ワールドシナリオ前編

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『深淵の眼差し かげろうの蒼』第3回

第1章 ナイフ
 人質となっていた漁師達と交換で海賊に囚われていた騎士二人が、今度は水と交換で戻されてきた──。
 海岸警備をしていた騎士からこのことが伝えられると、副団長はすぐにいくつもの樽に水を用意させた。
 海賊が乗ってきた小船に全部は積めないので、もう一人の騎士が乗る小船と二回に分けられることになった。
 騎士達が水の入った樽の半分を海賊に渡すと、約束通り一人目としてアレクセイ・アイヒマンが返された。
「ご苦労だった」
 副団長が労うと、
「いえ、私は何もしていません」
 と、アレクセイは謙虚に答えた。
 迎えに来ていた妹のタチヤナ・アイヒマンと幼馴染のヴィスナー・マリートヴァに付き添われて、彼はひとまず自宅で休むことになった。
 アレクセイの背を見送った海賊が、へへっと笑う。
「そんじゃ、俺がここを離れてから、もう一人を受け取りに来いよ」
 海賊はそう言い残し、水を積んだ小船を漕ぎ出した。
 騎士達は、忌々しそうに海賊を睨んでいた。
 その海賊を乗せた小船が充分離れた頃、もう一艘が近づいてきた。
 ジェザ・ラ・ヴィッシュが乗る小船だ。
 まだ殴られた跡が残っているが、それ以上の暴行は受けていない。
 彼もまた、アレクセイと同様の手順で返された。
「ご苦労だったな。すぐに手当てをさせよう」
「副団長……聞いてください」
「ん?」
「──おお、麗しの姫よ! このジェザ・ラ・ヴィッシュが、今こそこの傲慢なる敵を打ち砕いてみせよう!」
 突如、ジェザは謳うように声を張り上げると、高々とナイフを振りかざした。
 彼の目は、明らかに正気を失っていた。
「何を血迷ってるか、馬鹿者がッ!」
 隙だらけの動きのジェザを、副団長は容赦なく張り倒した。
「ぐはぁっ」
 と、地に転がった彼にさらに追い打ちをかける。
「海賊の女にたぶらかされたか!? そんな暇があったら、奴らの弱みの一つでももぎ取って来い! 貴様の身分とその顔で、逆にたぶらかしてこんか!」
 副団長はさんざんにジェザを蹴りつけた後、帰りかけていた海賊を大声で呼びつけた。
「おい、海賊! やり直しだ! こいつを連れ帰って、もう一度交換に来い!」
「……はぁ?」
 わけのわからない要求に思わず足を止めた海賊。
 彼は副団長の合図で動いた騎士達に、あっさり拘束されたのだった。
 それから副団長は気絶しているジェザを冷ややかに見下ろした後、次の命令を出した。
「おい、この馬鹿を手当てしてやれ。それと、そこのお前──」
 一人にはジェザの手当てを、もう一人には別の命を出した。
 二人はすぐに行動に移った。

 


 自宅で休んだアレクセイはタチヤナとヴィスナーを伴い、皇帝に報告をするため宮廷に上った。
 皇帝は広間にて、重臣達と共に集まって来る情報の整理をしていた。その周りを、チェリア・ハルベルトを含む近衛騎士が警備している。
 案内の騎士により広間へ通されるアレクセイ達。
 入る直前にヴィスナーは「ちゅ う い」と口パクでタチヤナに気を付けるよう伝えた。
 敬礼をする三人に、皇帝が労いの言葉をかけた。
「ご苦労だった。アレクセイは無事で何よりだ」
「恐れ入ります。実は、陛下に直接お見せしたいものがあって参上いたしました」
「なんだ?」
 そう言った皇帝に、アレクセイは駆け寄る。
 皇帝の前でありえない行動だが、タチヤナとヴィスナーはどこかで彼に異変が起こる予感があった。
 最初に気づいたのはタチヤナで、こっそりその懸念をヴィスナーに告げていた。
 そしてそれは、皇帝に対しナイフで切りかかるという凶行となって現れた。
 タチヤナは素早くアレクセイの前に立ちふさがり、ナイフごと兄の手を止めた。
 刃が手のひらに食い込み鋭い痛みに顔を歪めるも、タチヤナは握る力を緩めることはしなかった。
「兄様、どうしたの!? しっかりして……! 目を覚まして!」
 体を盾にして押さえ込む。
 傷口からあふれた血がアレクセイの手も濡らした時、一瞬彼の力が緩んだ。
 タチヤナから目配せを受けたヴィスナーは、素早くアレクセイの腕を引いて振り向かせると、彼の口を自らの口で塞いだ。
 虚を突かれ、アレクセイの動きが止まる。
 正気に戻らないまま彼が暴れ出さないように、ヴィスナーはもう片方の手でアレクセイの後頭部を固定して、丁寧で濃厚なキスを続けた。
 作戦を知っているタチヤナはわりと冷静でいられたが、他の人達はそうはいかなかった。
「破廉恥な!」
 と顔を真っ赤にした重臣の一人が叫んだ直後、アレクセイは糸が切れたようにくずおれた。
「あ、あぁ……っ」
 奥底に沈められていた意識が浮上してきたアレクセイは、ポタポタと血だまりを作り続けるタチヤナの手の傷に、ひどくショックを受けて顔を真っ青にした。
 かと思うと、ハッとして自分の服の袖を裂いて止血を始める。
「すまない……すまない、ターニャ……。ヴィス、ありがとう……俺を呼び起こしてくれて」
 血の気を失った唇で、謝罪と礼を繰り返すアレクセイ。
 言葉遣いが素に戻っていることにも気づいていない。
 罪悪感に苛まれる彼を、少しでも楽にさせようとタチヤナは気丈に言った。
「気にしないで。私は平気」
 ヴィスナーも明るく笑って続く。
「初キスは救助活動だった」
 強張っていたアレクセイの表情が、少しだけ緩んだ。
 それから彼は、皇帝の前を血で穢したことのお詫びと妹の手当てを懇願した。
 すぐにチェリアが駆け寄り、地の魔法をかける。
 礼を言いながらも、アレクセイは自身の不甲斐なさに、チェリアの顔を見ることができなかった。
「陛下……私は、海賊のボスの愛人の手で操られていたと思われます。とはいえ……何と言うことを……」
「わかっている」
 うなだれるアレクセイにかけられた皇帝の声はあたたかだった。
「多方面からそのような報告を受けている」
 皇帝はゆっくりとアレクセイに歩み寄り、彼の前で膝を着く。そして、下を向いたままの彼の頭に触れて、念じるように目を閉じた。
 すると、アレクセイの中にまだ残っていた最後の靄がスゥッと晴れていった。
「ボスの愛人とは、どのような人物であった?」
 皇帝の問いかけに、アレクセイは覚えていることをすべて話した。
「……そうか。その女性は、皇家の血を引く者だ。すまなかったな。付き添いの二人も大儀であった」
 三人は皇帝に深く礼をした。
「まあ……覚醒させた手段はともかくな」
 硬くなった空気を崩したのは、チェリアのこの一言だった。

 宮廷の医務室で眠るジェザの術も解除された。
 少しして目が覚めた彼は、身体の節々が痛み顔を歪める。
「む……海賊共か? おのれ、人質への礼儀も知らぬ愚か者共め。次に会ったらその根性を叩き直してくれる!」
 真実を知らないジェザは、一人熱く闘志を燃やしていた。

