ワールドシナリオ後編
『哀哭のカナロ・ペレア』第1回
第1章 作戦の成功を祈って
ストラテジー・スヴェル本部の会議室では、ジスレーヌ・メイユールを中心に作戦に必要な物資のリストの作成が行われている。
「これで全部でしょうか……」
かつてマテオ・テーペを出る時に箱船に積み込んだ物資を元に、リストは作られた。
「嗜好品をもっと増やしましょう」
と、意見したのはポワソン商会代表のリキュール・ラミル。
嗜好品ですか、とジスレーヌはあまり納得していない様子。嗜好品を増やすなら、生命維持に必要な他のものをと思ったからだ。
しかし、リキュールはやんわりと首を振り、教え諭すように言った。
「燃える島や氷の大地という過酷な環境に派遣される人員のことを考えてみてください。人は木石にあらずでございます。少しでも彼らの士気を維持させることも、大切ではございませんか?」
「あ……」
ジスレーヌは箱船での日々を思い出した。
常に付きまとう不安や恐怖を紛らわせたのは、ほんの一かけらの甘味だったり歌やゲームであった。
「わかりました。嗜好品の調達はお願いできるのでしょうか?」
「ええ。それから、他の食糧と種類の品質も上げておきましょう」
「はい。マーガレットさん、計算と清書をお願いします」
ジスレーヌは、記憶力が良く筆記も正確なマーガレット・ヘイルシャムに、修正点を書き入れたリストを渡した。
受け取りながらマーガレットは、ジスレーヌに確認をした。
「各海岸への輸送計画書はできていますか? よろしければ、そちらも清書などいたしますわ」
「ありがとうございます! 輸送には開発された台車とゴーレムが使われます」
マーガレットが作業をしている間、ジスレーヌはステラ・ティフォーネにも見てもらいながら輸送計画書の見直しをしていた。
「リストが完成したら、各方面への連絡をしてきますわ」
「はい、よろしくお願いします」
やがて四人で何度も確認をしたすべての書類が整った。
「これで大丈夫、の、はずです」
「後は、現場の人達の健闘を祈りましょう。では、行って参ります」
上品な会釈をしてステラは会議室から出ていった。
数日後、集まった物資を積み込んだ魔導式台車やゴーレム、荷馬車が街から東西へ出発した。
物資はクレーンを使い、台車やゴーレムごと崖下へと下ろされた。
沖に停泊している燃える島へ向かう小型魔導船へ、小舟に積み替えられた物資が運ばれていく。
ここでもゴーレムが役立っていた。
一方、魔導式台車を使って積み替え作業を手伝うマティアス・リングホルムは、だいぶ前に修理が終わってリモスへ行っただろう元海賊船を思った。
作業の間、マティアスは賊の類の出現を警戒していたが、あまりその心配はいらない様子だ。
「無事に終わらせないとな」
マティアスの呟きを拾った団員が振り向く。
「今のとこ賊はいねぇようだって話。次はどれを運べばいい?」
読み書きが苦手な彼は、リストの確認をしている団員に次の指示を求めた。
アルザラ1号が停泊しているリモス島の海岸では、搬入準備を整えていたアウロラ・メルクリアスとユリアス・ローレンが、まずリストの内容が揃っているかの確認から始めた。
そして、確認が取れたものから船に積み込まれていった。
「テント、柵用の木材……あるね。氷の大地なんて、聞くだけで物資の補充は見込めなさそうだから、積み込み漏れがないようにしないと。そっちはどう?」
「こちらも全部揃ってました」
別の積み荷の確認をしていたユリアスから返事が来た。
「食料品や医療品の他に頼んでおいた防寒具と薪に焚火台も。これで少しでも寒さを防げるといいですね」
敵は魔物や歪んだ魔力だけではない。
もしかしたら、寒さによる凍傷や低体温症等の体調不良が最大の敵かもしれないのだ。
「全部終わったら、もう一回確認しておこうね」
積み込みには団員が操るゴーレムも使われ、だいぶ早くに終わらせることかできた。
日暮れ前、どちらの船にも物資の積み込みが終わったとの報告に、ジスレーヌはやっと緊張感から解放されたのだった。
第2章 燃える島の作戦
歪んだ魔力が渦巻く燃える島――。
魔力を集めていた存在がなくなり、その魔力は拡散され、或いは集まり魔物を産みだし続けているだろう。
