ワールドシナリオ前編

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『深淵の眼差し かげろうの蒼』第2回


第1章 夢のゴーレム
 宮殿内の開発室では、マティアス・リングホルムが提案したゴーレムについて意見を出し合っていた。
 ゴーレムを、と言ったものの知識方面での提案は難しいマティアスとしては、こういう場があるのはありがたかった。
 特にゴーレムの装備に関しては、炮烙玉などの案を出したジン・ゲッショウが楽しそうに発言している。
 彼は、マティアスがイメージとして描いたマテオ・テーペの岩ゴーレムの絵に、思いついた装備を描き足していった。
「このゴーレムを掘削目的で使うなら、シャベルやツルハシをアタッチメントにすると便利でござろうな。装着部分の規格を統一しておけば、多様な道具が装備可能になるでござる」
「なるほどな」
「戦いはもちろん、日常でも活用できるでござるぞ」
「もちろん強いのよね!?」
 フィラ・タイラーが、鼻息も荒く身を乗り出して二人に迫る。
「強いに決まってるわよね? それも、超強いのよね、ねっ!?」
「いや、まあ……人間に比べりゃ強いだろうな」
 気圧されつつマティアスが答える。マテオ・テーペの岩ゴーレムは、土木作業の効率をかなり高めてくれていた。
 フィラは頷くと、先の屈辱的な出来事を思い出して歯ぎしりしながら続けた。
「清く正しい帝国平民を人質にするなんて、あの腐れ海賊ども……! 残念ながら、魔物を操る術の詳細は調べられなかったわ。だからせめて、送られた見舞金をすべてゴーレム開発につぎ込むわ! 量産して、海賊どもを蹴散らしてちょうだい!」
「量産は無理だ」
 これはマティアスにもわかることだった。
 照明のような単純な機能の魔法具でも作るのに何ヶ月もかかるのだ。ゴーレムは造りが複雑であるため、制作にもかなりの時間がかかるだろう。
 ただ、そんなに時間をかけてはいられない。そのあたりは研究者が知っているはずだ。
 リキュール・ラミルもまた海賊に捕らえられたことから、彼らの脅威を知る一人である。
「海賊とは、武装漁民に毛が生えた程度だと思っておりましたが、それは大きな間違いでございました。ゴーレム開発には多額の資金が必要とのこと。手前の伝手を頼りに支援体制を構築できないものかと、街の商人や職人に訴えてまいりました」
「うまくいったの?」
 結果をせかすフィラに、リキュールはそのカエルに似た顔に曖昧な笑みを浮かべた。
「人の心とは、ままならないものでございますな」
 リキュールは、いくつかの有力者から資金提供の協力を得られた。しかし、その数は思っていたより少なかった。みんな、海賊に目を付けられたくないのだ。広場で騎士団長の演説に盛り上がりはしたが、実際に動く者はそれほど多くはなかった。
 ちなみにリキュールのポワソン商会は、危機感故に損得度外視で協力するつもりだ。
 さらに、リサ・アルマは海賊と直接の戦闘とは別の目的でゴーレムを欲していた。
 彼女は、海岸の崖上につくった拠点の拡充と補強に参加している。
 拠点の総責任者は騎士団長であるが、管理は部下の拠点護衛部隊の部隊長が務めている。
 リサは部隊長にレンガの使用を提案したのだが、必要な分の土が足りないことがわかった。そこでゴーレムの力を借りようと思ったのだ。
 ちなみに、粘土質の泥土を型に入れるまでは彼女の魔法で手早くできるし、窯での焼きも引き受けてくれる人がいる。
「強さも必要だけど頑丈さもほしいね。ああでも、制作にあまり時間はかけてほしくないな」
 ジンがそれらを図案にメモしていった。
「私も少々よろしいでしょうか」
 マーガレット・ヘイルシャムが、トン、と図案に細い指を置いた。
「実際にゴーレム作成に関わったことはないですけれど、書籍でいくつか読みました。その知識を役立てられればと思いまして」
 海賊から民を守ることは、国が違えど貴族として当然の義務だと、マーガレットは考えている。
 ジンに羽ペンを渡された彼女は本の中のゴーレムを思い出しながら、それらの特長や弱点を書き出し、考えられる対策も記していった。
(まさか、小説のネタにできるかもと調べていたことが役に立つとは思いませんでした)
 マーガレットは、心の中で小さく笑った。
「さて、だいたい案はそろったかな」
 話し合いの様子を見ていた研究者の一人が、頃合いを見計らって加わった。
 マーガレットから図案を受け取り、内容を確認していく。
「良いゴーレムができそうだ」
 ニヤリとする研究者に、ロスティン・マイカンが作り方について質問した。
「魔力とか必要なら、水系統だが多少は手伝えるぜ?」
「興味があるのか? それなら手伝ってもらおうか。現場で見てもらったほうが早いこともある」
 ゴーレムを動かすための魔力はどうやって保持しているのか。魔法鉱石の加工方法は? 実際に動かすための魔法の公式などはあるのか? 一つの属性の魔力を溜め込んで、それを動力や攻撃に使ったりしているのか?
 研究者によると、ロスティンのこれら疑問の答えは直接制作に参加することで得られるという。
(継承者のこととかで使えないかな)
 彼には、そんな期待もあった。
 ロスティン以外でもマティアスなど、ゴーレム制作に協力したい者はいる。
 もっともマティアスの場合は、マテオ難民への印象を変えたいというのが主な目的だ。
 ところで、と研究者の目が好奇心にキラリと光った。
「この図のゴーレムだが、どういった造りだったのだね?」
「詳しいことは知らねえ。核になる魔法具があって、そいつが発動することでゴーレムになるって聞いた程度だ」
 自信なさそうなマティアスの答えだが、研究者はそれだけ聞ければ良いよいだった。
「ここでは、ゴーレム本体を造る」
「はぁ……えぇと……」
 戸惑う彼をよそに、ついて来い、と研究者が部屋を出ようとした時、ドアがノックされ騎士が入ってきた。いや、騎士に囲まれるように一人の少年が連れて来られた。
「どうした。その少年は……?」
 研究者が問うと、騎士が説明する前に少年自らが名乗った。
「僕はユリアス・ローレンといいます。提案したいことがあって、リモス村から来ました」
 リモス村から、と聞き研究者はユリアスが騎士に囲まれていた理由を察した。
 実際ユリアスは、しつこくボディチェックをされた後にここに通されている。
「どんなことだね?」
「スラム街の改善を提案します」
部屋中から注目を浴びながら、ユリアスははっきりと言った。
「海賊にスラム出身が多いのは、食うに困っても一因だと思います。生きるためにやむを得ず犯罪を犯す人を少しでも減らせるよう、農場や水耕栽培設備をつくったり、住居の建築や診療所の設置を行うのはどうでしょうか?」
 彼の提案に答えたのは、別の研究者だった。
「確かにスラムの問題は解決しなければならないでしょう。ですが、その前に片付けなければならない問題があります」
「並行して、進めることは?」
「現状ではむずかしいと思います。かつての帝国のように、物資も人も潤沢ではないので……」
 目の前にある海賊という危機への対処が最優先だと、申し訳なさそうに研究者は言った。