第2章 ゴーレム製作現場
 宮殿の開発室でここ何回か話し合われたゴーレムは、すでに製作の初期段階が始まっていた。
 広い製作現場に案内されたフィラ・タイラー達は、端にある製作台の上にあるゴーレムの模型を見ていた。
 模型は、左半分が骨組みのままで右半分が完成体だ。全体的にずんぐりしたフォルムだ。
「このように、骨組みは木製で本体は粘土を使用する。外殻は要所に鉄を使って補強するつもりだ。肝心のコアとなる魔法具は、胴体の中心に設置する」
 研究者の説明に、フィラが手を挙げて質問した。
「足がないですけど、どうやって移動するの?」
 ゴーレムは薄い台座に乗った形で、人間の足にあたるものがない。
「魔法具は腕部の関節など複数個所に埋め込まれ、コアと繋がっている。移動も下部に魔法具を仕込み、地面からわずかに浮いて行う。高さはないが、魔法で飛ぶような感じをイメージしてくれ」
 それから、と研究者は黒い幕で囲まれた一画を指さす。
「あそこで試作一号を作っている。見せてあげよう」
 研究者に続いて幕の内側へ入ると、たくさんの人が働いていた。
 真ん中に、腕部だけが完成に近づいた試作一号があった。
 高さは3mほどだろうか。
(一体作るのにこんな人がたくさん……これじゃ量産は無理ね。でも……)
 フィラの目がひらめきに輝く。
「あの、増産はできませんか? 例えば、部品とかを帝国平民へ発注できるようになれば、雇用も生まれますよね。この試作機を元に、さらなる構造の簡略化と規格の統一をしませんか!?」
「なるほど。お前さん、平凡な見た目のわりになかなか良いところを突くな」
「平凡……いえ、いいですけど」
「あまりこの技術を広めることはできないが、こちらが出す条件を飲んでくれる技術者がいれば、協力を仰ぎたいな。うむ、考えてみよう」
 そのまま考え込んでしまいそうな研究者の意識を、リサ・アルマが現実に引き戻す。
「それで、これはいつ完成するんだ?」
「あと二ヶ月といったとこだな。来月あたりには、この試作一号を試しに動かしてみるつもりだ」
「……そう」
 もどかしさを、リサはどうにか飲み込んだ。
 研究者はそんな彼女の心境を慮るように言った。
「待たせてしまってすまないね。しかし、半端なものを作って暴走させるわけにはいかんのだ。確実に仕事をこなして、お前さん方の役に立ってもらわんと」
「せめて、何か手伝えることはござらんか? 少しでも捗れば良いでござる」
 ジン・ゲッショウが明るい口調で話しに加わる。
「拙者、火の扱いには少々覚えがあるでござる。熟練の職人殿には敵わぬが、温度の管理や維持の手助けくらいはできるでござる」
「火か。それならパーツのスコップを作るのに力を貸してくれるか?」
「承知。微力ながら、力添えさせていただこう」
 研究者はジンを、鉄加工を行っている区画へ連れて行った。近づくにつれ、ムワッとした熱気が漂ってくる。
「班長、助っ人だ。火を扱えるそうだ」
 汗だくの顔を上げたのは、ジンとあまり年齢が変わらないような男性だった。
「身元はしっかりしてんだろうな!?」
 声の大きな男だった。
「スヴェルの者だ。安心しろ」
「ならいい! おぅ、よろしくな! さっそくだが、そこでフラついてんのと変わってくれ! そんで温度を一定に保つのを手伝ってくれ!」
 こうしてジンは、この日の夕方まで鉄加工に勤しんだ。
「試作一号のデータから改良を重ねて、最良のものを作る。きっとこの国の役に立ってくれるはずだ。意見があれば、これからも遠慮せずに言ってくれ」
 研究者はフィラとリサに言った後、信念のある目で製作中の試作機を見上げた。

第3章 漁師たちの救出作戦
 元漁師たちは一様に口を曲げ、腕を組んだまま立ち尽くしている。
「そこをなんとか!」
 彼らに頭を下げているのは、リュネ・モルだ。
「何度来たって変わらねえよ」
「戦闘後に海に投げ出される人々を救えるのは、海に詳しい皆さんしかいないのです! なんとか、お願いします!」
 ここで彼が説得に当たっている元漁師は、前回作戦に非協力的だった者たちばかりだ。そして、それらの数は全体の七割以上を占めている。
「手前からも、どうかお願いできませんでしょうか」
 リュネの横で、眉をへの字に傾けて手を揉んでいるのは、リキュール・ラミル。元漁師にしてみれば、大事な商売相手でもあった男だけに、無下には断りづらい雰囲気が出ている。
「海戦での漂流者を救出するボランティアに貢献していただければ、手前どもからも、漁業再開への根回しをさせていただきたいと考えています」
「しかし……」
「皆さんが諸々の兼ね合いから、表立って海賊と対立しづらいという事情があることは、よく分かります。この前は、それを考えもせずにお願いして、大変申し訳ありませんでした」
 ただ、とリュネは顔を上げる。元漁師たちの瞳の奥を、じっと見る。
「『みかじめ』を払っていたにもかかわらず、漁が出来ていない方もいらっしゃるとか」
「それは」
「とんだ契約不履行があったものですね」
 リキュールは、柔らかい笑みを浮かべて、リュネに重ねるようにして畳みかける。
「もし皆様がご協力くだされば、心付けばかりではございますが、手前どもから差し上げられればと」
「……それってつまり、金……」
「それ以上はいけません。あくまでも皆様の参加はボランティアですから」
 リキュールはふと近づいて、最も反対していそうな男の耳元で、小さく何かを囁いた。
「――ったくよぉ、しょうがねえなあ」
 薄っすら頬を赤らめながら、元漁師がため息をつく。
「その提案はありがたいが、そっちよりも漁の再開が大切だ。くれるっつうなら受け取らねえとは言わねえが」
「決まり、ですね」
 にこりと2人が笑った。
「立てよ漁民! ジーク――」
 リュネの鼓舞は、元漁師たちの気合の雄叫びに掻き消された。

第4章 海岸にて
 マシュー・ラムズギルは、スラムの薄汚れた地面の上に腰を下ろした。通りには、糸を紡いでいた若い男女がいる。することもなく、ただ胡坐をかいている老人がいる。マシューが山ほど宿題を与えた子どもたちがいる。痩せこけて足元をふらつかせている犬がいる。彼らの生活は、この道の上にある。
「お話、少しだけいいですか」
 マシューの声に、喧騒が、少しばかり止んだ。
「私は、海賊もスラムも無い世の中にしたいと思っています。その気持ちに、嘘や偽りはありません。そのためなら、ここに骨を埋める覚悟でいます」
 マシューの日頃の行いを見ているスラムの住人たちは、それでもまだ懐疑的なようだ。彼らに深く刻み込まれた「貴族」と「貧民」という出自の差は、一朝一夕で覆せるものではないのかもしれない。
「私は」
 誰かが、声を上げた。若い女性の声だった。
「昔よく遊んでいた友達の何人かが、海賊になりました。彼らが起こした事件のせいで、ここの生活は、更に悪くなっています。怒鳴ってやりたいけれど、私も、肩身が狭い」
 声が詰まる。
「……私には、あなたを含めた、ここの皆さんの助けが必要なのです」
 マシューは深々と頭を下げた。
「どうか、ご自分を責めないで。悪いのは、あなたではありませんから」
 彼はそう言うと立ち上がる。べっとりと汚れのついたズボンを、払おうともせず、スラム街を後にした。
 海岸の傷付いた罠やバリケードを、片付けるためだ。

 リィンフィア・ラストールは、前回捕獲していた海獣の生態を調査していた。
「特に、個体として変わった様子はありません」
 学者が首を傾げる。
「間違って、普通のものを捕まえてしまったのでは?」
「そんなことは無いと思いますが……」
 自信はないが、少なくともあの戦闘のときには大暴れしていたうちの一頭だ。
「もしこれが魔物化した海の生き物であるとするならば、通常の個体と同様、真水や空気中では生きられません。頭を落とせば即死ですが、それ以外で致命傷を与えるには、それなりの手数と破壊力が必要です」
「なぜ魔物化したのかも分かりませんか?」
「残念ながら、これだけでは何とも……お力になれず、すみません」
「いえ、ありがとうございます」
 彼女は深々と頭を下げた。だが、内心、わずかに焦りを覚えていた。
 学者の言う通り、見た目には普通の海獣と違いがない。だが、その性格だけが凶暴さを増していたのだ。
 念のため、教会に寄って、聖水をもらって行こう。魔のものと対峙しなくてはならないのだから。彼女は口を結んで、街を歩いていく。