宮殿にある魔力塔から発せられている皇帝の魔力により、本土側はある程度守られていると思われていた。
小型魔導船に乗った数十人の調査団員たちは、いよいよ燃える島の本土側岸壁へと錨を下ろした。
「本土からの距離と、海岸からのアクセスのことを考えると……ここがいいかと思います。どうでしょうか?」
カーレ・ペロナは地図を広げ、島の一部を指さしている。取り囲んで、皆が地図に目をやっている。
「水源のある平地も、作戦には好都合かもしれませんよ」
ルティア・ダズンフラワーが指を差したのは、船の到着した地点よりは少し内陸に入った地点。地下からお湯が吹き出している地点で、ここであれば、確かに淡水の確保は難しくないかもしれない。
「それなら、こっち側に展開しましょう」
それ以上の異論が出なかったため、彼らはルティアが提案した池のほとりの一部に調査拠点を築くことにした。
ナイト・ゲイルはログハウスの材料となる木材を積み下ろしながら、宮殿にチェリア・ハルベルトの様子を伺いに行った時のことを思い出していた。彼女が失踪したということは、当初はごく一部の人間にしか知らされていなかった事実であったらしい。彼も直接は聞かされなかったが、宮殿で飛び交っていた風の噂で耳にした。今や多くの人がそのことを知っている。
ナイトは島の奥へと目をやった。ここのどこかに、彼女は隠れているのだろうか。思わず立ち止まりそうになる足を前へと進めた。
エルゼリオ・レイノーラは船から木材と建築道具を下ろしながら、キャロル・バーンと話している。
「グレアム団長ってチェリア隊長のお兄さんなんでしょ?」
「ええ」
「……何とか助けてあげたいね」
キャロルは工具を地面に置くと、深いため息を一つ。それから島の奥を見つめ、ぼつりとつぶやいた。
「――グレアムさん、貴方は、今何処にいるのですか……?」
つられてエルゼリオも彼女の視線を追う。火の収まった燃える島。木々はほとんどなく、荒涼とした風景だけが広がっている。
「1人でまた、すべてを背負おうとしているのですね……私では支えになることはできないの……?」
彼はキャロルの肩を優しく叩いた。
「大丈夫。グレアム団長は、きっとすぐ帰ってくるよ」
根拠のない慰めだったが、今はそう言ってやるのが一番いいような気がしたのだ。
「……グレアムさんは、自分ばかりを責めています……いつも……」
だが、キャロルは肩を落とすばかりだった。
「自己犠牲ばかり考えないで……」
それぞれの思いを胸に、ログハウス風の小屋をくみ上げていく調査団員。人手不足もあいまって簡素なものにはなってしまったが、それでも一度に20人くらいまでは寝泊まり出来そうである。
「あとは、ここに梁をかけて……」
アレクセイ・アイヒマンが天井を見上げて指を差す。その先、空の上からエルゼリオが下りてきた。
「このあたりに魔物はまだ来ていないみたいだね。実体も見えなかったし、気配も感じられなかったよ」
その言葉にカーレはうなずいて、「それなら早く組み上げたほうがいいかもね」と言った。
8割ほど出来上がったログハウスの外で、リィンフィア・ラストールが警戒を続けている。上空からの警戒があったとしても、突然何かが起こる可能性は否定できない。何せここは、『あの』燃える島なのである。どんな魔物が出るか分かったものではない。
「……緊張しているな」
キージェ・イングラムがリィンフィアの隣に立っている。
「ジェイこそ」
手に力が入る。キージェも彼女と同じように、この先に襲撃される可能性を考えていたのだ。何せ、海岸縁とはいえ、これほどの人数でログハウス建設をやっているのだ。潜入というには大胆すぎる。
「それじゃあ、ここに1つ目の結界を」
振り返ると、カーレがロスティン・マイカンに指示を出していた。
「結界を張るための魔法具は、ログハウスを取り囲むように4点。そしてログハウスの中に補強用の1点を置きます。ロスティンさんは、結界が安定するまで、外側の1点を支えてください」
「任せとけ」
やや気だるそうにロスティンは言ったが、これでもやる気に満ちている。結界を張るのに必要な魔力はかなりのものが要求される。逆に言えば、ここで頑張らないと、結界が完成せずに作戦は失敗に終わるのだ。