 ゴーレムの話し合いが行われている頃、リュネ・モルは街にいる元漁師達が住む一画で演説を行っていた。
「──海賊が押し寄せている今、皆さんの経験を生かせるチャンスです! 海を知るあなた達は目も良く見張りに向き、また操船にも長けている! 万が一にも海で逃げ遅れた騎士を助けられるのは、皆さんしかいません!」
 これに対する元漁師達の反応は、ほぼ三通りであった。
 数が多い順に、猛反対、無関心、協力的。
 猛反対の理由は、生きる場所を奪われた自分達は海賊の恐ろしさを知っているため、もう二度と関わりたくない、ということである。
 一方、協力的なのは。
「いいぜぇ。俺様自慢の銛で串刺しにしてやるぜ!」
 リュネの目的である見張りにはとうてい向かない。それどころか、騎士団が見たら作戦を壊しかねないと追い返されてしまうだろう。
「さて……」
 ちょっと困りつつも、リュネは「まずは見張りに徹してくださいね」と何度も念を押しながら、血の気の多い者達を海岸へ連れて行ったのだった。

 このような出来事もあったが、ゴーレムの制作は開始されたのだった。

第2章 崖近くの拠点にて
 崖の上に風が吹く。わずかに芽を出したばかりの緑が優しく揺れている。
 拘束されたままの海賊十名は、ある者は口を『への字』に曲げて、またある者は目を瞑っている。
 彼らを見張っている騎士団員たちは、安堵と緊迫の交錯した表情だ。
 戦闘での戦術的勝利や人質の数などの面から考えると、絶対的有利は自分たちの方にある――ただし、得体の知れない魔獣についてはまだ不明。
 海賊は捕虜のみであるものの、海獣という得体の知れない味方がいることからくる余裕が感じられる。
 騎士団員と海賊は、それぞれ違う心持ちで、それぞれの表情を携えたまま、事態の結末を待っていた。
 生傷の癒え切れていない者は手当てを受けながら。
 腹を空かせた者は、食事を取りながら。

「おっ、本当だ……こいつはよく効くみたいだ」
 左腕を吊るした騎士団員の1人が、リベル・オウスの前で左手を開いて、閉じて、と繰り返している。 
「薬効アリ、だな」
 リベルは小さく微笑んで、マルティア・ランツに「コレ、多少は使えるみたいだぞ」と囁いた。
 彼が騎士団員に試した鎮痛剤は、まだ試験段階に近い状態であった。
 だが、既存の薬草では、どうでしても効能に限度がある。特に重傷者の痛みは、ハーブでは緩和しきれない。複数種類の鎮痛作用を持った薬が必要だった。
「ほかに苦しんでる奴がいたら、試してやってほしい。もし効果があるようなら、衛生兵の間で広めて現場で使えるようにしたい」
「そうですね、ちょっと探してきましょうか」
 マルティアは微笑みながらそう告げると、松葉杖を突いたまま海の様子を見ている別の騎士の元へ向かう。
「すみません」と彼女が声をかけると、ゆっくり騎士は振り向いて「なんだ」と硬い面持ちで返事をした。
「よろしければ、こちらの鎮痛剤を試しながら、少しお話しでも」
「鎮痛剤? そりゃ助かる」
 騎士はわずかに表情を崩し、「頼むよ」と言った。
「交渉、うまく行くといいですね」
「うまく行くさ。騎士団長はああ見えて交渉上手だからな」
「みんな無事に帰って来ますよね」
「もちろん。そうなるように頑張るのが俺らの仕事だ」
 そう言うと、騎士は負傷した右脚をちらりと見る。
「ところでこの薬、確かに痛みが引いたみたいだ。助かったよ、ありがとう」
「どういたしまして。でも、無理はなさらないでくださいね。痛みを抑えているだけで、怪我自体はまだ癒えていませんから」
 マルティアが一礼すると、騎士団員は「ああ」と微笑んで、また海の方に体を向けた。
 クラムジー・カープは、見覚えのある海賊の前にいた。捕縛したときに傷を治そうとしたら暴れていた、あの男だ。
「経過は良好、ですね」
 クラムジーの言葉に、海賊はふんと顔を背ける。
「痛みはありませんか?」
「うるせぇ」
 無精ひげの生えた口元が、それだけ言って、また頑丈に閉じられる。クラムジーは、小さくため息をついた。
「私の治療の手には、限りがあります」
 その言葉に、海賊は思わず彼の顔を見た。悲しそうな表情。その真意が汲み取れない。
「己の破滅を一番に切望する者には、どのような手も届かない。もしあなたが『そう』なのであれば、手当は早急に、明確に拒んでください」
「なッ」
「あなたの意思を尊重でき、他の方の治療に、限りある時間が回せます」
 海賊は言葉に詰まり、何か反論をしようとした。だがやがて力なくうつむくと、「分かったよ」と吐き捨てるように言った。
 そこに、「クラムジーさん」と駆け寄ってきたマルティアが、リベルから渡された薬の一部と救急セットを手渡した。
 クラムジーはそれを受け取ると、「ありがとうございます」と応えた。
「これを持って、崖下での救護活動が必要ないか、一度確認してきますね」
 クラムジーはわずかに頬を緩めた。
 ローデリト・ウェールは、また別の海賊の手当てを行っていた。
「痛いかー?」
「痛いぞ」
 彼女の診ていた海賊は、クラムジーの患者よりよっぽど友好的だ。傷は浅く見えるが痛みはあるらしく、額に脂汗をにじませている。
「海賊って、どう?」
 ローデリトは包帯を取り替えながら、そう聞いた。
「ん、海賊に興味があるのか?」
「ないよー。でも、ご飯が食べられなくて海賊になったのなら、食べられるようになったら海賊辞めちゃうのかなー、って」
「さあな」
 男は口元だけで小さく笑う。
「他に楽しく生きていける仕事があるってんなら考えてもいい。けど、海には仲間もいるし、難しいな」
「……海賊の人たちはさー、スゴイ何かを手にしたの?」
 ローデリトのその質問に、海賊は小さく「それは、聞くな」と肩をすくめる。
「海賊には鉄の掟ってもんがあるのさ。どのみち、俺は知らねえが」
「そっかー」
 彼女は表情を変えぬままに、包帯をきゅっと結んでやった。
「少し休憩しよう」とローデリトに告げたのは、アルファルドだ。
「疲れただろ?」
 そう言って、彼は水を差し出す。
「向こうには軽食も用意してもらっている」
 アルファルドが指差す方向には、臨時拠点。そこにはせっせとシャオ・ジーランが街から軽食を運んでいる。
 騎士団員も含めて数人を、休憩スペースでもある臨時拠点へと誘導していたのだった。おかげで、拠点の中にはそれなりの人数が集まっている。
「サボり? いやいや。そんなわけがない」
 騎士の1人がいぶかしんだのを見て、彼は微笑む。
「ほら、こうして怪我の様子を見て、包帯も取り換えて、な? サボりじゃない。ま、ちょっと話でも聞かせてくれ。こう慣れない奴らばっかりじゃ」
 わざとらしく声を抑える。
「言いにくいこともあるだろ?」
 彼の軽妙な口調に、ふっ、と包帯を替えられていた騎士は顔をほころばせ、「まあ、色々な」と言った。
 それから「ちょっと、聞いてくれるか?」と騎士の声も小さくなる。
「ちょっと失礼するよ、私も、その話、お伺いしてもいいか?」
 シャオが彼らの前にサンドイッチの乗った皿を置き、身を乗り出す。
「……ここだけの話だぞ」
 騎士団員がアルファルドとシャオに、顔をぐっと近付けた。
「笑わないで聞いてほしいんだが……今朝、変な夢を見たんだ」
「変な夢?」
「ああ。団長と一緒に酒を飲みに行くんだ。気前よく全部奢ってくれるって言うんで。でも、その酒場、誰も人がいないんだよ。客はおろか、バーテンダーも」
 騎士団員の表情が強張る。
「団長も、なんだかずっと冴えない顔してるし。気持ち悪くて、俺、起きてからすっごく不安で」
「気を張りすぎだな」
 アルファルドが騎士の肩を抱き込むようにして叩く。
 シャオは彼の前に置いた皿を、ぐぐっと前に押し出した。
「そうアル。不安になることだらけだけど……少しでも食べて、元気出すネ」
「悪いな……」
 彼はそう言うと、わしっと掴んで一口。
「……ん! これはウマイ!」
 先ほどまでのどんよりとした表情が、嘘のように晴れ渡る。
「これは誰が作ったんだ? 感謝の言葉を伝えなくては!」
「あー、あの、私アル」
「ありがとう! サンドイッチでこんなに感動する日が来るとは!」
 あまりの強烈な褒めっぷりに照れが隠し切れず、シャオは頭を掻いて「まだ用意できるアル。食うか」と笑った。
「もちろんだ、ほら、アンタも貰えよ、こんなウマいサンドイッチ、二度と食えないぞ!」
 アルファルドはちらりとシャオを見た。シャオはまだ少し恥ずかしそうに、「いるアルか」と聞いた。
 マシュー・ラムズギルは私塾の子供たちと一緒に、崖の上で掃除を行っていた。
 笑顔を浮かべているが、彼の耳にはスラムの人々の声が残っていた。
『アンタの手伝いをするような暇は無いんだよ』
『私たちが行っても、どうせ街の奴らに煙たがられるだけさ』
 それを振り払うように、せっせと動くマシュー。
「それじゃあ、次は崖の下に土を運んで、穴を埋めるお手伝いをしましょう」
 そう彼が子供たちに告げたのを聞いて、1人の騎士が進み出た。
「悪いが、それは許可できません。スラムの子供たちをよく思っていない奴は、少なくないのです」
「分かっています、ですが」
「それだけじゃありません」
 騎士は、ちらりと子供たちの顔を見た。皆、一様に不安そうな表情を浮かべている。
「崖下には、この前の戦闘の残骸が残っています。折れた剣があるかもしれない。子供たちを危険にさらしてはいけません」
 マシューはやや驚いた表情を見せたが、「そうですね」とほほ笑んで、それから小さく礼をした。