 先日見つけた、あの魔物化した海獣が出てきた洞窟の入り口付近をチェックしている人影は、全部で3つある。リィンフィアと、ユリアス・ローレン、そしてカーレ・ペロナ
「海水が……」
 ユリアスはその入り口を、じっと目を凝らしてみている。干潮時を狙って来てみたが、わずかに入り口らしき部分が頭を出しているだけで、その奥は暗くてよく見えない。水を操る力を持ったものがいないため、それ以上そこから水を抜くことは難しいようだ。
「どうしましょうか?」
 カーレの顔を見るユリアス。カーレは、「うーん」と小さくうなった。それから、「仕方ありませんね」とだけ言う。
「見れるところだけ、しっかりと観察しましょう。それとも、ちょっと潜ってみます?」
「いつ魔物が襲ってくるかも分からない洞窟にですか!?」
 普段は穏やかなユリアスも、その提案には思わず目を丸くした。
「冗談ですよ。いくら囚人相手だとしても、そんな無茶なことはさせられません。ご安心ください」
 カーレがほほ笑むと、ユリアスは心底安心した表情で、胸を撫で下ろした。
 3人はそれぞれ、時々潮水を被りながら、出来る限り近付いて洞窟の入り口を観察している。自然に出来たというには奇妙な形をしているが、人が作ったとしたらあまりに自然に見える。
 遠くで、リンダ・キューブリックの「なんで海賊を残らず皆殺しにしちゃいけないんだ! 復讐は我等の使命だ!」という咆哮と、それに「余りにも野蛮だからですわ!」と大声で注意するコルネリア・クレメンティの声が聞こえる。海岸では、海獣への殺意が高まっている。

第5章 傷病人達に備えて
 崖上の野戦病院では、これから始まる鎮圧作戦によって出るだろう怪我人達に向けて、受け入れ準備が行われていた。
 その中でも、海賊が投降してきた場合、彼らが抱えているだろう問題に対処するために、タウラス・ルワールの案でローズヒップの果肉でジャムが作られていた。他にも乾燥ローズヒップが用意されており、これは水出しハーブティとして利用する。
「おい、こんなもんでいいのか?」
 料理の腕は滅んでいると自覚のあるタウラスに頼みで、代わりに鍋の前に立っているアルファルド
 グツグツと煮立つ鍋の中身をヘラでかき回している。
 呼ばれたタウラスは、鍋の中を見て「いいですね」と頷く。
「まったく、年寄りをこんな暑苦しい場所に立たせるもんじゃないぜ……」
「実はもう少し作ってほしいのですが、その前に一休みしてください。よかったらジャムの味見をお願いしたいのですが」
「かまわねぇが……海賊達は素直に口に入れてくれるかねぇ」
 長期間船の上で暮らしていた海賊達の中には、壊血病に罹っている者も少なくないだろうとタウラスは考えていた。
 ローズヒップティやジャムは、バランスの崩れた体調を整えるためのものだ。
 しかし、そういう知識がないだろう海賊達は、色や香りがついた水を警戒するかもれない。
「パンケーキに添えるジャムだと言えば……」
「水出しのほうも、連れて来られて疲れてるとこに出されたら、何も考えずに飲むかもね」
 と、看護兵が会話に加わる。
 それから少しして、アルファルドは再びジャム作りを開始した。
 その頃ローデリト・ウェールは、引き続きテント内の怪我人達の様子を見て回っていた。
 手当てを続けていたかいがあり、傷の状態はだいぶ良くなってきている。
 そんな中、包帯を取り換えながらこんな会話をしていた。
「──お水ないから水魔法使える人がいるんだろーなー。でも水魔法を確保したら今度は風魔法じゃないかなー。船が速くなりそーだし。火や地はあんまいらなさそーだけど、なんでだろー。特に地は拠点となる島作れそーだけど。もうそういうヒトいたりして。……その辺どうー?」
「さあ、どうだろうな。魔法のこととかよくわかんねぇけど、船を動かすのも島を作るのも、すげぇ魔力がないと無理なんじゃねぇか? けど、海で風を受けて走る船は気持ちいいぜ」
 海賊船に乗っていた頃を思い出したのか、彼は気持ち良さそうな顔をした。
「力こそセーギに見えるけど……捕虜になった皆、そのボスの人は強いって思うのかな」
 ローデリトは、そんなことをぽつりと思った。

第6章 箱船出航
 波間に揺れる海賊船。真水は枯渇直前。魚以外の食糧も時間の問題だ。船員たちの間では原因不明の死に至る出血病――それは船上の殺人鬼とも呼ばれる壊血病であったが、彼らはその原因について正確なところを知らない――が蔓延しはじめている。様々な問題を抱えながらも、海賊たちは帝国の出方を伺っていた。
「ボス! 船が来た!」
「ようやく来たか」
 慌てる船員に、海賊のボスは、極めて冷静を装ってそれだけ言って立ち上がった。

 人質の押し込められた部屋は、前回の交換交渉を経て手広になっていた。残っているのは、トゥーニャ・ルムナメリッサ・ガードナーの2人だけだ。船窓には、見覚えのある箱船の姿があった。
「トゥーニャちゃん……トゥーニャちゃん!」
 メリッサの2度目の呼びかけで、彼女は振り向いた。しばし、懐かしいその姿に、目を奪われていた。仲間が助けに来たのだ。
「隙をついて脱出しない? 魔法で一緒に飛んで欲しいの」
「そうだね」
 いつになく真剣な表情のトゥーニャ。その作戦が失敗した時のことを考えてしまったのか、表情が硬くなる。
「大丈夫。体力回復なら任せて」
 彼女が優しく微笑みかけると、トゥーニャもそれに応じるように、小さくうなずいた。
「拘束、緩めておいてあげるね。箱船がもっと近づいたら、その時に逃げよう」
「邪魔するぜー」
 ドン、と乱暴にバルバロが扉を開ける。「あっ」と、3人の視線が交錯した。メリッサは、ちょうどトゥーニャの拘束を緩めている最中。トゥーニャは、2人の表情の変化をつぶさに見つめていた。バルバロは、そのまま黙って扉を閉め、部屋の中に入ってくる。
「あっ、これは、その……」
 バルバロはそれには答えず、扉のすぐそばの壁に体を預けて、窓の外を見た。
「船、来たな」
「うん……あ、あのね、バルバロちゃん!」
 バルバロから、はぁ、と小さなため息が漏れた。
「何も言うなよ。私は何も見てねえんだ」
「ごめん……怒られたら、敵情視察とかごまかして!」
「だから、私は何も知らないって。何も見てない。何も聞いてない」
 バルバロはそのまま、また扉のほうへと歩き出し、ひらひらと手を振った。
 それから、バルバロは仲間たちに、言った。
「万が一の時には、私が残って奴らを引き付ける。皆は物資持って、他の船に移れ」

 箱船は、いよいよ海賊船に近付いた。
 ……箱船は戦いなんて、想定してないんだけどなぁ。
 コタロウ・サンフィールドは内心でそうぼやいていた。だが、ここまで出てきてしまったものはしょうがない。あとはいかに箱船を防衛するか、その方法を考えなくてはならない。
「これ以上は近付かないほうがいいでしょう。2人を回収したら、潜航するなどして一旦退避するべきです」
 マーガレット・ヘイルシャムは強くそう主張した。
「帝国船が投降勧告を行う時に、非武装の箱船ではただ危険にさらされるだけです。帝国船の後方に控えていれば、それで十分」
「俺もそれに賛成。箱船を危険にさらす必要はないからね」
 コタロウはそれに同意して、強く首を縦に振った。
「潜水機能を維持するためにも、航行機関には水のバリアーを展開して、徹底的に守る。最悪でも、航行機関さえ無事なら、なんとか改修は出来るから」
「この箱船の喪失は、マテオ・テーペに残る人たちの死を意味します。それは――ルース姫も、望まれていないはず」
 その名前に、コタロウの顔が、きゅっと引き締まった。
「理解してもらえますわよね?」
「もちろん」
 彼は続けて、念のため、と言った。
「海賊の乗り込みにも警戒したい。この船は」
 船内を見回す。よく見知った顔がいくつもある。ここに、ない顔もある。
「絶対に傷付けさせない」

