皇妃のお茶会~満月のダンスパーティー~

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●今夜は踊ろう
 パーティー会場は月明かりに照らされ、優雅な音楽に包まれていた。焼きたてのクッキーのような小麦と、ほんのり甘い紅茶の香り。談笑の間を縫うように、何組もの男女が手を取り踊っている。
「ベル」
 マティアス・リングホルムは、壁際の椅子に腰を下ろしていたベルティルデ・バイエルに声を掛ける。
「どうだ?」
「……ええ」
 ベルティルデは彼の手を取って立ち上がると、柔らかく微笑んだ。
 パーティー会場のわずかな隙間を見つけて、マティアスはベルティルデと指を絡めた。管楽器の奏でるリズムに合わせて足を運び、時にベルティルデの動きに合わせて、時に彼がリードする。
「マテオの時よりも、とってもお上手ですし、それにタキシードも立派です」
「だろ。練習したからな。服は借りた」
 本当は『特訓』というべきかもしれないが。ベルティルデが認めてくれたので、それ以上は主張せずとも良いだろう。
「……どうだ? 最近は」
「最近、ですか?」
 ベルティルデの肩が、マティアスの胸に触れる。呼吸音まで聞かせるように近付いて、「すべて順調です」と答えた。
「ベルは」
「なんでしょう?」
 嘘を吐くのが下手だ。だが、それを指摘してどうする? マティアスは微笑んで、彼女の動きに合わせて、彼女の吐いた優しい嘘を受け止める。
「無茶だけはしないでくれよ」
「ええ」
 一定のリズムがもどかしい。もっとはっきりとした、細かい様子が知りたい。
「リモスにいるみんなは」
「みんな元気にしていますよ」
 その言葉に、少しだけマティアスは安堵する。
「マテオの皆さんを、必ず助け出しましょう」
 その言葉は信じていいらしい。マティアスは彼女の手を少しだけ強く握って、腰に回した手で体を抱き寄せた。
 パーティー会場を囲うように設置された丸テーブルで、グレアム・ハルベルトはクッキーをかじっている。
「だっ、団長っ!」
 タチヤナ・アイヒマンは、ガチガチに固まっている。腰のところで2つに折れて、グレアムの前に右手を差し出した。
「私と1曲踊っていただけませんか!?」
「いいですよ。俺で良ければ」
「ありがとうございますっ!」
 極度の緊張で顔を真っ赤にしたタチヤナは、ようやく顔を上げた。だが、恥ずかしさからか、目がグレアムと合わない。瞳が潤んでいる。
「どうしたんです? ほら、行きましょう?」
 彼はそう言って、タチヤナの手を取った。
「はっ、はいぃっ!」
 声が震えてしまう。タチヤナは何度も繰り返し深く深呼吸する。だが、少しも落ち着きが戻らない。ゆっくりとダンスホールへ向かいながら、タチヤナはうつむいて、肩で息をするばかり。
「落ち着いて。ほら」
 グレアムの大きな手がタチヤナの手を取った。
「そんなにガチガチでは、踊れませんよ」
「はいっ……」
 そうだ。せっかく団長がOKしてくれたのだから……。
 聞こえてしまいそうな鼓動を何とか収めてグレアムの体に寄り添うと、音楽に合わせてゆっくりと動き出した。
 団長と、こんなに近くにいる。心臓が破裂してしまいそう。この鼓動が、聞こえてしまう。
 そう思いながらも、タチヤナはグレアムに、一層体を寄せる。
「ダンス、うまいんですね」
「そっ、そうじゃないですよ、団長がとってもお上手だから……」
 グレアムの動きに身を任せていると、どこに足を出すのが最適なのか、よく分かる。体の固く緊張していた部分がほぐれ、どんどん楽しくなってくる。
「団長、ありがとうございます」
 踊りながら、タチヤナはつぶやいた。
「私、ダンスって、なんだか苦手だったんです。でも、団長のおかげで……今、とっても楽しい」
「そうですか、それは良かった」
 グレアムは微笑むと「私も、こんなに可愛い姿のあなたと踊れて、光栄ですよ」とほほ笑んだ。
 ステラ・ティフォーネは貸し出しのドレスに身を包み、貴族の胸に頬を寄り添わせていた。
 こうして美しいドレスに身を包んで踊るのは、いつぶりだろう。マテオから持ち出したドレスは、元々傷んでいたものがさらにダメージを負っていて、こういう場で着るのは忍びない。貸し出し衣装があって本当に助かった。だが――。
「……ステラさん」
 彼女と踊っていた男が、目のやり場に困ってどこか他所を向いている。
「その、大変申し上げにくいのですが……胸が……非常によくお似合いではありますが、その……いざダンスとなると、いささか大胆ですね……」
「お借りしたものなので……」
 ステラも恥ずかしそうにうつむいた。
 彼女が選んだドレスは、この胸元がざっくりと開いたもの。彼女の、スレンダーにも関わらず豊かな胸のある体型に合わせたドレス、というのは、元々そこまでサイズが豊富な訳ではない。少ない選択肢の中から、最も良いと思ったものを選んだまでである。ドレスに身を包んで会食をしているときはそこまで目立たなかったのかもしれないが、ダンスとなると話は別だ。男が下を向けばその柔らかくも深い双丘の隙間に目を吸い込まれる。相手にとっては、いささか煽情的である。それに、体を密着させるというダンスの特性上、どうしても胸が男の体に当たってしまうのである。もちろん、硬いインナーがあるから直接は触れていないのだが、それでも『男』というのは気になってしまう生き物なのだ。
 彼はごほん、と1つ咳払いをした。
「ダンス、お上手ですね」
「ありがとうございます」
 ステラは元々貴族の出だ。没落したとは言っても、家柄は正しいし、貴族の基礎教養は一通り経験している。ダンスも、そのうちの1つだ。
 管楽器のリズムに合わせて、体をゆっくりと動かせば、さっきまでの少しばかり気まずかった雰囲気も、嘘のように薄まり、消えていく。
「あなたも、とってもお上手です」
「そうですか? もしかしたら、あなたが可愛らしいから、無理して格好付けてるだけかも」
「そっちもお上手」
 ステラは少しばかり体を寄せて、さらにステップを踏んでいく。しばらくぶりの『貴族らしい』時間を、彼女は存分に楽しんでいた。

