皇妃のお茶会~アルザラ1号出航前 編~

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 アトラ・ハシス島から訪れた船、アルザラ1号の甲板に崖の上から小船が一艘下りてきた。
 船長のタウラス・ルワールが航海士の妻レイニ・ルワールと共に、皇妃カナリアと護衛の騎士、貴族たちを迎え入れる。
「お忙しい中の急なお話、申し訳ございません。お受けくださいましてありがとうございます」
「お会いできて光栄です。本日は良い交流会になりますよう。皇妃様も是非お楽しみください」
 航海士としての制服を纏ったレイニが微笑みかける。
 タウラスも皇族を迎えるにあたり、過去にレイニに着せたこともある、一張羅のフロックコートを纏っていた。
「お部屋はこちらです」
 パーティー用に準備した部屋に、タウラスが皇妃をエスコートする。
 レイニはお辞儀をして、操舵室へと戻っていった。

 船内のパーティールームには、既にリモスから乗船した人々が集まっていた。
 リモス村で摘んだ花が飾られたテーブルにカナリアたちを案内すると、タウラスは皆の前へと出た。
「ようこそアルザラ1号へ。クルー一同安全な航行を心がけますが、揺れが大きくなることもありますので、足元には十分お気をつけください」
 ゆっくりと船が動き出す。
「短い遊覧ですが心置きなくお楽しみくださると幸いです」
 そして、ささやかだけれど、リモス村で暮らす人達にとっては、大変優雅なクルージングが始まった。

●お茶のおかわりはいかが?
 さざ波に揺れる船の上。
 パーティールームには大勢の人が集まっていた。
「お茶は足りてますか?」
 ステラ・ティフォーネは可愛らしいメイド服に身を包み、なるべく愛想を良くして給仕に徹していた。声掛けに応じて、「頼むよ」という声もテーブルからは上がっている。
 リモス島には街で罪を犯した流刑囚と共に、マテオ・テーペからの難民も生活している。帝国側の認識は恐らく「誰も彼も」という感じだろうが、ステラにとっては、そこに明白な違いがあった。
 ただ、そんなことを口に出しても仕方がない。それよりは、ここで「マテオ民」として、そして「貴族」として、最大限のふるまいをしよう。何かが、そこから変わるかもしれないから。
 船上パーティーでは、おそらく誰も彼女のことを「マテオ民」「リモス在住者」などという目では見ていない。メイド服に身を包んでいる彼女は、それほどに自然な立ち居振る舞いが出来ていた、ということなのだろう。
「一杯いただけますかな」
 優美な服装の男が座ったまま、にっこり微笑んで彼女を見上げた。
「かしこまりました」
 ステラは丁寧な手つきでティーポットからお茶を注ぐ。透き通った深紅のお茶が、ほんわかと湯気を立てている。指の先、その動きの1つ1つにまで、繊細な意識が感じられる。音も立てずに注がれた紅茶は、バラのような甘い香りを放っていた。
「お熱いので、お気をつけて」
「どうもありがとう」
 男は小さく会釈をすると、紅茶を口に含んだ。
「うん。やはり、美しい女性から注いでもらうと、格別に美味しく感じるね」
 そう微笑む男に、思わずステラは頬を赤らめて「お上手ですね」と言う。それから、「また必要でしたら、どうぞお声がけを」と言って頭を下げた。
 同じメイド服でも、近付くだけで周囲をざわつかせている者もいた。
「お紅茶はいかが?」
 ギリギリ裏声でごまかしたようなバリトンボイスと、張り裂けんばかりのメイド服。ウィリアム……いや、ウィリアンヌちゃんだ。彼、じゃなくて彼女に威圧されて、参加者たちは一気に紅茶を飲む。それから「お願いします」と、まるで上司に盃をいただく新米兵士のように頭を深々と下げるのだった。
 彼女は極力自らの気配を消しているようだったが、様々な意味でのダイナマイトボディは隠しきれていない。
「ん、これは……」
 ふと、足元にレース地の布が落ちていることに気付いた。
「まさかこれはパン……」
 さすがに、このタイミングで脱いでしまうヤバい参加者はおるまい。洗濯物が引っ掛かっていたとか……いや、それもないだろう。
 恐る恐る手を伸ばす。……ただのハンカチだ。
 彼女はあたりを見回した。
「あっ、皇妃様! パンッ……じゃなかった、ハンカチを落とされましたよ」
「あら、どう……」
 も、と言いかけたカナリアが、振り返って血の気を失う。
「男……!?」
「いいえ、私はウィリアンヌ……性別を超越した存在」
 彼女はうやうやしく頭を下げた。
「文化が違うのです。マテオではよくある事なのですよ、ハッハッハ」
「ああ、そうなの……ごめんなさい、外のことは疎くて……」
 騙されてはいけない。マテオでも滅多にないことだ。多分。
 弁明をするように、ステラが遠くで「マテオでも色々ございますから、色々」と言いながら、別の客人にお茶を注いでいる。
「きゃっ……」
 突然、どこかから悲鳴が聞こえた。とっさに体が動き、ウィリアムは滑って落ちかけたティーポットをスライディングキャッチ。
「うぁっぢっ!」
 頭からお茶をかぶった上、パツパツのメイド服は裂けてしまっている。参加者が火傷しかねない問題は解決したが、別の問題が発生してしまった。
「なんです、事件ですか」
 パーティールームの警備にあたっていたルティア・ダズンフラワーが慌てて騒ぎの中心へと駆け付ける。そこには、肩口から背中にかけて縫製部分が思いっきり破けた半裸の人間がいた。鍛え上げられた筋肉が露になり、頭から紅茶をかぶってびしょびしょになったウィリアンヌちゃんのセクシーショットだ。
「変質者、でしょうか……」
 困惑の表情を隠さない彼女は、ひとまず周囲に怪我人がいないことを確認し、彼女を引き立たせると、救護室まで『連行』した。
 警備の仕事もひと段落したところで、ルティアはパーティールームから離れた警護休憩室へと向かう。戸を開けると、そこにはグレアム・ハルベルトの姿があった。
「あっ、団長」
 彼女は思わず背筋をピンと張り、「お疲れ様です」と挨拶をした。
「もしよろしければ、お茶をお持ちしましょうか」
「いいんですか。ありがとうございます」
 彼はにこりと笑いながら、「ごちそうになります」と続けた。
「美味しいですね」と、グレアムはマフィンを口に運びながら、紅茶を飲む。
「ええ、とっても」
 ルティアも同じように、マフィンを1つとって、口に。甘酸っぱいフルーツがアクセントの、美味しいお菓子だ。
「魔物、まだ増えるのでしょうか」
 思わず、彼女の口からそんな言葉が出た。騎士たちも、スヴェル団員も、もちろん非戦闘員も。皆が不安に思っていることだろう。
「心配ですか?」
「ええ」
 グレアムはルティアの気持ちを推し量って、わざと、一層ゆっくりと喋っているようだ。
「でも、団長のお人柄のおかげで、街の方々からも信頼していただいているみたいですし、それがまた、スヴェルの力になっているのではないかと思います」
「俺の人柄? そんなことないですよ」
 謙遜なのか、それとも本気でそう思っているのか。グレアムは恥ずかしそうに頭を掻きながら、また紅茶を一口すする。
「団長が、日頃から心掛けていらっしゃることって、何かありますか?」
「そうですねえ……」
 首を傾げる。
「これと言って、そうしようと思って、っていう感じではありませんが、色んな方のお話は、なるべくよく聞くようにしていますね。思っていること、考えていること。言ってもらえれば分かることは、たくさんあるはずですから」
「なるほど……私も、団長のお力になれるよう努力しますので、何でも申し付けてくださいね」
「それは、ありがとう」
 グレアムはにっこり微笑んだ。
「でも、君は今でも、充分スヴェルの力になってくれていると思っていますよ。これからも、一緒に頑張りましょう」
 こういうところが、団長の魅力なのかもしれない。ルティアは、じっとグレアムの頼もしい顔を見つめていた。