第3章 作戦会議
 宮廷会議室からまっすぐに海へと続く街道。
 騎士団長の隣を行く、2つの騎士の姿があった。
 ウィリアムと、セルジオ・ラーゲルレーヴである。
 ウィリアムは険しい表情で彼の横顔を見ている。
「マテオ民と領民だが、交換材料は統一したほうがいい。区別しないことで、海賊たちに懐の深さを見せることができる」
「確かにそうかもしれない。提案は一連の流れで、統一して行おう。ただ、船上での交渉だ。一度に人質の交換は出来ない。海賊側は漁師よりもマテオ・テーペの民のほうが手放しやすいはずということを考えた上での順序だと理解してほしい」
「防戦だけというのは厳しいと思わないか」
「その通りだ」
 鋭い言葉に、騎士団長は顔をしかめた。
「だが、この決定は陛下のご意思だ。陛下は、海賊も国民の一部とお考えなのだ」
「甘すぎる! そんなことじゃ奴らに――」
ウィリアム!」
 呼びかけが、ウィリアムの声を遮る。それから、ごく小さな声で、しかしはっきりと、騎士団長は言った。
「いいか、私もその考えには同感だ。人質を救出したあとは、奴らを殲滅すべきだろう」
「それなら」
「これは、陛下のご意思だ」
 力強くまっすぐ海を見つめたまま、団長は続けた。
「このままでは、陛下のお考えは変わらないだろう。ただ、全てを救おうとすれば、人心は離れる」
 セルジオが「団長」と問いかけた。
 騎士団長は目だけをちらりとそちらにやり、「どうした」と聞く。
「海賊船がアルザラ号と同じような造りなら、内部構造について少しはお役に立てるかもしれません」
「お前は確か、アトラ・ハシスの民だったな? その見識は大いに役立つ時が来るはずだ。よろしく頼む」
「……海賊たちを率いる人や、知識人の行方不明者、死んだ人の中に、魔法具を開発できるような能力がある人はいませんか?」
「魔法具の開発は、設備がなければ難しい。海賊が自作の魔法具を持っているとは考えにくいのだが」
 騎士団長は、また海のほうをじっと見て、「そうだな」と続けた。
「私には見当もつかないが、もしかしたら陛下や研究者の中には、思い当たる顔があるのかもしれない」
「相手の指揮がどこにあるのかを見極めなくては」
「ああ。注意して見ておこう」
 3つの影は複雑なそれぞれの想いを交錯させたまま、やがて崖の上の臨時拠点に到着しようとしていた。