「チェリア様、私にダンスをご教授いただけませんか?」
 手を差し伸べているのは、アレクセイ・アイヒマンチェリア・ハルベルトはグラスを置いて「私でよければ」とほほ笑んだ。
「あっ、ありがとうございます! 足を踏まないように頑張りますので!」
「足……?」
「え、あ、ああ……ダンスは初心者同然で……」
「そうか」
 チェリアはいきなり彼の手を掴んで腰に手を当てる。
「それでは、しっかり教えてやろう」
 アレクセイの頭に、ゆっくりと血が上っていく。
 そうだ。純粋な気持ちでダンスを申し込んだけれど、よくよく考えたらこの距離になるんだ……。
 アレクセイの足がどんどん動きを鈍らせていく。
「どうした? 酔っているのか?」
「ああ、いえ、その……私、柄にもなく緊張してしまっていまして……」
「緊張? ダンスというのは、リラックスしたほうが上手くいくものだぞ」
「そ、それが出来ないのです! 貴女が、近すぎて……」
「ダンスとはこういうものだが……」
「あ、ああ、いえ、その、決して邪な気持ちで誘ったわけではないのですが、その……それは、チェリア様と一緒に楽しみたいと思っただけで……あれ、でもそれって邪な気持ち? あれ? ……何を言っているんでしょうね、俺……」
 慌てふためくアレクセイの様子を、チェリアは微笑んで「さあ、力を抜いて」とリードする。
「チェリア様」
「ん?」
「もう1回、最初からやり直してもいいですか?」
「最初から?」
 アレクセイはチェリアから身を離すと、かしずいて手を差し伸べる。
「俺と踊ってください、チェリア様」
「……ふふ、そうだな」
 チェリアはもう一度彼の手を取って、「よろしく頼む」と言った――のだが、そう簡単にダンス自体が急に上達するわけもない。
「ああ、皆どうしてそんなに簡単にステップが踏めるのでしょう? 油断すると転んでしまいそうですよ……!」
「それなら油断するな」
 チェリアは耳元で、いたずらに笑う。
「ステップはゆっくり踏めばいい。だが、そんな形式張ったことよりも、もっとダンスには大切なことがある」
「大切なこと?」
「相手を想う、『純粋な』気持ちだよ」
 彼女はアレクセイの腰を抱き寄せて「さあ、心と体を一つに」と囁いた。
 その場に溶け込んでいるものが多いパーティー会場の中で、ひときわ所在ない雰囲気を醸し出している男がいた。バリ・カスタルだ。グラスを傾けていたマーガレット・ヘイルシャムは、彼の姿を見つけて目を丸くした。まさか彼が来ているとは思っていなかったのだ。
 もう少し観察していようか、という気持ちにもなったが、彼女はグラスをテーブルにグラスを置くと、ぎこちなく歩いているバリの元へと足を向けた。
「バリ君」
「あっ……! おう……」
 彼は自分の似合わない格好を見られたのが恥ずかしかったのか、目を伏せる。
「私と踊ってくださいますか?」
「え? でも、俺……」
「大丈夫ですよ。私もそれほどうまくはないですけれども、それなりには踊れますから。私の動きに合わせて動けば大丈夫、何事も経験です」
 そういうと、バリの手を取って抱き寄せた。
「あっ、ちょ、ちょっと?」
 なすがままにダンスフロアに押し戻されたバリは、まったくどう動いていいか分からないながらも、マーガレットの動きについていくようにして、何とか『ダンスの形』を保っている。
「そうです。流れに逆らわず、円を描くように」
「円……」
「あんまり足元ばかり見ていなくても大丈夫ですよ。こういうのは、形式も大切ですけれど、それよりも相手のことを思う気持ちが大切なのです。1つになって踊れば、自然と、いい動きになるものですから」
 バリは頬を赤らめたまま、ステップを踏み続ける。
「こう、でいいのか?」
「ええ、お上手。本当に初めて?」
「こういうちゃんとしたのは、初めて」
 バリの動きは、どんどん滑らかさを増していく。
「お次は、バリ君がリードして下さいますか?」
「えっ……リードって……?」
 初心者のバリには、マーガレットがダンスをリードしているという意識さえなかったらしい。マーガレットは微笑んで、「それならダンスはやめて、少しお茶でもいかがです?」と言った。
「そうしよう。疲れた」
 バリは笑ってマーガレットから体を離す。
「教えてくれてありがとう……緊張した」
「私も、誰かにダンスの手ほどきをするとは思っていませんでしたが、素晴らしい経験になりましたわ」
 そのまま2人は並んで庭園へと向かっていった。