カーレは歩いていって、また別の調査団員に同様の指示を出している。ログハウス自体はまだ完成していないようだが、天井部分も徐々に組み上がってきている様子がわかる。
その時だった。
「……! おいおい、勘弁してくれよ……!」
ロスティンの額にじわりといやな汗が滲む。この気配を、彼は知っていた。以前ロスティンを襲った、あの魔力だ。彼は腹に力を込めてめいっぱい叫んだ。
「――敵襲ッ! 来るぞォォッ!」
「何ッ……!?」
外側に警戒を向けるリィンフィアとキージェ。だが、まだ敵の姿は目視できない。
「……何もいないが」
「いや、こっちに向かっている……間違いない……!」
ロスティンが小刻みに震えている。動揺からか、彼の魔力が振れる。
「……分かりました。何があってもあなたを守り切ります……安心して、結界に注力を」
2人は剣を抜き、警戒を強めた。
ロスティンの声を聞いて、ログハウスを作っていたアレクセイも外に出てきた。だが、ログハウスを囲うように出来つつある結界と、その外側の平和そうな光景に、思わず拍子抜けしてしまう。
「敵襲って、ホント?」
だが、ロスティンの背中を見た彼は、考えを改める。
「……ログハウス作り、続きをお願いします」
そう言うと、ロスティンに近付き「どっちから来ますか」と聞いた。
ロスティンは顔を上げず、まっすぐ島の中心部を指差した。遠くから、猛烈なスピードでこちらに向かって飛行してくる黒い影の塊が見えた。
「しばらく振りに暴れていいんだろ?」
片方の口角だけを上げたリンダ・キューブリックが、ヘビーメイスを手に取り軽々と持ち上げて結界の外へと飛び出していく。そして黒い影の先頭をメイスで一撃叩き割る。
「ははァァッ!! コレだよコレッ! 戦闘こそ自分の存在意義ッ!」
今度は横に振り抜く。直撃して数体が霧散したが、多くは蜘蛛の子を散らしたように回避して、リンダを包み込むように襲う。だが彼女はそれを難なく振り払い、次から次へと敵を葬っていった。
「戦場こそ、我が故郷――! 来い……全力で蹴散らしてやる……!」
リンダの先制攻撃によって、拠点付近への敵襲には少しばかりの時間的余裕が出来た。さらに、敵の様子も観察できた。
「あれは……コウモリ……?」
タチヤナ・アイヒマンは結界を守るように前に出て、剣を握っている。こちらから見えるのは、洞窟などに棲息しているコウモリによく似た集団なのだ。だが、リンダの物理攻撃で霧散したそれは、別の場所でまた数を減らして出現しているようにも見える。
「エネルギー体なんだ……物理ダメージは入りにくい……」
彼女の横で、アレクセイが同じように戦闘の様子を見守っている。
「……ターニャは敵への物理攻撃と魔法剣で歪んだ魔力をはじき出すサポートを」
「オッケー……兄様、頑張ろうね。グレアム団長のために」
「ああ……チェリア様のために」
アレクセイは微笑んだ。今ここで焦ってはいけない。島の奥にいるかもしれないチェリアを探しに行っては、自身が魔力に飲み込まれてしまうかもしれないのだから。
リンダが弾き飛ばしたコウモリたちの一部が、いよいよ結界に迫ってくる。リィンフィアは風の刃でコウモリを縦に切り裂いていく。やはり魔法のほうが効果は大きいのか、ある程度は復活してしまうようだが、その数は明らかに減っている。
「ッ……!」
ばしゅっ、と鈍い音がした。見ると、気弾で倒し損ねた1体が彼女の腕を切り裂いていたのだ。真っ黒な瘴気がその傷口に群がっていく。
そこにすかさず、キージェが魔法剣を振るう。
「おらッ!」
重たい感触とともに靄が晴れる。この気は、これまでと同じように体の中へと入りこんで来ようとするものだ。取り込まれれば、きっと正気を失ってしまうに違いない。
ルティアは2人に駆け寄る。
「お怪我は?」
リィンフィアが腕を差し出す。ルティアはそこに綺麗な水を染み込ませたガーゼを当て、応急処置をする。
「これできっと大丈夫だとは思いますが、念のため瘴気には気を付けて……もしその傷口に入り込もうとしてくるようでしたら、結界の内側まで下がってください」
「ありがとうございます」