第4章 海賊船内
「ったくよォ」
 ゆらゆらと揺れる船内の廊下。悪態を吐いたのはバルバロだった。
 彼女は海賊のボスと接触して作戦会議を、と考えていた。
 だが、他の海賊たちも我先にとボスに話を持ち掛ける。終いには、「後回し」なんて言われる始末だ。
「あーあ」
 頭の後ろに手を組んだまま、ブラブラと人質のいる部屋へと向かっていた。
 確かに私は作戦立てられるほど頭も良くねぇし、大した信頼もねぇけどよぉ、と口の中で小さくつぶやく。
「邪魔するぜ」
 人質の部屋の扉を開けると、むわっと強い湿気が襲い掛かってきた。
 真っ先に彼女の顔を見て声を掛けてきたものがいた。トゥーニャ・ルムナだ。
 彼女は手足を縛られたまま、大声を出している。
「ねえ海賊さん!」
「なんだ」
 気が立っているバルバロは、彼女をぎりっと睨みつけると、ゆっくりとそちらのほうへ。
 声を張らずともいい距離まで近付いて、しゃがみ込む。
「大声出すんじゃねえよ」
「ごめんごめん。でも、海賊さん達って凄いんだな~って思って」
「……?」
 意図は分からないが、褒められているらしい。バルバロは少し照れたような笑み表情を浮かべ、トゥーニャの顔をじっと見た。
「だって、海の魔物たちを思い通りに操る事が出来るなんて……その力があれば、帝国でも良い地位の存在になれるんじゃないのかな~?」
「そうかも知れねぇが、その力は私が持ってるわけじゃねぇしな」
「じゃあ、『誰が』『どうやって』その力を手に入れたの~?」
「さあな。いつのころからか、ボスが使えるようになってたんだ」
「ふ~ん」
 トゥーニャは極力表情に出さないように、けれど深く思考を巡らせる。
「もういいか?」
 ふっ、と小さく息を吐いて、彼女は立ち上がった。
 そこに、メリッサ・ガードナーが近付いてくる。
「ねえ」
「ん?」
「作戦は決まったの?」
 痛いところを突かれ、彼女は口を尖らせた。その雰囲気を見て、メリッサは「こういうのはどう?」と続ける。
「士気を保つには飲み食いが大事だし、帝国側も、そういうの分かっていると思うの」
「確かに」
「船の蓄えはカラッポってわけじゃないんだよね?」
「あんまねぇけど、魚と海藻取り放題だからなぁ、食いモンにはそんなに困ってない。問題は水だな」
 本土の海岸を占拠していた頃は、島の周りで崖上から流れてくる水を汲んだり、騎士団の目を盗んで街に出て必需品を買う事もできていたのだが……。
「雨を降らせちゃえば飲み水は確保できるんじゃない? ねぇボス達はなんの魔法が得意なの?」
「ボスはなんだっけかな」
 スラム民で魔法が使える者はあまりいない。バルバロの知る範囲で堪能なのは、バルバロとエンリケくらいで、それぞれ地と火だ。
「水の魔法使える人、いないの?」
「水の魔法を使えるヤツもいるが、習ったことあるやつなんていねぇだろうから、他人の分の水を作れるやつなんていねぇし、てか、水の魔法でそんなことできんのかよ?」
「才能があって、凄い訓練積んだ人ならできるよ。マテオ・テーペには水魔法得意な人、沢山いたし」
「ああそうか、お前が乗って来たの、大洪水起こした国の船だったっけ」
「ううんと……お船を造ってたのは公国の人だから、公国の船かな? よくわからない」
「ま、人質交換すんなら、雨を降らせられるヤツに来てもらえばいいってことだな!」
 この案なら、ボスに直接聞いてもらうことが出来るかもしれない。
「ありがとう、早速ボスに報告させてもらうぜ」
 部屋から飛び出して行く彼女の背中に、メリッサは「私が言ってた、って伝えてね!」と声を投げかけた。
 良い案を出せば、人質から仲間になることが出来るかもしれない。そうすれば――。
 彼女の心の内を、誰が知っていようか。
 船もまた、複数の想いを乗せて波間に浮かんでいる。
 交渉が始まろうとしていた。

第5章 交渉
 交渉出発の起点となる臨時拠点に騎士団長一行が到着した。
 風は穏やかになり、極めて船出日和である。
 こんな内容の船旅でなければ、いくらか気持ちもましだったはずだ。

 騎士団員の元に詰め寄ったタウラス・ルワールが、いつもは優しい表情を少しばかり引き締めている。
「団長にお目通し願えませんか。海賊への作戦について、少々お伺いしたいことがあるのです」
「貴方は……」
「アルザラ1号の船長、タウラス・ルワールです」
「お気持ちは有り難いのだが、作戦については我々騎士団にお任せ願いたい」
 タウラスは、騎士団員でも、またスヴェルの団員でもない。この人質救出作戦の詳細については知ることもできないし、口出しも出来ない立場だった。
「傭兵からの案も団長は聞き入れている。海岸での治療行為の件といい、騎士団の方針に意見があるのなら、団に所属してはいただけないか?」
 騎士団員たちもまた、傭兵騎士でも、スヴェルでもない者に、作戦の情報を口外することは出来ない。
「わかりました。どうか、自国の民を優先に」
「ありがとうございます」
 騎士団員は彼に一礼して、その前を通り過ぎた。

 海賊船に近付く、一艘の船。
 そこには、捕縛されたままの海賊2名と、騎士団長をはじめとする騎士団員、スヴェル団員が乗っていた。
 キージェ・イングラムは、護送中の船の中で、2人の海賊にささやいている。
皇帝は、お前らの命を欲しがっているわけではない。俺も、お前らが死んでいいとは思わない」
 海賊たちは何も言わず、目を伏せている。
「残された帝国領民が死ぬことも、またお前らが罪のない人々を殺すことも、俺は許さない」
 もう1人も、目を伏せたまま。
「『次』があったら、また戦うんだろうな、俺たちは」
 船が、大きく揺れる。
「お前らの大将は、どう考えている? 俺やお前らの、命を」
「俺らに明確な上下関係はない」
 海賊が、ようやく口を開いた。
「自分が、仲間が生き残るために必要なことをしてきた、それだけだ」
「仲間のとこが、俺らの居場所なんだよ」
「……そうか」
 キージェは「帰りたいところへ帰れ」と吐き捨てると、立ち上がって甲板のほうへと移動していった。