●満月の庭園
「このお茶美味しいー」
 アウロラ・メルクリアスは、紅茶を傾けて顔をほころばせている。
「やっぱりこういうところだと、美味しいのが出るんだね」
「そうだね……」
 彼女の隣に座っているのは、カサンドラ・ハルベルト。2人掛けのテーブル席で、紅茶とクッキーを楽しんでいる。
「一緒に来てくれてありがとうね。パーティーなんて言われても、全然分かんなくって……」
「ううん……」
 ふるふると小さく首を振る。
「私も、その、招待状、どうしようかなって思っていたの」
 うつむいたまま、ちらりとアウロラを見る。
「誘ってもらえて、嬉しかった」
 その控えめな喜び方に、アウロラは「よかったー」と胸を撫で下ろす。
「月、きれいだね」
「満月……」
 2人は南東に浮かんでいる月を見上げながら、会話を続ける。
「実は私、ダンスって全然やったことなくて。マテオにいたときに、一度だけこんな感じのパーティーに出て、そのときにちょっと踊ったことがあるってくらいでさ……」
「そうなんだ……」
「カサンドラちゃんは、ダンス出来るの?」
 カサンドラは返事をせず、ただ首を縦に振った。
「へえ、踊れるんだ……あ、もしかしてダンスのほう行きたかった?」
 アウロラはカサンドラの顔を見つめた。
「ごめんね、カサンドラちゃんの意見も聞かずに……」
「あ、いや、その……ダンスはあんまり上手じゃなくて……だから、こっちの方が、好き」
 カサンドラは月から目を落とし、ふふっ、と笑った。
「そっか……それなら良かった」
 再び安堵するアウロラ。それから「やっぱりカサンドラちゃんもお嬢様なんだね」と言って、紅茶を口へ。カサンドラは恥ずかしそうにうなずいた。
「ところでさ」
「?」
 カサンドラは首を傾げながら、アウロラに合わせて紅茶を一口。
「カサンドラちゃんって、気になる人とかいるの?」
「!?」
 突然の質問に、カサンドラは驚いて紅茶をこぼす。
「あっ、ご、ごめんごめん!」
「い、いえ、あの、大丈夫……ごめんなさい、その、驚いちゃって……」
 わたわたとクロスやおしぼりで紅茶を拭く2人は、互いの顔を見つめあって、小さく吹き出した。
 月明かりの射す庭園の隅で風を浴びていたのは、コタロウ・サンフィールドだ。そこに、ベルティルデが風に当たろうとダンスフロアから出てくる。
「ん、こんばんは、ベルティルデちゃん。良ければ、少しお話ししない?」
「はい、是非」
 ベルティルデは微笑むと、「こちらの席、よろしいですか?」と椅子を引いた。
「さっきまでダンスを?」
「ええ。ちょっと暑くなってしまったので、少し涼みに来たんです」
「ダンスは楽しかった?」
「ええ、とっても」
「それは良かった」
「ダンスは?」
 コタロウは返す刀で聞かれて、首を横に振った。
「今回はパス。マテオでベルティルデちゃんに教えてもらったけど、あれから全然練習できてないし。それよりのんびり月を見ながらお茶を、と思って」
 コタロウはそう言って月を見上げる。
「名月の下でお茶を楽しむのって、なんだか風流な感じがして感動的だね」
「そうですね……」
 ベルティルデはコタロウにつられて、カップを傾ける。やや冷たくなった空気が火照った身体の表面を冷やし、温かい紅茶が内側をなお温める。
「……実は俺、風流ってのが何なのかよく分かってないんだけどね」
「えっ」
 ベルティルデは驚いて固まり、コタロウの目を見た。コタロウは笑って、「いやあ」と照れる。
「なんかその、『風流』っぽいイメージを満喫している、って感じかな」
「確かに、『何が風流か』と聞かれたら、具体的には説明しづらいかもしれませんね」
 難しい顔をして、考え始めてしまったベルティルデ。コタロウは慌てて、「大丈夫、大丈夫」とフォローを入れた。
「楽しんだもんがちだよ、多分。風流かどうかよりも、ね」
 ベルティルデは少し考えて、「それもそうですね」と微笑んだ。
「それにしても、美味しいお茶」
 彼女の言葉にコタロウはうなずいて、もう一度月を見上げた。確かに、そこには『風流』があった。

「おい、さっきこちらを見ていただろ」
「……やっぱりアレ、隊長だったのか」
「アレとはなんだ、アレとは」
 ナイト・ゲイルは、今は会場と庭園の間にいた。だが、つい先ほどまではパーティー会場にいたのだ。
 フロアの中心近くに踊っているチェリアの姿を見つけた。普段からは想像できないその姿を、何となく目で追いかけてしまっていたら、彼女と視線が合ったのだ。それで、気恥ずかしくなってここまで出てきていた、というわけである。
「いや……なんというか、その」
 ナイトは冗談めかして「ドレス似合ってるな、って思って」と笑った。気恥ずかしくて、とはなかなか言えない。
「そうか?」
 チェリアは何とも思っていないのか、自分の服をもう一度見返す。
「まあ、そう思ってもらえているなら、ありがたく受け取っておこう」
「一瞬誰か分からなかった」
「普段とそう違わないと思うが……まあいい」
「……というか、会場を離れて大丈夫なのか?」
「別に問題ないだろう。仮に問題があったとしても、すぐに戻って、また踊り直せばいい」
 チェリアはナイトの肩をぽんと叩く。その意図を図りかねたナイトだったが、チェリアの表情を見て、顔を強張らせる。
「あ、え、俺? いやいやいや、会場に戻れって! 俺なんて相手にしてる場合じゃねえだろ」
「ん? 踊れないのか?」
「無理だよ、全然踊れねえ」
「それなら教えてやろう」
「いいって。流石にマズいだろ」
 ナイトが強く拒否の意思を示すが、チェリアはニコニコして「いいから」と繰り返す。
「……分かったよ」
 ナイトは照れながら、肩に置かれたその手を優しく払う。
「……いつもと雰囲気違うから、緊張するわ」
「エスコート、よろしく」
 緊張している彼を茶化すようにそう言うと、チェリアは手を差し出す。ナイトはその手を下から取って、「お手柔らかに」と言った。

●まだまだ踊ろう
 ダンス会場の盛り上がりはまだまだ続いていた。
 ルティア・ダズンフラワーは、彼女の瞳の色によく似た薄いグリーンのドレスをまとっている。
「団長」
「ん……? ああ、誰かと思いましたよ。髪を下しただけで、かなり印象が変わりますね」
 グレアムは「ドレスも素敵です」と微笑んだ。
「よろしければ、私と踊っていただけませんか?」
「俺でよければ」
 彼は頭を下げ、「よろしくお願いします」と、逆に彼女に手を差し出す。ルティアは頬をうっすら赤く染めながら、その手を取った。
「ダンスの間だけは、団長と団員ではなく、一人の男性……グレアム様として、踊っていただけますか?」
「ええ、構いませんよ」
「そっ、それでしたら……」
 グレアムのリードで、2つの体がゆっくりと動き始める。
「どうかこのひと時は、私の事はティーとお呼びください……家の者には、そう呼ばれておりました」
「……ティー……」
 記憶に刻み込むように、彼は深くその名を呼んだ。ステップはゆっくりと、けれど軽やかに進んでいく。
「グレアム様、ダンスはお好きですか?」
「そうですね……嫌いじゃない、ですね。ティーは?」
「っ……」
「動きがかたくなっていますよ」
「すみません」
 グレアムが耳元で笑う。自分でそう呼んでほしいと言いながら、言われて思わずどきりとしてしまった。
「私は、ダンスが好きです。身体の線を合わせ、動きを、息を合わせて……。お互いを想い、また知ろうとすることが美しい動きを生み出しますし」

