そう考えた。
「僕達は、儀式を終えた後にマテオに行きます。神殿の仲間達と交代するつもりです。二隻目の箱船も完成しているでしょう。その船を送り出そうと思います」
「わかりました。お話し、ありがとうございました。私は、諦めません。絶対に」
 ジスレーヌは水の魔術師に礼を言うと、次にルースを見た。
「あなたのこともです。変な決心をしているみたいですが、私はあなたのことも決して諦めません」
 今は、何の妙案も浮かばないけれど。

●表と裏
 一般国民の居住区やスラム街で起こった暴動の爪痕は、まだ深く残ったままだ。
 それでも人々は、立ち直ろうとしていた。
 怪我人の手当てや瓦礫の撤去、炊き出し、そして亡くなった人達の弔い。
 人手が足りないところへは、そこがスラム街であってもチームが組まれて救援に出向いた。
 団長を欠き、多数の怪我人を抱えたスヴェルも積極的に動いていた。
 副官を務めていたヘーゼル・クライトマンは一命は取り留めたものの、まだ意識が戻らない。当分の間復帰はできないので、古株の団員数名で運営していた。
 スヴェルの支援をするパルトゥーシュ商会も、協力を継続している。
 今、街の復興はスヴェル本部で計画が立てられ進められている。
 パルトゥーシュ商会のフランシス・パルトゥーシュを始め、街の有力者達が集まり連日情報整理や話し合いが夜遅くまで行われていた。
「スラムの連中も呼んでこないか? 国のお偉いさんはアテになんないよ。あたしは、あいつらを放っておけない」
 ある日の会議でフランシスはこう主張したが、あまり賛同は得られなかった。
 書記を担当していたパルミラ・ガランテは、フランシスに賛成だった。
「スラムにはスラムのやり方があると思うの。たまにうちにお酒を買いに来るから、意見を聞いてみるね」
「ああ。あたしも知り合いの話を聞いてみるよ」
 こんなやり取りを交わして、その日二人は帰宅した。
 恐れていた疫病の発生はなく、また歪んだ魔力により暴走する人も出ていない。
 街は少しずつ明るさを取り戻しつつあった。

 一方、現在は捕えられた海賊が収容されている特別収容所では、あるものが発見されていた。
「──あったぜ、スラムに繋がってる穴が」
 大部屋の床下から、男が土まみれの顔を出した。
 この特別収容所は高い塀に囲まれているため外からはわからないが、壁の内側は収容所とは名ばかりの、ごく普通の集合住宅のような造りだった。
 連れて来られた海賊達は、これを不審に思った。
 ここでは世界の大罪人である王国民に強制労働を課している、と公表されていたから、当然衣食住も最低限のものだろうと想像していた。
 ところが、そのような形跡はどこにもないのだ。
 どう考えても、人間らしい生活水準を保っていたとしか思えない。
 これは何かあると思い、彼らは徹底的に調べた。
 そして、床下から外に通じる穴を見つけたのだった。
 その穴は、スラム街へと伸びていた。
 以前のここの住人であった王国民とスラム民に、交流があったことの証拠だ。
 どちらが接触を図ったのかはわからないが、これで初期のスラム民が本土を飛び出した理由の一つがわかった。
 ──自分達は明日の食べ物にも困り、餓死者さえ出ているというのに、大罪人へのこの優遇はなんだ!?
 この憤りがあったことは間違いない。
 だが実際にここに収容されていたのは王国民ではなく、公国から避難してきた難民達であった。
 この頃の帝国は食糧事情が不安定であり、人々も未来への希望を持てずに自殺を図る者が続出しているという深刻な状況だった。
 皇帝は、難民達の生活の保証と引き換えに、帝国民の命を守るために彼らを悪役にしたのだった。
 そのような事情は、今ここにいる海賊達は知らない。
 知っていた海賊達は、みんな先の海戦で死んでしまった。
「俺はここを出るぞ。このままここにいたところで、未来なんかありゃしねえ。獄に入れられて、リモスみてぇなとこで強制労働なんてまっぴらだ」
 国に裏切られたと思い込んだ彼らの中から、穴を通ってスラムに逃げ出す者がでた。