 箱船に付属していた補助用の小舟に乗り込んでいるのは、ロスティン・マイカンクラムジー・カープアウロラ・メルクリアスの3人だ。
「あなたも、人質にするわけにはいかない」
 小舟の上で、クラムジーはロスティンを見つめていた。ロスティンの水の魔力をもってすれば、雨を降らせるくらいのことは充分に出来る。だが、メリッサとトゥーニャの2人と引き換えにロスティンを送り込めば、海賊側の優位は増すばかり。
「それに、箱船をこれ以上の危険にさらすことは、マテオの誰もが望んでいません」
「……分かったよ」
 クラムジーの強い目に押されて、ロスティンは首を縦に振った。
「それじゃあ、『人質の姿を見せろ』『解放しろ』『水の魔術師は帝国に任せてある』。これで行くからな」
 ロスティンのことばに2人は首肯した。
 小舟はやがて、海賊船に声が届く距離まで近付いた。海賊船の甲板には、数人の海賊の姿がある。ロスティンは大きく声を張り上げた。
「まずは人質2人の無事を確認させてもらう! 駄目なら、2人は既に殺されたものと見なす!」
「はァ?」
 海賊が、歯を剥いて威嚇する。
「水の魔術師が先だ!」
「前回の交渉で解放されるはずだったマテオの2人が、まだ人質の扱いを受けていると聞いたぞ。交渉の続きなら、人質解放からだ」
「状況が変わったんだから、交渉内容も変わる! とにかく、水の魔術師が先だ!」
 クラムジーが声を上げる。
「ここでの交渉決裂は、双方にとって不利益しかありません。私たちは仲間を失い、あなたたちは水を失う。私たちマテオ出身者も、帝国には逆らえない立場です。しかし、耐えています。いつか、マテオ・テーペの全員を救い出すために」
 彼の言葉に、ロスティンとアウロラの顔が締まる。
「『今』を生き延びて、未来に希望をつなぎましょう」
 彼の言葉に、海賊は少しばかり狼狽えた。
「交渉が終わったあと、もし投降するというのなら、怪我や病気の手当ても、こちらには用意があります」
 手当て、という言葉が聞こえたのか、奥から数人の海賊が顔を覗かせてきた。
「トゥーニャちゃんたちを解放して! 皇帝は『マテオの人質のためにこれ以上の犠牲を払えない』って言ったらしいんだ。もう、その2人には人質の価値がないんだよ。2人を助けに来たのは、私たちの願いで」
 声が詰まる。
「お願い」
 アウロラが下唇を噛む。硬軟織り交ぜた説得。さらにアウロラの感情を揺さぶる声。海賊たちは、互いの顔を見合わせ始めた。自分たちが交渉の優に立っていると思っていた。それなのに、どうして。動揺が広がる。
「交渉が長引けば、帝国が攻撃してくる。早く、2人を!」
「――っだよ! しょうがねえ!」
 苛立ちがピークに達したのか、海賊の1人が、船の奥に引っ込んで、すぐに戻ってきた。縄を解かれているメリッサと、まだ後ろ手に縛られているトゥーニャの姿がある。
「これでいいんだろ、これで! オラっ、次は水魔術師だ!」
「先に2人を解放しろ。前回の交渉の完了から。それが筋だ」
 ロスティンの言葉に、海賊は露骨に嫌そうな顔をした。だが、海賊も水の魔術師は何としても手に入れなくてはいけない。

「――遅い」
 苛立ちを募らせているのは、箱船に乗っていたヴォルク・ガムザトハノフだった。「待っていろ」と言われて箱船でお留守番となっていたが、彼の我慢できる時間は、そう長くはなかった。
「……直接、乗り込む!」
 彼はそういうと、誰かが「待て」という声を振り払って、豪速の風魔法『魔狼咆哮』で海賊船に向かって飛翔していく。
「あっ、砲撃か……いや……ん?」
 海賊たちは目を白黒させて、その少年が高速でこちらに向かっている様を見た。
 ヴォルクはそのままマストにいた見張り役を蹴り落とす。
「はっはっはァ! 我こそは魔王ッッ! 救いなき世に覇を唱える存在であるッ!」
 突然の出来事に、唖然とする海賊たち。だが、メリッサとトゥーニャは、ヴォルクの小さな目配せに気付いた。
「ヴォルクくん……?」
 彼が何を意図してこの船にやって来たのかが分かっただけに、メリッサは、それ以上声をあげられなかった。
「共に覇道を征くか、それとも――」
「敵襲ッッ! 敵襲ゥゥッ!!!」
「ぐっ……決め台詞くらい全て言わせるのが世の情けというものではないのか! 本当に救いがない!」
 マストの上に向かって、小型投石機で攻撃が入る。不意打ちに近い形で攻撃を受けたヴォルクは、後頭部に一発もらってしまい、そのまま気を失って甲板に落ちる。
「今だよっ! しっかり捕まっててね~っ!!」
 トゥーニャは緩んでいた縄を解き、メリッサをしっかり抱きとめた。
「あっ、ダメっ、ヴォルクくんがっ!」
「大丈夫、大丈夫だから!」
 本当にそうだろうか。それは、トゥーニャにも分からなかった。だが、ヴォルクが自らの意思でそこまでしたことに対して、最大限の敬意を払う必要があったのだ。
「ヴォルクくんっっッ!!」
 高速で吹き抜ける風の音に紛れて、メリッサの声はかき消された。

「マズいことになっちゃった……」
 小舟に乗っていた3人からも、声と態度で、あの少年がヴォルクであることははっきり認識できていた。アウロラは、2人にだけ聞こえるように、「どうしよう」と言った。だが、2人とも、その事態は予測していない。「んん」と小さく、難しい声を上げた。
「おぉい!」
 海賊船から怒号が聞こえる。
「このガキはお前らの仲間かぁ!?」
 見ると、そこには縄で縛られたヴォルクの姿がある。気を失っているようだが、縄で縛られているところを見るに、どうやら命に別状はないらしい。
「ったくふざけた真似してくれてよォ……海賊ナメてんのか? お?」
 彼はポケットからナイフを取り出した。
「水魔術師を送れ! 早くだ、さっさとしろ! そうしねえと、この小僧の指、1本ずつ落として魚のエサにしてやる!」
「ダメっ、そんなことはやめて……!」
「だったら水魔術師だ! 交渉じゃねえ、これは命令だ!」
 アウロラは顔を青くし、言葉を失った。せっかく仲間を助けに来たのに、このままでは、彼が……。
「……水の魔術師を連れてくるためにも、一度本船に戻らせてください。帝国との連携も必要です。それまでは、お待ちいただけますか」
「さっさとしろッ!」
 クラムジーの機転で、小舟は、行きとまったく同じ3人で、箱船へと戻ることとなった。

 箱船では、マティアス・リングホルムが、メリッサとトゥーニャの介抱をしていた。幸い、2人とも大きな怪我はないようだ。少しばかり衰弱しているようだが、劣悪そうな海賊船の環境では、元気なほうだと言っていい。
「帝国には、マテオ民には人質としての利用価値なし、と判断されたらしい。『マテオの民のために、これ以上帝国臣民の犠牲は払えない』だとよ。まあ、口だけかも知れねえが」
「さっき、ちょっとだけ聞いたよ~」
 トゥーニャは、弱々しく応える。だが、メリッサは小さく丸まって、震えていた。
「大丈夫か? どこか痛むとか……」
「ヴォルクくんが……」
「ああ」
 当然、箱船から飛び出していったのだから、マティアスもそのことを知っている。だが、その先がどうなったのかは知らない。2人だけで帰ってきているということは、もしかしたら海賊船に入れ替わりで人質になったのかもしれないとは、何となく想像していた。
「大丈夫だって、きっと」
 そう言うのが精いっぱいだ。箱船にとって幸いなことは、今のところ、海賊からは攻撃の対象としては見なされていなさそうだというところ。あとは、ヴォルク1人をどううまく回収するか、そして、どのように攻撃の対象にならないようにするかが焦点だ。
「壊血病患者がいたときのために貰ったもんがある。念のために、食っておけ」
 リベル・オウスは2人に、タウラスから譲り受けていたジャムと、それを掬うための小さな匙を差し出した。だが、2人ともそれに手を伸ばそうとはしない。よほど彼のことが衝撃だったのだろう。
 リベルは2人の顔をそれぞれじっと見て、小さくため息をつく。ただ何も言わずに、彼女たちの目の前にジャムと匙を置き、その場から少しだけ離れた。