 落ち着きを取り戻しつつあるパーティールームでは、アレクセイ・アイヒマンが、チェリア・ハルベルトと談笑していた。
「チェリア様、お茶はお好きですか?」
「そうだな。こだわりがあると言うほどではないが、好きな方だな」
「奇遇ですね。私も紅茶に目がなくて……妹は珈琲派なのですが」
 いつもは固い表情のチェリアも、今日は少しばかり肩の力が抜けているらしい。「そうか」と言って、珍しく微笑みの表情が見て取れた。
「それにお茶菓子。私、紅茶同様、甘いものも大好きでして」
「それなら、この会は天国のようなものだな」
 チェリアの言う通り、見回せばどこにでもお菓子と紅茶が溢れている。
「あとはこれに、本もあれば完ぺきでした」
 アレクセイはきゅっと口の端を結んで微笑む。
「読書は最高の娯楽です。活字を追うだけで、まだ見ぬ世界、空想の世界に旅立つ事が出来る。チェリア様もご存じの通り、私の家は貧乏でしたから。一冊を、一言一句を覚えるほどに、装丁がボロボロになるまで読み込んだものです」
 アレクセイの言葉に、チェリアはなんと声をかけて良いかわからず、わずかばかり会話が途切れる。場が、瞬間的にしんみりとした空気になったのを察知してか、アレクセイは話題を紅茶に戻した。
「そうだ、チェリア様。私、『利き茶』にも自信がございまして」
「利き茶か、面白い」
 お茶を飲み銘柄を当てる、というゲーム。シンプルだが、難易度は高い。繊細な五感が必要になる。
「もしよろしければ、お手合わせを」
「いいだろう」
 チェリアは当たりを見回し、お茶の給仕をしているステラを呼びつけた。
「お前は、この紅茶の銘柄を知っているか?」
「ええ、これは――」
「いい、言うな。利き茶だ」
「そうでございましたか。失礼いたしました。それでは、カップを」
 ステラは微笑み、カップにゆっくりと紅茶を注いでいく。
「お二方とも条件は同じですが、出してから少しばかり時間が経っておりますので、香りは少々弱くなってきているかもしれません」
 アレクセイとチェリアは、ほぼ同時にカップを持ち上げ、顔に近付ける。ステラが心配するような香りの飛びはあまり感じない。それから、一口。弱い渋みと、花のような甘い芳香。さわやかな後味は、そのままでも飲めるし、お茶菓子があってもいい。実にバランスよく抽出された紅茶だ。
「うまいが」
 やや自信がなさそうなチェリアが、アレクセイの表情をじっと見た。戦場で敵の出方をうかがうときの表情に似ていて、思わずアレクセイは吹き出す。
「なっ、何がおかしい!」
「いえ、すみません。利き茶でそんなに真剣になるチェリア様を見れると思ってもおりませんでしたので」
 チェリアはやや照れたように「勝負ごとだぞ」とむくれた。
 勝負が終わったら、その次は、チェリア様の趣味を聞いてみよう。妹であり姉であるご自身の立場についても。一杯分でも多く、彼女との時間を重ねたい。アレクセイは「お答えは決まりましたか」とほほ笑んだ。
 コタロウ・サンフィールドは、パーティールームの一角でベルティルデ・バイエルからお茶の作法を教わっていた。基本的なことだけを聞いておいて、あとは実践練習だ。
 コタロウがこの会に積極的に参加したいと思ったのは、「マテオ・テーペの民への地位向上」という目的が大きい。少なくとも、歓迎されている難民、というわけではない。ここを改善するには、まず自分たちの人となりを知ってもらうのが1番、というわけだ。
「よろしいですか。挨拶は、礼儀正しく。お話になるときは、背伸びをしないことが大切です」
 ベルティルデがにっこりと微笑む。
「お紅茶は熱いことが多いですが、決して音を立ててすすったりしないこと。あとは、ソーサーとカップをカチカチとぶつけないこと。これだけ守れば、基本は十分です」
「いやあ、やっぱり、困ったときのベルティルデちゃん頼み」
 コタロウが微笑みかけると、ベルティルデはおどけたように肩をすくめる。
 彼が話しかけに行った相手は、コタロウが声を掛けると、優しそうな表情の奥に困惑の色を隠さなかった。
「どうも、少しお話でもいかがですか」
「ええ、どうぞ」
 言葉ではそう言っているが、「誰だろう、もしかして知っている人だろうか」という疑念が、顔にありありと出ている。
コタロウ・サンフィールドと申します、こちらは、ベルティルデ・バイエル
 隣にサポート役としてついてきてくれているベルティルデを紹介する。彼女はうやうやしく頭を下げた。
「マテオ・テーペから、こちらに」
「ああ」
 一瞬、相手の顔が曇ったのが見える。
「やはり、マテオ民のことは、あまりよくは思われませんか」
「うーん、そういう訳ではないのですが」
 ベルティルデが、コタロウの脇腹を肘でつつき、小さい声で「あまり厳しい質問はなさらないほうが」と忠告する。
「答えにくいですよね、すみません、不躾なことを聞いてしまって」
 コタロウが頭を下げたのを見て、相手は、「こちらこそ、即答できずに」と頭を下げ返した。
「私の意見ですが」
 彼は紅茶をすっと口に運んで、喉を潤す。
「土地が不足しているからと言って、難民であるあなた方に囚人流刑地として使っている島での生活をお願いするのは、少々心が痛いように感じるのです。もちろん、複雑な想いはありますが、マテオ出身の方々に、直接的な罪は何もないわけですからね。ただ、臣民の中には、あなた方にずいぶん冷たく接している者も少なくないでしょう」
「それは……」
 コタロウは、意外にも彼がマテオ出身である自分に対して、差別的な意識を持っていなかったことに気付く。本当は「そうでもないですよ」と言って話を丸くまとめれば良かったのだろうが、実際に自分たちが受けている扱いを考えたときに、そうは答えられなかった。
「俺たちも」
 ベルティルデの手が、コタロウの裾を引っ張る。コタロウは小さく咳払いをして、「失礼」と言った。
「私たちも、帝国の皆さんだけでなく、リモスの皆さんにも受け入れてもらえるよう頑張ります。どうか、よろしくお願いします」
 コタロウはカップを掲げた。
 再びパーティールームの端に移動した2人。コタロウはベルティルデに「ありがとう」と礼を言う。
「お陰で、ちゃんと話が出来たよ」
「いいえ、わたくしの力ではありません」
 彼女は微笑んで、コタロウの所作を改めて褒めた。

