ワールドシナリオ番外編~とある夏の物語~
――出来る事なら、犠牲者を出さずに事を治めたかった……。
世の中には話し合いではどうにもならない事が沢山ある。
頭では分かっていても、直ぐに割り切れるものでもなく……。
時間が空くと、頭の中に思い浮かんでしまう、光景。海賊船でのこと。
エルゼリオ・レイノーラは深くため息をついた後、立ち上がる。
いつまでも悶々としていても仕方がない。
そろそろ頭を切り替えなくては、と。
「チェリア隊長! お忙しいところ恐縮ですが、今度、僕と買い物に付き合ってくれませんか?」
エルゼリオは近衛騎士であり、燃える島調査隊の隊長であるチェリア・ハルベルトにそう声をかけて、約束を取り付けた。
そして当日。
待ち合わせ場所に、エルゼリオはお気に入りのワンピース姿で来ていた。
彼の体格は少年から青年へと変わりつつあった。
だけれど、彼の精神も外見もまだ男女、どちらでもない状態で、普段はこうして女性の装いで出かけることも多かった。
とはいえ……。
(ちょっとキツイな。多分、女の子の服が着れるのもあと少しの間だけ)
今はまだ細い指も次第に太くなり、華奢とも見える腕や足にも、筋肉がついていき……毛が……などと想像をすると、思わず大きなため息が出てしまう。
宮廷の方向からやってきた馬車が近くで停まり、中から背の高い女性が降りてきた。
「あ、おはようございます! 来てくれてありがとうございます」
その女性がチェリアだと分かると、エルゼリオは急ぎ近づいた。
「……なんだその恰好は。お前女だったのか」
「いえ。チェリア隊長こそ、プライベートの時までそんな格好?」
普段から騎士服の下に着込んでいるシャツ、機能性重視のパンツに、ブーツ。腰には剣を提げている。どちらかといえば、男性風の装いだった。
「買い物に行くというから、武具でも見立ててほしいのかと思ったんだが、違うのか?」
「違いますよ。普通の服やアクセサリーなんかを一緒に見たいと思ってお誘いしたんです」
そう言って、エルゼリオはウィンドウショッピングをしようと、チェリアを衣料品店が立ち並ぶ大通りへと誘う。
「隊長は普段はどんな服を着てるのですか? 今僕が来ているような服は着ませんよね?」
そう首を傾げてエルゼリオが尋ねると、チェリアは笑みを漏らした。
「お前、可愛いな。私が男だったら知らずに惚れそうだ。そういう服は妹なら似合いそうだが、私は落ち着いた色のワンピースが好みだ」
大人っぽい柄のワンピースや、落ち着いた色のスカート丈の長いワンピースをチェリアは指差していく。
「もう少し背が伸びたら、エルゼリオにも似合うんじゃないか。着なくなった服でよければ、何着か譲ろうか?」
そうですね、とエルゼリオは答える。
チェリアは女性にしてはかなり筋肉質だ。エルゼリオがチェリアと同じ身長くらいになった時、もしかしたらぴったり合うかもしれない。
たわいない話をしながら2人は街の中を歩き、買い物を楽しんだあと、2階のテラス席のあるカフェで一休みすることに。
ここのテラス席からは、遠くの空が見える。
燃える島の方向にある、時折赤く見える、空が。
エルゼリオがスラム街出身であることは、チェリアは把握していたし、エルゼリオも隠してはいなかった。
「時折、燃える島の炎が投影されて赤くなった空を、スラム時代の僕は畏れや夢、希望が入り混じった不思議な感情を抱いて眺めていたんです」
言って、彼は燃える島の方向の空を眺める。
青い空の中に、僅かな赤がある。
あの時の感情を、エルゼリオは決して忘れない。
それが、彼の黄金だから。
「チェリア隊長の夢や希望って何ですか?」
そう尋ねると、チェリアは難しい顔をした。
「すっと出てこないんだよな。世界の安定?」
「もっと個人的な夢とかないんですか? お嫁さんになりたいとか」
エルゼリオが冗談っぽくそう言うと、
「過去の夢は優秀な婿を迎えて、家を継ぎたい。だったかな」
チェリアはそんな言葉を漏らした。
チェリアにはグレアムという兄がいる。だから、婿を迎えても、彼女がハルベルト家を継ぐことはない、だろうが……。
幼い頃の夢だろうか、とエルゼリオは思う。
互いに冷たいお茶を一口のんで、それから。
「奢りは結構……と言うつもりだったが、それもいいかもな。今日の私達の関係は、どう見ても姫とボディガードだから」
「……確かに、そう見えるかも」
2人は顔を合わせて笑ったのだった。
燃える島の海上に現れた、僅かな海岸にて。
「よし、その調子だ」
エンリケ・エストラーダは、真剣な表情で指揮をしていた。
いつ炎が襲ってきてもおかしくはない危険な場所だが、彼のように海の知識がある者なら、生きることは出来る。
ただ……。
暇、だった。
本島には近づけないし。
近づいてくる者もいない。漁師でも来てくれたら、強奪とは言わない。全うな取引くらい出来ただろうに!
甘いものが欲しい、甘いものが食いたい~。
そんな彼の欲求を満たしてくれる物はここには何もなかった。
なので。
海藻を繋ぎ合わせて、乾燥させ、更に合わせて大きな輪を作り……。
「上手いぞ! お前達、スターになれるぜ」
エンリケが命令をしている相手は、海獣。
海の魔物のうち、彼に懐き、従っている2匹の海獣に芸を仕込んでいるのだ。
芸を仕込んで、客を呼び荒稼ぎを――などとは特に考えてはおらず、単なる暇つぶしだったが、この海獣たち、かなり物覚えが良い。
「ほらよ」
海藻の輪潜りに成功した海獣にエサを投げる。
ジャンプして飛びつく海獣は、なんか可愛らしい。
「これは、ホントにイケるかもしれねぇ」
もう少し海面が下がり、陸地が増えたのなら、小屋を建てて見世物小屋を作って集客できるのではないかと、エンリケは思う。
「次のステップだ」
エンリケは海藻を固定すると、魔法で火を点けた。
海藻が焦げていく。
「やれるか? こっちだ」
餌を手に、輪の向こうにいる海獣を手招きする。
鳴き声をあげた後、一旦海の中にもぐり、海獣が燃える輪に向かい飛ぶ!
見事、輪を潜り、エサをゲットする海獣。
「お前等、サイコーだぜ!」
エンリケは歓喜の声を上げた。
海獣たちもばちゃばちゃ飛んで、喜びをあらわにしている。
「おー、すげー」
「俺もなんか仕込むかなぁ」
いつしか海賊の残党が集まってきて、皆でエンリケが仕込んだ芸を楽しみ、燃えカスの海藻を貪っていた。
リモス村に戻されたメリッサ・ガードナーは、旧友のタウラス・ルワールの診療所で、大洪水からこれまでの間に、互いが経験してきたことを語り合っていた。
「神器があればマグマに入らなくてもおさめられたのかな……」
アトラ・ハシス島の山の一族――風の特殊な力を持つ一族は、災害を治める為に必要な、神器があった。その神器と皆の協力、痣を持つ双子が力を合わせたことで、契りの娘と呼ばれていた継承者の女性は命を落とさなかった。
羨ましい気持ちと、恨めしい気持ちで、メリッサの心の中はごちゃごちゃになっていた。
だけど、風の継承者たちへの憎しみの気持ちはなくて、犠牲にならなくてよかったと素直に思う。
「島の有識者の推論では洪水は水魔力噴出箇所での火属性の暴走が原因で、ならば火の噴出箇所を安定させるべきだと……」
「火の魔力は安定したのかな。……したんだよね。それで島が表れた」
メリッサの言葉に、タウラスは静かに頷く。
「皆さんで治めてくださったんですね」
良かった、なんて思えない。
誇らしい気持ちもない。
複雑な気持ちに、メリッサは覆われていた。
そうして、火を安定させたマテオの民は――。
「海賊と結託して乗っ取りを考えてるんだって? どうしてそんなふうに思うのかな」
「そういう意見も、出てしまいましたね」
人質となり海賊船に残された女性2人が、マテオ・テーペの民であったことから。彼女達が疑念を抱かせる行動をとったことから、そんな意見も出ていた。
「私には敵対国だから奪ったり蔑ろにしていいなんてとても思えない。沢山の国や命がなくなって必死に生き延びたのはみんな同じだから、もっと労ったり喜びあったりしたかった」
「敵対国だから、というわけではない気もしますが……」
「唆さなくても海賊さん達は自暴自棄って感じで、陸を乗っ取っても今より人が減ったら世界は残っても人は残れないと思うけど、そんなことも聞いて貰えそうにない空気になってた。そうなる前に歩み寄れたら何かが違ってたかもしれないのに」
一般人としてのメリッサの思いは、タウラスにも解るのだが……どうにも出来ないこともあり、どちらの立場の気持ちも解るだけに、もどかしかった。
「水の底でもここでも、同調しなければ排除してばっかり。捕まえて隠して都合のいいことだけ公にして、傷付けあう必要のない人達までまきこんで憎ませて、いがみあうばっかりの世界を護るために命を使おうとしたなんて悲しい……」
共にマグマの中に飛び込んだ、レイザ・インダーのこと。継承者たちのことを想い、膝を抱えた腕に、メリッサは顔を伏せた。
「都合のいいことのみ公にというのは耳が痛いです」
メリッサを追いつめないよう、言葉を選びながら、タウラスは続ける。
「心を守るための情報調整は理解できるんですよね……。俺も村人に全てを明かさずに外交を進めたことがあって、先方と歩み寄れるよう環境や心が整うのを待っていたつもりでしたが、結果的に村を狙われる事態を招いて不信感を植え付けてしまいました」
アトラ・ハシス島では今、大きな衝突は起きていないが、日々、人々は問題を抱え、小さな争いは絶え間なく起きている。
「どれだけ気を配っても異を唱える者は必ずでてきます。小さな村でさえそんな有様でしたから、ここではままならない事はもっと多いのでしょうね」
立ち上がって、タウラスは窓を開けた。
山の一族は、風に声を乗せて、遠く離れた一族の者に、言葉を送る事が出来るらしい。
自分と妻にもその能力があったら――大切な妻と子に言葉を送り、言葉を貰うことが出来るのにと、少し切ない気持ちになる。
「なんか疲れちゃった……ちがう話しよっか」
メリッサは顔を上げて、タウラスを見た。普段通りの穏やかな表情だけれど、何か少し違う、翳りが見える顔――。