●消えた愛娘
「記憶を失っていたからとはいえ、あの子が海賊に与するなどということは、考えれません」
 帝国宮殿で、レイニ・ルワールは、娘、リッシュ・アルザラについて、皇帝の側近から説明を受けていた。
 燃える島の調査に当たっていた隊からの報告によると、リッシュは海賊数名のリーダーとして、島の探索をしていたとのことだった。
「彼女の言葉が本当ならば、彼女自身は略奪などの犯罪行為は行っていなかったようだ。海岸の占拠にも関わっていない」
 元々海賊――と呼ばれていた者達は、スラム街の住民だった。
 大洪水前、この地には皇室の離宮しかなく、街もスラムも存在しなかった。
 洪水後にできたスラムとは、大洪水で家族を失った身寄りのない者や、親のいない子ども達が集まってできた場所だ。
 洪水から数か月後。生きる為に、物資と交換できるものを得る為に、命懸けで海に下りた者達がいた。
 リッシュはそんなスラムの民に発見され、座礁していた避難船に引き上げられ、それからずっと、スラムの民と海で生きてきたようだ。
 洪水からおよそ1年後に、燃える島の頂が海上に姿を表し、その後スラムの住民達の数十人が島へと移り住み、占拠し、海賊と呼ばれるようになった。
 リッシュが海賊からどのような扱いを受けていたのかは不明だが、少なくても奴隷にされているようではなかったこと、そして海賊の中には彼女を慕う者もいたようだと、側近はレイニに話す。
「海賊との間に、信頼関係があったのなら、仲間を残して自分だけ姿を消したのは何故ですか? 海賊から逃げたのではないと?」
 燃える島から本土へと向かう帝国の魔導船に、リッシュは乗っていたという。しかし、彼女はその後姿を消してしまい、行方不明となっている。
「それは分からない。彼女が「お母さん」と口にしていたという報告も受けている。記憶が戻ったのだとしたら、貴女が呼びかければ出てくるかもしれない」
 事情聴取はするが、リッシュが未成年であることからも、レイニが責任を負うというのなら、彼女自身の罪は問わないとのことだった。
(ただ、彼女が普通の人間ならばな)
 側近は心の中でそう続けた。
 リッシュは火の継承者の一族の力を持っているようであり、その場合、帝国としては彼女の身柄を確保する必要がある。
「分かりました。あの子は何としてでも見つけ出して、連れて帰ります」
 レイニは深く頭を下げて、宮殿を後にした。

 門の前で、船乗りのレザン・ポーサスがレイニを待っていた。
「で、リッシュの行方は?」
「……見ないでくれる?」
「はは、だから集中しなきゃ見えねぇって」
 苦笑しながら、レザンはレイニと並んで歩きだす。
「分からないって。あなたには何か分かる?」
「さあ……けど……いや、なんでも」
 この辺りには――帝国領にはもういない気がした。
 レザン・ポーサス。父の名はアゼム・インダー。母はウォテュラ王国の王家の血を引く貴族。
 元はアルザラ家の監視の為、リッシュの側にいた男だった。