リィンフィアは微笑んで一礼した後、再びコウモリたちに目をやった。ルティアも剣を構え、先陣を見る。
リンダはジリジリと押されながらも、コウモリの一団たちをひとまず叩き切ったようだった。戦闘狂のなせる業だろうか、見事に傷は1つもない。その代わり、蹴散らしたコウモリたちは一点突破ではなく波状に自陣に襲い掛かることになった。今度は後ろから追撃をかけようとしたとき、ふと向こうに人影が見えた。
「あれは……」
その陰に先に気付いたのは、リンダのサポートのために前線へと向かっていたタチヤナとナイト、彼女たちのケアのためにと飛び出していたルティアだった。
「グレアム様……!」
「チェリア隊長……?」
それは、対峙するグレアム・ハルベルトとチェリアの姿であった。2人はこちらの様子には気付いたようだが、近付いてくる気配はない。遠くで立ち止まり、じっと様子を伺っているようにも見えた。
ルティアは声を掛けたい衝動にかられたが、じっと息を呑み、彼の姿を見つめる。そして心の中で小さくつぶやいた。『皆で支えます』と。そっと一礼する。
タチヤナは彼の纏う雰囲気が異様であることを察知した。それを気取ったのか、グレアムとチェリアはゆっくりと歩き出した。彼らの行く手には、いつの間にか出現していた中型船。小型魔導船からは少し離れたところに停泊しているそれに悠々と乗り込んでいく。船には、別の人影――黒髪の少女の姿もあるようだ。
タチヤナは、つい後を追おうと一歩踏み出した。だが、このまま踏み込んだとしても、自分一人では彼らを取り戻すことはできない。悔しいが、機が整ったときに皆で行動したほうがいい。
「……私達は、一人じゃない……」
彼らの乗った船を見送りながら、タチヤナは拳を握り固めた。
第3章 氷の大地に向けて
リモスを出航し、船旅が安定したある日のこと。
セルジオ・ラーゲルレーヴは船倉にレイニと共に向かいながら、ある相談をしていた。
「水の魔力をこめた水は、歪んだ魔力の影響を弱める効果があるそうです。そこで、現地で魔力をこめた水を凍らせた氷壁を作ったらどうかなと思いまして。ただ、効果は一日くらいなので毎日続けることになりますが」
「魔法のことはよくわからないけれど、やってみる価値はありそうね。試しながら、水に魔力を込めてもらえるかしら? 鳥の魔物なんかが来て、万が一負傷した時にも役立つでしょうし。でも、加減はしてね。あなたの力はここで使い果たしていいものではないから」
「ええ、その辺は考えてやっていくつもりです」
船倉の鍵を開けたレイニに続いて中に入ると、大量の水樽が一画を占めていた。
「すごい量ですが、命には替えられませんからね……」
セルジオはさっそく作業を始めた。
レイニが手が空いている人を呼ぶ。
回復魔法が得意な人も来てくれて、セルジオは彼らに助けられながら根気よく続けていった。
さらに日は過ぎて、そろそろ氷の大地が見えてもいい頃、流氷接近の知らせが入り船内は急に慌ただしくなった。
見張り役に加わっていたヴォルク・ガムザトハノフが、それを一番に見つけた。
「あそこだ!」
ヴォルクが大声を上げて指さす方向に目を凝らし、他の見張りも流氷を確認した。
「待ってろよ……必ずお前を無事に送り届けるからな」
ヴォルクは、後に続いて来ているだろう箱船に乗っているダチ公を思った。
そして──
「……へっくしょい!」
盛大なくしゃみをして、ブルッと震えた。
ヴォルクは船を襲う気配があればそれを真っ先に感知しようとして、超薄着になって五感を研ぎ澄ましていたのである。
「──さて、どうやら見える範囲に魔物はいないな。変な魔力も感じない」
魔王はくしゃみなどしない、とばかりに背筋を伸ばすヴォルク。
そして、アルザラ1号は氷の大地に接岸した。
第4章 氷の大地の作戦
アルザラ1号の船室内には、簡単な医療施設が作られていた。
「室内のほうが歪んだ魔力の影響を受けにくいかもしれません。医務室をいくつか準備しましょう」
タウラス・ルワールの提案でその作戦が実施され、簡素なベッドが2床、応急措置ができるアイテム、仮に人手が足りなくなった時の手引書などが用意された。