「そうだ! 奥さんとのなれそめを教えてよ」
家族のことでも考えてるのかなと思って、メリッサは努めて明るく聞く。
「なれそめですか?」
「そう。もう一生恋しなさそうでず~っと気になてたんだから!」
彼女は、タウラスの過去を知っている。
「補佐をしていて自然に惹かれたとしか……。ああ、でもきっかけはいくつかあったかな、『もう一生恋しなさそう』が覆えったのは」
心が変わった日のことを、タウラスは思いだす。
「息子になれと言われたからです。支えるだけなら息子でもできたんですが、それでは嫌だと思ってしまったから」
あの時の、家族としてタウラスを求めたレイニの姿が思い浮かんでいた。
「それより前から惹かれてはいて」
右手の傷跡に目を落とす。
「一度命が危うかったときに戻らなければいけないと強く思って、その時浮かんでいた顔はシール様ではなくレイニさんで……今一番支えたいのは彼女なんだと自覚したんです」
口を挟まず、メリッサはタウラスの言葉を静かに聞いていた。
「村も彼女も捨てられなくなるのが怖くて、目を逸らしていただけとわかってしまったというか――」
「会って話してみたかったな。ルワールくんが話してなさそうな事、いっぱい教えちゃうのに!」
「どんなことをですか」
タウラスはちょっと焦る。
隠し事をしているわけではないのだが、聞かれていないことはこちらから積極的に話してはいない。他人の口から言われてしまうのは少々困ることもある。
「会える日が来ますよ。ですが、誤解を招くようなことは、言わないでくださいね」
誤解を招くようなことが、どんな話なのか分かってなかったけれど、メリッサは「はーい」と返事をした。
数カ月後、アルザラ1号はリモス村に戻ってくる。
タウラスの妻は再び訪れるだろうか――。
操られていたとはいえ、皇帝に刃を向け、妹に怪我をさせてしまった……なんて不甲斐ない。
アレクセイ・アイヒマンは思い悩みながら、街路を歩いていた。
落ち込んでいても、過去を変えることはできない。
頭では分かっている。だけれど、心が追い付かなかった。
(……俺がこんなに情けないなんて……)
気持ちが深く沈んでしまっている。口からはため息ばかり、漏れていた。
「なにらしくない顔してるんだ」
突然の声に、アレクセイは顔を上げる。
「チェリア様……どうしてここに?」
「いやここ、うちの前だけど」
「……って、俺……こほん、私が来ちゃったんですね」
いつの間にか、アレクセイはハルベルト家の屋敷の前に来てしまっていた。
「勿論、用があって来ました。チェリア様の顔が見たいという用事が」
「発破でもかけてほしいのか」
入って行けと、チェリアはアレクセイを自分の館へと案内した。
応接室に通されたアレクセイは、柔らかなソファーに腰かける。
出された冷たい紅茶を見ながら、アレクセイはチェリアを待っていた。
部屋で話すほどの用事ではないと言ったのだが、チェリアもアレクセイと話がしたいということで、その言葉に甘えることにした。
「待たせたな」
しばらくして、私服――ブラウスにパンツ姿に着替えたチェリアが入ってきた。
すぐにアレクセイは立ち上がり、彼女に頭を下げた。
「先日はみっともない所をお見せしました。あらためて、深くお詫びしたく……」
「詫びてもらうようなことはなにもない。勇気あるお前の行動、そして呪縛を打ち破ったお前を仲間として誇りに思う。ま、方法はともかく……だが」
「そ、その件ですが」
アレクセイはバッと顔を上げる。
「どうしても伝えておきたいことが。彼と接吻しましたが、決してそういう関係ではなく、アレは緊急で、私も正気ではなく……」
狼狽えながら、アレクセイは必死にチェリアに訴える。
「ええとつまり……チェリア様には誤解をして欲しくないのです!」
彼の必死な様子に、チェリアは軽く呆けていた。
アレクセイの顔が真っ赤に染まる。
(……本当にらしくないだろう、俺)
アレクセイは首を左右に振る。
ああ、でも……。
「ちゃんとチェリア様の顔を見て、こうして話せたら……とても安堵しました」
彼の顔がほっとした表情に変わっていく。
「わかっている。お前はされた方だしな。ただ、あれは相当気持ちが籠っているように見えたぞ。ちゃんと応えてあげた方がいいんじゃ……」
「冗談はよしてください。相手も咄嗟の判断で、俺……私の感情を揺さぶる方法として、それを選んだのではないかと!」
アレクセイと彼の友の濃厚なキスシーンを思い起こし、チェリアもちょっと赤くなり、それから2人は声を上げて笑った。
そして、向い合せでソファーに腰かける。
「妹の事を考えると、とても明るい気持ちにはなれないと思っていましたが……不謹慎ですね、胸の痛みは消えないのに、それでもチェリア様とこうしていると、温かな気持ちになれるのです」
「タチヤナの怪我の具合は?」
「随分とよくなっては、います。元気そうにしていますが、無理をしているかもしれません」
「無理はしてないと思うぞ。兄を戻せて嬉しいだろうし、大変危険な任務に志願した兄を誇らしく思っているだろうから」
言って、チェリアは冷たい紅茶を飲んだ。
アレクセイも、一口、紅茶をいただき、のどを潤す。
「そうでしょうか……アドバイスをいただいてもいいですか?」
「なんだ?」
「妹は気にするなと言いますが……私は十分気にする訳で、看病以外に何かしてあげたいのですが……どういった事をしてあげたら、喜ぶでしょうか? 女性の喜ぶ事が私はよく分からないのです」
アレクセイは社交性があり、容姿もよく、多くの人に好まれている。
こうして向かい合って座って話しているだけで、幸せな気分にさせてくれる、惹かれてしまう人だった。
女性の扱いにも長けているようにチェリアには見えていたが……。
「女性の喜ぶこと、か……」
チェリアは、そんな時、自分なら兄に何をしてほしいだろうかと、考える。
「兄には心配や看病よりも、褒められたいし、喜ばれたいかな、私なら。贈り物なら、金では買えないものが、欲しい。一緒に楽しめるものなら、最高だ。アレクセイは料理は出来るか? それなら、好物を作ってあげるとか」
「成程……では、チェリア様にも今度それをさせてくださいね。お礼に是非」
そうアレクセイが微笑むと、チェリアは微笑み返した後、グラスに口をつけて、軽く上目使いで見ながら呟いた。
「自然で、巧みだよな」
「え? 何がでしょうか」
「いや、別に。私の好物はヘブリアント・クロクード・パシファカル・スプリッダという料理だ。よろしく!」
待ってくださいと、アレクセイは紙に書きとめた。
しかし家に帰って調べても、誰に聞いてもそんな料理はなかった……!
リモス村の海岸では、箱船の修繕が行なわれていた。
「本当なら姫さんに手伝ってもらうのはどうかと思ったが、俺みたいな奴より姫さんみたいな美人から貰った方が喜ぶ奴は多いだろ?」
船内の厨房に、リベル・オウスは材料を持ち込み、ベルティルデ・バイエルと共に、作業に当たっている仲間達への差し入れを用意していた。
「ベルと替わって、侍女としての経験も少し積みましたので、皆様に失礼のないよう、頑張りますね」
「頑張らなくて大丈夫だ。普通にいつものように……そんな笑みで渡してくれれば、皆の疲れも吹っ飛ぶって」
リベルがそう言うと、ベルティルデの顔がより笑顔へと変わる。
準備しているのは、少ない果実を利用した果汁水と、果物のはちみつ漬け。
リベルが作業する様子を、ベルティルデは時々手伝いながら見ている。
準備が出来て、ベルティルデが作りだした氷で冷やしている間。
2人は並んで椅子に腰かけて、少しの間休憩をすることにした。
「どうぞ」
と、リベルは特別よく出来た果汁水とはちみつ漬けをベルティルデの前に出した。
「さすがに姫様をタダ働きさせたら侍女様に何言われるか……」
「わたくしの方こそ、もっと皆様のお役に立たなければなりません」
「いやいや、十分役に立っているというか、マテオの民は皆、ベルティルデに命救われてるから!」
大洪水の時、彼女があの場にいなければ、リベル達は生きてこの地に訪れることなど、出来なかっただろう。
「ありがとうございます。いただきますね」
ベルティルデは果汁を一口飲んで、ほっとした穏やかな表情にった。
「ほんのり果物の味がする、優しい飲み物ですね」
それからはちみつ漬けを食べて、柔らかな笑みを見せる。
こちらは甘くてとても美味しかった。
「……ベルティルデたちは今回の事件の影響、出てないか?」
リベルも自分用の果汁水を飲みながら、ベルティルデに聞いてみる。
「影響、ですか?」
「人質の洗脳工作など不確定要素満載な状況だったが、あの場にいた全員が自分にとって最善を尽くしたはずだ。おかげでマテオ側は怪我人は出たが犠牲者が出なかったし、特に頑張った連中のおかげでマテオ側を見る目も多少良くなったと聞く」
だが、帝国側は騎士団長という犠牲が出ている。マテオ民救助のための、人質交換交渉の後のことだ。
それを重く見ないなどということはないだろう。
「そうした諸々の状況で生まれた責任などを一番負担するのは――ベルティルデじゃないかと、思ってさ」
気遣うように、リベルはベルティルデを見詰めた。
だから、彼女が抱えることを、少しでも聞いてあげたかった。
自分では解決をしてあげることは出来ないのだけれど、1人で悩みを抱え込ませることはさせたくなかった。
「親友のホントの侍女と会えてもいないしさ。悩みとか、あるだろ」
ベルティルデはリベルの視線に、戸惑いのような表情を見せて、カップをテーブルにコトンと置いた。
「まあ、『姫』と『難民』って立場はここでは置いといて『ルース』と『リベル』というただの個人同士のちょっとした世間話程度に話してくれればいい」
「影響は……特にないんです。それが、悩みといえば、悩みなのかもしれません」
彼女のもとには、宮廷にいる侍女――ルースからの伝言は使者を通して届いていた。
帝国の使者からも、魔力調整に全力を注ぐようにとだけ、伝えられ、国内の問題に関して、ベルティルデに何か指示があることも、責任を問われるようなことも今のところなかった。