 海賊船と帝国の船はいよいよ近付き、互いに飛び移ろうとしても不可能な程度のところで停止する。
「諸君と交渉がしたい!」
 騎士団長が声を張り上げると、やがて海賊船の影から、ヨットのような小型帆船が現れた。
 小型艇の上には、エンリケ・エストラーダがいた。エンリケのほかには漁民が1人。
「交渉だァ? じゃあ、お前らの中の代表者を1人だけ決めて、表に出せ」
 エンリケは、ちらりと海賊本船を見た。さっき彼が指示してきた通り、帆柱には人質が吊るされる形でくくり付けられている。
「僕だ」
 そう言って前に進み出たのは、エルゼリオ・レイノーラ
 脇を、タチヤナ・アイヒマンヴィスナー・マリートヴァが固めている。
「僕もスラム出身だから……本当は君達とは戦いたくない。まともに騎士団と海賊が衝突したら、おびただしい血が流れる事になる」
「……何が言いてぇんだ?」
「人質の交換を行いたい。こちらが捕まえた海賊2名と、そちらが捕まえたマテオの民2名。及び、こちらから供する水、食料、騎士2名と、そちらが捕まえた漁師2名」
「はァ?」
 エルゼリオの言葉を、エンリケは一笑に伏す。そしてちらっと本船を見、右手を高々と上げた。
 エンリケの合図を受けて、松明の火が帆柱の中ほどに縛られた人質の足の裏へと近付けられていく。
「やっ、やめてくれぇぇッ!!」
 十分に距離のあるエンリケと帝国の船にも、その悲鳴が聞こえてくる。
「ひどい……!」
「やめさせろッ!」
「そんなことをして許されると思うのか!」
 怒号にも似た悲鳴が、帝国の船の中で湧きおこる。それを聞いて、エンリケはもう1度手を挙げた。
 足の裏を炙られた人質が、声にならない悲鳴をあげている。
 柱から解放されても立つことも叶わず、引きずられるようにして船室の奥へと引きずられていった。
「ふざけたこと抜かしてんじゃねぇぞ。次は女の番だ!」
 虐待された人質の代わりに、トゥーニャが連れて来られる。
 帝国の船は、ざわつきがすっと引いて、緊迫した空気に包まれた。
「何か要求があるなら言って欲しい。互いに妥協点を模索する事は出来ないかな?」
「妥協点は、お前らが折れること。それだけだ」
 エンリケは、一層声を張り上げた。
「飲み水と食い物は、十分な量用意しろ! あ、食い物の中に、ハオマ亭のパンケーキも入れとけ。絶対忘れんなよ!」
 エンリケの要求を、騎士団員がメモしていく。
「それから、デキる水魔術師を何人か用意しろ。お前らがイイってんなら、ウォテュラ王国のお姫さんでもいいぜ。用が済んだらこっちで『処分』しといてやるよ!」
 騎士団長はエルゼリオにそっと耳打ちをする。エルゼリオは、彼から言われたことを、そのままなぞる。
「……分かった。当座の水と食糧はここにある。パンケーキと魔術師は、持ち帰って検討しよう」
「話の分かるヤツは嫌いじゃねぇな」
「水、食糧と、人質の交換を」
「は? 話聞いてたのかお前」
 エンリケがギリっとエルゼリオを睨みつけた。
「人質交換はしねぇっつっただろ?」
「その人質が、貴族だとしても?」
 アレクセイ・アイヒマンジェザ・ラ・ヴィッシュが、エルゼリオの横に並んで立つ。
「……貴族だァ?」
 エンリケの顔に、みるみる憎悪の色がにじんでいく。
 彼らスラム出身のものにとっては、帝国、その中でも特に皇族や貴族というのは、最も深い嫌悪の対象の1つだった。
「人質にするなら、貴族で騎士の私は、かなりお得なカードだと思いませんか?」
 アレクセイの言葉にも、エンリケの表情は変わらず厳しいものだった。
 だが、本船から、大声が飛び込んでくる。
「エンリケ!」
 全員の目が、海賊船に向く。
「ボスが欲しがってるから、貰っておけ~!」
「ちっ、分かったよ。ったく物好きなボスだぜ」
 甲板の上で、ヴィスナーがアレクセイのそばへと近付いた。
「あなたたちを船に上げた後で他の人質を攻撃したり、盾に使ってそのまま逃亡ということは、十分に考えられる」
「分かっているさ」
 タチヤナがそっとアレクセイに寄り添う。
「兄様……」
「大丈夫、心配する必要はないよ」
 人質を決める事前会議の場で、もしあのまま兄様が立候補しなかったら、私が手を挙げていたに違いない。兄様は、それを分かった上で――。
「ターニャ、そんな顔しないで」
 ぽんぽん、と、彼の手が妹の頭を優しく叩く。
「必ず、無事に帰ってくるから。騎士団のみんなを信じて」
 タチヤナは、それ以上何も言えなかった。