 やがて、海賊との交渉に行っていた3人の小舟が、箱船に帰り着く。
「大変! 大変だよっ!」
 ヴォルクが、人質になった。
 そのニュースは瞬間的に箱船へと広がる。
「指を……そんなむごい……」
 マルティア・ランツは、アウロラが話した情報を聞いて青ざめた。もちろん、指を落としたとしても、治療を適切に行えば、命に別状はないだろう。だが、ヴォルクはまだ若い。その少年にそれほどの重い枷を与えることは、彼女には到底賛成できなかった。
「ですが、水の魔術師を引き渡すわけにはいきません。交渉をこれ以上こじらせることは出来ない」
 マーガレットは渋い顔をした。メリッサはうろたえ、目が泳いでいる。
「ヴォルクくんは……」
「自業自得とも言えます。私たちは彼に警告しましたし、作戦の規律を乱して突撃したわけですから」
「このまま放ってはおけないよ!」
 アウロラも声を上げる。
「こちらから水の魔術師を送れば、帝国はもうマテオの民を味方とは見てくれないでしょう。第三極勢力になってしまいます。そうなればマテオへ帰ることも絶望的になるかもしれない」
「それでも彼のことは見捨てられません! 私達は仲間を見捨てない、そう決めたはずです!」
 マルティアは険しい顔で、力いっぱい主張する。
「でも、それじゃあどうすれば――」
 箱船は、大いに荒れた。議論が行き交う。メリッサやマルティア、アウロラだけではない。皆、ヴォルクのことは救いたい。だが、今この場で水魔術師を渡すということは、結果的にマテオの誰かを人質として残すことにもなる。
「……帝国の船に、救出を依頼する」
「それは不可能だ。彼らは私たちをよく思っていない」
「じゃあ、ほかにどうしたらいい? 水の魔術師を引き渡すのは、絶対にダメだ。それだけは出来ない!」
 複雑な気持ちに挟まれているうち――大きく、箱船が揺れた。
「!! 敵襲っ……!?」
 その言葉を聞いて、マルティアはすぐに表に飛び出し、煙幕を張った。ひとまず、これで相手からこちらの詳細な位置は分からなくなったはずだ。ステラ・ティフォーネも飛び出し、煙幕を突き破って飛んでくる可能性がある砲弾、あるいは何らかの魔法攻撃に備える。静けさが、気味悪い緊張感を生む。涼しいのに、鈍い脂汗が流れる。
 ドゴッ……。
 船が、小さく揺れる。
「なんだ……? 攻撃されて……」
 近くに砲弾が落ちたような、あるいは大波のときのような。規模は小さいが、確かに敵襲らしいと感じる。では、どこに……。
 ドゴッ……ゴンッ、ゴン! ドォンッ!!
「……! 海中からだ!」
 ヴォルクを残して逃げるわけにはいかない。だが、これ以上ここで攻撃を受け続けるのも……。
 そのときだった。
「あっ……!」
 後方の水平線の向こうに、何かが見えた。
「……帝国船……!」

第7章 鎮圧作戦
 帝国の小型魔導船は箱船のすぐそばまで前進してきた。マストの先に、副団長の顔が見える。
「ちょっと行ってくるね~」
 トゥーニャは風を身にまとうと、ばっ、と飛び上がり、そのまま彼女は一気に帝国船へと乗り込んだ。

「……来たか」
 副団長は、トゥーニャの前にどっしりと構えて、彼女をにらみつけた。騎士団員でありながら反逆的な行為をした疑いが掛かっている。副団長は警戒を解こうとはしない。
「海賊は、もしかしたら自分の船ごと沈めるかもしれないってさ~」
「自分の船を沈めようとする船長がいるか? そんなことをして何になる」
「帝国に、それくらい強い怒りがあるみたいだね~」
 副団長は、彼女の口ぶりから情報の数が多そうだということを察すると、メモを取り出した。
「交渉で嵐を起こしたのは……」
「ぼくだよ~。潜んでいた海獣から、少しでも遠ざけようと思って」
「それならば、難を逃れた団員から、そのような報告が届いてもおかしくない。私は、そうは聞いていないぞ」
 帝国船の上は、剣こそ抜いていないものの、一触即発といった空気になりつつあった。先に、ふっ、と息を吐いたのは、副団長だった。
「まあいい。原因や処遇については後だ。もう1人の人質も救出できたのだろう」
「まあね~。……あ、でも……1人、こっちの想定外の出来事で、捕まっちゃった」
「救出は」
「箱船にはムリだね~」
 はあ、と彼は肩を落とす。
「何とか助けられるように頑張ってはみる。だが、過度な期待はするな。帝国騎士団としては最善を尽くすが、あくまでも皇帝の命に従い、帝国臣民の命を優先する。お前らがもしも帝国の友であるならば、最善の行動でそれを示せ」
「もちろんそのつもり~」
 バルバロが彼女らにやって見せたように、トゥーニャもまた、手をひらひらとさせて、船から降りようとした。
「あっ、そうだ。ボスと、その愛人の見た目を教えてあげるよ~。これは一緒に捕まってた人から聞いた話なんだけどね~――」
 トゥーニャがそう言うと、副団長はまた急いでポケットからメモを取りだし、一歩彼女へ近付いた。

 トゥーニャが箱船へと戻ったのを見届けて、副団長が大声を張り上げる。
「総員、位置に付け!」
 彼の号令で、ざっ、と足並みがそろう。
「先ほどトゥーニャ・ルムナから聴収した内容も含め、作戦を最終確認するッ!」
 内容は、以下の通りであった。
 一、海獣による真下からの攻撃に留意すること。
 一、海賊が船を自沈させる可能性があるため、本船は極力海上から接近しない。
 一、騎士各員が突入後も、船外に自力脱出できる位置に必ず留まり、深追いはしないこと。
 さらに、セルジオ・ラーゲルレーヴから伝達されている船内情報が再確認された。
「これは」
 副団長はわずかに息を詰まらせたが、すぐにそれを呑み込んで続ける。
「団長への弔いでもある」
 誰も、返事はしない。ただ、その言葉の重みを噛みしめている。
「これ以上、騎士団員から犠牲は出さないこと。一兵たりとも死なずに、全員帰還すること……良いなッ!」
「はいっ!」
 帝国の魔導船が、いよいよ海賊船への交渉のため浮遊をはじめた。