  ルティアの言う通り、2人の踊る軌跡は美しい文様を描いている。

「それはまた、模擬戦で剣を交わす事にも近く感じられて……」
 彼女は自嘲気味に笑った。
「そういうと、また色気のないお話になってしまいますね」
「いや、ティーらしいですよ」
 グレアムに体を寄り添わせるルティア。その胸の高鳴りはどうしてなのか、彼女自身にも分からなかった。
 会場に配備されたテーブルには、リキュール・ラミル率いるポワソン商会が料理とドリンクを運んでいる。給仕たちは庭園側への配膳も担当しているため、上を下への大騒ぎ。ダンスどころではない。
「なるほど、魚ねぇ」
 貴族の1人が小さく泡の立ち上るワインを傾けながら、「確かに、おたくの言うとおりだ」と言った。リキュール・ラミルは何度もうなずいて、手を揉む。
「皆様のお力で海賊もほとんど排除されました。手前どもといたしましても、今後の食糧事情を鑑みて、是非漁業の再開をと」
「言いたいことは分かる。こうしてパーティーを楽しむ席に海の幸が乏しいのはいただけない。いつまでもこの小さな島の食糧だけに頼ることも難しいだろう。だが――」
 否定的な言葉が出そうになったのを見て、リキュールはすかさず「ささっ」と言いながらシャンパングラスに酒を注ぐ。
「おぉ、済まない、ありがとう」
「いえいえ。……漁の問題が解決すれば、我々のような一市民は潤います。活力が戻り、領内での事件の数も減りましょう」
 男がグラスを傾けている間に、彼は言葉を重ねた。
「生活が安定すれば、帝国への忠誠もますます固いものになること請け合いでございます」
「うむ……」
 リキュールの話術とアルコールの力で、貴族は目を数度瞬かせる。
「確かに、粗方片付いだ。だが、排除が完了し切っていない以上、全会一致とはいかないだろう……私自身も、正直態度を決めかねている」
「ご覧ください、あの月を」
「月?」
 彼の指さした先には、美しい満月。
「ある異国では、やや欠けている月の姿を愛でると聞きました。不完全な形状にこそ、真の美しさが見出せるそうです。そして、それは人の心も同様とか」
「……何が言いたい」
「貴方様がそのようなお気持ちであることは、決して不自然なことではございません。大方の海賊を退治したとはいえ、残党もおります。手前自身、本当に漁を再開すべきか自問自答することもございます。ですが、どうかお気持ちを新月にではなく、あの満月に近くなるよう、考えて頂きたいのでございます。帝国をまばゆく照らす、あの月の光になっては下さいませんでしょうか」
「風流なことだ」
 男は酒を傾け、「あなたの熱意はよく分かった。賛成を取り付けられるよう、私も動いてみよう」と笑った。

 夜も深くなり、月が天頂に近付き始めたころ、徐々に音楽が激しさを増していっていた。穏やかなワルツが、縦のリズムを強く感じる南国調の四拍子へと移る。皮を厚く張った打楽器が軽快なリズムを奏でる。
 ヴォルク・ガムザトハノフは、ジスレーヌ・メイユールと2人で前に手を繋いだまま進み出た。彼はジスレーヌの腰に右腕を回す。ジスレーヌはその場でつま先立ちになり、くるくるとスピンして見せると、柔らかく弓なりに体幹をしならせてのけ反り、ヴォルクに体重を預けた。それはまるで、1つの芸術品のように美しい。
 スピンを中心とした円舞ではあるが、ヴォルクとジスレーヌの2つの体をうまく使ってバランスを取っているおかげもあって、身体への負担はさほどでもないらしい。もっとも、この速度で細かいバランスを取りながら踊れていること自体が驚異的なのだが。
 さらに縦のビートが激しくなり、管楽器のメロディがなりを潜めると、ヴォルクは会場の中心で、片手をフロアに突き立てて倒立し、高速で回転し始める。
「これは――!?」
 アルディナ帝国の貴族たちがよく知るダンスは、いわゆる三拍子のワルツである。アップテンポなサルサや、強いビートと激しいスピンを中心とするブレイクダンスなどは、まったくの門外漢。見たことのないタイプのダンスに、彼らは目を丸くしている。
 回転するヴォルクに、ジスレーヌが手を差し伸べる。ヴォルクを立たせて、また彼女が、立ったまま横回転。彼女の足先にまで神経は行き渡たり、ピンと張りつめている。
 ぱっと飛び上がり、空中でさらに回転。着地を決めたと同時に、音楽がピタリと止む。
 会場中から大きな拍手が沸き上がったところで、管楽器が再び、その拍手をかき消すようになり始める。フォルティシモ、アウフタクトで、再びワルツへ。今度は少しばかりアップテンポだ。
 鳴り止まない拍手の中で、ヴォルクはジスレーヌと目配せをした。ヴォルクの瞳が、ちらりと彼女の唇に問い掛ける。ジスレーヌは驚いて顔を真っ赤に染める。
「しっ、しませんからっ……ここでは、その」
 ジスレーヌがうつむいて震える。
「皆さんが見ている前です……」
 ヴォルクは彼女の指摘で、今彼らが置かれている状況を思い出す。彼も耳まで赤くしてジスレーヌの手を取ると、会場の中心から外れていった。