 中心のほうには、アウロラ・メルクリアスがいた。彼女の隣には、カサンドラ・ハルベルトの姿がある。
「カサンドラちゃんは、こういうパーティーって、参加したことある?」
「あ、えっと……」
 カサンドラはアウロラとはあまり目を合わせず、カップの内側に映り込んでいる自分の顔をじっと見ている。
「あんまり、ない、です……」
「そうなんだ。私も全然ないんだよね」
 アウロラは、少しでもカサンドラの心の扉を開こうと考えていた。カサンドラは、寡黙で内気な女の子だ。元気がなく、また悩み事があるようにも見える。それを、少しでも解消できたらと感じていたのだ。
「マナーとか、知ってたりする?」
「……その、ちょっと、だけなら」
「ホント? 教えてよ。こういうパーティーって、なんかそういうの厳しいそうなイメージがあってさ」
 アウロラの言葉に、カサンドラはようやくちらりと彼女の眼を見て、「はい」と答えた。
「うわー、このお茶もお菓子もおいしい!」
 カサンドラが言葉少なに伝えたマナーを守りながら、アウロラはサクサクに焼きあがったチョコチップクッキーを頬張り、紅茶を飲んだ。
「カサンドラちゃんも、ほら」
 アウロラに促されて、カサンドラもお菓子を手に取る。サクっと割れたクッキーのかけらが、彼女の頬に付いた。
「美味しい……」
 かみしめる様にそう言って、それから、紅茶を一口。
「ね。ふふ」
 アウロラは微笑んで、彼女の頬に付いたクッキーのかけらをほろってあげる。
「あっ、ありがとう……」
 カサンドラは恥ずかしそうにうつむいて、小さくなった。
「まだ、マテオ・テーペにいる人たちも、早くこういうのが食べられるようになるといいな」
「あっ……」
 カサンドラが、何かに気付いたようにアウロラを見た。アウロラは「しまった」と、表情を強張らせた。
「ごめんごめん、暗い話はだめだよね。今日は楽しむって決めたんだから」
 アウロラは紅茶をもう一口含んで、カサンドラに微笑みかけた。カサンドラも、精一杯、ぎこちない笑顔を返した。