「全部、ベルに背負わせてしまっています」
「あっちの姫さんのことなら大丈夫だ」
リベルははっきりと言う。
「傍に、支えてくれる奴らもいるだろうし。それでも心配なら、そのうち様子を見てきてやるから」
リベルがそう言うと、ベルティルデは少し不安そうな顔で、こくりと頷いた。
その顔を隠すかのように、ベルティルデははちみつ漬けを食べて、
「ありがとうございます、リベルさん。元気になれる味です」
ふわりと微笑みを浮かべたのだった。
箱船の技師長であったコタロウ・サンフィールドは空いた時間の全てを、箱船の修繕作業に費やしていた。
船の損傷は大したことはないのだが、しっかりとメンテナンスを行なっていく。
「魔法具の設置は帝国の協力がないと無理そうだけど、自分達だけでも、罠ぐらいは設置できるかな」
侵入者がいた場合、ベルが鳴る。紐を引くと、催涙系の薬品が噴射される、もしくは犯人拘束用の網が落ちてくる、など。
箱船は戦闘用の船ではないのだが、今後のことを考えて、侵入者対策としての警報器の設置や、罠などの設備の追加を作業をしながら考えていた。
ある日の休憩時間。
丁度その時間に、ベルティルデ・バイエルが差し入れを配りに食堂に訪れていた。
「ベルティルデちゃん、良かったら一緒にお昼食べない?」
コタロウがそう声をかけると、ベルティルデは「はい」と返事をして、コタロウと一緒にカウンター席に並んで腰かけた。
「よかったら半分どうぞ」
コタロウは作ってきたサンドイッチとお茶をベルティルデに差し出した。
お礼を言って、ベルティルデはコタロウと一緒に食べていく。
「幸い箱船に深刻な損傷は無かったけど、今後のことを考えると念入りのチェックと修復で万全の状態を維持しておきたい……って思ってる」
「そうですね。お願いします」
頷いたコタロウの顔にふと笑みが浮かぶ。
「それにしても、こんな風に作業の進捗状況を話すと昔を思い出すなぁ」
「昔、ですか?」
「ほら、ベルティルデちゃんと姫様に結構胃が痛くなる思いしながら色々報告してた時の事とか」
その言葉に、ベルティルデの顔にも笑みが浮かんだ。
「彼女は元々はっきりとした女性ですが、あの時は……わざとでもあったんですよ」
「うん、色々理由があったみたいだね。でも、おかげで箱船の完成度は上がった気がする」
「はい」
「何だかすごく懐かしいなぁ」
深く暗い海の底で、箱船を造っていた頃を思い起こす。
皆、必死だった。海の上に戻るために、生きる為に。
そんな皆と過ごした時間。過ぎ去った過去の思い出は苦しいだけのものではなくて。
「マテオ・テーペのみんな今頃どうしてるだろうね。本当は早く青空を見せてあげたいんだけど」
サンドイッチを食べながら、思いを馳せるコタロウの横顔を眺め、それからベルティルデもマテオ・テーペで生きる人たちの姿を思い浮かべていく。
一族の特殊能力で、マテオ・テーペとは定期的に連絡をとっている。
人々は希望を捨てることなく、2隻目の箱船の造船を進めているという。
「……2隻目の完成度はどうでしょうね。ルース姫がいませんので」
「完成度を上げるためにも、侍女姫様には是非完成前に戻ってもらわないと!」
そう言い、2人は笑い合った。
そういえば、二隻目の箱船について提案したのは、目の前にいるコタロウだったなと、ベルティルデは穏やかな彼の顔を何気なく眺めていた。
また、彼と、彼女と、皆と一緒に、仲間達を迎えに行きたい――。
笑い合いながら、2人は同じ未来を思い描いていく。
「手の怪我が治るまで、家事も外出も禁止なんて、兄様心配性過ぎるよ」
自宅にて、タチヤナ・アイヒマンは兄、アレクセイが出かけている隙に、剣を手に素振りを始めた。
コンコン。
と、窓が叩かれる音に振り向くと、外に幼馴染のヴィスナー・マリートヴァの姿があった。
「あれ? ヴィス。いらっしゃい」
剣を持ったまま、タチヤナは窓を開けて、ヴィスナーを部屋に招き入れる。
「……何、素振りしてるの」
「あっ」
窓が開くなり即、ヴィスナーはタチヤナの手から剣を没収する。
「ターニャ、今日は家で大人しくしてね」
「私の怪我は大したことないから」
タチヤナは少し残念そうな顔になる。
「アリョーシャを正気に戻した方法、俺の方法も俺の方法だけど、ターニャの方法もターニャの方法だしちゃんと治してもらわないとね」
残念そうだったタチヤナだが、まあいいやヴィスが来てくれたから、と直ぐに笑みを浮かべる。
「丁度よかった~。兄様に外出禁止令を出されて退屈してたの。来てくれて嬉しい。お茶いれるね。ヴィスは珈琲と紅茶、どっちがいい?」
そう言うタチヤナの腕を引っ張って、ヴィスナーはソファーに座らせる。
「紅茶も俺が淹れるから、大人しくしてて」
少し不満気ながらも、はーいとタチヤナは大人しくソファーで待っていた。
香ばしい紅茶の匂いと共に、ヴィスナーが戻る。
テーブルにティーカップを置いて、ヴィスナーはタチヤナの向かいに腰かけた。
「ホント、無茶なことしたよね」
「咄嗟に手が出ちゃったんだ。でも、確かに手の傷は駄目だよね……次からは気を付ける!」
「そうそう、リトも心配してたよ」
アレクセイが人質となり、操られてしまったこと。タチヤナが彼が持つナイフの刃を手で止めたことを、従兄妹のローデリト・ウェールにも話してあった。
「リト、色々重なって、魔力はあっても殆ど知識ないから結構気にしてたよ」
「リトちゃんにも心配かけちゃったんだね。今度会ったらお礼言わないと」
(ま、でも、今は目の前の幼馴染が無茶しないよう目を光らさないとねえ?)
紅茶を飲みながら、ヴィスナーはタチヤナを見る。
顔色もよく、元気そうだ。……目を放せばまた無茶をしそうなほどに。
「こう言うと不謹慎だけどさ、アリョーシャの方で助かった」
「あはは、非力な兄様の方でよかった」
ホントだねと、タチヤナは笑い声を上げた、が。
「ターニャは女の子だ、女の子相手にはああいうことは絶対できないし」
ああいうこと、とは……濃厚なキスだ。
ヴィスナーはアレクセイにキスをして、彼の心を呼び覚ましたのだ。
「……って、え? お、女の子……私が?」
カップを掴んでいた手が止まり、タチヤナは狼狽する。
「いやー私はほぼ男みたいなものだし、兄様と並んで歩いていると姉弟って言われるし、神様が兄様と私の性別間違えたに違いないし」
兄以外に、女の子扱いされることに慣れてなく、思わず目が泳いでしまう。
「大体ファーストキスとかだったら申し訳なさ過ぎるでしょ……」
「!」
ヴィスナーがアレクセイと交わした濃厚なキスを思い浮かべ、タチヤナは真っ赤になる。
(……ファーストキスがあのシチュエーションは……)
皇帝や重鎮たちに見られているあの場で! あんな風に――!
タチヤナの顔からスッと赤みが消えていき、青くなる。
そんなタチヤナの顔を見て察しながら、ヴィスナーはコトンとカップをテーブルに置いた。
「俺もあれ初めてだったけどさー。同性相手の人命救助だからノーカンだけど」
「に、兄様はファーストキスではないんじゃないかなっ……私の勝手な勘みたいなものだけど……だから、傷は浅いというか……ああ見えて兄様は立派な男だし、カウントしなくても、うん、いいんじゃないかなっ」
「その辺聞いたことないけど、年上だからあっても変じゃないね」
「……うう、こんな事しか言えなくてごめんね。兄様ってば罪な男だよね……」
ありがとうと、ヴィスナーは気遣いに感謝し、くすっとタチヤナに微笑みかける。
「ターニャは女の子だからね。可愛いのはアリョーシャに任せたってよく言ってるけど、可愛いのはターニャの方だし」
「か、可愛い……」
途端、タチヤナの顔が再び真っ赤に染まる。
「幼馴染の俺が保証するよ」
「そんな事言うの、兄様とヴィスくらいだよ……」
頭から湯気が立ち上るほど、タチヤナは真っ赤っ赤になっていた。
「……ありがとう」
俯いてお礼をいうタチヤナを、ヴィスナーは穏やかな目で眺めていた。
タチヤナはスヴェルの団長が好きなのかなと、たまに思う。
彼の前ではより女の子らしくなるから。
少し複雑というか、寂しい気持ちになるけれど……。
(でも、大事な幼馴染に変わりはないし)
「解ったら、今日はゆっくり休んでね」
にーっこりとタチヤナに笑いかけるヴィスナー。『素振りできると思わないで』と目が言っている。
「……はーい……」
顔を赤く染めたまま、しぶしぶタチヤナは返事をするのだった。
それから2人は、たわいもない話をして、アレクセイが帰ってくるまでの間、ほのぼの楽しい時間を過ごしたのだった。
海に沈んでいく仲間達の最後の姿を、バルバロは記憶の中で何度も見ていた。
船が沈む。
人が沈む。
叫び声が耳に張り付く。
(喧嘩を売った以上、人死にが出ても文句は言えねぇ。でも、この惨状は、違う。ただの喧嘩の結果じゃねぇ)
ここまでの被害を招いたのは、これは、私の甘さが招いた結果だ――。
帝国兵を引きつけようとしたが、彼らはまったく乗ってこなかった。
その理由は。
人質だった女性たち。
大事な人を探していると言っていた彼女。
帰ろうとする姿を、見て見ぬふりをした。
(私は、あの女が私達と目的を同じにしてねぇことを知っていて、船に乗せた。単身で崖を降りてくるほど大事に思う何かに、興味を持ってしまったから)
そこまで大事に想う何かを、知りたかった。
彼女に海賊として帝国に刃向かう気がないことくらい、最初から解っていた。
彼女には、彼女の目的がある。
彼女は彼女の大事なもののために行動しただけだ。
(私が、あいつか海賊かを選べなかった)
……否、彼女を選んだ結果、仲間が死んだ。
そう。
――この惨状は、自分のせいだ。
償い、なんて殊勝な気持ちではない。
自分も一緒に逝かねば、勘定が合わない。
だからバルバロは、船の下にいる海獣を叩き起こした。
自分はそのまま海にか、魔物の腹の中にか呑まれて終わるはず、だった。
(なのに。何故私は生きている。生きて、何故あいつを憎もうとしている……!)