 やがて、小さな帆船が一艘、風に押されて帝国の船の下に接近した。
「それに、まずは水、食糧、人質1人を載せろ。それを受け取ったら、こっちから漁師2人を送り返す」
 エンリケの指示に従って、水、食糧、そしてジェザが船に乗せられる。
 ルティア・ダズンフラワーは甲板から、エンリケに向かって大きな声を出す。
「今からそちらにお送りする騎士団員は、私たちの大切な仲間です。どうか、丁寧な対応をお願いします」
 それを受け取ったエンリケは、やりづらそうな顔で「そいつらの態度次第だが」と答えた。
「お前らが俺らの仲間にしているくらいには『丁寧に』扱ってやるよ」
 エンリケの言葉の真意がどちらなのか測りかねて、ルティアはただ、「どうか、お願いします」と繰り返した。
 ジェザと荷物を乗せた小型帆船は、風の力ですうっと海賊船のほうへ近づいていき、やがて海賊船の上に引き揚げられた。
「まさかとは思うがよぉ、この水や飯に毒なんて盛ってねえだろうなあ? 毒見しろや」
 海賊の1人が彼に突っかかる。
「馬鹿なことを抜かすな」
 ジェザが鼻で笑う。
「帝国の武力は諸君等を凌駕している。騙し討ちなどするわけがないだろう」
 水の1つを適当に選んだ海賊はジェザにそれを手渡す。ジェザはためらうこともなく、一気に口の中へ。
 ごくごく、ごくごく、ごくごく……と、どこまでも延々と飲み続ける。
「あっ、おいバカ! 毒見なんだからちょっとでいいだろ! 何大量に飲んでんだこのボケッ!」
 海賊は無理にジェザから水を奪う。ジェザは袖で口元を拭い、余裕の笑みを見せた。
「諸君等の抵抗は無意味だ。即刻投降するのが利口だと思うが」
「クソッ! ナメやがってこの野郎ッ!!」
 思い切り拳を振り上げ、殴り飛ばされる。
「次はその鼻へし折ってやるからな! おい、コイツを連れていけ!」
 ジェザは心の中で、「これでいい」とつぶやいた。
 帝国は、やってくれる。帝国は、必ず――。
 ひとしきりすべての荷が降ろされたのち、今度は漁師2人が船で送り返されてくる。
 ヴィオラ・ブラックウェルは彼らを引き上げるのを手伝いながら、海賊船のおおよその大きさや砲門の数を見ていた。
 決して大きな船ではないし、専用の砲門があるというわけでもなさそうだ。
 海賊たちの格好にもこれといった共通項があるわけではない。強いて言うなら、皆あまりいい服を着ているようには感じられないということくらいだろう。
「次は、もう1人の騎士さんと、仲間2人を」
「彼らを送れば、マテオの民2人をこちらに引き渡すんだな!」
 騎士団長が声を荒げる。
「交渉だ。こっちの言うことが信じられねえなら、それまでだぞ」
 武力では帝国のほうが勝っているはずなのに、それをひっくり返してしまうような、威圧感。
「団長、奴らと、我々の仲間を信じましょう」
 ヴィスナーが小さな声で彼に言う。騎士団長は、少しばかりためらって、それからアレクセイと海賊2人を船へと送り出した。
 海賊船の甲板には、数人の海賊たちと、マテオ・テーペの人質がいる。
 海賊たちは、当面の食糧と真水が手に入ったのが嬉しかったのか、敵とは思いたくないような屈託のない笑みを浮かべて騒いでいる。
 彼らに『ボス』と呼ばれている人物が認めるような、交渉材料として使いやすい人質が増えたというのも、また彼らの士気を上げているのかもしれない。
 だが……その『ボス』の姿は、残念ながらここにはないようだ。
 目を配っていると、ふと、マテオの民2人と目が合った。
 優しく微笑みかける。だが、2人の目は、冷たく沈んでいた。
 急に、風が吹き始めた。
 トゥーニャの髪が後方から前方へ、ぶわっとなびいていく。メリッサはそうならぬよう、髪を抑えた。
 帆船は揺れ、転覆しないまでも、とても人を乗せて動くことが出来る状況ではなくなってしまった。
 こんなことが出来るのは、風の魔法を自在に使える人間しかいない――そう、例えばそれは、トゥーニャとか――。
 エンリケの船も同様に、揺れる。
「……こっちは、全部受け取ったぜ」
「なッ! マテオの民は!」
「この風だ、交渉は中止させてもらう。あとは『そいつ』と楽しんでくれよ」
 エンリケの船が、急速に後退していく。代わりに、水中から気泡がボコボコと上がってきた。
「あっ、水魔術師とパンケーキ! これはまだ交渉中の事項だ! 次来るときは絶対忘れんなよォ!」
 はっはー、と高笑いが聞こえ、彼の姿は『巨大な何か』の陰に隠れた。
 とっさに、ヴィオラとリンダ・キューブリックは漁師2人をかばうように前に立ちはだかると、いつでも魔法が使えるように構えた。
「魔獣……!!」
「クァァッッ!!」
 耳をつんざくような奇声を発し、海獣が帝国の船を襲おうとしてきた。
「全軍退避ッ! 急げッ!」
 騎士団長は大声を上げる。
 海獣の距離と仰角から、体躯は4、5メートル以上あるだろう。突進されては、船が木っ端微塵になる。
 敵はぐっと膨らんで、直後、口らしき部分から水の塊を吐き出す。
「ぐぅッ……!」
 ヴィオラがそれを風の魔法で弾き飛ばす。
 船体への直撃は免れたが、魔獣が止まる気配はない。
 リンダとルティアが、漁民と海獣の間に入り、盾で水弾を防ぐ。
 思い切り脚に力を込めて踏ん張っても、勢いが強すぎるせいか、後ろにじりじりと押される。
 それどころか、丈夫なはずの盾も、わずかながら変形している。
 こんな攻撃が無防備な人間に直撃したら、ひとたまりもないだろう。
 彼女は気合を込めて盾を押さえる。
 しかし、本当の危機は、水による攻撃ではない。
 徐々に近寄る巨体は、あと数秒で船にぶつかるところだった。そうすればこのまま――!
 リンダが盾を構え覚悟を決めたとき、1つの影が光を遮って飛び上がった。
「全軍、全速力で退避ッ!!」
「団長ッ……!?」
 彼女が見たものは、剣を抜き、魔獣の眉間めがけて飛び上がった騎士団長の姿だった。
 彼女が気付いた時には、もう、すべてが遅かった。
 アレに飛び掛かったということは、つまり、どうあれ――。
「騎士団長命令であるッ! 私を無視し、全軍、全速力退避! 追撃を回避し、安全に全員帰還せよ!」
 彼女は、しかし、と反論したかった。
 だが、深々と刺さった剣と、団長がそれを離そうとしない姿、そして海獣の強烈な悲鳴の前に、ただ、胸が震えた。
「退避」
 小さく、つぶやいた。
「全軍、退避――団長命令により、全力をもって、退避――!」
 彼女がこれまで戦場で味わってきたどのような結末よりも、苦しく、やり場のない怒りを抱えた敗走。
 本当は飛び出して、彼を救いたい。
 だが、団長の命令は、絶対に無視できない。
「うぉぁぁぁッッ!!」
 怒りと悲しみが混じりあった声は、誰も止めることはできなかった。
 海獣の悲鳴が遠くなる。逃げようと海の中へ身を沈めているのだ。
 一緒に団長が、沈む。
 別の海獣からの追撃がないよう、ヴィオラは風を海面にぶつけて煙幕を張る。
 彼女だって、団長を見殺しにするような真似はしたくない。
 だが、それが『最期の』団長命令なのである。
 大波の向こう側には、遠く離れすぎて何も聞こえなくなった海賊船が一艘あるばかり。
 来る時よりも人の減った船は、なおも加速して、岸へと帰り着こうとしていた。