 

☆   ☆   ☆


「剣は扱ったことないけど、狩りは得意だったんだ。海辺にも時々出てさ、銛で魚採ったりもしてた」
 帝国の人々と楽しそうに会話をしている長身の男性がいた。まだ少年にも見える年頃の彼は――。
(バートと雰囲気が似ています)
 バリ・カスタル
 公国騎士、バート・カスタルの弟だ。
 しばらく会っていない友の姿と重ねながら、マーガレット・ヘイルシャムはその男性に近づいた。
「ごきげんよう。バリ君、ですよね?」
 そう声をかけると、ちょっと驚いたような顔で「お、おう。そう、です……?」とバリは答えた。
「突然申し訳ありません。私がマテオ・テーペにいた頃、貴方のお兄さんのバートにはとてもよくしていただきましたの」
「えっ……兄ちゃんの主?」
「そういう関係ではなくて、バートは大切な友人です。今の私があるのもバートのお陰です。彼にはとても感謝しておりますわ。貴方は彼の弟であることを誇りにしてよいですよ」
 マーガレットがそう言うと、バリの目が輝きを帯びていく。
「あと、サーナ・シフレアンもご存じでしょう? 水の神殿にいた。バートから彼女とも貴方は仲が良かったと聞いています」
「う、うん。兄ちゃんと一緒に神殿に行った時、良く遊んでた。サーナも生きてるんだ」
 マーガレットは微笑んで頷く。
「今も水の神殿でマテオ・テーペの結界を維持してくれています」
「結界の維持。そんな大変なことを」
「彼女も私の友人なのですよ。個人教師のようなこともさせてもらっておりました」
 彼女は、ウォテュラ王国の王家の血を引いていて、水の継承者の一族の特殊能力を持っているから……という話は、バリには解らないだろう。
 だからマーガレットは詳しくは語らず、
「二人の友人であることは私の誇りです」
 気品に満ちた笑みで、はっきりと言った。
「あ、ありがとう……そう言ってくれて、ありがとう。ホント、俺も兄ちゃん誇りに思う。サーナもすげぇなって……」
 バリは次第に声を詰まらせていく。
「今マテオ・テーペでの日々を記録したマテオ・テーペ回顧録を執筆しているので、完成したら一冊差し上げますね」
「マテオ・テーペであったことの話? 欲しいし、知りたい。もっと兄ちゃんのこと……!」
「そうですね。私ももっといろいろ貴方の話も聞きたいのですが、今日は他にも予定があって……御免なさいね」
「そっか……今度はいつ会える? 俺、宮廷とか行けないし」
 彼には傭兵騎士になるような、技能はないようだった。
 だけれど、体つきからして体力はあるように見えるし、頭も良さそうだ。
 バートの親友の妹は、傭兵騎士となったようだが……。
「ルルナさんでしたか、言葉にしないと伝わらないことってあるものですよ」
 マーガレットのその言葉に、バリの顔が怪訝そうになる。
「まぁ、中には言葉にしても伝わらない方もいますけど……」
 何かを思い出すような、遠い眼をするマーガレット。
「あ、いえ……」
 訝し気な顔をしている彼に、視線を戻す。
「貴方のお兄さんは、とてもいい人でした、けどね」
「けど?」
「……なんでもありませんわ」
 そう、バートは言葉にしても伝わらない男だった。
 不思議そうに眉を寄せて……それからバリはルルナとちらっと見た。
「……俺、ルルナのこと嫌いなんだ。けど、兄ちゃんに会えたら、ルルナのこと許せるかな」
 バリはそう呟いた。
 バリはルルナが嫌いだった。過去は彼女の姿を見ることさえ、嫌だった。
 大洪水の前、女子供が優先だった限られた人しか乗れない箱船に、ルルナは泣きついて我が儘を言って、自分の兄を乗せた。
 バリも他の子ども達も、大好きで大事な家族と泣きながら別れて、1人で乗ったのに。
 ルルナは姉とも一緒だった。それなのに彼女だけ、彼女の兄だけ……。
(バートのこと、本当に好きなのですね)
 マーガレットはバリのことを温かい目で見つめる。