違う。
彼女を憎む気持ちなど、欠片もない。
一切ない、微塵もないのに。恨もうとする、憎もうとする。
彼女のことも、帝国のことも。
心を絡めとり、バルバロが抱く負の感情を歪め、変えていく――。
憎め
恨め
壊せ
殺せ、と
(クソッタレ。人の心に土足で踏み込んでくるんじゃねぇ)
夢の中でバルバロは独り、葛藤していた。
(でも……ああ、畜生。私、一人じゃ……勝てねぇ)
バルバロの心は深く深く沈んでいく。
負の感情に抱かれ、深い、底のない沼の中に――。
スヴェル本部内にある練習場にて、自主的に訓練に励む者がいた。
(相手の武器は長剣。この短槍でどこまで戦える)
手練れの先輩団員を前に、キージェ・イングラムは短槍を構えていた。
穂先の部分の金属は多くはないが、よく磨かれており鋭利な光を放っている。
柄の部分には、丈夫な木に輪をところどころ巻いて補強してある。自前の武器だ。
素早く踏み込み、キージェは槍を繰り出す。
先輩団員は剣を振り下ろしてキージェの槍を払う。
(高さが足りないか)
先輩団員の方がキージェより背が高く、体格がかなり良い。
「はっ!」
だが、小回りはキージェの方が効く。
槍を振り回して、間合いを詰める。
キージェの攻撃を剣で受けながら、先輩団員は足を後方に退く。
更に踏み込み、槍から離した片手でナイフを掴み、先輩団員の首へ――。
先輩団員は、力の弱まったキージェの槍を力任せに叩きおろし、刃はキージェの肩へ。
同時に手を止めてにらみ合い、後方に跳んだ。
そして互いに力を抜き、武器を下ろした。
「お前やるよな、ただちょっと動きが荒いぞ」
「解ってる。我流の癖がよくないんだよな」
キージェは正式な武器の扱いを習っていない。
体力はかなりある方なのだが、もう少し戦力として役立てるようになりたくて、先輩団員に手合せを願った。
強くなっとかねーと、海賊連中にだって足元はみられるだろうからよー。……と。
他にも理由がある。
母の言葉、願い――。
『いきなさい』
大洪水の際、目の前で母を失う際に母が言った言葉。
キージェは逃げて、そして生き延びた。
それは母の願いか、いや呪いか――預かっているのだ『いきなさい』という言葉を。
(俺は死んではならんらしい)
汗をぬぐうと、再び先輩団員との手合せを再開する。
(死なない為、だけの目的ででも、俺は強くならなくちゃならん)
何のために生きているのかは、わからなかった。
自分自身に関して、は。
「今日はここまで! お前の体力は底なしか」
長時間の手合せに、先輩団員が先に根をあげた。
戦闘能力ではまだまだ先輩の方が上なのだが、体力的にはキージェの方が勝っているようだった。
座り込んで汗を拭きながら、なんとなく空を見上げる。
茜色に染まった空を、連なって飛ぶ鳥たちの姿が見えた。
何のために生きているのか、考える能力のない生き物。
本能のまま、生きることを望む、生物――。
自分も、そうなのだろうか。
「帰り寄っていくか? 皆いるだろうし」
先輩団員の楽しそうな声に、キージェの思考が途切れる。
勿論、と答えて。
2人はハオマ亭へ、打ち上げに繰り出すのだった。
空が明るくなり、朝の気配が忍び寄る時刻。
街中の下宿先で、リンダ・キューブリックはむくりと寝台から身を起こした。
気怠げに欠伸をしながら、頭に手を当てる。
燃えるようなライオンヘアは、撥ね放題。指で梳き、掌で整えて、寝台から下りる。
使い込まれた無骨な甲冑を装備していると、朝日が部屋に射し込んできた。
窓に近づいて、ふと夏空を眺めれば、雲一つない晴天。
「うむ、墓参りに相応しい日和だ」
全身甲冑を着込み、武器を手に宿を出た。
まだ人気のない早朝に、リンダが訪れたのは、街外れにある騎士団長の墓だった。
タワーシールドに、ヘビーメイス――彼女の格好は今から戦場へと出陣する如きの完全武装。しかし今日は何の任務もない休日。
これは、リンダの礼装なのだ。
花は持っていていない。代わりに持ってきたのは、盃。
墓前に置き、騎士団長が好んでいた銘柄の酒を注いだ。
そして目を閉じる。
長い黙祷を捧げた――。
「父に会いにきてくださり、ありがとうございます」
自分流の墓参りを終えて立ち去ろうとしたリンダに、声をかける者がいた。
(……似ている)
何処となく亡き騎士団長の面影が感じられる青年だった。
リンダの心が、チクリと痛む。
「ふん」
しかし彼女の態度はいつも通り、無愛想。
青年が花を手向けて、墓を見つめる姿を憮然と眺めているだけだった。
憮然、といえば。この青年も若者らしくない険しさがあり、怒りを秘めているようにも見えた。
「父と何を話した」
「父さんの遺志は僕が継ぐ、と」
生前、騎士団長は皇帝の甘さをよく口にしていたという。
「陛下は、野良猫に餌をあげてしまう人だ。害虫さえ殺せず、共存を考えてしまう、そんなお人だ。甘すぎる」
人の中にも、害虫のような存在はいる。
罪のない人を食い物にして、生きる者たち。
例えば……海賊。
「悪の芽は早めに摘むべきなんだ!」
強い眼で、怒りを露にいう青年。
それは国に命を捧げた騎士団長の想いとは少し違う。
「息子という理由で復讐に傾倒する必要は無い」
リンダにはこの青年が、復讐心に駆られているように見えた。
青年が口を結び、強い眼でリンダを見据える。
「海賊は悪である。しかし果たすべき正義に善悪は無関係。我ら騎士団は帝国の暴力装置だ」
憮然とした表情でリンダの口から出ていく言葉に、青年が眉を顰める。
「理屈や立場を問わず、ひたすら敵を倒すのみ。是非も無し」
「騎士に人の心は不要というような、言い方だな」
「暴力装置に感情などない」
青年は困惑した表情で、リンダを――父の部下を見ていた。
「戦場で会おう」
そう言葉を残して、リンダは背を向ける。
騎士団長の息子は、その場に佇み、考え込んでいた。
父はもう、何も教えてくれない……。
「ジェルマン神官、こんにちは」
ローデリト・ウェールは、神殿に訪れていた。
「ちょっと気になることがあって」
と、切りだす。
礼拝ではなくて、神官のジェルマンに聞きたいことがあって来たのだ。
「僕って魔法才能あったりしますか?」
「何故そのようなことを?」
「ヴィス、あ、従兄で帝国騎士のヴィスナー・マリートヴァにそう言われたことがあって」
両親からは風属性ということだけは聞いていた。
風の魔法でどのようなことが出来るか、程度の事しか聞いてなく、自分にも出来るのかまでは聞かされていなかった。
休みの日に教えるから勉強してみないかとは言われていたのだけれど――休みが訪れる前に、大洪水が起きてしまって。ローデリトの両親は、海に呑みこまれてしまい、帰らぬ人となった。
「一年前に亡くなったおばーちゃんが、すごい悲しそうな顔をするから、魔法のこととか聞かなかったの。家にあった本も誰かにあげちゃったのか、皆なくなってたし……。こっそり勉強とかもおばーちゃん傷つけちゃうと思ったからしなかったんだけど」
それでも、この間仲良くしている人が、一時的にでも操られたと聞いて。
自分も、自分の魔法関係のことを、きちんと知っておかないといけないなと思ったのだ。
ヴィスナーは自分より、ローデリトの方が強い魔力を秘めていると言っていた。
だけれど、ローデリトにはヴィスナーの魔力がどの程度なのかも、よくわからない。
自分が凄い才能を持っているとは思っていないのだけど……。
「んーと、何て言うのかな。ろくろく知らないで、誰かをヤな思いにさせたくないので、知りたいし、学んだらどうなるか知りたいなっていうか」
今すぐ、緊急的に知らなければならないことではないのだけれど。
知っておいた方がいい、とは思うから。
知っておいてよかったと思う時が来る気がするから。
「言える範囲でいいので、教えてください」
ううむとジェルマンは軽く唸り声を上げ、ローデリトに近づき、彼女の前に人差し指を立てた。
「集中してみよ。そして風を起こせ」
「え? うん……じっと見ればいいのかなー……」
ローデリトはジェルマンの指をじーっと眺める。
そして、言われた通り風を起こそうとする。
無心でしばらくそうしていたら、ふわりと、ジェルマンの服が揺れた。
「なるほど、お前は精霊に愛されているようだな」
「んー? どーいう意味?」
ジェルマンはローデリトに近づき、頭の上に手を乗せて、彼女の魔力を探る――。
「確かに、才能はある。お前の魔力は魔法鉱石の原石のようなもの。磨きをかければ、純度の高い優れた魔法石となるだろう」
わかるようなわからないような、そんな答えだった。
だけれど、才能がある、ということは確かなようだ。
「ありがとーございます! ジェルマン神官」
ローデリトはぺこっと頭を下げてお礼を言い、お祈りをしてから神殿をあとにした。
宮廷で過ごす貴族たちの中には暇を持て余している者もいた。
だが、ロスティン・マイカンは毎日、時間を無駄にすることなく、過ごしている。
あてがわれた部屋で、箱船で生活していた頃に師事していた人達の教えや、覚書をひたすら読み返し、魔法図書室から借りた書物などを広げ、ノートにまとめて自身の知識とすべく努めていた。
勉強を終えたあとは外へと出て、ジョギングをし、部屋に戻ってからは筋力トレーニングをして、身体を作っていく。
そして夜は魔法の訓練。
水場で水の像を作り、より細かく、より長時間形を保てるように、集中をし続ける――倒れる、寸前まで。
それを、毎日、毎日繰り返していた。
守りたい人がいる。
だけれど何もかもが足りてない。
体力も、魔力も足りない。彼女に劣っているとさえ感じている。
(それこそ、こっちが逆に守られる側になりそうなほどに)
水浸しの大地に、ロスティンは横たわっていた。
長時間の魔法行使で、体力も魔力も使い果たしていた。
酷い頭痛に襲われ、立つこともままならない。
支えたい、と思う。
とてもキュートな彼女は、笑顔の裏に沢山の悲しみ、苦しみを抱えていて。
側で守ってあげたいと、支えになりたいと思う、のだが。
(けど、自分がそれをできるほどに賢いのか、必要なことが分かっているのか)
頑張っている。努力している――そう思っているだけで、全て空回りなのではないか。
親元で過ごしていた頃、親の脛をかじって自堕落に生きていた頃と自分は何も変わってなく、寄生先が身内から彼女に変わっただけなのではないか。
(結果、逆に彼女の足手まといになったり、負担になっていないか――)
不安そうに向けられる彼女の目が思い浮かんだ。
『ロスティンさん』
と、自分の名を呼ぶ彼女の声には、愛情が籠っていて、見かけ通り声も繊細で、可愛らしくて。
華奢な肩に、一族の重い使命を背負わせるのは、酷で。肩を貸してあげたくて、支えていたくて――。
それが、出来ていなかったとしても。
「それでも、君の傍にいたい」
脳裏に浮かぶ彼女に、ロスティンは語りかけた。
たとえ、横に並んで力を振るうことができなくても、置いていかれないよう、追いつけるだけの力を持ちたい。
手を延ばせば、記憶の中の彼女は、嬉しそうにロスティンに手を伸ばしてくれる。
今、彼女はまだ自分を求めてくれている。
傍に欲しいと思ってくれている。
マテオ・テーペにいるころから、もっとまじめに考えていれば違ったのかもしれないけれど、過去は取り戻すことができない。
これからのために、少しでも自分の力を強めようと、強い意思を持ち、ロスティンは日々を過ごしていた。
コーンウォリス公国の貴族であった、マーガレット・ヘイルシャムもまた普段は宮廷で過ごしている。
彼女はこの時期、戦闘で重傷を負った友人の見舞いに行ったり、帝国貴族、騎士たちとの情報交換など、慌ただしく過ごしていた。
そんな多忙な日々だったが、今回の海賊関連の事件――箱船での協力に関して、どうしても言っておきたいことがあった。
マーガレットは2度目の箱船で帝国に訪れており、マテオ・テーペに居た頃もウォテュラ王国の姫、ルース・ツィーグラーとは親交がない。
だけれど侍女の方、ベルティルデ・バイエルとは箱船で航海を共にしており、知り合いではあった。噂で彼女達が入れ替わっていることも、知っていた。
入れかわり姫として軟禁されているルースは、側近以外の貴族とは別の棟におり、会うこともなかった。
「宮廷にいる方の“ルース姫”に伝えてほしいことがあります」
その日、マーガレットはルースの側近と面会を果たし厳しい姿勢で言ったのだった。
「箱船は、ウォテュラ王国の船ではありません。マテオ・テーペの民と血と汗と涙の結晶であって、マテオ・テーペに残る人たちの最後の希望です」
箱船の喪失はマテオ・テーペ残留者の死を意味する。
1個人の判断で、軽々しく動かしてもらっては困ると。