負傷兵を船近くまで引きずることができるということで、全員の腰にロープを巻くことも提案したが、「ここから少し歩いて内陸に入ったところにベースキャンプを設ける」という都合上、こちらは却下された。
あとは、現場に入る医療隊と連携しながら、負傷兵を送ってもらうことになる。
「どれだけ怪我しても構いませんが、歪んだ魔力だけは、しっかり弾いておいてくださいね」
タウラスの冗談に少しだけ場が温かい空気になったが、すぐに氷の大地によって重たく冷やされてしまった。
外に降り立ったコタロウ・サンフィールドは、凍り付いた大地を見て白い息を吐いていた。
事前に打ち合わせていた内容は、
1、拠点構築作業はなるべく早く完了させること
2、寒さから体力消耗が激しくなるので、可能な限り回復役を設けること
3、本船と連携を取りつつ、疲弊要員は早めに船へと戻ること
4、トラブルの際は本船と連携して対処すること
この4点であった。コタロウは作業指揮として設営地点を確定させることなどを主な目的としていた。
「大丈夫でしょうかね」
コタロウは薄っすらと降る雪の中、ついてくる隊列を見ていた。
「大丈夫だろ」
リベル・オウスは医薬品の確認をしながら、後ろをついていく。
「大丈夫でなきゃ困る。信じよう」
彼の言葉に、コタロウは「そうですね」と言って前を向いた。
フィラ・タイラーは隊列の中央付近を歩きながら、ぎゅっと身を縮めた。
彼女がここへ来た理由は、燃える島で出会ったフィーという少女……。あれを最後に、どこに行ったのか一切手掛かりが得られないのだ。それどころか、フィラは彼女の素性もほとんどよく知らない。唯一分かっていることは、水属性の魔法を使えたということ。それでこの氷の大地へとやって来たわけだが……。
「……会えるのかしら」
思っていたよりも、あまりに過酷な環境。まるで、人の住んでいられるとは思えない極寒の地だ。
ふと、遠くから何か雄たけびのようなものが聞こえ、フィラは身構え立ち止まる。
「っだっ……どうしたの~?」
フィラにぶつかったトゥーニャ・ルムナは首を傾げ笑っている。だが、彼女の耳にも2回目の咆哮が聞こえる。隊列全体が立ち止まり、おそらくやってくるであろう敵襲に身構えた。
「ぼく、あたりに空気の壁を作って風を遮ってみてたんだけど……その内側に入り込んできたみたいだね~」
のんきそうに言っているが、彼女の表情はかたく、いかにも臨戦態勢と言った雰囲気を出している。
「危ないッ!」
リベルの声が聞こえ、トゥーニャは意識をそちらへと向ける。見ると、オオカミのようなものと……人間……いや、人間のような大きさの二足歩行生物だが、その姿からは理性などないことは明らかに見て取れる。皮膚の一部から骨が飛び出し、肉は醜悪な腐敗色を呈していた。
「任せなッ!」
後ろから飛び出し、一気にオオカミに切りかかる俊足の女がいた。彼女は見る間に敵を片付ける。だが、人間だったであろう異形の生物相手には、思わず手が止まってしまった。
「躊躇うなッ!!」
誰かの怒号が飛び、鋭い剣が人間だった物体の体を貫いた。鈍い咆哮がわずかの間響いて、それから一気に静寂が訪れた。
「……完全に魔物化してしまったら最後。どんな人間であっても、元に戻すことはできない。救いは……殺してやることだけだ」
「……もしかしたら、話が通じる相手だったかも」
トゥーニャは彼に向ってつぶやく。だが彼は悲しい顔で首を横に振った。
「魔物とは意思疎通を図ることはできない。それがたとえ元、人間であったとしても」
トゥーニャは、少しだけ期待していた。この寒い土地にも、もしかしたら知性をもった、自分たちと同じように脅威に怯えているだけの人間がいるかもしれないということを。だが、空気の壁に吹き付けている冷たい外気が、それはあり得ないことだと訴えてくる。
男は剣を引き抜くと、あたりの新雪を人間だった化け物にかけてやる。以前処理が不十分だった死骸から歪んだ魔力が街中に氾濫した経緯から、魔物化した生物は元人間であっても現場処理、つまり本国には帰還させられないというルールが定められていたのだ。
「……それより、アンタ強いな。スヴェルでは見ない顔だが」