「今日は鎧姿じゃないんだな」
 ナイト・ゲイルが、貴族たちと談笑しているチェリア・ハルベルトに声をかけた。
 あっちへ行かないか? と、ナイトは空いているテーブルを指差す。
「チェリア隊長は立場上色々苦労してそうだし、よそ者の方が気を抜ける事もあるんじゃないかと思ってね」
 そして、貴族たちと談笑する姿が、無理しているようにも見えたと、ナイトはチェリアに言った。
「俺はマテオの住民の為にここにいるマテオの人間だ、公爵の娘とか言われてもそうですか、って感じだし」
「そうですかって……他国の貴人にも礼節をもって接するだろ、騎士なら」
「そういうもの? ま、騎士として従うけど、それ以外のところじゃ普通にするわ……気になるなら止めるし関わらないけど」
「いや……私も女性らしい気遣いとか、苦手でな。確かに、こっちのテーブルの方が楽だ。それに、今のお前の前では、隊長として気を張る必要もないんだろ?」
 ふう、とチェリアは息をついた。
 彼女は藍色のシックなドレスを纏っていた。スリットが深いのは、動きやすさを重視してのことだろう。
 ドレスから覗く脚は……なんというか、逞しい。
「ルルナもこっちに来ないか?」
 と、ナイトは近くのテーブルにいたルルナ・ケイジに声をかけた。
「はいっ」
 と返事をして、ルルナはティーカップを持ってこちらのテーブルにやってきた。
 ナイトとチェリアの姿に圧倒されているようで、緊張した面持ちだった。
「この間はありがとう。色々助かったよ」
 燃える島を視察した時のお礼と、ナイトはルルナが興味を示していたバート・カスタルとの思い出を少し語ってあげた。
 ルルナは興味深そうに、目を輝かせながら聞いていた。
「ところで」
 話が途切れたところで、ナイトが真面目な顔でチェリアに問う。
「念のために見回りしておいた方がいいか?」
「は? お前招待客じゃないのか」
「そうだけど、落ち着かないというか……折角のパーティーだし楽しんだ方がいいとは思うんだけど。こういう時ってどうすればいいんだ? 食って飲んで話するだけ?」
 ナイトが周りの客たちの様子を見る。お茶を飲みながら、話をしているだけだった。
「音楽流れてるけど、もしかして、ダンスとかするの?」
「しないですよ。するパーティーもあるみたいだけど、今日はお茶飲んでお話するだけですよね?」
 ルルナの言葉にチェリアは当然というように頷いた。
「話か、話。ええと、俺、火の魔法、ちゃんと使えるようになった方がいいんだろうな。教えてください。この先絶対必要になると思うんで!」
 言って、ナイトはチェリアとルルナを見回す。
「私は属性が違うしな。火の魔法は単純だし、お前は基礎は出来ているようだからな」
 言って、チェリアはルルナを見る。
「人に教えたことなんてないけど、わ、私でよければ……! そ、その代り、剣術教えてもらいたい、かな」
「それじゃ早速……」
(って、息抜きに楽しもうと思ってたのに、なんかそんな雰囲気にならない……?)
 ナイトは若干焦りながら、話題を探す。
「じゃなくて。んーと、趣味の話とかした方がいい? 俺は剣の訓練とか見回りとか」
 そんな彼の言葉に、チェリアとルルナは顔を合わせて、同時に吹きだした。
「ナイトさんて、騎士になるために生まれてきたような人ですね!」
「というか、早朝深夜の見回りとかやめておけよ、怖すぎる」
「どういう意味だよ! ルルナはありがとう。褒め言葉だよな?」
 ナイトの言葉に、ルルナはぶんぶんと首を縦に振る。
「私のも褒め言葉だ。お前が出ると知れば、犯罪者は活動せんだろう」
「そんな熊みたいな……」
 ふて腐れ気味な反応に、チェリアとルルナは声をあげて笑った。

 エルザナ・システィックは少し濃いめの化粧をして、帝国貴族たちとお茶を楽しんでいた。
 帝国の騎士や貴族、皇族はマテオ・テーペの人々のことは良く思っていない者も多かったが、アトラ・ハシスの人々とはたわいない雑談を楽しんでいる。
 エルザナも楽しそうではあったけれど……彼女の目には少し影がある。
 ただその影も、彼女の美しさを引きたてていた。
「エルザナちゃーん、今日も可愛いねー、元気ー?」
 そんな彼女のもとに陽気な男性の声が届いた。
 公国の貴族だけれど……特別な人、ロスティン・マイカンだ。彼は何故か給仕服を纏っている。
 手招きされて、嬉しそうにエルザナはロスティンのもとに向かう。
「どうしたんですか、その恰好」
「エルザナちゃん専属仕様」
 ロスティンはそう言って、彼女をエスコートして借りていた船室へと連れて行った。
「それではお嬢様何なりとお申し付けください」
 片膝をついてそう言うと、くすっとエルザナは笑みを浮かべる。
「……なんてね。あ、でもここに座ってて」
 彼女を船室に残して、ロスティンはカップと紅茶の入ったティーポットを持って戻ってくる。
「私が淹れますよ、ロスティンさん座ってください」
「いいのいいの。今日はエルザナちゃん専属の給仕なんだから」
 立ち上がろうとしたエルザナを座らせて、彼女の前に紅茶の入ったカップを置く。
「ありがとうございます。なんかすごく不思議な感じです……」
「今までずっとエルザナちゃんのおかげで助かっていることばかりだしね」
「え? 私、何かしました?」
「うん。沢山」
 ロスティンは椅子に座らずに、彼女の傍らに控えるように立って、話をしていく。
「ほんと一時は世の中のことどうでもいい、ただその日を適当に過ごすだけの、色彩のない日々だったし、火山では俺死にかねなかったしね」
 全て、エルザナが助けてくれたんだよ、と。
 そんな彼の言葉に、エルザナは戸惑いと驚きが入り混じったような顔をしていた。
「そうそう、プレゼント」
 トレーの上に、ロスティンは小さなものを、置いた。
「…………!?」
 エルザナはそれが何だか気付くと、目を大きくしてロスティンを見詰めた。
「ま、今の俺だとこれぐらいが限界」
 それは、台座だけで石の入っていない指輪、だった。
「今のゴタゴタが終わった時、俺の身の丈にあった宝石を付けて指に嵌めるよ」
 そうして、ロスティンは片膝をついて、エルザナにトレーを差し出した。
 エルザナは……。
 指輪をじっと眺めて、いた。
「いらなかったら投げ捨てていいよ」
 ロスティンは優しい口調で言う。
「ロスティン、さん」
 エルザナは、声を詰まらせ、手を僅かに震わせながら……指輪に、手を伸ばした。
 指輪を手の上に乗せて、ぎゅっと握りしめて。
「私……」
 エルザナの目に涙が浮かんでいた。
「え? なに? 泣くところ? どうしたの、どこか痛い? エルザナちゃん」
 驚きながら、心配げに声をかけるロスティン。
 嬉しいの、とエルザナは答えて。それから……。
「私、幸せに、なりたい……」
 絞り出すような声でそういったエルザナの目から、涙がぽたりと落ちた。