「民を見捨てておけないと言えば聞こえはいいでしょうけど……彼女のしたことはただの偽善です。
二人に対して賭けられるものが残留民全員の命では釣り合いが取れぬではありませんか。海の底にいる人たちの顔色を見ることがなくて楽だったのでは?」
箱船は確かに今回は無事に戻れた。でもそれは結果論で、結果は逆だったかもしれない。
「偽者は偽者らしく、言動には注意していただかないと困ります」
マーガレットの厳しい言葉に、側近は眉を顰めながらこう言う。
「お伝えはいたします。ですが、貴女は箱船が何の目的で、誰が作ったのかご存じではございませんよね? 箱船計画は大洪水前にすでに枠組みができていたことは、ご存じですか? 製造に携わったのは、マテオ・テーペの住民達ですが、賃金は支払われており、製造に携わった者が所有者というわけではありません。仰る通り『マテオ・テーペに残る人たちの最後の希望』となっていますが、箱船は別の目的のために造られていた船であり、箱船ではマテオ・テーペに住む人々の多くを救助することはできません」
側近の言葉に、マーガレットの視線が厳しさを増す。
「伯爵がここにいない今、帝国は姫様をマテオ・テーペの代表と位置付けています」
報告を受けた人質のことを聞く限り、自分たちと帝国への裏切り行為とられても仕方がない事をしたと、ルースは思っている。
「人質となっていた人達を、切り捨てることも出来たでしょう。だけれど、それをすれば次に切り捨てられるのは、私たちだと、姫は判断なされたのです」
帝国は箱船に乗って訪れた者たちが、どういう行動に出るか試したのだ。
裏切るようなことをした、同じ苦労を乗り越えてきた者に対し、裏切り者としてさっさと殺すのか――まだ手を差し延べるのか。
そんなルースの考えを、側近はマーガレットに話して聞かせた。
「もし、見殺しにしていたら、帝国は私たちを信用しなかったでしょう。必要なものを得たら――言いがかりをつけて、姫は勿論、私も、貴女も処刑台行きですよ」
あくまで、それはルースと、側近たちの考えだ。
だけれど、代表として帝国と交渉を行っている者たちが、感じ取っている帝国の姿勢。
「……わかりました。姫のお返事を待たせていただきますわ」
鋭い視線でそう答えて、マーガレットはその場を後にした。
後日、マーガレットのもとにルースからの伝言が届く。
側近が話した通りであると。
そして、帝国から箱船に新たな協力要請が出る――。
「まだまだお子さまな弟に、女なんて早いわ」
冷ややかな笑みを浮かべた女性の手が、ウィリアムの頭に伸びた。
「アーリー、やめろ、やめてくれ!」
ウィリアムは必死に抵抗しようとするが、動くことができない、
自慢の髪がアーリー・オサードの魔法で点けられた火で、ちりちり燃えていく。
でも熱くはない。燃やされているのは髪だけだ、が。
炎は髪の根まで進んでいき――。
「お願いです、毛根! 毛根だけは許してください! アーリーさん!?」
必死に必死に訴えるウィリアム。
若くして、これからの人生ずっとスキンヘッドで過ごさなければならないのか……っ!
「ハア、ハア、ハア……いててて」
目が覚めたら、そこはベッドの上だった。
「あぁ、そういえば怪我したんだっけな」
海賊船に突入し、首領と思われる男と戦った際、ウィリアムは深い傷を負っていた。
魔法によるダメージもかなり受けており、自力で立ち上がることさえ厳しい状態だった。
聞いた話では、自分達の行動により、マテオ民の信頼は随分回復したようだった。
一先ず、安心して良いようだった。
マテオ・テーペには多くの水魔術師がいたように、ここには回復魔法に優れた地の魔術師が沢山おり、ウィリアムは順調に回復していた。
手を頭に当ててみる。うん、髪も無事だ!
「どうしたの、頭でも打った?」
女性の声が響き、顔を向けると、側にアーリー・オサードの姿があった。
彼女は毎日ウィリアムの見舞いに来ていたが、彼が目を覚ますとそっと姿を消していた。
だけれど、この日は何故か声をかけてきた。
「心配してくれてありがとな」
と、ウィリアムはアーリに言う。頻繁に来てくれていることは、他に訪れた見舞客から聞いていた。
「馬鹿ね、無茶して」
「見た目ほど酷くはないから平気だって。それに、マテオ側への当たりもそんなに強くないし、そう悪くはないだろ?」
「マテオ側への当たりなんてどうでもいいのよ、あなた自分の命、なんだと思ってるの? あなたが死んだらマテオ・テーペ滅びるし」
「え? なんで」
「私がここを燃やし尽くすからよ」
くすっと冷たい笑みで笑うアーリー、ウィリアムはちょっとゾクッとした。
「いや、けどさ。無茶したのはアーリーも一緒だろ? お前が籠の鳥になるのを望むはずがない。普通に生きたいっていうのは変わってないんだろ? ……変な話、それは俺の願いでもあるし」
穏やかなトーンで言うと、アーリーは押し黙った。
変わっていない。だけれど、それは無理なこと――彼女が火の一族の力を有した、ただ一人の生き残りである限り。
「案外、帝国の奴らも悪い奴らはそんなに居ないし、マテオと変わらん気がするな。そっちはそこらどうなんだ? 宮廷方面は疎くてよくわからんのだが」
「帝国貴族は、王国と公国の貴族、騎士には冷たいわよ。分け隔てなく接してる人もいなくはないけど」
だけれど、マテオ・テーペから訪れた一般人、ウィリアムのように騎士団に協力している人達に対しては、同情的だったり、友好的であるらしい。
「でもあれだな、国とか気にしないとか言いながらも、誰かがなんかやらかしたら評価を気にして柄でもなく突撃しちまったし、俺も色々こまごまと考えてるんだな」
軽く苦笑して、ウィリアムは続ける。
「世界が滅びかけても、妙な確執があるのはめんどくせぇなぁ。皆で協力出来りゃいいのに」
「あなたは優しすぎるわ。私は世界が滅びかけたって、私の家族を殺した人たちとは協力出来ない。この手で滅ぼしたいわね」
とはいえ、私の大切な人を殺した人はもう、いないのだけれど。
ともアーリーは続けた。
憎むべき相手も、復讐の対象も、もういないのだ。
「人はあくまで人って、簡単にはいかねぇんだろうなぁ」
と、ウィリアムはため息をついた。そして、いててっと、小さく顔を顰めた。
「早く傷を治しなさい。お大事に」
そう言って、アーリーは部屋を後にした。
「毛根もお大事に」
最後にくすっと笑みを残して。
ばっちり寝言、聞かれていたらしい。
「前回の一連の作戦で、結果的に望んだ内容ではない事態になっちゃったこと、改めて謝ります。ごめんなさい~!!」
トゥーニャ・ルムナは、騎士団の詰所に赴き、深く頭を下げていた。
「今後についてなんだけど、ぼくとしての謝罪とマテオの民へ対する、そちらの信頼回復の為に頑張っていこうと思うので……ぼくのことを好きに扱ってください~」
そう言うと、詰所を預かる隊長から頭を上げるよう、言われる。
「魔力源として扱う、新兵器の実験台として扱う、最前線で魔物と戦わせる、前回の作戦で溜まった鬱憤のはけ口として扱う……どんな内容でも甘んじて受け入れますので~……」
と、トゥーニャは彼女らしくない神妙な顔で訴えていく。
彼女が真剣であることは、周囲にも伝わった。
「ただ、その代り一つだけ……お願いを聞いてもらいたいことがあるんです~」
そう彼女が続けると、お詫びの代わりというのはおかしいだろうと、隊長がすぐに返してきた。
「だが、一応聞こうか。言ってみろ」
「それは……『箱船』を今後、作戦……少なくとも、この前の様な戦場への出撃をさせないでほしいんです」
真面目な顔で、トゥーニャは言葉を続ける。
「皆さんから見れば大きな魔導船で、戦力の増強だと思えるかもしれませんが、マテオの民であるぼくたちにとって箱船は、彼の地で今も待ち続けている皆の命そのものなんです」
口を挟まず、隊長もその場にいた団員達も彼女の言葉を聞いていた。
「箱船の機能停止はそんな皆の命の停止に直結します……この地で箱船と全く同じ性能の船を造れたり、地の魔法でマテオ周辺を隆起させることができるのなら話は別ですが……そんなことは望めないのはわかっています」
「2000人程度のろくな物資のない空間に居る民より、我々の技術が劣るということはない。だが、出来る出来ないではなく陛下や帝国の民の命を削ってまで行なう理由はないだろう」
隊長の言葉に、こくんとトゥーニャは頷く。
「前回の戦いで海賊たちに箱船の事が認識されてしまったと思います。なので、箱船を、マテオの民の命を守って下さい……ぼくが帝国の為に命を賭けて戦いますので」
「気持ちはわかった。だけれど、それはマテオの一般人であるお前視点の話だ。我々騎士団員に出来るのは下された任務を確実に遂行することのみだ」
その任務を下すのは騎士団のトップではなく、皇帝たち国の重鎮だ。
例え、陛下との謁見が許されたとしても、1個人の協力程度で多くの命に係わる作戦を変えることはないだろうと、隊長はトゥーニャに告げる。
「箱船の協力は、帝国とマテオ・テーペの代表が決めたことだ。お前だけではない、全てのマテオ・テーペの民が帝国に友好的であるなら、陛下はマテオ・テーペを見捨てるようなことはしないだろう」
それから、ご苦労であったと、隊長はトゥーニャに言う。
反意がなかったのなら、その気持ちが本当ならば、お前は騎士団の大切な仲間だ、と。
(いくらなんでも無茶しすぎだ)
傭兵騎士のナイト・ゲイルは、街で買い物をしていた。
疲れに効くという飲み物に、美味しそうなお菓子――これは無茶をした友人への見舞いの品ではなく、ナイトが所属している隊の隊長への差し入れだ。
無茶をした友人はまだまともに食事が摂れる状態ではなかった。
とはいえ、かなりの重傷だったが、回復は早いようだった。
(隊長もなんだかんだで大変そうだからな……)
と、買った飲み物と焼き菓子を持って、ナイトは宮廷へと、チェリア・ハルベルトにところに向かった。
「隊長、差し入れでーす」
執務室の隅に置かれたテーブルに、ナイトは焼き菓子を並べ、グラスに疲れに効くという甘いドリンク剤を注いでいく。
「折角なので休憩しましょう」
そう言って、デスクで資料に目を通しているチェリアを、半ば強引にソファーへと誘う。
「疲れたまま何かをしてたら上手くいくものも上手くいかなくなる、息抜きは必要だぜ? ……必要ですよ?」
言い直すと、チェリアの顔にふっと軽い笑みが浮かぶ。
「別に疲れてはいない」
「疲れが顔にしっかり現れてる……ますよ。今も険しい顔つきでしたし」
「強引だな」
「いや、以前言ったがまあ俺よそ者だし? ……ですし? そういう事で疲れてるな~と思ったら多少強引にでも休憩を促すんですよ」
気に入らなければ、処分でも何でもどうぞ、それで事故が減らせるなら安いもんだ……。と、ナイトはグラスをチェリアに差し出した。
「ありがとう。では、少しだけ」
チェリアはソファーに腰を下ろすと、早速グラスに口をつけた。
「……酒が飲みたい」
一口飲んで、チェリアがぼそっと言った。
「酒? さすがにそれは俺を処分する前に処分されるんじゃ……。強いのか、ですか?」
「そうでもない。というか分からない。大洪水後に、酒が飲める年齢になったからな。大量に飲んだことはないんだ」
ただ、飲むと気が楽になるんだと、チェリアは続けた。
「それで、何の用だ? お前こそ、休んでなくていいのか」
ナイトも先の戦いで、酷い火傷のようなダメージを受けていた。
だから、無理はしていない。
「動けるようになったんで、まあ大丈夫です。隊長に今のマテオの人達の評価とか聞きたいと思って来たんだけど……ですが、隊長見てたら今はいいかな~と思いまして」
「なんでだ」
「なんででしょうね? その件はまた後ででいいですよ、それより隊長の趣味って何です? 最近趣味に浸ってますか?」
ナイトがそう尋ねると、チェリアは難しい顔をする。
「時々聞かれるんだが、特にないんだよな……だから浸るということもない。夢中になることといったら、武術の稽古くらいで……お前と変わらんな」
そう言って、チェリアは苦笑する。
「稽古、分かります。というか、他に何か楽しいと思えることは? 好きなものとかは」
「好きなのは、頼りになる部下。何かを為した時の達成感を味わうこと。勝負事も好きだな。スポーツでもなんでも」
「模擬戦とかスパーリングとか?」
「ああでも、お前とはやらんぞ。隊長の威厳を保てなくなりそうだから」
そうチェリアは笑った。
チェリアは武術もかなり堪能と思える。でも、魔法の使用がなければ……あっても、近距離戦でナイトが遅れをとる理由はない。
自分は頼りになる部下、だろうか?