 全てが終わったら、自分から誘う。
 そう約束をしていたため、リベル・オウスはダンスはせずに、ベルティルデ・バイエルを庭園へと誘った。「休憩がてら、月を見ないか」と。
 踊り終えて、上気した顔の彼女を、お茶と茶菓子を用意したテーブルへと案内する。
「今日のダンスパーティーはどうだった?」
 向かい合って腰かけ、茶菓子をつまみながらリベルがベルティルデに訊く。
「知らない方が多くて、緊張しました。でも、失敗はせずに、楽しく踊ることができたと思います」
「ベルティルデ、ダンス上手いもんな」
「これくらいしか、取り得ないですから。帝国の皆様も、とても上手でした」
 他愛無い話が途切れた時、リベルとベルティルデは同時に月を見上げた。
「月といえば、どっかの国には月にまつわる特別ななにがあったらしいが……そこだけが思い出せねえ」
 リベルは腕を組んで考え込むが思い出せない。
「なんでしょうね」
 ベルティルデもわからないようで、首をかしげている。
「なんだか普通じゃ考えられない言い回しみたいなものだった気がするが……」
 何故か今、思い出した方がいいようなそんな気がするのだが。
「まあ、それは一旦置いといて、月を見てて思ったんだが最近じゃこうして当たり前に空とか見られるようになったけど、ちょっと前は月どころか本物の空すら見れない状況だったんだよな……。そう考えたら、こうして地上で月見をしてるってのも結構な進歩なのかもな」
「そうですね。凄いことだと思います」
 大洪水の前までは、自分を取り巻く環境の変化は、緩やかだった。
 洪水が起きて、世界は変わり――死を待つだけかと思われた空間から、今、こうして外に出られている。
「だとしたら……帝国の関係とか海賊共の事とかベルティルデの使命の事とか、解決すべき山積みの問題も、地道に一歩ずつ……それこそ水滴で石を穿つような歩みだろうと解決していける気がしてくるんだよ」
 空に在るのは人が造り出した1日で消えてしまう月ではなく、本物の月。
「俺達がマテオ・テーペで地道に積み上げてきたモンでこうして世界を広げたように、な」
 そういい、ベルティルデを見ると、彼女はこくりと首を縦に振った。
「わたくしには使命があります。それはわたくしにしか出来ないこと。ですが、他にも一人の人間として、出来ることがあると思うのです。皆様の世界を広げるために」
 一人の人間として……。
(自分の幸せのために、とは言わないんだよな)
 ただの一人の人間だったら。彼女が本当にベルティルデという名の、侍女だったら――。
 少し切なくなり、リベルは再び月を見上げた。
「それにしても、いつもは代わり映えしないはずの月も、今日は随分と綺麗に見える気がするんだが……ベルティルデはどう思う?」
「はい」
 月を見た後、ベルティルデはリベルに顔を向けて、微笑んだ。
「月、綺麗ですね」
 ドクン、とリベルの心臓が跳ねた。
(思い出した、思い出した、思い出した……)
 そして彼の顔が赤く染まる。
 どこかの国では、愛しているという言葉を、月が綺麗ですねと表現する人がいるらしい、と。
(彼女の言葉はそういう意味じゃねぇって、落ち着け自分!)
 密かに深呼吸をしてリベルは自分を落ち着かせて呟いた。
「時よ、止まれ――」

●夢の中のパーティー
 綺麗な月だなー……と、カーレ・ペロナは月を眺めていた。
 今日は満月で、月の模様もはっきりと見え――。
「そんなものあるわけないじゃないか」
 突如、声をかけられて振り向けば、ラフな格好の壮年の男性が、近くで酒を飲んでいた。
「あれは人工月! 忘れたのか?」
「……人工月? そういえばそんな話、聞いた事がある気が」
 確か海の中に存在するマテオ・テーペと呼ばれている地域では、人工の月が打ち上げられているという話だった。
「そうそう。その月と、帝国で上げている月は繋がってるんだよ」
 そうだった。
 大洪水の時、この地を護るために皇帝はこの土地を海の中に沈めて、土のバリヤーで水から守ったのだ。
 魔法具の開発に携わる者達が、人工の月を作って、土の壁に設置したのだ。
 その月と、マテオ・テーペの月が繋がっていてもなんらおかしい事ではない。
「そういえば、ここはどこでしょう? 先ほどまで、宮廷のパーティー会場にいたのですが……」
「ここは、造船所だ。あそこに在るのは月の船」
 すぐ近くに池があり、池には大きな三日月型の船が浮かんでいた。
「俺等はあれに乗って、お前達の世界に行くんだ! 見ろ!」
 水面に人工月が映っている。
「あそこがゲートだ。お前もそこから来たんだろ?」
「……そうでした」
「迎えに来てくれたんですね! ああ、これで助かるー」
「早く連れて行ってくれ!!」
 現れた人々が、わらわらとカーレに近づいてくる。
「待ってください。受け入れ体制が整っていません。帝国領は燃えているのです」
 そう、帝国領は火の精霊とかいう存在のせいで、燃えてしまっているのだ。
「その火の粉も、ここから飛んできたのでは?」
「そ、そそそそそんなことあるわけがない」
「私達にそんなことができるわけないでしょう」
 助けて、助けてと縋ってくる人々。
「しかもこのゲートは、誰かが向うに行く代わりに、向うの誰かがこちらに送られる仕組み」
「それなら、先にそっちに行ったやつらと交換で」
 真顔で言う造船所の男。
「そうですね。そうして交換していけば、皆帝国領に行けますね!」
 ばんざーい!
 ばんざーい☆
 ばんざーい♪
 歓喜して、人々は月の船に乗っていった。
 ……ん?
 交換を続けても、マテオ・テーペ内の人口変わらないのでは――。