●託児室はコント劇場?
 パーティー会場から離れた広間は、託児室になっていた。預けられている子の数は多くないが、何せ、子守の手が足りない。
「なぜ私がこんなことを!」
 悪態をつきながら悪戦苦闘しているのは、リンダ・キューブリック。戦場で暴れまわる大柄な彼女が、今は小さな赤ちゃんをあやしている。そのギャップは、衝撃の光景と言って差し支えない。
 騎士団長から呼び出しを受けたのが運の尽きだった。彼女が想像した通りの始末書だったら、どれほど良かったことか。
『お前も騎士として中堅なのだから、そろそろ社交性を身につけろ。いつまでも一匹狼を気取ってるんじゃない』
 余計なお世話だ、と反論してやりたかったが、日頃から世話になっていて『戦友』でもある団長に対して、そんなことを言うわけにもいかない。睨んではみたが、平然と受け流されてしまった。ご丁寧なことに、アルザラ1号での警護、介添人としての正式な命令書まで用意してあった。
「だぁぃい!」
 言葉も分からない赤子を背に乗せて、『お馬さんごっこ』。
「ぐッ……何たる、何たる屈辱……!」
 大柄な彼女の背に乗れば、普通の親が馬をやるよりもずっといい景色が見れる。ただし、『たかいたかい』は船室の天井に頭をぶつけてしまうから禁止だ。
 さらに。
「こんな布、適当に巻いておけばいいだろうッ!」
 1枚のさらし布を器用に巻く『おしめ』などは、まったくの門外漢。当然、1度見せられてすぐに覚えられるようなものではない。
「まずこうだ。次は、このように」
 ヴォルク・ガムザトハノフは、意外にも慣れた手つきでリンダの横につき、その折り方をレクチャーする。
「分かるかッ!」
「分かるぞッ!」
 2つの大声が、せっかく寝ていた赤子を起こしてしまった。
「あー、すまない、驚かせてしまったな」
 ヴォルクは優しい声を掛け、泣き始めてしまった子の元へ。
「すまない……だが、これくらいで泣いているようでは、魔王の右腕失格だな?」
「……魔王?」
 おしめレクチャーの途中で放り出されたリンダは、ヴォルクの発した言葉に、困惑を隠さない。
「良いか、お前は将来、俺に仕える幹部となるのだぞ?」
「えっ、ちょ、お前、何を……」
 ヴォルクの魔王的あやしに、なぜか眠りに落ちる赤子。
「大丈夫なのか、そんな寝かし付け方で! 悪夢を見るのでは――」
「安心しろ、それもまた、修行なのだ」
 リンダは、尊敬していいのか、それともたしなめるべきなのか分からず、ただ「そうなのか?」とつぶやいた。
「さあ、魔王保育園の開園だ!」
 ヴォルクはどこからか、分厚い木彫りの看板を取り出し、船室の入り口に掲げた。
「貴様、どこからそんなものを……って、魔王保育園……!?」
「むッ、お前は……」
 ベッドの下で、1人おもちゃ遊びをしていた幼児。胸元の名札には「あっしゅ・るわーる」と書かれている。 
「そうか、お前は……あの船長の息子か」
 ヴォルクは入口で出迎えをしていた船長の名前を思い浮かべていた。確かその名は、タウラス・ルワール
「よし……お前も徹底的に指導だッ! まず、俺を呼ぶときは、『先生』と大きな声で呼べッ! 返事は『ハイ先生ッ!』、両親のことも『父上』『母上』と呼ぶのだッ!」
「軍隊指導かッ!」
 リンダが思わずツッコミを入れる。
「魔王たる俺の右腕、左腕となるのだ! 最低限の英才教育は必要だろう!」
「貴様、本当にこれが『子守』なんだろうな?」
「もちろんだ! さあ、お前はもう一度『お馬さんごっこ』から……」
「勘弁してくれ!」
 ともあれ、にぎやかな託児室である。
「二度とやるか! こんなこと!」
 リンダの絶叫が響いた。
 ちなみに、魔王保育園の看板はほどなく撤去された。