「海賊諸君に告ぐ。無駄な抵抗はやめ、大人しく降伏せよ」
 帝国船の拡声器から、降伏勧告が流される。
「帝国は、諸君らがこれ以上継戦することは不可能だと考えている。食糧、水、物資、いずれも底を付くのは時間の問題である。繰り返す、無駄な抵抗はやめ、降伏せよ」
「……んだよ、うるせーな。パンケーキはどーしたんだよ、オイ」
 エンリケ・エストラーダは、誰にも聞こえないような小さな声で、悪態をついた。そして、甲板の上で大きく手を振ると、絶叫した。
「何を言ってるか聞こえねーんだーッ! もうちょっと近付けねえかーッ!?」
 帝国船にも、その声は響く。だが、彼らが使っているのは拡声器だ。地声が届いて拡声器が届かないはずがない。
「気をつけろ、罠かもしれない」
「そうでしょうね」
 キージェ・イングラムは副団長に軽く頭を下げる。
「ですが、もし降伏の意思があるなら、救いはある。小舟を一艘出して、それに乗るか、様子を見ましょう」
 彼の言葉に、副団長もうなずいた。
 無人の小舟が、ゆっくりと海賊船に近付いていく。あわせて、魔導船が少しだけ高度を落とす。キージェが再び、拡声器から大声を発した。
「先ほど伝えたのは降伏勧告だ。帝国は、もはや海賊に継戦するだけの力は残っていないと考えている。今降伏すれば牢獄送りで済む。皇帝陛下の御心で、命だけは助かるかもしれない。降伏するのであれば、すべての武器を捨て、その舟に乗れ。本船収容後、捕虜として扱わせてもらう」
 聞こえないはずはない距離。キージェは帝国船から様子をじっと伺っていた。
 海賊船の上では、この小舟が物議を醸している。
「チッ、こざかしいマネしやがって」
 近付け、と言ったら帝国船が来ると思った。そうすれば、エンリケの魔法の射程圏内だ。だが、来たのは無人の小舟。しかも「降伏のための舟」などと抜かしている。帝国だってマヌケじゃない。あの船にはかなりの数の戦闘要員がいるはずだ。武器をすべて捨てて乗り込んだとして、騎士たちをぶっ殺せるだけの魔法が使えるのは、俺くらい……。
「クソッ」
 帝国の船を睨みつける。お互いの顔がわからないほどの距離で、キージェとエンリケが対峙している。
「お前ら」
 エンリケの声が、低くなる。
「乗るか、この小せえ舟に。あの抑圧された生活に戻るか。それとも、覚悟決めて、ここに残るか。俺はお前らがどうしようが、文句は言わねえ」
 海賊は誰一人、微動だにしなかった。
「……そうか。そうか、そうか」
 満足そうに何度も言って、それからエンリケは力強く笑った。
「それじゃあ、派手にやろうぜェ」

 海の奥から、ドゴドゴドゴ、と異常な振動が発生する瞬間。水の振動を検知していたキャロル・バーンは、それを見逃さなかった。いつものおっとりとした口調が、焦りからか、少しばかり早くなっている。
「海獣来ます! 3時の方向から1体!」
 キャロルの声に合わせて、甲板の上を隊列が移動していく。見ると、遠くの方に白波が立っている。海獣が来ているのだ。
「水弾魚雷、発射します!」
 意識を集中させて――大きな水の塊が、彼女のイメージ通りに射出される。水圧で、弾が通った後ろに引き波が出来る。
 着弾まで、3、2、1……。
 ドォォッ、と大きな音が、帝国船の右側から聞こえる。そして、浮遊している船にまでかからんとするほどの高い水しぶきが上がった。
「まだまだァ!」
 エンリケの絶叫が、海原に響き渡る。

「残念だね」
 ヴィオラ・ブラックウェルは、寂しそうに言った。
「誰も、降伏しないみたい」
「そうか」
 ヴィオラの言葉に、キージェはゆっくりと小舟を引き上げる。同時に、魔導船も安全確保のため、わずかばかり上昇していく。
「この舟も丸焦げにしてやんぜェ!」
 エンリケが小舟に向かって火を放とうとする。ヴィオラはすかさず海上に風弾を叩きつけて潮水を撒き散らし、その炎を消し去る。ヴィオラが削った海面の下に、白い影がある。
「小舟の下にも小さめの海獣が1体!」
 海中から、水鉄砲のような水弾が、小舟に向けて撃ち込まれる。その水の塊に風弾をぶつけて、ヴィオラは海賊船の甲板をにらみつけた。
「……交渉決裂、だな」
 誰からともなく、剣を構える音が聞こえた。

「ボス! 大変だ! 帝国船が空を飛んで来た!」
 海賊船では、ようやくこの一大事がボスのもとへと報告される。
「飛んで……?」
 イメージが湧かないのか、彼は海賊の顔をじっとりと見つめた。
「多分、風の魔法か何かだ!」
「撃ち落とせばいい」
「海獣に襲わせようとしても先に気付かれちまった! エンリケの炎も、射程圏外で」
「言い訳は必要ないッ! 何としても落として沈めろ! 絶対に船に侵入させるな!」
「あ、お、おう!」
 怒号を受けた海賊は、急いで甲板に戻ると、今言われた内容すべてをすべて伝える。
「……投石器と海獣だ。近付いてきたら、焼き殺す」
 エンリケの言葉に震えながら、海賊たちは急いで投石機を用意する。
 だが、もう投げられるものにも限りがある。食糧の空き箱。水を入れていた瓶。壊れた扉の残骸。それと……仲間の死骸。
 エンリケはニヤリと笑って見せた。怯えているのか、それとも、命を賭した戦いに震えているのか。彼は拳を固めると、雄叫びを挙げた。

 いよいよ帝国の魔導船が、海賊船へと近付いていく。船をまるごと焼き落そうとするエンリケの攻撃を、帝国船は繰り返し妨害する。水弾で海獣を弾き飛ばし、風弾で炎撃を吹き消す。エンリケは優位な位置まで近づくために、小回りの利く自分の船で海上から攻撃を繰り広げていた。だが、帝国側は戦力総数で圧倒している。徹底して守り抜いて、いよいよ海賊船に、騎士団員たちが飛び移った。
 甲板の上は、殺気の渦に満ち溢れていた。
「この野郎……!」
 エルゼリオ・レイノーラは武器を持って近付いてきた海賊をちらりと見て、すぐさま強烈な突風を巻き起こす。投げ込まれたものも、武器も、海賊たち自身でさえも。彼の風は、「敵」と思われるものは容赦なく海へと弾き飛ばした。
 甲板にいたバルバロは、柱の陰に身を隠しながら移動し、そこから大声を出した。
「てめェら帝国の犬になんて相手になんないね! こっちだ!」
 わざと姿を現し、騎士たちの耳目を引く。それを確認して身を翻し、船の奥のほうへと駆け抜けていく。
「おい、待てッ……!」
「追うな、深追い無用の指示が出ているだろ」
 騎士たちは再び甲板の上の戦況に意識を向けた。
 エルゼリオの生み出した風の威力は海賊たちにとって余りに驚異的だ。エルゼリオの風は、強烈な空気の圧力を生み出して、操舵室の外壁をメキメキとへし折り、文字通り大きな風穴を開けた。
 操舵室は、当初帝国軍が想像していた通り、多くの海賊たちが籠城している場所であった。
「団長の――仇ッ!」
 ぽっかりと空いた大きな口からルティア・ダズンフラワーが侵入し、一気に短剣で海賊たちを撫で斬りにしていく。
「くそッ……ガキがどうなってもいいのかよっ!」
 大声を上げた海賊。その腕の中には、ヴォルクがいた。
 ……海賊を捕縛、あるいは殺害するという目的のためには、無視してもいいかもしれません。ですが、団長だったら、こんなとき、どうするでしょうか?
 ルティアはヴォルクを縛り上げている操舵士をじっと睨んだまま、沈黙を守った。
「ハッハぁ! やっぱり人質ってのはどんな奴でも取っておくべきだな!」
 海賊の1人がニヤニヤしながらルティアに近付くと、肩口に一撃、殴打を加える。
「美人さんだからよォ、顔はやめといてやるぜ」
 そう言って、腹にももう一撃。
「ッ――!」
 痛みに顔がゆがむ。ふと、操舵士を見る。
 ……なんて間抜けな笑顔で笑っているのかしら……。
 ルティアの指先が、ぴくりと動いた。瞬間、ナイフが操舵士の眉間に鋭く突き刺さり、情けない悲鳴と共にヴォルクが解放される。
「あっ、やっ、やっちまえ――」
 海賊たちの号令の前に、ルティアの斬撃が、彼らの体を切り刻んだ。
 ルティアはふらつく足でしっかりと立つと、ヴォルクを肩に抱えて、自船に向かって歩き始めた。