●継承者の使命
 火の魔力の魔石化と、魔石の使用で力を使い果たしたエルザナ・システィックは、宮廷の病室で療養生活を送っていた。
 ベッドから1人で起き上がることができるようになったばかりの彼女のもとに、男性が1人、訪れた――マリオ……いや、ここではルーマ・ベスタナと名乗っているその男性は、エルザナの腹違いの兄、前皇帝の息子、ランガス・ドムドールであった。
 ランガスはしばらくの間、宮殿にある魔力塔に籠るとのことだった。
 この塔は他の塔と違い、搭の中には研究や生活のできる部屋がいくつもある。
 魔石を魔力塔の動力源とするまで、まだしばらくかかる。それまでの間、歪んだエネルギーからこの地を護るために、ランガスは大地や大気に微量の魔力を流し続けるのだという。
「魔力の中に在る生命の負の残滓が、魔力を歪ませているようだ。負の感情は、抑えつけても、散らしても消えはしないだろう。生命の負の感情を癒せるのは、生命だけではないかと」
 歪んだ魔力に支配された海賊も、傭兵騎士も、街の人々も全て、人の想いが籠った魔力で対処したからこそ、解放することができたのではないかと、ランガスや帝国の重鎮たちは思っていた。
 支配された人や、魂ではなく。魔力そのものを癒すには――同化して癒す存在が、やはり継承者の女性の心が必要なのではないか、とも。
チェリア・ハルベルトの能力が高まっている。エルザナ……」
「解っています。身体を酷使してしまい、申し訳ありませんでした。陛下が王になられる時には、私がこの身体を義姉様に捧げ、継承者となり帝国を護ります」
 地の特殊な魔力を持つ一族の生き残りのうち、儀式に最適と思われる20歳前後の女性は、エルザナだけだった。
 ランガスには双子の姉がいた。姉とランガスは2人とも、継承者の証である、痣を持っていた。
 20年に一度、集まった魔力は暴走の危機を迎える。女性の継承者の『肉体』には、その魔力を中和する力があった。
 およそ15年前。魔力の暴走を止めるために、ランガスの姉はその身を捧げた。
 しかし、帝国はランガスが全てを統べる王となり得る存在だと、知っていた。彼を王にするためには、継承者の女性の精神が必要だということも把握していた。
 そのため、研究を重ね精神を封印する技術を開発してあった。
 ランガスの姉――セラミスの魂は、事前に魔法具に封印され、彼女を大切に思う者が形見として肌身離さず持っている。
 そのセラミスの精神を、エルザナの中にいれる。そして、チェリアの能力で同化させ、新たな継承者の女性を作り上げるのだ。
 継承者の男性は、多大な魔力を留める肉体を持つ。継承者の女性は精神を同化させ、鎮める魔力を持つ。
 分かれて生まれた肉体と、精神が一つになり、世界の魔力を統べる王となる。
 そう、信じられていた。
「ただ、もう少し時間が欲しいです」
 少し、迷いながら、エルザナは言った。好きな人が、いるのだと。
「大丈夫だよ。魔石が在る限り、今のままで帝国を守り切れるはずだから」
「……はい。帝国を優先してくださいね。お願いですから、あなたが護るべき民を一番に考えてください。私は、私が護りたい人のために、命を使うことはできますが、そうではない人のために、死にたくはありません」
 解っていると、優しくランガスは言い、エルザナの頭を撫でた。
 エルザナは目を伏せて、思い出す。
 火の、男性の継承者の末路を。
 燃える島で、彼は歪んだ魔力をその身に集めていた。
 魔物――歪んだ魔力は、大洪水が発生する前から存在していた。
 生き残った命の多くは、この地に在る。そして、魔力の吹き溜まりの在る地。
 命をもとめて、あるいは吹き溜まりの力に誘われて、水の暴走で歪んだ魔力はこの地に集まっていた。
 それを彼は限界まで吸収し、燃やし、歪んだ魔力から生命を護っていた。
 継承者の女性の助けが得られなかった彼は、護るために、それ以外の術を持たなかった。
(多分、それが語ることのできない真実)
「マテオの水の魔術師たちは、マテオ・テーペで障壁を維持しているメンバーと交代して、彼女達を2隻目の箱船に乗せるそうだ」
 魔石から作りだした魔法具の力を引き出せるのは、継承者の一族だけだ。
 聖石が力を失えば、水の継承者の一族であるサーナ・シフレアンが障壁内に留まっている必要はなくなる。
 帝国は彼女の必要性を説き、水の魔術師たちにそうするよう促したのだ。
 寿命を迎える聖石ではない。帝国にとって――世界にとって必要なのは、各属性の継承者の血。水の魔力を鎮めるためにルースを失ったら、未来の大災害を鎮める者はいなくなる。

 継承者の血を絶やしてはならない。