●波の音の響く甲板で
 打って変わって、甲板は穏やかなものだ。小潮であるから、というのもあるだろうが、波も穏やかで、景色もいい。
 クラムジー・カープは、黙々と風景画を描いていた。流刑囚に準ずるような扱いを受けている今では、「外」に出ることは滅多に叶わない。特に、島にここまで近付いた状態で外観を見ることなんて、まず難しいだろう。そういう意味で、このティーパーティーは、海流や風、島の外形を確認するのに絶好の機会だった。平面地図と突き合わせて確認すれば、何か有益な情報にたどり着くきっかけになるかもしれない。誰かと話すことや情報を交換することよりも、こうした物言わぬ自然からの情報収集のほうが、ずっと重要なことに思えていた。
 クラムジーが描いたスケッチは、出航してからすでに3枚目に突入していた。船が進むにつれて、様々な光景が飛び込んでくるため、どんどん描き上がっていく。さらに、そこに海流などの文字情報も載る。スケッチというよりは、ほとんど『データ』と言っていい。
 船での滞在時間を考えると、ちょうど今が出航地点の反対側あたりになるだろう。隆起して出来た比較的高度の低い、なだらかな土地が広がっている。だが、よく見ると浜辺の雰囲気や細部は、微妙に異なっているようでもある。クラムジーは、そのわずかな違いを、精一杯描き上げていたのだ。
「うわっと……」
 船がぐらんと大きく揺れた。一瞬魔物を想像して顔が凍ったが、すぐに少し大きめの波だったことに気が付いて、安堵のため息が漏れた。
「あっ」
 見ると、せっかく素晴らしく描けていた海岸線が、大きくV字に歪んでしまっている。
「あー……」
 誰にも聞かれないように落胆の声を漏らして、クラムジーは深く刻まれたその線を消していく。スケッチブックには深い鉛筆の傷が刻まれている。仕方がない。船の上でのスケッチなのだ。線がズレる直前の状態まで戻せたら、またクラムジーは筆を進めていく。
 甲板に出てきたベルティルデを護衛しているのは、リベル・オウスだ。
 パーティーへの参加、というのも悪くないが、海の上で景色を眺めてのんびり、というのも悪くないと考えていた。誘おうと思っていたベルティルデが見当たらなかったので1人潮風にあたっていたところ、彼女が出てきた、というわけだ。
「なあ」
「はい?」
 島の反対側を見ると、どこまでも果てしなく海が続いている。リベルは、マテオのことについて話そうかと思ったが、彼女の気が重くならないようにと、その話題を避ける。
「使命を終えたあと、どうするんだ」
「どう、ですか」
「戻るんだろ、『ルース姫』に」
「そうですねえ……」
 彼女は風になびく髪を手で押さえ、「うーん」と小さく考えた。今はまだ、その未来について考えるだけの余力もなかったのかもしれない。「そうかもしれませんね」と、ベルティルデはそれだけ答えた。
「『ベルティルデ』でも『ルース姫』でもない、お前自身のやりたい事、何かあるんじゃないのか?」
「わたくし自身が、ですか」
 今度は、目を大きく見開いて、リベルの顔を覗き込んだ。そして、その顔に悪意も他意もないことを確認すると、小さく頷いて、遠く外洋を見た。
「わたくしは、今は、マテオ・テーペに残された住民の皆さんを迎えに行く、その準備期間だと思っています。わたくしのことは、その後です」
「だからってよ」
 リベルも同じように、遠くを見た。
「なんでもかんでも1人で背負いこんじゃ、ダメだろ」
「大丈夫、わたくしは1人ではありません」
 ふふっ、と微笑んで、もう一度リベルの顔を見た。
「こちらに来たマテオの皆さんと、残された皆さん。皆が、わたくしの味方ですもの」
 輝く笑顔に、リベルは彼女を直視できなかった。
「ですから、皆さんの願いを叶えること、それが今のわたくしのやりたい事です。『ベルティルデ・バイエル』としても、『ルース・ツィーグラー』としても」
 ベルティルデの心持ちは固いようだった。リベルはそれ以上聞くのがいいのかどうか分からず、「そうか」と返事をする。
「そういえばリベルさん?」
「ん?」
「以前ダンスを一緒に――」
「ああ、すまないが今日はパスだ」
 以前、リベルはベルティルデにダンスを教わったことがあった。マテオ・テーペにいたときの話だ。
「あれから全然練習も出来ていなくてな」
 何より、ベルティルデ自身が色々抱えている身なのだから。
「色々スッキリしたら、その時頼む。俺から、きちんと声をかけさせてもらいたい」
「そうですか」
 ベルティルデは彼の気持ちを察したように微笑むと、また遠くを見つめた。