 庭園で転寝していたカーレは、はっと目を覚ました。
「ってわけで、マテオにも月が浮かぶようになったんだ」
「人工月だから、いつも満月なんだぜ」
 近くのテーブルで、マテオ・テーペから訪れた者と、帝国の市民が話をしている。
「どうやら彼らの世界を旅していたようですね」
 カーレは再び月を見上げた。
 空には模様のある、人の手では生み出せない綺麗な月が、浮かんでいる。

「ここどこだろ?」
 メリッサ・ガードナーは、ドレス姿で煌びやかな空間を歩いていた。
「みんな着飾ってるしパーティー的な? あ、ごめんなさい!」
 ふわっとした何かにぶつかってしまい、謝りながら頭を下げたメリッサの目に入ったのは――。
(フワフワしっぽ……もしかして)
「フェネックくん!?」
 名前?を呼ぶと、振り向いた獣がにこっと嬉しそうな笑みを浮かべた。
「やっぱりそうだ。だいぶ大きくなったていうか、人っぽくなったね。おめかししてるし、立ってるし」
 ぴしっとした黒いV字シングルベストに、黒いパンツ。身長はメリッサと同じ位で、後ろ足――2本足で立っている。
「いつもと違いすぎだよね? なんで? あ! 満月だからかな?」
 メリッサがそう言うと、そうそうと言うように、フェネックはしっぽをフリフリした。
「この服かっこいいけどどうなってるの? しっぽの穴がちゃんとあるのかな」
 フェネックをまわして、まじまじメリッサは眺めるけれど、よくわからない。でもまぁいっかと、気にしないことにした!
「私もいつもと違うでしょ、みてみて~。普段着ない服って気分があがるよね」
 くるくるっとまわると、綺麗な服がひらひらと揺れる。
 可愛い可愛いというように、フェネックは嬉しそうに飛びついてきた。
「あ、くっついて踊る曲かな? うーん……」

 メリッサも、フェネックの身体に腕をまわして、抱きしめてみるけれど……感触もいつもと違う。
「服着てるとモフモフ感が足りないね。でもふかふかクッションみたいだしこれも好き~」
 ふふふふっと、メリッサが笑みを浮かべると、フェネックが「わんわん」とご機嫌な声を上げた。
「ふわふわ、ふかふか。ううーん」
 ぎゅうっと抱きしめて、メリッサはもふもふ感を堪能~。
「メリッサちゃんのおムネもふかふか~。くぅ~ん」
 フェネックも嬉しそうな声をあげ……。
「あれ? フェネックくんが喋った!?」
「しゃべるよしゃべる、わうわうしゃべるよぉ」
「そうなんだ、喋れるんだね。あのね、いつもモフモフして嫌じゃない?」
 心配そうに言うと、フェネックはメリッサの顔をぺろんと舐めた。
「ううん、うれしいよぉ~。もっとぎゅーしてほしいようわおん」
「よかった。癒しになってくれてありがとう」
 曲が終わっても、メリッサはフェネックをうぎゅっと抱きしめ、柔らかさを心行くまで楽しむ。
「わうーん。わんわん♪」
 フェネックも尻尾をフリフリ、メリッサに抱かれて物凄く幸せそうだった。
「いつもボクのナカにはいってるヒトが、しっとしちゃうねー」
「え?」
 きょとんと、メリッサは顔を上げてフェネックを見る。
「はーい、まほうのおじかんはおわり♪」
 ぽむっと、音を立ててぴかっと周りが光る。
 ワンッと吠え声を上げた存在が、メリッサの腕の中に飛び込んできた。
 そして、メリッサの胸の中に身体をすっぽり埋めて、気持ちよさそうに目を閉じる。
「おやすみ、フェネックくん」
 メリッサは優しく抱きしめて、頬を小さな体に当て、柔らかな幸せを味わった。

 白いウサギが一匹、宮殿に庭で月を見上げていた。
(これは夢……でもなぜ、ウサギなのでしょうか)
 人の姿では、この場にいることが許されないからだろうか。
 それとも、今日がこんなに綺麗な満月の夜だから?
 ウサギになった、ユリアス・ローレンはぴょんぴょん跳ねて、庭園を散策していく……。

「カサンドラさん」
 下の方から声がして、驚きながらカサンドラ・ハルベルトが足元を見た。
 可愛らしい白いウサギがくりくりした目を自分に向けている。
「名前、呼んだの……うさぎさん?」
「はい。突然すみません。僕はユリアスです」
「ユリアス、君?」
 不思議そうにカサンドラが白いウサギを見る。
 驚きはしたが、怖がってはいないようだ。
「カサンドラさん、ダンスパーティーはどうでしたか?」
「ええと……」
 ユリアスの問いに、カサンドラは困ったような顔になる。
 彼女は可愛らしいワンピース姿だったが、ダンス衣装というほど目を引くものではなく。
(誰とも踊ってないのかもしれません)
 カサンドラはとても内気な性格だ。会場に行っても、ずっと壁の花かもしれない。
 誘ってくれる人が居ても、知らない人の手を掴めるかどうか……。
(知っている人となら、安心して踊れるのかもしれませんが)
 そう思った途端。
 ユリアスに月の光が降り注ぎ、光を取り込んだ身体が、人間の姿へと戻っていった。
「か……かわいい」
 ユリアスの姿を見て、カサンドラが言葉をこぼす。
 人間に戻った彼の格好は、燕尾服で。うさぎ耳。そして白い尻尾をはやしていた。
 ユリアスはカサンドラの言葉に、恥ずかしそうに顔を赤らめた。
 言ったカサンドラも薄ら赤くなっている。
「こんな姿ですが、カサンドラさん僕と踊っていただけますか?」
「う……うん」
 カサンドラは差し出されたユリアスの手をとって、立ち上がった。