握手を求められた彼女は、顔を隠すように「いや、礼には及ばない」と言って隊列の中に戻る。彼女の正体は、指名手配中のバルバロ。偽名を使って、この部隊に参加していたのだ。魔力を増すために、魔石の欠片を服用して来ている。
隊列は雪で出来た簡素な墓に黙とうを捧げ、再び歩き出す。
「……このあたりでいいんじゃないかな」
コタロウが立ち止まったのは、船が着いた場所から歩いて10分ほどの距離にある、見晴らしのいい高台であった。振り返ると、直線的に移動できていなかったのか、意外と近くにアルザラ1号が見える。高台、と言ってもほんの少し回りよりも景色がいいというだけで、丘のように立派な防衛拠点にできるかは不明だ。
「それじゃ、さっそく建てていくでござるよー」
ジン・ゲッショウたちが引いていたソリの上には、丸太が数本ずつ乗っている。雪上輸送は通常の陸運よりもずっと楽だが、とはいえ重労働、ジンの額にはうっすら汗の玉が浮いている。
ベースキャンプの組み立てを行いながら、各自が持ち場について警戒に当たっている。トゥーニャは回復薬で体力を維持し、空気の壁で警戒を怠らない。クラムジー・カープはマルティア・ランツが掲げている魔石の欠片を見ている。
「何をしているんですか?」
「これで、魔物を引き付けられないかと思いまして」
彼女の言っているのは、リモスで魔法鉱石を囮にした話だろう。
「先に魔物を引き付けてさえしまえば、拠点作りには影響が出ませんし、先制攻撃も可能かもしれません」
「んー……仮にその魔力に魔物が寄ってきたとしましょう。それって、とっても危険じゃないですか?」
「大丈夫ですよ」
「大丈夫じゃないですよ? 私、魔物と敵対できるだけの力も魔力もありませんし……」
「それなら私がお守りしましょう」
クラムジーは困惑した。もし彼女の言う通りに魔物が来ればベースキャンプ設営までの時間稼ぎにはなる。けれど、まず本当にそんなこと出来るのだろうか? それに、万が一来たとして、追い払ったり退治したりするだけの余力があるのだろうか。彼はマルティアの顔を見た。ニッコリと微笑んだ彼女の顔。思わず目をそらす。そんな顔されたら、あなたの気持ちを拒めないに決まっているのに、なんで見てしまったのか……。
「敵襲でござるッ!」
だが、思いもかけないところから魔物は現れた。残念ながら、魔力の欠片には魔物を引き付けるほどの効果はなかったようだ。マルティアが飛び出すように掛け声のほうへ。慌ててクラムジーも薬をもって移動する。
先んじて対応に入っていたヴィーダ・ナ・パリドは、襲撃してきた魔物の水分を抜こうと試みる。だが、傷を負っていない状態の生物から水を絞り出すことは容易ではない。特に離れた距離からでは、口や粘膜の一部からわずかな範囲の水を少し変動させられるくらいで、動きを止めるほどの効果は期待できないようだ。
「直接触れないと無理か……!」
ヴィーダは舌打ちをして、ジンを見た。彼はヴィーダの考えに気が付いたのか軽くうなずくと、遠距離からの火炎攻撃で敵を追い払う。だが、倒す、というよりは追い払う、に近い。
「ぐっ……コイツ……!」
ジンは火炎を放ちながら敵を遠ざけている。何匹かはうまく蹴散らすことができたが、徐々に間合いを詰められていた。物資に当たらないようにするのはもちろんのこと、大地に当たって雪を溶かしてしまっては、ベースキャンプの足場が崩れかねない。結果、彼の火炎はうまく機能せず、懐に飛び込まれてしまったのだ。魔獣に組み敷かれたジン。だが、ヴィーダが魔獣の背中に触れ、その水分を抜いてやった。一度に大量に抜けるわけではなく、大量の汗をかいたようなに、じわじわと脱水が起きていく。突然のことに驚いて跳ね回る魔獣はジンに爪でガリッと傷を付けた。
「いだッ……こやつぅ……!」
魔獣はそのまま逃げようと暴れたが、急激に襲った脱水でふらついて、そのまま倒れて動かなくなった。
ジンの血がうっすらと滲んだ傷口に、うようよと歪んだ魔力が集まってくる。
「おらッ!」
バルバロが地の魔力で思い切り瘴気を蹴散らし――ついで誰にも見えないように、ボディに1発お見舞いした。
「おぶっ……!?」