ちらっとナイトはそんなことを思いながら、一時の安らぎの時間をチェリアと談笑しながら過ごしていく。
☆
春に花見をした広場の日当たりの良い場所に、ユリアス・ローレンとカサンドラ・ハルベルトはせっせと花壇を作っていた。
レンガや土など必要なものは、インガリーサ・ド・ロスチャイルド子爵が分けてくれた。彼女の屋敷の庭に花壇があり、それを作った時の余りだという。
もう花壇を作る予定はないので、使ってくれるなら嬉しいと言っていた、とカサンドラはユリアスに伝えていた。
土が整ったら、種まきだ。
カサンドラは苗も運んできていた。
今、彼女が最初に手にしている花の種だ。
「これね、マリーゴールド。今から種を撒いても、すぐに咲くの……」
そう言って、ユリアスの手に袋の中の種をさらさらと移した。
ユリアスはカサンドラの見様見真似で種を撒いていく。
「虫がつきにくいお花なの……。だから、他のお花と並べると……そのお花もあんまり虫、つかないの……」
種を撒くカサンドラは楽しそうだ。
傍らには、トレニアとペチュニアの苗が置いてある。
「……夏のお花、ユリアス君は……何が好き?」
「そうですね……夏の花と言えばひまわりですね。一面に広がるひまわり畑を見てみたいです」
「私も……見てみたいな。黄色が、キラキラして……とても、眩しそう……」
「背も高いですし、かくれんぼができますね」
二人はクスクス笑い合う。
「そういえば、カサンドラさんの誕生日はいつですか?」
「えと……秋」
「秋……秋ですと、コスモスですね。かわいらしい花です」
「あ、あの……コスモスも、あるの。苗、持って来た」
「じゃあ、植えましょう。花が楽しみです」
私も、と頷くカサンドラ。
屋敷のほうではピンク色のコスモスが咲いていたというから、ここもきっと同じ色だ。
「ユリアス君の、お誕生日は……いつ?」
「僕は冬生まれです。冬の花は、スノードロップが好きです。この花が咲くと、春はもうすぐそこですから」
「スノードロップは……とても、やさしいお花。気持ちが、ほっこりするの……」
リモス村にはないのが残念だと、カサンドラは眉を下げた。
「スノードロップはないけど……冬に咲くお花、ビオラ」
これも苗だ。
どこに植えるか、話し合って決めた。
それから、春の花のこと。
「春の花はチューリップですね」
「……チューリップ、あるよ。球根……でも、植えるのは、冬頃なの」
カサンドラもチューリップは好きだと言った。
「あとね、タンポポ、ネモフィラ……どっちも、かわいいの」
「季節ごとに花を楽しめますね。春は特に、周りの木の花も咲きますから、きっときれいですよ」
「お花見、また……したいね」
今は濃い緑の葉が生い茂っているが、目を閉じれば吹雪のように花びらを散らす、可憐な花を思い出すことかできる。
持って来た分すべての種まきと苗植えが終わると、次は水やりだ。
ユリアスが水やりをしている間に、カサンドラは使い終わった道具を箱に片付けていった。
仕上げに、二人で花壇に地の魔法をかけておく。よく育つようにと願いを込めて。
「咲くの……待ち遠しいね」
「ええ。カサンドラさん、今日はありがとうございました」
「わ、私も……ありがとう。楽しかった……あ、あのね、お茶……持ってくるね」
これまで誰かをお茶に誘うことなどしたことがなかったカサンドラは、挙動不審なくらいに落ち着きがなく視線もあちこちにさまよっていた。
「ま、待っててね」
早口にそう言ってパタパタと走り去って行くカサンドラ。
片づけた園芸道具を持って帰ることは、すっかり忘れている。
ユリアスはそれをテーブル席まで移動させると、椅子に腰を下ろして彼女が戻って来るのを待った。
花壇づくりの疲れもありウトウトしかけた頃、芳醇な紅茶の香りが風に乗って流れてきた。
顔を上げると、お盆に乗せたティーセットを落とさないように、やや緊張気味のカサンドラがこちらに歩いてきているのが見えた。
危なっかしい足取りに、ユリアスは立ち上がるとカサンドラからお盆を受け取る。
「僕が運びます」
「あ、ありがとう」
心地よいそよ風の下、二人は紅茶を飲みながら他愛ないおしゃべりをするのだった。
──痛みも腫れも引けてきている。
朝、体の具合を入念に確かめるルティア・ダズンフラワー。
ふだん通りの鍛錬はできないが、無理のない範囲でこの日も体を動かした。
今日のルティアは出かける予定が入っている。
身なりを整えてから街へ出て花を買うと、待ち合わせの場所へと足を進めた。
待ち合わせの相手は、グレアム・ハルベルトだ。彼も花を抱えていた。
行き先は、墓地。
先の戦いで戦死した騎士団長の墓参りだ。
挨拶の後、グレアムはルティアの体調を気遣った。
「怪我の具合はどうですか?」
「少しずつですが回復しています」
「よかった。きちんと治るまで、無理はしないでくださいね」
そんな会話をしながら騎士団長の墓まで歩いた。
墓にはすでに多くの人が手向けた花が置かれていた。
ルティアは軽く掃除をすると、持って来た花を供える。
その傍にグレアムも花を置き、二人はしばらく黙祷を捧げた。
「グレアム団長は、騎士団長とのお付き合いはあったのですか?」
「上司でした。騎士団に所属していましたので。厳しい人でしたが、部下思いの良い上司でした」
グレアムは、懐かしそうに目を細くした。
「思い出話などを伺ってもよろしいでしょうか?」
「いいですけど……恥ずかしい話ですよ。あの人の前では、あまり良いところを見せられなかったので」
苦笑して話し出したのは、仲間達と訓練用の武器の整備をしている時のことだった。
その頃からすでに刃物類に対しいきすぎた愛情を持っていたグレアムは、この時も何かの拍子でスイッチが入ってしまったのだ。
訓練用に量産された剣にさえ深い愛情を示し、日々の苦労を労ったり、量産剣への可能性を語り出したりと、手が付けられない状態になってしまった。
まるで親友と対するように剣と語り合うグレアムを正気に戻したのが、当時まだ副団長だった騎士団長であった。
「それはもう、とても痛い拳骨でした。涙が出ました」
笑いながら殴られた箇所をさするグレアムにつられて、ルティアも笑みをこぼす。
「もう、一緒に呑むこともできませんね……」
墓を見下ろすグレアムの目は、少し潤んでいるように見えた。
ルティアは墓に向き直り姿勢を正すと、騎士団長へ言葉を捧げた。
「今まで私達をお導き下さり、ありがとうございました」
そこでいったん区切ったルティアは、続く言葉を頭の中でしっかりまとめた。これから口にすることには、たくさんの思いが込められている。
勇敢に戦った騎士団長へ向けてのものであり、ルティアの気持ちの吐露であり。これらをグレアムにも聞いてもらうのは、自身の未熟さに気恥しい気持ちと、スヴェルの一員という立場として大事にしたいことであるからだ。
「私は……同朋を助けるために、海賊達を討ちました。覚悟を決めたとはいえ、彼らにも理由があり、意志があり、家族もあったことでしょう。何より、命という誰にも等しく尊きものを奪いました」
あの時の感触は、まだ生々しく残っている。
「どうか、どうか貴方を悼む傍らで、彼らを想うことをお許しください……」
しばらくの沈黙の後、どちらからともなく墓に背を向けた。
ゆっくりと歩き出しながら、ルティアは薄く微笑んでグレアムに願った。
「グレアム様は、急にいなくなったりしないでくださいね。私、寂しいですから」
「もちろんです。まだ、やらなければならないことは山ほどあるんですから。君にも、頼みたいことが多くあります」
「お任せください」
絶対に失ったりしない、とルティアは固く誓った。
箱船の修繕作業の休憩時間に、アウロラ・メルクリアスはカサンドラ・ハルベルトを訪ねた。
カサンドラがいたのは畑で、膝を着いて土に回復魔法をかけていた。大洪水で海に沈んでいたため作物の生育が悪いので、こうして回復魔法をかけて本来の土地に戻るよう促しながら育てている。
アウロラが声をかけると、カサンドラは顔を上げて小さく微笑んだ。
最近のカサンドラは、以前に比べて外に出るようになったし笑うようにもなった。
「やっほ、遊びに来たよ」
「こんにちは……。あの、箱船……どう?」
「直って来てるよ」
「よかった……」
「今までなかなか時間作れなかったけど、やっとまとまった時間ができたから、お話ししたいなぁって思って来ちゃった。急でごめんね。カサンドラちゃんのほうは今時間ある?」
大丈夫、と言ってカサンドラは立ち上がる。
二人は適当な岩に腰かけて、最近あったことなど他愛のないおしゃべりをした。
ここ何日か集中して箱船の修繕作業が行われていて、アウロラもそれに従事していたため、久しぶりに会話をしたような気持ちだった。
そんな中、不意にアウロラの視線が下がる。
「……ちょっと聞いてもらっていいかな」
カサンドラは頷き、改めてアウロラに向き直った。
彼女の口からこぼれ落ちたのは、抱え込んでいたやるせない思いだった。
「何でこうなったのかなって思うことが、時々あるんだよね。今回も、何で箱船が危険な目にあわないといけないんだ、とかね」
箱船がアウロラ達マテオ・テーペの人々にとってどのようなものかは、カサンドラも知っている。だから彼女も、箱船が戦場に出されると聞いた時はとても驚いたのだ。
「箱船は、下にいる人達にとって文字通り生命線だから。箱船を危険な目にはあわせたくない。人質の二人のこととかあったからっていうのはわかってる。私達にも原因があったんだろうなって」
膝の上に置かれているアウロラの両拳は、いつしか固く握られていた。
「でも、何でみんな仲良くできないのかなって、そう思っちゃう。だからって、私に何かできるとも思えないんだけどね。私が私にできることをやるだけで精一杯だし」
「……」
悲しんでいるアウロラにどんな言葉をかけたらいいのか、カサンドラにはわからなかった。自分がその残酷な要請を出した側の人間だとわかっているので、何を言っても慰めにはならないと思ったのだ。