 月明かりの下で、宮廷のホールから流れる音楽に合わせて。
 2人は、ゆったりと踊っていく。
 現実ではダンスを踊ったことがないユリアスだけれど、夢の中では、カサンドラをリードして、上手に踊れていた。
「ユリアス君、私……」
 カサンドラが薄らと赤くなった顔を、ユリアスに向けた。
「なんですか?」
 ユリアスはカサンドラに優しく、微笑みかけた。
「ダンス、楽しいと思ったの、初めて……かも」
「よかったです。僕も、カサンドラさんと踊れて、とても楽しいです」
 カサンドラの顔が、恥ずかしげな笑みへと変わる。
 淡く優しい月の明かりの中で、可愛らしい姿の少年と少女がゆっくり、幻想的に踊っていた。

 踊り終わった後は。
 ユリアスの姿は再び白いウサギへと戻り、2人は庭園にあるテーブルについた。
 カサンドラの前には、人参ケーキと紅茶。
 それからユリアス用の人参スティックがテーブルの上にある。
「はい、ユリアス君……」
 人参スティックをカサンドラがユリアスの口へ持っていく。
「ありがとうございます」
 またちょっと恥ずかしげに笑って、ユリアスはカサンドラの手からパクパク人参スティックを食べた。
「かわ、いい」
 カサンドラがユリアスに手をのばして、自分の膝の上においた。
「月が綺麗ですね」
「うん」
 そして一緒に、月を見上げた。

「ロスティンさん、どうですか?」
 夢の中、エルザナ・システィックは胸元が大きく開いた、エレガントなドレスを纏っていた。
「うん、綺麗だ。エルザナちゃんは芸術だよ。今日は俺、エルザナちゃんを観に来たんだ。ホントそれだけのために……ああ、なんて美しいんだ。独り占めしたいなー」
 ロスティン・マイカンがエルザナに手を差し出す。
「エルザナちゃん、踊ろうな」
「はい」
 顔を輝かせて、エルザナは彼の手をとった。
 ふたりはゆっくりと、曲に合わせて踊り始める。
 ロスティンは彼女と出会うまで、親の脛をかじって、怠惰に生きてきた。
 だけれど、一応貴族の末席にギリギリ踏ん反り返っていたため、ダンスは出来るのだ。
 とはいえ、体力はなくて。そう長くは踊れない。
 体力が尽きたら、エルザナを他の男に奪われてしまう!?
「あ、でも、エルザナちゃんに体力回復してもらいながらだと延々踊り続けることができる?」
「そしたら、私の体力が尽きて、踊れなくなってしまいます。もしかして、それが狙いですか? 他の女の子と踊りに行くために」
 上目使いで睨むエルザナ。
 そんな彼女もたまらなくかわいい! つい、イジワルを言ってしまいそうになるけれど。
「体力が尽きたら、一緒に休むんだよ。今日は一日エルザナちゃんと一緒」
 彼の言葉にエルザナは「はい」と答えて、2人は息を合わせてダンスを踊っていく。
「こういう場があって良かった。……着飾ったエルザナちゃんとこうして堂々とくっついていいられるし」
 曲はゆっくりとしたものに――チークタイムが訪れていた。
「私も……皆の前で、ロスティンさんがこうして私を選んでくれてることが、とっても嬉しいです」
 エルザナの甘い息が、ロスティンの首に触れた。
 クラクラしそうになる意識を懸命に保って踊り、曲が終わると、彼女の腰に片手を回したまま、ロスティンはエルザナを見つめる。
「本当はこういった場で渡すなんて演出もいいかなーと思ったけど、指輪の宝石はもうちょっと待ってね」
 代わりにと、ロスティンは薄めた香水を入れた瓶を取りだした。
 不思議そうに見ている彼女の前で、魔法を使い、液体を霧状にして天井に向けて放つ。
 手を上に向けて魔力を注ぎ、彼はそれを今度は、固体へと変えていく。

 綺麗な小さな結晶が、ふわふわ舞い降りてくる。
「うわー……」
 エルザナは手をのばして、結晶を受ける。
 手の中で解けた結晶が、甘い香りを放つ。
「今日はすぐ消えちゃうけどちょっとした宝石だよ」
「ああ、とても綺麗です。素敵な世界――」
 小さな結晶の舞う美しい世界を、煌びやかな衣装で、絶世の美女、エルザナが舞う。
 目を細めて、ロスティンは美しい世界に見入っていた。
「次は本当の宝石を渡すからね」
 彼のその言葉に、きらきら舞いながら、エルザナは嬉しそうに頷いた。

●さらに夜は深まって ――夢――
 あらかじめ断っておこう。ここは、夢の世界だ。大丈夫。何をしても問題はない。例えどんな不敬を働こうが、何の問題もないのだ。
「へーか」
 ローデリト・ウェールは、王座に腰を下ろしているランガス・ドムドールの背後から、彼の頭頂部を見下ろしていた。
「今日も元気に世界へーわ活動してますかー?」
「ああ……なんでそんなところに?」
「ところでへーか」
 ローデリトは皇帝の質問に答えない。
「適度なうんどー、スイミン、ストレスかいしょーも大事なんですよー」
「何がだ」
「毛のけんこーには、食事以外にも欠かせないこともあるんですって」
「……私の毛髪の話をしているのか?」
「へーか、夫婦らぶらぶにワルツを踊りまくって、お食事しっかり食べて、ふかふかベッドで寝て、世界へーわですよー」
「質問に答えろ」
「へーか……」
 ローデリトは前に回り込み、彼の顔を覗き込んだ。
「油断したら、荒れ野原ですよ」
「え、そんなに……そんなになってるのか?」
「特にここ!」
 びしりと指さされたのは、髪の毛のフロントライン。
「指を差すな、私は皇帝だぞ」
「へーか、寝ているような顔してないですし、お忙しいからきっとストレスも溜まってるし、運動の時間もないし……ちゃんとした食事だって食べてるか……」
「……確かに、懸案は多い……だが、最低限の睡眠は取っているし、食事もそれなりにきちんと食べている。運動は……うむ……少し疎かになっているかもしれんが」
皇妃へーかとワルツです! 踊るのです! モウコンの豊かさは世界へーわの第一歩!」
 ローデリトにせっつかれて立ち上がったランガスは、部屋の奥のほうにいる皇妃カナリアの元へ。
「……というわけらしいんだが」
「踊りましょうか」
 カナリアは笑ってランガスの手を取る。
「……ワルツなど、いつぶりだろうな」
 音楽が穏やかに流れ始めた。
「へーか! ベッドメイキングしてきます! 枕おふたつ! 了解です!」
 ローデリトは急いで皇帝の寝室へと向かう。行け、ローデリト。皇帝の毛と世界の未来はその手に掛かっているぞ!