第6章 海岸にて
 ナイト・ゲイルはじっと目線を海に据えて、ただ黙していた。
「アンタも、海賊をぶっ叩きに来たんだろ?」
 元漁師の男が、さすまたのような巨大な銛を宙に何度も突いて、「早く目にもの見せてやりたいぜ」と言った。
「悪いが、俺にそのつもりはない」
 ナイトは目もくれず言った。
「騎士団の決定は『徹底防戦』。スヴェルもそれに従うという。ここに参加するからには、自分の命を守る以上の反撃行為は禁止だ」
「だからってよォ、アイツらは俺らの生活を滅茶苦茶にしたんだぜ? 許せねェよ! それに、アンタだって随分デケェ剣と盾を持ってるじゃねぇか」
「借りたんだよ。見た目だけでも強くしておけば、無駄な争いは減らせるかもしれない」
 ナイトのつれない答えに、男は「なんだよ」とつぶやいた。
「分かったよ、しゃーねぇなー」
 渋々ではあるが、作戦に従うことに納得してくれたらしい。
 コタロウ・サンフィールドは、海賊の上陸対策として落とし穴を掘っていた。
 海岸ギリギリのところでは潮が入ってきてうまくいかないので、少し距離のあるところに、1メートルほどの深さで掘る。
 海側にバリケードを置けば、思い切り踏み倒すことで穴に落ちる、という寸法である。
 アウロラ・メルクリアスもまた、このコタロウの作戦に協力していた。
 コタロウが穴を掘り、アウロラが柵を作り設置していく、という具合に進めていって、すでに5、6の罠が出来上がろうとしていた。
「これの出番が、ないといいですね」
 リィンフィア・ラストールが、悲しそうに言った。
「交渉の最後は、海岸だということですから……争いがなく交渉が終了すれば、これの出番はなくなります」
「そうだね」
 コタロウが額の汗を拭う。
「それに越したことは、ないよ」
 だが、その表情は厳しかった。それほどに、事態を楽観視していないということだろう。
 アウロラは、なおも黙々と柵を作り上げていく。
 海岸線には、コタロウの落とし穴と組み合わせられた柵のほかに、複数の壁になるバリケードが組まれていた。
 もし人間が相手なら、これだけで戦闘に十分なほどの利が出る。
 だが、もし魔獣が相手なら……。
「そのときは、ちゃんと反撃できるようにしておかないとね」
 アウロラは遠く海のほうを見た。まだ交渉に行った船は帰ってこない。

 スヴェル団長のグレアム・ハルベルトに進言して指示を受けたキャロル・バーンは、リィンフィアとは別機動で、カーレ・ペロナと一緒に海岸一帯の調査を行っていた。
「元々は燃える島と地続きですし、このすぐ近くに魔力塔もあります。居場所がそこしか無いという以外に、海賊が海岸や燃える島にこだわる理由が、何かあるような気がするのです」
 キャロルの言葉に、カーレは「確かにそうかもしれませんね」とうなずいた。
「彼らが残していった罠が存在する可能性もあります。一度海岸をしらみつぶしに調査してみましょう」
 カーレはキャロルのゆっくりとした喋り方に引きずられて、自分の言葉も一つ一つがゆっくりになっていた。
 海岸線を歩いていく2人。ゆっくりと潮が引いている。
 ふと、波が妙に荒れている部分を見つけ、カーレはそこに目を凝らした。
「あれは……?」
 波打ち際のギリギリまで近づいていく。
「あそこの、ちょっと水が荒れているところ、あそこの水をどかせることは出来ますか?」
「やってみますね」
 キャロルが意識を集中すると、ゆっくりと水が引き――。
「……なんでしょう……?」
 よく見ると、どうやらそこには穴の開いた構造体があるようだ。入口の大きさは、おおよそ5メートル四方。
 斜めに切り出したその奥には、真っ暗な海水がどこまでも続いているように見える。
「海底洞窟……?」
 急に、地が揺れた。洞窟の奥の濃い影がどんどん暗くなる。
「まさか――!」
 カーレは、「退がって!」と叫び、海岸線から身を後ろへ。
 瞬間、海獣が洞穴から飛び出して、カーレがついさっきまでいたところに、ずしんとその巨体を置いていた。
 遠方で目をつぶり、風を感じる修行を続けていたヴォルク・ガムザトハノフは、瞬間的にあたり一面に漂う空気が変わったことに気付いた。
「――敵襲ッッ!」
 見開き、その気の先へ眼をやる。
 見ると、キャロルとカーレの目の前に、巨大な海獣の姿があった。
 この前撃ち払ったあの敵によく似ている。
「魔狼咆哮ッ!」
 彼は風を身に纏い、猛烈な速度で敵の個体の元へ。
 轟音を発しながらそのままの勢いで海獣に体当たりする。
 その重たい体躯を弾き飛ばし、海の奥側へと押し戻した。
 だが、敵はさらにあふれ出してくる。そう、あの海底洞窟の奥底から。
「餓狼裂破!」
 さらに別の魔獣の胴にもう一撃脚激を叩き込む。
 間違いなく一体ずつには効果があるが……倒してもキリがなく、どんどん洞穴から湧き出してくる。
 異変に気付いたナイトも、海底洞窟の近くまで接近していた。
 ヴォルクの攻撃の巻き添えにならないようにうまく位置取りながら、海獣を大剣で斬り倒していく。
 リィンフィアは、飛び出してきた魔獣の1体を、風の力でそのまま海へと押し返す。
 右手に携えた短槍を握り直し、さらに海獣に詰め寄った。
 なるべく、殺したくはない。
 できれば、殺したくはない。
 ――けど。
 彼女の表情が硬く、険しくなる。
「守るために、戦うと決めたから」
 自分に言い聞かせるように、彼女は小さく呟いた。
 ステラ・ティフォーネは、奥歯を食いしばり、盾と魔法で攻撃をしのぎ続けていた。
 どこかで反撃の機会を伺ってはいるものの、下手に飛び出しては命にかかわる。
 上陸した魔獣の数体は、コタロウが作った落とし穴に見事にすっぽりとはまり、身動きが取れなくなっている。
 風を巻き起こし、敵の発射した水鉄砲のようなものを弾き飛ばす。
 軌道がそれてステラのすぐそばの岩盤を、その水圧が削る。
 一撃もらったらそれだけで致命傷になりかねない。
 だが、彼女はわずかな隙を突いて少しずつ足場のいいところへと移動していく。
 彼女に対峙する魔獣に、駆け付けたアウロラが魔法で石をバチバチとぶつけた。
「いつまでも防戦だけじゃ無理ですよ、反撃しないと」
「もちろんです」
 アウロラが気を引いている隙にステラは体勢を立て直し、今度は魔獣に真空の刃を送る。
 2つの攻撃が、別方向から立て続けに魔獣を襲う。
「グァッ、ガァァッ!」
 魔獣の集中が削がれた瞬間、同時に、2つの風が海獣の分厚い皮膚を切り裂いた。