不意を突かれたジンは何が起こったかわからず、その場にうずくまって困惑の表情を浮かべた。間近でその光景を見てしまったヴィーダは、つい「あっ」と小さく漏らしたが、正体不明の彼女がにらみつけてきたため、それ以上何も言わなかった。リベルはジンに近付き、切り傷用の絆創膏と、打撲用の塗り薬を渡す。
「あ、ありがとう、でござる……?」
ジンは混乱しながらもそれを受け取り、少しずつ出来上がってきているベースキャンプへとリベルに連れられて一時的に退避した。
ベースキャンプの内側は外よりもさらに少し暖かく、仲間たちが設営を内側から行っている様子が見えた。トゥーニャはジンに栄養ドリンクを渡す。
「かたじけないでござる」
「ん~、気を付けてね~。でも、もう敵さんは来ないみたい……良かった良かった~」
彼女は安堵し、なおも空気の壁に意識を注ぐ。
ドリンクを飲んで、ジンはまた外の様子を見た。確かに、まだ全員警戒は続けているが、さっきのように魔獣が現れている様子はない。
リベルは瘴気を感じながら、さらにベースキャンプの奥へと歩いて行った。魔力が低いものがこの地でどれくらいの影響を受けるのか、という、自分の体を使った人体実験だ。キャンプ地から少し離れたくらいであれば、「少し疲れる程度」だが……。これ以上先に進むとどうなるか分からない。回復薬はあるが、攻撃を受けた者の回復のために取っておくべきだろう。これ以上先に進むと、どうなるかは怪しかった。
「……あれは……?」
ふと、リベルは向こう側に氷の壁を見つける。それは明らかに天然にできたものではなく、もっと人工的な何かに見えた。彼は念のためその様子を記録する。後で提出するための資料にするのだ。
完成したベースキャンプは、セルジオ提案の魔力を込めた氷の壁で覆われた。
効果の程はまだよく分からないが、今後も余力のある時に水の魔法を込める作業を行っていく予定だった。
その後、アルザラ1号に帰投した第一次探検隊は、多少の軽傷者を出したものの、全員ほぼ無傷と言ってもいいほどの成果を上げ帰還することとなった。ベースキャンプには、多数の物資と数名の人間を残している。タウラスはほとんど治療の必要がない乗組員たちの状況を見て「大げさに準備しすぎたでしょうか」と安堵の表情を浮かべた。
アルザラ1号は、まもなく本島へと帰還する。
●目標達成度
燃える島の海岸に結界を張る【成功】
魔力暴走地に到着し、ベースキャンプを設営する【大成功】
●スタッフより
【川岸満里亜】
構成を担当しました川岸です。
今回いただきましたフリーアクションについては、描写の対象となるアクションがありませんでした。
ゾーンシナリオ形式でしたのなら、是非描かせていただきたい大切なご行動でした。ありがとうございます。
オープニングのコメントに書きましたが、ワールド後編第2回の参加者募集は3月下旬を予定しております。ゾーンシナリオ後編第2回アクション締切後となります。
各ゾーンシナリオの影響を受けますので、皆様のゾーンシナリオでのご行動に期待いたしております。
ちなみに、ワールド後編第2回は恐らくグレアム戦となります。
燃える島では調査。本土では、情報を持ち寄った対策会議が始まると思われます。
尚、アルザラ1号は行き来しますため、後編第1回で氷の大地に行かなかった方も、後編第2回で氷の大地に向かう事が可能です。
リモスのシナリオで別の船に乗った方は、本土に帰還が出来ないため、氷の大地での行動に限定されます。
それでは次回もどうぞよろしくお願いいたします。
【冷泉みのり】
こんにちは。リアクションの一部を担当しました冷泉です。
後編第1回へのご参加ありがとうございました!
最後までお付き合いいただけましたら嬉しく思います。
次回もどうぞよろしくお願いします。
【東谷駿吾】
今回は、燃える島、氷の大地のベース設営、戦闘シーンを中心に担当させていただきました。
いよいよ後半が始まったカナロ・ペレアですが、この先の展開、私も一切聞いていないのでかなりドキドキです。
皆さんの手で、それぞれの目的が達成できることを祈っています……次回もよろしくお願いします!
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