 所変わって、ここは海岸。グルルと唸る、毛むくじゃらの存在があった。伸びたマズルの下、鋭い牙の生えた口からは、熱い呼気を放っている。ライカンスロープ――狼女だ。
「――とうとう気が狂ってしまったか?」
 彼女は、自分自身に問いかけていた。彼女は、少し前まで人間だった。名前はリンダ・キューブリック。ところがどうしたことだ。目が覚めたら、紫色に沈む海岸に、ただ1人、この姿で立ち尽くしているではないか。
 ふと、海岸沿いに、騎士団長の姿を見た。
「ッ――!」
 声も出せずに彼女が駆け寄ると、彼の姿はさらさらと溶けて、風に乗って飛んで行った。やるせない怒りが、彼女を包む。海賊を、殲滅せねばならない。だが、それだけだろうか。彼を失った怒りをごまかすために、なんとか「それらしい」理由をつけているだけではないのか。砂が彼女に伝える。
「もっと、正直になっていいんだ」
 振り返る。ニヤニヤとした表情の海賊たちが、得物をもって彼女を囲んでいる。
「アア゛ォァァッッ!!」
 彼女は人間の言語を失い、怒れる力のありったけをもって、彼らの体を引き倒す。血がしぶく。関節ごと外れて千切れ、悲鳴が聞こえる。鉄錆の匂いが鼻にまとわりつく。
 情は無い。理性も無い。リンダだった狼女は、喰らうためでも、追い払うためでもなく、殺すために敵を殺す。断末魔を糧に、彼女は海岸を出て荒野を駆け回る。引き倒す。牙を突き立てる。殺す。目に一杯の涙を溜めて、走る、走る。

 さらに場所は変わって、ここは……どこだ?
「……おう、ボスじゃねぇか。死んだんじゃねえのかよ」
 バルバロの目の前には、死んだはずの海賊のボスがいる。
「じゃあ、ここは死後の世界ってか? 私は死んだのか?」
 だが、彼は何も答えない。
「……ま、何だっていいや。ボスに聞きたいことがあったんだよな。実はさ、初めて会ったあの日から、ずっと……」
 にじり寄り、その目を見る。落ち窪んだ眼窩は、まるで死人のそれだ。バルバロは、じぃっとその暗い影を見る。
「お前の、名前だよ」
「……名前?」
 ボスはようやく口を開く。
「だってよぉ、お前、女が複数いるだの神出鬼没だの、散々みんなから言いたい放題持ち上げられて、とうとう誰からも名前で呼ばれず死んじまったじゃねえか」
 バルバロが少しばかり挑発的に言う。
「それとも、名前が『設定』されてなかったりするのか?」
「……どういう意味かは分からないが」
 彼は背中から剣を抜き、構える。
「知りたいか?」
「へぇ……タダじゃ教えてやらねぇ、って腹積もりか……いいねえ、それでこそボスだ」
 バルバロはギリリと奥歯を噛み合わせて、ついさっき手に入ったばかりの闇の力を身体の奥底から呼び起こす。
「ちょうどこの力、誰かで試してみたかったところだ」
「グァアアアゥッ!!」
 突如飛び込んできた狼女を、ボスは間一髪交わして体勢を立て直す。
「狼……? いや、人間か……?」
「ガルルルッ……」
 リンダは背中の毛を逆立たせて四つ足で立つと、今度はバルバロ目掛けて突進する。バルバロはそれを跳び上がって避ける。リンダは立ち上がり、鋭い爪でその背中を切り裂こうとした。が、わずかに届かず、服だけがわずかに裂ける。
 背中を向いたリンダに、ボスが弾丸を撃ち込んだ。リンダは振り返り、弾丸を掌で一薙ぎする。ひしゃげた鉄の塊が地に落ちた。
「なんだ、化け物か?」
 ボスが鼻で笑うと、リンダは満月に咆哮する。
「先にこっちのケリ付けようぜ!」
 バルバロがボスの懐に入り込んで一撃。これまで使えなかったはずの魔力が、全身にみなぎっている。拳を一発もらったボスは空中で翻って地面に脚を付くと、バネのように跳ね返って彼女の顔面に拳を差し向ける。
「遅いッ!」
 闇の力を授かっている彼女には、その攻撃が止まって見える。が――。
「グァォォァァアッッ!!」
 空間を割くような獣の一声の後、男の太ももほどもある前脚が2つの体を弾き飛ばした。
「……殺す……どっちも、殺す……」
「面白ぇ……」
 バルバロの目に、闇の力が燃え滾る。
「いいぜ……派手に踊ってやろうじゃねえか……! 最高のダンスパーティーにしようぜ!」
 紫紺の闇をさまよう、戦闘狂の夢。死の宴は始まったばかりである。


●担当者コメント
【東谷駿吾】
今回はダンスと庭園でのトーク、夢の一部を担当させていただきました。
執筆に当たって某動画サイトで社交ダンスの映像やらジャズワルツの音楽やらサンバだタンゴだボサノバだ……。
しばらくぶりに優雅な音楽にまみれて執筆させていただきました。ありがとうございます。

【川岸満里亜】
現実シーンの最後の1シーンと、「●夢の中のパーティー」を担当させていただきました。
私が担当させていただいたシーンは、穏やかなものが多く、皆様のアクションに癒されながら描かせていただきました。
しかし、今頃気付きましたが、主催者の皇妃が夢シーンにしか出てない……。
じ、次回のパーティシナリオでは、アクションをいただかなくても1行くらいは描かせていただきます。
ご参加いただきまして、ありがとうございました!