 その時だった。
 ボォォォっ、という強烈な音があった。
 瞬時気を取られてそれを見やる と、帝国の船が接岸しようとしているのが見えた。
 警笛に慌てたのか、魔獣たちは一斉に元の海底洞窟へと身を潜める。
 罠で捕らえた大型海獣、4体。
 押し返し、あるいは浅い傷を負わせた海獣、7体。
 海岸で戦い、またそのためのトラップを作った彼らによって、海岸線の秩序は守られたのだった。
 コルネリア・クレメンティは船から降りてきたリンダを捕まえてわき腹を小突く。
「あなた、前に出過ぎて団長に迷惑掛けなかったでしょうね」
 だが、リンダは何も答えずうつむいていた。
「何ですの、調子が狂いますわね」
 いつもなら、コルネリアに何か言い返すか、そうでなければ笑ってくれてもいいところだ。
 なのに、リンダは何も言わない。いつもあれほど大きい体が、まったく縮んで見えるほどに。
「ちょっと。ほら、あなたが1人で突っ走ってバーサーカーみたいになってるんじゃないかって思って、大人しく街に送り返すための馬も用意したんですわよ。農耕馬ですけれど」
「死んだ」
「え?」
「団長は、死んだ」
「あっ、あなた、その、じょ、冗談にも言っていい冗談と悪い冗談がございますわよ!」
「嘘でそんなことが言えるかッ!」
 空気がビリビリと振動する。
「彼女の言っていることは、本当です」
 船から降りてきたルティアもまた、暗い表情をしている。
「交渉の途中で魔獣が現れて、船ごと全滅しかねない状態でした。団長は、命を投げ出して、私たちを」
「それじゃあ、団長は……交渉は……」
「漁師2名は無事救出、マテオ・テーペの2名は交渉決裂で救出できませんでした。水と食糧を相手に渡し、兄様とジェザさんが追加で人質に」
「戦術的敗北ですね……団長の件も含めて」
 タチヤナとヴィオラが、立て続けにリンダの背中を優しく叩いた。
「嘘……嘘ですわ、そんなの、信じませんわよ」
 だが、次から次へと降りてくる船員の声に喜びはなく、とうとう騎士団長の姿が現れることはなかった。

 いつの間にか、風は止んでいた。
 波は低く穏やかで、ついさっきまで至る所で激しい戦いがあったとは思えないほどだ。
 この苦く重たい報告を持ち帰って、皇帝に、スヴェル団長に、あるいは街の人々に、伝えなくてはならない。
 それだけで、言葉にならないほどの疲れが、どっと吹き出てくる。
 海岸、あるいは崖の上にいたものは、皆、沖を見つめた。
 それから程なくして、何も言わずに立ち去る者。また、それに続く者。そして、いつまでもただ沖を見つめている者。
 小さく寄せては返す波が、まるで1つの生命の鼓動のように、不気味に感じられた。

 

第7章 エピローグ
 宮廷の皇帝や重臣達の下に届いた知らせは、場の空気を重苦しくさせるに充分なものだった。
 海岸警備を担当していた副団長と交渉に向かった騎士団員の表情は、無念に満ちている。
「そうか、騎士団長が……。お前達、ご苦労だった。ゆっくり休め」
 沈痛な面持ちのまま皇帝は副団長達を労い、下がらせた。
 副団長達は、重臣達が海賊を非難する言葉を背中で聞いた。
 再び皇帝と重臣達だけになった広間で、皇帝は次の作戦について話を始めた。

 高級な調度品で調えられた部屋に、男が二人いる。
 一人は姿勢を正してソファに座っている、ラダという男。
 もう一人は窓際に立ち、手を後ろに組んで外を眺めている。
 ラダは目を閉じて何やら集中していたが、やがて深く息を吐き出して、
「よくわかりません、しばらく時間を……」
 と、疲れたように言った。
 窓際の男は彼を振り返らず、
「わかった。頼んだよ」
 とだけ答えた。


 場所は変わって、海賊船のボスの私室。
 ボスは愛人の腰を抱き、ゆったりしたソファに深く腰掛けている。その表情は手に入れた戦利品に満足そうだ。
 ボスと愛人の前には、身動きがとれないように縛られたアレクセイ・アイヒマンジェザ・ラ・ヴィッシュが膝を着かされていた。
 二人をじっくりと観察したボスは、アレクセイに目をつけた。
 立ち上がり、薄ら笑いを浮かべて彼に近づき、その顔を覗き込む。
 値踏みするようなボスの目に昏い欲望の色を見て取ったアレクセイは、
「一応男です」
 先手を打ってから顔をそむけた。
 期待外れの言葉に、ボスは舌打ちしてアレクセイから離れる。

 その様子に、愛人はクスクス笑う。そうしていると品の良い妙齢の女性、というだけなのだが……。
「美しい貴族の娘を穢せると思ったのに、残念だったわね」
 などと、恐ろしいことを平然と口にした。

 それから彼女は何を考えているのかわからない微笑みを浮かべて、囚われの騎士達へと歩み寄る。
 ねっとりと絡みつくような視線は、明らかに楽しんでいるもの。
「綺麗な男達……傷ついた顔も、ため息が出るほど美しいわ」
 うっとりと言った愛人は、白くたおやかな手を伸ばす。そしてアレクセイの頬に、誘うように手の甲を滑らせた。
「あなたの心は、私のもの……」
 彼の耳元に形の良い唇を寄せ、甘く囁いた。

 


ワールド前編第2回終了時名簿
ワールド前編第2回終了時名簿

連絡事項
アレクセイ・アイヒマンさん
操られており、次回は自由な行動が難しいです。
詳細は第3回オープニング・参加案内でご確認ください。
尚、第3回にご参加いただかなかった場合も、リアクションに軽く登場いたします。

ジェザ・ラ・ヴィッシュさん
軽く操られており、次回の行動に影響が出ます。
詳細は第3回オープニング・参加案内でご確認ください。
尚、第3回にご参加いただかなかった場合も、リアクションに軽く登場いたします。

バルバロさん
メリッサ・ガードナーさん
トゥーニャ・ルムナさん
長時間瘴気に晒されているため、次回から心身に影響が出始めます。

エンリケ・エストラーダさん
自身の船に乗っていることが多いと思われるため、瘴気の影響はほぼ受けていません。
ご自身の船につきましては、個人で造れる程度の小型帆船となります。
第3回は多少海獣の指揮を任されます。


●スタッフより
【川岸満里亜】
構成、データー処理を担当させていただきました川岸です。
連続シナリオで、第2回が第1回より参加者多かったなんて経験、今まであったかしら……。
沢山の方にご参加いただけまして、とても嬉しいです。
次回は想定外の箱船参戦? となりそうです。
引き続きどうぞよろしくお願いいたします!

【冷泉みのり】
こんにちは。リアクションの一部とエピローグを担当しました冷泉です。
シナリオへのご参加ありがとうございました!
まだ2回なのに騎士団長が戦死してしまいました……というタイミングで、ゴーレムが制作されるということは、次期団長はゴーレム!
……そんなわけないです。
次回もよろしくお願いいたします。

【東谷駿吾】
皆様、ご参加下さりありがとうございました。
ゴーレム作製以外のシーンを担当させていただきました。
私から言えることは、1つ。
『団長ぉッ……!!』
書きながら泣いていました。誇張ではなく、実話です。
次回の参加もお待ちしております。
帝国側の皆様は、彼の死を無駄にしないためにも。
そして、海賊の皆様は、彼の死を無駄にするためにも。