言葉に迷いうつむいてしまったカサンドラに、アウロラが「ごめんね」と言った。
「変な話しちゃって、ごめんね。今のは忘れちゃっていいよ。……あ、そうだ。ねぇねぇ、カサンドラちゃんは普段は何をしてるの?」
あえて明るく言うアウロラが、気を遣ったのは明らかで。
カサンドラは、いまだ握られたままの手に自身の手をそっと重ねた。
「わ、忘れないから……。今の、お話し……大事なことだから。あの、リモス村のみんなは……たぶん、もう違うと思う。マテオ・テーペの人達のこと、もう、憎んでない……と、思うの」
箱船の修繕作業には、手伝いを申し出る囚人もいたという。
「私、いつもは……」
唐突に、カサンドラはアウロラの問いに答え始めた。
「お勉強したり、お庭の花壇のお世話をしたり……畑とか……」
アウロラの握り拳が解かれていき、二人の他愛のないおしゃべりが再開した。
宮殿に戻ってきたマティアス・リングホルムは、ルース・ツィーグラーの射るような目に出迎えられた。
「な、何だよ。何かあったのか?」
思わずたじろぐマティアスを無遠慮に上から下まで確認するルース。
ここを出て行った時の様子とあまり変わりないことがわかると、ルースの目つきは少し和らいだ。
「怪我はないようね。お茶でも飲みながら話を聞かせて」
そう言って、さっさと背を向けて足早に自室へ歩き出すルース。
いろいろなことが気になってやきもきしながら待っていたことを、その歩き方が表していた。
自室に入り、二人分の紅茶をテーブルに用意したルースは、さっそくマティアスに話を促した。
マティアスは自分が見てきたことを、すべてルースに話して聞かせた。
「そう……人質が帰ってきたのは聞いていたけれど、そんな経緯だったのね。その人質二人に怪我はないのよね? 痛めつけられたりとか」
「大丈夫だ、何もされてねぇ」
「なら、よかった。それで、箱船のほうはどうなの?」
「そんなひどい傷はないと思う。今頃はリモスに戻って修繕作業の真っ最中だろう」
ルースはようやく肩の力を抜いた。
「とりあえずは……よかったわ」
そう言い、紅茶を一口飲んだルースの口から、たまっていた鬱憤が吐き出された。
「あのハゲ……こっちが断れないギリギリのところを突いてきた、いやらしい性格……! あのとりすました顔を水膨れにしてやろうかしら……クソヤロウめ……」
低い声でブツブツと恨み言をこぼす彼女の目は、完璧に据わっている。
「おい、姫さん……クソヤロウはやめとけ。仮にも姫をやってんだから」
「誰も聞いてやしないわよ。……いつかあのハゲを跪かせてやるわ、ベルの前にね」
「姫さんの前じゃなくて?」
マティアスの目の前で怒りを露わにしているのは、間違いなくルースだ。
「一番心を痛めたのはベルよ。だって、箱船計画を今の形にしたのはあの子だもの」
箱船計画は、元々は出航をサポートする側──マテオ・テーペに残る側の命には何の保証もない計画だった。
そうして水の継承者を海の上に送り出し、暴走した水の魔力を静めて安定させる──そういうものだった。
「箱船を失ったら、あの子が初めて示した意志も失ってしまうのよ。今の帝国じゃ、箱船級は造れないもの。あのハゲだってマテオにある聖石は欲しいだろうから、箱船がなくなるのは困るはずなのに」
さっきはギリギリと言ったが、このあたりがルースにはよくわからないことだった。
騎士団はすぐに海賊への攻勢に出た、とルースは耳にしていたが、もし本当に箱船が壊れたらどうするつもりだったのか。
「致命的なことにはならないか、させないつもりでいたんだろうな。……で、こっちはどうだった? 側近達ともめたりしなかったか?」
「もめること前提に聞こえるんだけど」
ジトッとした目を向けられるマティアス。
ルースは彼のカップが空になっていることに気づくと、ティーポットからおかわりを注いだ。
「側近の意見なんてどうでもいいのよ。この国を決めるのは、あのハゲだもの。でも……うるさいのよね、腰巾着風情が。自分じゃ何も考えないクソ……カスヤロウ共」
「……」
もともとルースは言うことがきついが、こうも口が悪くなったのは……。
自分のせいじゃない、と自身に言い聞かせるマティアス。
自分は思ったことが率直に出てしまうだけで、口が悪いわけじゃない……はずだ。
一人悩むマティアスに、どうしたの、とルースが声をかける。
「やっぱりどこか悪いの? 見せて」
「いや、どこも悪くない。本当だ」
立ち上がりかけたルースを、マティアスは身振りで座らせる。
心配そうな彼女に、笑顔を見せて言った。
「次はもっと大手を振って散策したいな。姫さんも一緒に行けたらいい」
「そうね、悪くないわね。街は活気があるそうじゃない。行ってみたいわ」
そんな日が早く来たらいいのに、とルースも微笑んだ。
すっかり葉だけになった花木がつくる木陰にあるベンチで、クラムジー・カープはマテオ・テーペから出てきた人達のリストに目を通していた。
それぞれの行き先、所属、傷病、生死……。
死亡、の文字に思わず重いため息を吐いてしまう。
クラムジーより先にこの地に立った彼女は、今もめげることなくまっすぐにマテオ民のことを思っている。
(私を見てくれることがなくても、彼女の望みが叶うといい)
クラムジーの想いは、知っている人は知っているだろう。
そしてたぶん、当人が一番知らないのだ。
首を振り、思考を散らす。
このことに考えを巡らせても、今は答えのない迷路に迷い込むだけだから。
彼は、リストにある名前を目でなぞっていく。
大半が世間では大人と呼ばれる年齢だが、中にはまだ子供の域を出ていない者や一歩踏み出ただけのような年齢の者もいる。
この子達は、大切でかけがえのない人を残してきたのだろうか。
大人だってあの別れは堪えるのだ。まだ年若い彼らには荷が重すぎる……。
そこまで考えたクラムジーの脳裏に、ある親子の顔が浮かんだ。
マテオ・テーペを統治していた伯爵とその娘のジスレーヌ・メイユールだ。
クラムジーは、伯爵のもとに仕官していた。彼は為政者として必要以上の心配を見せる人ではなかった。
娘のほうはどうだろうか。
記憶を探った時、不意に紙面に枝葉の影以外の影が重なった。
顔を上げると、まさに今考えていた人物が立っていた。
「こんにちは。何を見ているのですか?」
成人の年齢に達した彼女だが、まだまだあどけない顔をしている。
「マテオから出てきた人のリストですよ」
とたん、ジスレーヌはハッとした顔になり黙り込んでしまった。
「どうかしましたか?」
「その……ごめんなさい。それ、本来は私が管理しなくてはならないものでした」
彼女の表情から、自分の未熟さを恥じていることが窺えた。
「これくらい、かまいません……というか、私自身が時間を持て余すことがどうにも性に合わなくて」
「働き者ですね」
たぶん仕事中毒だ、とは言わずにおいた。
私にも見せてください、とクラムジーの横に座るジスレーヌ。
リストを渡すと、熱心に目を通していった。
ジスレーヌは、父親の名と名誉を辱めないために、またマテオ民のために魔力の行使をためらわなかった。
宮殿には行かず、この貧しい村で共に働いている。
マテオにいた頃の生活とは天地の差があっても、文句ひとつ言わない。
「少し、お聞きしてもいいですか?」
「はい、何でしょうか」
ジスレーヌは顔を上げてクラムジーと向き合った。
「あなたはこれまでどのような覚悟を持って行動してきたでしょうか?」
「……え? あの、それはどういう……」
「ああ、わかりにくかったかな……あなたは、行こうと思えば宮殿に行けたはずです」
ジスレーヌは納得したように頷いた。
「簡単なことです。ここには私がやるべきことがあると感じたからです。ただの直感ですけれど、正しかったと思っています」
彼女はまっすぐな表情でそう言った。
「そうですか。では、これからどのように帝国との距離を取るべきかお聞きしても?」
うーん、と考え込むジスレーヌ。
「……私達は対等でなくてはなりません。帝国を頼みにしてはいますが、言いなりになってはいけない、と思います。譲れないものは手放さず、協力しあえたら……理想ですね」
苦笑するジスレーヌは、箱船が作戦に使われたことを苦々しく思っていたのだろう。
それから急に頬を膨らませてクラムジーを軽く睨んだ。
「堅いお話しは、お休みにしましょう」
あれこれと考え込んでしまうのは、欠点にもなってしまうことをクラムジーもわかっている。
だからというわけではないが、ジスレーヌの畑の話にしばし耳を傾けた。
大洪水前の帝国の一部地域では、ある特定の時期に贈り物を届けるという習慣があった。
リキュール・ラミルが仕切るポワソン商会も、そうした習慣を守ってきた老舗である。
たとえ帝国が今の領土になろうとも、リキュールは伝統を捨てたりはしなかった。
そして取り引き先へ丁寧に挨拶をして回った彼が最後に足を運んだのは、パルトゥーシュ商会であった。
応接室でリキュールから贈り物を受け取ったフランシス・パルトゥーシュは、そんな習慣がある地域があったのか、ととても感心した。
さっそく包みを開けた彼女は、目を丸くする。
箱の中には、フランシスも滅多に見ることのない嗜好品の数々が詰まっていた。
彼女のために、リキュールが厳選した品々だ。
「これはまた豪勢だね……。本当にいいのかい、もらっちまっても。あたしは遠慮なんかしないよ」
「ええ、ぜひそうしてください。そのためのものでございますから」
「ふふっ、ありがとう! よし、さっそくこの紅茶を淹れてみようか。何だか貴族にでもなったような気分だねぇ」
フランシスは上機嫌で高級茶葉の缶を手に取ると、ドアの外に向かって誰かいないかと呼びかけた。
すぐに現れた従業員に、紅茶を淹れてくるように言った。
しばらくすると、芳醇な香りを立たせた紅茶と焼き菓子が運ばれてきた。
「甘いものは好きかい? この紅茶には釣り合わないかもしれないけど」