 ウィリアムナイト・ゲイルは、さらにその奥の船室を目指している。その後ろから、エルゼリオがサポートする。攻撃を仕掛けてくる海賊たちを、ウィリアムはナイフの投擲で、ナイトは拳で、エルゼリオは魔法で、それぞれ蹴散らしていく。お互いに目配せしながら、警戒の解けない時間が続く。
「あそこか……!」
 海賊たちの護りが厚い場所。あの部屋に首領が――。
 目星をつけ接近した途端。その部屋が、文字通り『大爆発』した。バンッ、と激しく船室の壁に体をぶつける。表情が歪む。エルゼリオは比較的軽症だが、魔法耐性の低いウィリアムとナイトは立ち上がれない。騎士団から貸与された魔法耐性のあるマントのお蔭で、致命傷は免れた。
 周りには、数人の海賊の死体が転がっている。……これは、彼らが倒したものではない。
「お前が……」
 魔法による爆発的な圧力が収まった後も、1人の男の周りの空間が歪んで見える。エルゼリオがこめかみに手を当て、苦しそうに息を吐く。
「なんて、禍々しい……」
「たっ、助けてください! 海賊に攫われて」
 男のすぐそばから女がエルゼリオに駆け寄ろうとする。
「く……っ」
 被害者を装っているが、操られてる可能性、何か仕掛けられる可能性がある!
 ナイトは渾身の力で床を蹴り、女を殴って気絶させ、共に崩れ落ちる。
 その女は、副団長から聞いていた「ボスの愛人」の特徴にそっくりだった。つまり、そこにいるアレが、ボス。

 男の周りを取り巻いていた濃緑の海藻が、シュンッ、と素早く3人をとらえようとする。エルゼリオが、風の刃で海藻を切り裂きボスまでの道を作っていく。

 マテオ側も血を流さなければ、信頼は得られない――。
 唇を強く噛み、一筋、血を流しながら意志の力でウィリアムは立ち上がる。
 強く剣を握り、男に突進する。迫る海藻をエルゼリオが魔法で切り落とす。
「キィェェェェェーーー!!」
 奇声をあげ、男はウィリアムに剣を突きだす。
 構わずウィリアムは男の首に剣を叩きつける!
 首落ち、鮮血が乱舞する。
 血に染まった海藻が、動きを失った。その直後。
 船がぐらりと揺れた。

 ボスの魔力が潰えた直後。
「焦んなよ……パーティはこれからだぜ!」
 バルバロが大声をあげて、船底に斧を叩き込む。一撃ではビクともしない海賊船。だが、その衝撃は、海の中にいる彼らの仲間を呼び起こすための合図だ。
 バギッ、と鈍い音がして、大きく船が揺れた。

「撤収します!」
 血だまりとなったボスの部屋に、セルジオが駆け込んできた。
「魔物の攻撃により船が損傷しました。僕が海水を食い止めます、早く!」
 ウィリアムの腹に刺さったままの剣を、エルゼリオが引き抜き投げ捨てる。
 よろけながら、ナイトは気を失っている女を担ぎ上げた。
 辛うじて意識のあるウィリアムに、エルゼリオが肩を貸す。
「頑張って。死なせるわけにはいかない……!」
 力を振り絞って追い風を起こし、魔導船へと急ぐ。
 セルジオは全身に意識を集中すると、沈みゆく船と魔力で対峙し始めた。

 帝国の魔導船に引き上げられているのは、数人の海賊の捕虜、傷付いた騎士団員、そして、ヴォルク。投降命令に応じずに、燃える島の方角へ逃げて行ったものもいるらしい。また、まだ小舟や魔導船に乗せきれず、元漁師たちが緊急的に救い出した海賊たちもいる。今は、逃げた海賊たちを追いかけて拿捕するだけの余力はない。
「海獣、反応ありません。完全にいなくなった模様です」
 その報告を受けて、もう敵勢力はいないと判断した副団長は、はあ、と大きく深い息を吐いた。
 キージェは次々と味方や捕虜たちを帝国船へと引き上げさせて、意識のあるものとないもの、味方と敵に振り分けていく。
「お前は?」
「海賊だよ」
「海賊なのはわかっている。名前は?」
 キージェは詳細な名簿や記録を作成するために、意識のあるものの名前を確認している。
 海賊や味方騎士団員の中で意識のあるものに、シャオ・ジーランは次々と料理を振舞っていく。
「みんなお疲れ様、まずは美味しいもの食べて、元気になりましょ!」
 壊血病寸前だった海賊たちの前に、温かいスープと、新鮮な野菜をふんだんに使ったサラダが供されていく。
「ホントはまだお縄頂戴してない皆にあげちゃダメなんだけどね……でも、食べないと」
 シャオはいたずらっぽく微笑むと、「どんどん食べるネ」と微笑んだ。海賊たちは、礼を言うやら、スープをこぼすやら、サラダは皿まで舐めておかわりを要求するやら。
「もう反乱はダメよ、守れるならおかわりOKアル!」
 流石は、帝国貴族たちの胃袋を掴む料理人の腕前である。あれ程猛り狂っていた海賊たちが、まるで子猫のように大人しくなっていた。

 遠くに海賊船が沈んでいくのを見ながら、箱船では、せっせと漂流者の回収が続いていた。トゥーニャが帝国船から持ち帰った情報は「マテオ民が友好的な人物であると判断できるよう、自主的な行動を求める」というものだった。
 それに従って、箱船の乗組員一同は、元々帝国臣民である海賊のうち、魔導船に乗れずに漂流してきたものを救助していたのだ。
 リベルは先ほど2人に渡したのと同じジャムを海賊に少量ずつ与える。壊血病寸前だった海賊たちは、まるで獰猛な獣のようにそれにむしゃぶりついて、深い嘆息を吐いている。
「大丈夫かな……」
 降伏したわけではない海賊たち。彼らをこの箱船に引き上げることにコタロウは一抹の不安を感じていた。だが、彼らには無数の目が配られている。もし少しでも変な動きをすれば、すぐに対処できるだろう。
「こいつらは、有益な情報源になり得る。帝国への手土産には充分だろ」
 リベルは海賊たちに聞こえないように、小さな声でそう囁いた。
 その時、小舟が箱船のもとへと近付いてきた。そこには、キージェと、ヴォルクの姿がある。
「あっ、ヴォルクくんっ!」
 メリッサが飛びつくが、ヴォルクはまだ意識を失っているらしい。投石器で負ったらしい外傷と、いくつかの擦り傷がある。
「簡単な応急処置は施したが、あとはそちらにお任せする。代わりに、海賊の漂流者を」
「こいつらだ」
 マティアスは箱船に収容されている数人の海賊たちを1人ずつ立たせると、小舟に引き渡していった。

 戦いが終わった。箱船には、マテオの出身者しかいない。ヴォルクは、まだメリッサが治療を続けているが、いずれ目を覚ますだろう。何とか、全員無事だった。
 ステラは憔悴している様子のメリッサとトゥーニャに近付いて、腰を下ろした。
「帝国の中には『マテオの民はこの地を乗っ取るために海賊と結託しているのではないか』とまで考えている人もいるそうです。加えて、箱船をこれほどの危険に晒したのですから、相応の処罰があるものと覚悟したほうがいいかもしれません」
 穏やかになった海の上。だが、マテオ・テーペ出身者には、まだ嵐が待っているのかもしれなかった。