紅茶を飲み、その香りと味に二人はホッと息を吐く。
おいしい、と微笑むフランシスに、リキュールの心があたたかくなる。
そのあたたかさが、どういった感情によるものか彼はよく知っている。
けれど、口にする勇気は持てそうにない。
リキュールには、何となくだが予感があった。
フランシスは、グレアムに気があるのではないかと。
グレアムは公爵子息でありスヴェル団長であり、見た目も良い。街での人気も高い人物だ。
対して自分は……役者が違いすぎるといったところか。せいぜい道化くらいだろうか。
(それでもいい)
キリュールは切ない想いはきれいに隠し、フランシスの笑顔を引き出すために今度は虎の子を披露する。
彼が担いでいた大きめの荷物はフランシスも気になっていたが、それがまさか『手回し式のアイスクリーム製造器』だとは予想外もいいところだった。
「これ……実物を見るのは初めてだよ!」
すっかり興奮したフランシスは、早く使ってみせてくれとリキュールの肩をガクガクと揺さぶる。
「お、お、落ち着いてくださいませ……」
目を回しかけたリキュールの声にフランシスは手を離したが、早く早く、と鼻息も荒く彼を急かした。
「貴族の家で魔法具のこういうのがあるとは聞いたんだけど、こいつは違うんだろ?」
「ええ。魔力がなくても人並みの力があれば、充分でございます」
「そうかそうか。……なあ、こいつを安価で売れるよう改良して……あ、ダメか。氷がねぇな。氷さえ何とかすればいいのか? いや、道具そのものも……」
真剣な表情で器械を睨みつけてブツブツ言っているフランシスの横で、リキュールはテキパキと準備を進める。
フランシスを、カネに魂を売った女と冷ややかに言う者もいる。
店に損害を出した従業員は、首を括るほどまで追いつめられたという噂もある。
途中で作業を交代し、ついに白くて冷たいアイスクリームが完成した。
リキュールは、涼し気な器に盛り付けてフランシスに差し出した。
「ありがとう。さぁて……どんな味かな~」
スプーンですくい一口食べた彼女は、ギュッと目をつぶるほどの感動と驚きを味わった。
「ん~っ、おいしい! 冷たくてスカッとするねぇ!」
喜ぶ顔に、リキュールの頬も緩む。
(あの腐れ縁がこれを知ったら……)
腹を抱えて大笑いする姿が容易に想像できた。
きっと一生、自分のこの気持ちを理解できないだろうことも。
「あんたも、ほら」
アイスクリームを山盛りに入れた器が、リキュールの前に差し出された。
「……あの、その! グレアムさん──骨董品の剣の鑑定を……手伝ってはいただけないでしょう、か!?」
海賊との攻防が一段落着きスヴェルにも少しの休息が与えられた時、キャロル・バーンが団長のグレアム・ハルベルトにこう提案した。
グレアムの良い気分転換になれる何かはないか、と探して見つけたものだった。
キャロルの実家は古物商を営んでいるため、刀剣類もあるのだ。
無類の刃物好きのグレアムは、いつもの穏やかな表情でキャロルの誘いを受けたが、その目は好奇心に輝いていたという。
キャロルの実家の蔵から出された刀剣類は、けっこうな種類と本数が揃っていた。
「本来は私が父から鑑定を任された物なのですが、私一人では自信がなく……」
大きな箱にまとめられている剣を、触れることなくじっくりと見ているグレアムに、キャロルは本当に困っているといった顔で言った。だが、これが口実であることの後ろめたさもあった。
「……あの、お礼はお夕飯をお出しするくらいしかできない……のですが……」
次第にしどろもどろになっていくキャロルを、グレアムが呼ぶ。
「触ってもいいですか?」
キャロルの話を聞いていたのかどうか疑いたくなるくらい、唐突だった。
「え、あ、はい、どうぞ」
少し不安を覚えながらキャロルが返すと、グレアムは数ある中から一本を手に取った。
静かに鞘から抜くと、ほぅ、と感嘆の息を漏らす。
「とても美人さんですね……。近寄りがたい雰囲気ですが、こちらが誠実さを示せばそれ以上に返してくれる剣です。そう思いませんか?」
うっとりと剣に魅せられていたかと思うと急に話しかけられ、キャロルはあたふたしてしまった。
「どの剣もそうですが、きちんと手入れをすることが仲良くなる第一歩です。この剣は、少し寂しがりなところもあるので、一日一回はちゃんと見てあげるといいと思います」
「まるで、人を前にしたようにおっしゃるんですね」
「人間に見えているわけではないですよ。ただ、そう感じただけです。君は、この剣を見てどう感じますか?」
持っていた剣をキャロルに差し出すグレアム。
剣を受け取ったキャロルは、剣先から柄の先まで目を通し……苦笑した。
グレアムと同じように感じることはなかったが、この剣が美人だということは何となくわかった。
それから彼女の目は、グレアムが腰に下げている剣に移る。
キャロルは、彼の剣のことを綺麗だとずっと思っていた。まるで、持ち主の心を映しているかのように。
「グレアムさんが愛用されている剣も、とても美しい剣ですね」
そう言うと、グレアムは嬉しそうに微笑んだ。
「父から授かった剣です。この剣は、たくさんのことを気づかせてくれますし、迷った時には道を示してくれるんです」
それから彼は未鑑定の短剣に手を伸ばした。
剣について思ったことを話すグレアムは、とても生き生きしている。また、心から刀剣を愛していることが伝わってきた。
キャロルは彼の話を聞きながら、この先に少しだけ憂いを感じていた。
グレアムの剣はとても美しいけれど、どんなに美しい剣でも一本で重圧を受け続ければ、いずれは折れてしまうだろう。
キャロルの目には、どうしてかグレアムがそうなってしまうように見えて、ひどく不安に駆られてしまっていた。
団長という立場のためか、グレアムは団員達の前で不安や迷いは見せない。
(どうか、私の知らないところで折れてしまわないように……)
彼が背負う重圧を、心に隠す秘密を──分かち合える存在になれたら……。
キャロルが物思いに耽っていると、突然グレアムが「あっ」と声をあげた。
「すみません、これでは鑑定ではなくただの感想でしたね……」
ようやく気付いたグレアムは、自分に呆れたような笑みを浮かべて言った。
「このままではお夕飯はいただけませんので、がんばりましょう。では先輩、これから鑑定結果を言いますので、採点をお願いします」
「せ、先輩……?」
「キャロルのほうが、鑑定の経験を積んでいるでしょう?」
目を丸くするキャロルを見て、悪戯が成功した子供のように、グレアムは楽しそうに笑った。
「よし、完治」
ベッドから降りてすっくと立ちあがり、拳を突き上げるヴォルク・ガムザトハノフ。
海賊戦で負傷した彼は、つい先ほどまでジスレーヌ・メイユールと姉と慕う人物から回復魔法を施されていた。
ヴォルクはその場で軽く屈伸運動をすると、外へ出るためドアに手を伸ばした。
たいして歩いてはいないのだが、いつも鍛錬に使う開けた場所に来るまでに、ヴォルクは自分が気を失った原因を思い出し、腸が煮えくり返りそうになり、反省し、を繰り返していた。
(ハートは熱く、頭脳はクールに)
これを反芻し、怒りに飲み込まれないようにと自身を戒める。
そしてひらめいた新魔法。
「名前は……魔神剣」
イメージし、風を生み出す。その風は、細く曲がり楕円形になっていく。
形を崩さないよう維持したまま、ヴォルクはその風を近接武器のように振り回してみせた。
「……っ」
数回振った時、風がほどけた。
ヴォルクは失敗の原因に予測を立て、再び挑む。
(ハートは熱く、頭脳はクールに……)
思い至った失敗の原因の一つは、無様に気絶させられた自身への怒りがふくらんでしまったことだった。
それではダメだ。心が乱れていては、初歩の魔法もうまくいかない。
再び楕円形の風を作り、目の前に敵がいると仮定して刀のように振る。
イメージの中で、敵はヴォルクからいったん距離をとった。
「甘い! ──魔神剣!」
今まで近接武器のようだった風の刃が、ヴォルクの手を離れ敵へと飛んでいく。ブーメランのように。
敵は、驚愕に目を見開いたまま上下真っ二つにされた。
「フハハハハー!」
どうだ、思い知ったかと高笑いするヴォルク。
が、すぐに冷静になり、今の成功を偶然にしないために反復練習を開始した。
五分五分だった成功率が、ヴォルクの中で及第点を迎えた頃、突然膝が崩れた。
息が荒くなり、ひどい頭痛と眩暈に襲われる。さらに悪寒が走り、冷や汗が流れた。
「……何だこれ」
まるで風邪の症状だが、何となくそうではない気がしている。
では、何なのか。
まったくわからない。
だんだんと視界が狭くなっていき、周囲の音も聞き取りにくくなっていった。
ついに意識を手放す直前、女の声がぼんやり聞こえた。
「逃亡者、発見! 確保します!」
「逃がしちゃダメよ! ……あーっ、悪化してるじゃない!」
「今度は逃げられないよう、ベッドに縛りつけておきましょう」
──俺はまだ、海賊に捕まったままだったのか?
記憶がごちゃごちゃした中、ヴォルクはとうとう気を失った。
●マスターより
ご参加ありがとうございます。川岸満里亜です。
こちらのリアクションは☆より上が川岸、下が冷泉さんが担当いたしました。
思いの他沢山ご参加いただきとても嬉しかったです。色々とありまして、お時間をいただいてしまい、すみませんでした。
予定外の方向に進んでいるワールドシナリオが、どのような結末を迎えるのか、楽しみにしております。
引き続きどうぞよろしくお願いいたします!
こんにちは、冷泉みのりです。
ワールドシナリオ第3回番外編にご参加してくださり、ありがとうございました。
ご指名をいただいたことにも感謝を。
前編最終話まで残り少しですが、最後までご一緒できたら嬉しく思います。
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