第8章 海獣討伐
「なんだこの数は!?」
 リンダはあふれ出した海獣を叩きのめし続けていた。だが、数が桁違いだ。これまでは1体現れて、それがちょうど処理できるくらいにもう1体、という感じだった。だが、立て続けにうじゃうじゃうじゃうじゃ、何体も湧き出してくる。
「このッ……!」
 リンダの目的は、ただ1つ。団長の仇を討つこと。そのために、海賊の戦力でもあるこの害獣を、徹底的に撲殺すること。彼女は海賊を全員殺すつもりだった。それはやりすぎ、とお咎めを食らっていたのだ。やり場のない怒りは拳に宿り、振り抜くメイスは重みを増していた。
「あなたと一緒にいると危険なことばかりですわ! 団長の御霊を弔うために尼になろうと思ってましたのに!」
 コルネリアも悪態をつきながらではあるが、リンダの近くへ海獣を引き付けたり、自ら攻撃を加えたり。だが、倒しても倒しても、その数が減らない。
「ちょっと、もうこれ以上は無理ですわ! 調査は終わってないみたいですけれど、そこの出口を塞いで下さらない!?」
 コルネリアは大声でカーレに声を投げかける。
「わかりました……!」
 カーレは崖上に合図を送り、炮烙玉を発射してもらう。自身も意識を地面に集中させ、海底洞窟の土壁を崩す。これ以上海獣が出てくることを防いだ。あとは、この場に残されている3体の海獣を倒せばいい。
 1体はほどなく、リンダが撲殺した。万感の怒りのこもった一撃だ。
 1体には、リィンフィアとユリアスが取り掛かっている。だが、リィンフィアがもらってきた聖水は、あくまでも「お守り」である。実際に海獣に効果があるわけではない。ユリアスも、戦闘能力があるわけではないのだ。すぐにリンダが駆けつけて、目の前で海獣の延髄に一撃食らわせて沈黙させた。
 最後の1体は、カーレが魔法で海獣の足元を翻弄している間に、コルネリアが散々痛めつけて倒した。
「っはぁ……」
 海岸線には、何十という海獣の死骸があふれている。彼らはまだ、帝国騎士団が海賊をほぼ壊滅に追い込めたということを知らない。

 


 海上にいた者達が続々と引き上げてきた。
 崖上の野戦病院は急に騒がしく、そして忙しくなる。
 色や香りのついた水や、ほとんど見たこともないだろうローズヒップジャムを口にしてくれるか、という心配はまったく必要のないものだった。
 看護兵が言っていたとおり、運ばれてきた海賊達にそれを気にする余裕はなかったのだ。
 さらに、味方からも重傷者が多数出たため、看護兵の中には四の五の言う海賊の口に強引に水やジャムを突っ込む者もいた。
 タウラスもアルファルドも例外ではなく、休む間もなく手当てに追われたのだった。

第9章 エピローグ
 小型帆船に、まだ息がある仲間を引き上げる。
 意識のない者の体は予想以上に重い。
 ましてやその者の衣服は海水を吸い込み、自身より長身ともなればなおさらだ。
「クソッ。いい加減起きろよっ」
 エンリケ・エストラーダがようやくバルバロを自身の船に引き上げた頃には、汗だくになって肩で息をしていた。
 小型帆船の周りには、今も二体の海獣がエンリケに従い警戒するように回っている。
「水は飲んでねぇな……。おい、バルバロ!」
 軽く頬を叩いて何度か呼びかけると、バルバロのまぶたがうっすらと開いた。
「う……ぁ……」
 視線は定まらず、意識も朦朧としていることが窺える。
 エンリケはなおも呼びかけたが、バルバロの口からは言葉にならないうめき声が漏れるのみ。
 バルバロは遠くにエンリケの声を聞きながら、海に沈んでいく仲間達の最後の姿を記憶の中で何度も見ていた。
 帝国兵を引きつけようとしたが、彼らはまったく乗ってこなかった。
 まるで、自分達の行動のすべてを読まれていたような──。
(ああ、そうか……)
 帝国側にも確かに知恵者はいただろう。
 しかし、あのように正確にこちらの行動を読むことなどできるだろうか。
 大事な人を探していると言っていた、人質だった彼女。
 逃亡するのを、見て見ぬふりをした。
 仲間達の無残な叫びが、バルバロの心を黒く染めていく。
 自分の甘さへの憤り、裏切られたような悲しみ、無力さへの絶望、そんな状況への憎しみ……。
 急速に膨れあがる暗い感情は、瞬く間にバルバロを飲み込んでいった。
 エンリケは、バルバロの気配の急な変化に警戒した。
 彼の海獣が巡回する範囲の外側では、ボスだったあの男にしていたように海の魔物達が興奮に飛び跳ねていた。

 


 メリッサ・ガードナーと共に海賊船を脱出したトゥーニャ・ルムナは、メリッサを救出したことと、信憑性に欠ける部分もあったがもたらした情報により、帝国側の被害が抑えられたとも言えるため、罪には問われなかった。
 しかしまったくお咎めなしというわけにもいかず、傭兵騎士から外された。
 そして復帰の条件として、懲戒部隊に入り功績を上げることが示された。
 一方メリッサは、リモス村で治療を受けているヴォルク・ガムザトハノフに付き添っていた。
 また、投降および捕縛された海賊達だが、彼らはすべて特別収容所に収容されたのだった。


 皇帝の私室に集まった三人は深刻な表情をしていた。
 重い沈黙を破ったのは、ランガス・ドムドールだ。
「彼女の様子は?」
「変わりない。自分は被害者だと言い張っている」
 苦い顔で答えるルーマ・ベスタナ。
 死んだ海賊のボスの女は、ただの女ではない。
 帝国に亡命したウォテュラ王国王家の娘と、帝国皇族の男との間に生まれたハーフだ。
 名は、ミサナ・スヴェルダム。
 ラダ・スヴェルダムの妹である。
「彼女は、地の特殊な力は持っていないはずだ。とはいえ、結果的に多くの犠牲を出してしまったな」
 沈痛な面持ちで、ランガスはひっそりとため息を吐く。
 弱気になりかけた彼を、ルーマが叱咤した。
「まだ結果は出ていない。しっかりしろ」
 それからルーマがラダに目をやると、彼は頷きドアへ向かう。
「妹の様子を見てきます」
 静かにそう言って、彼は部屋を出て行った。
 重苦しさを引きずる空気を何とか晴らそうとして、ぎこちない笑みでランガスはルーマを見る。
「……それで、今日はどちらが『皇帝』を演ろうか?」
 俺だろ、とルーマは苦笑した。

 


ワールド前編第3回終了時名簿
ワールド前編第3回終了時名簿

連絡事項
バルバロさん
歪んだ負の魔力の憑代となりつつあり、自分の力だけで追いだすことはできません。
バルバロさんの心は、親しみを感じている人の声に反応します。

呼びかけや、相手の負傷程度では正気に戻ることはありません。
前編最終回までに、完全に負の魔力に支配された場合、元に戻る事は出来ず、肉体が生きていても死亡扱いとなります。
その場合、NPCとして後編に登場します。
尚、次回と前編最終回は、シナリオに参加されなくても、若干リアクションに登場いたします。

メリッサ・ガードナーさん
長時間瘴気に晒されていましたため、負の感情に囚われやすくなっています。
悪しき存在に近づくと、心を持っていかれそうになります。

トゥーニャ・ルムナさん
長時間瘴気に晒されていましたため、負の感情に囚われやすくなっています。
悪しき存在に近づくと、心を持っていかれそうになります。
傭兵騎士復帰を望む場合は、次回懲戒部隊にご参加ください。前編最終回までに功績を残せた場合は傭兵騎士継続となります。
懲戒部隊に入らなくても、リモス外で行動可能です。

 


●スタッフより
【川岸満里亜】
構成、データー処理担当の川岸です。
ワールドシナリオ前編、最終回にご参加いただき……ではないですよ! まだ3回で、あと2回ありますからね!
予想外の事態に、混乱している方もいると思います。次回はワールドシナリオは1回お休みをいただき、第4回のオープニングは8月下旬頃公開とさせていただきたいと思います。
その間にキャラクターの日常が描かれるシナリオを行わせていただこうと思います。怪我の治療、看病や、亡くなった方のお墓参り等、行いたい方はこちらにご参加くださいませ。
1カ月空いてしまい、申し訳ありませんが引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
尚、ゾーンシナリオのスケジュールに変更はございません。

【冷泉みのり】
こんにちは。リアクションの一部とエピローグを担当しました冷泉です。
シナリオへのご参加ありがとうございました!
世間では子供達の夏休みが始まったそうですね。
幸いにも私が通っていた小・中・高は宿題がほとんどなかったので、遊び倒した思い出ばかりです。
悪さをして叱られた思い出とか、懐かしいですね。
それでは、次回もよろしくお願いいたします。

【東谷駿吾】
ご参加くださりありがとうございました。
今回は、主に戦闘シーンなどを書かせていただきました。
緊迫するシーンがうまく描写できていればいいのですが……。
次回も、どうぞご参加ください。