 ユリアス・ローレンは、カサンドラの隣で船の後方甲板にいた。ゆっくりと進む船の後ろに出来る小さな白波が美しい。風が、2人の後ろから前へと吹き抜けていく。
「こんなに大きな船に乗るのは初めてです」
 ユリアスが言うと、カサンドラは「私も、です」と控えめに同調した。
「あの洪水があって、こんな景色になったんだと思ったら悲しくなりますが」
 ふと頭によぎった幾つかの嫌な過去を押し潰すように、彼は無理に笑顔を作った。
「悲しいこと、辛いこと、沢山ありましたが、カサンドラさんに出会えたことは、とても良かったと思っています」
 カサンドラの中には、深い悪夢が潜んでいる。ユリアスの発した言葉のその裏側に何か淀んだ部分はないかと、まるでそれを見つけることが義務かのような面持ちでさえある。だが、そこに何もないと知ると、沈痛な面持ちのまま、「そう、ですか……」と答えた。
「そう言えば、最近楽しい夢を見ました」
「夢、ですか……?」
「はい。内容は、あまりはっきりと覚えてはいないのですが、確かカサンドラさんが出てきたような」
「私が……」
 彼女は驚いたように瞳を丸くした。
「そうですか……私が……」
 何か思い当たることがあるのか、彼女は何度もそれを繰り返す。
「寝る前に楽しい事を考えて眠るといい夢を見やすくなるそうです。いい夢が見れるといいですね」
「……ええ」
 彼女がようやく、ふっと微笑みを向ける。どこかで見たような、或いはそれは、ユリアスの白昼夢だったのか。
 ガツン、と船が大きく揺れた。
「きゃっ……」
 カサンドラがふらついたのを、とっさにユリアスがかばって抱き留める。
「大丈夫ですか?」
「あっ、ああぁっ……」
 突然の事態に慌てふためくカサンドラ。彼女はとっさにユリアスから離れる。
「ごめんなさい、私、その、私……」
「あ、いえ、こちらこそ、つい体が……!」
 誰かに支えられたり、また手助けを受けたりすることに慣れていないのだろうか。それとも、彼女自身が、それを拒んでいるのだろうか。
「ありがとうございます……」
 言葉では感謝の意を示しているのに、カサンドラがまとっている雰囲気はまるで逆の、困惑に近いものだった。
 ユリアスは、心の中で思った。
「……綺麗な瞳なのに、隠しているのは勿体ないな……」
「へ……?」
 口に出ている。カサンドラは、呆気に取られて、なぜそんなことを、と言わんばかりの表情だ。
「あっ、いたいた」
 そこに、アウロラがパーティールームから顔を出す。
「どこに行ったかと思ったよ。ちょっと目を離したらいなくなってるんだから……」
 アウロラはカサンドラの横に並んで、2人の顔をまじまじと見つめる。それからカサンドラに「今日は楽しかった?」と聞いた。
 カサンドラは、黙って静かにうなずいた。

 もうすぐ、船着き場に戻る。お茶会は、様々なトラブルを引き起こしたものの、『大成功』と言って良いだろう。

●終わった後で
 セルジオ・ラーゲルレーヴは、パーティー中、アトラ・ハシス島へ帰る人達と言葉を交わし、感謝の気持ちや別れを惜しむ気持ちを伝えていた。
 そんな中で、どうしても気になっていたのは――共に訪れたミコナ・ケイジのこと。
 彼女も帰ってしまうのだろうか。
 ミコナは、給仕としてお茶を淹れたり、招待客たちのお世話をしていた。
 アトラ・ハシス島より、こちらの島の方が……危険が、ある。
 強制労働を強いられてきた同郷の仲間達のこともあるし、あちらでも人ではいるだろう。
 素直で、頑張り屋で、優しい彼女はアトラ・ハシス島の方でも、必要な娘だろう、けれど……。

 パーティーが終わったあと、当然のようにミコナはセルジオの隣にいた。
 今日あったこと、ここでの暮らしのことを、いつものように話していく。
 ミコナは、これからのことについては何も言わなかった。
 船が出航した後は、ここに残るアトラ・ハシスの民たちも、住処を失う。
 傭兵騎士となったセルジオは宿舎を与えられているけれど……。
(島に戻るより、苦労させてしまうかもしれない。それでも……このまま残って、一緒にいてほしい)
 そんな思いを抱きつつ、セルジオはミコナを見詰めていた。
 セルジオと目が合うと、ミコナは見つめ返して……話を、止めた。
「ミコナさん」
「はい……」
「船の出航はもうすぐです。ミコナさんは、どうするつもりですか? いえ、気持ちを聞く前に、言わせてほしい」
 セルジオの真剣な眼差しを受けて、ミコナは緊張を覚えていく。
「僕は、ミコナさんにこのまま残って欲しい。一緒にいて欲しい」
 ミコナを見詰めながら、セルジオははっきりとした口調で気持ちを伝える。
「そして、これから先もずっと側にいて欲しい」
 ミコナは驚いた表情で、セルジオを見詰めている。
「僕の恋人になってくれませんか?」
 ずっと、誰が見ても恋人同士だった2人。
 だけれどちゃんと、付き合ってほしいと伝えたことは共に、なかった。
「セルジオさん、私……」
 ミコナは真っ赤になりながら、緊張で途切れそうになる声を押しだす。
「セルジオさんが、好き、です……っ」
 自分から好きだと言える女性になりたい。ミコナはずっとそう思ってきた。
 だけれど、セルジオが眩しすぎて。釣り合う女性なのだろうかと、思い悩んでも、いた。
「僕もミコナさんが大好きです」
 優しく、愛しげにセルジオはミコナを見ていた。
「これからも、側にいてくれますか?」
 恋人として……。
 その言葉に、ミコナは涙を浮かべながら頷いた。
 ミコナが帰るというのなら、それを止めるつもりはなかった。
 せめて、別れの朝まで……一緒にいて欲しいと願っていたけれど。
「引っ越しの準備をしましょう。騎士団の宿舎に」
 すぐにでも、自分の側に来てほしい。
「はい」
 2人は、見つめ合い。
 どちらからともなく、手を伸ばして抱きしめ合った。
 ずっとずっと……夢見ていた、時間だった。

「おつかれさま。お茶をいただく余裕はありますか?」
 見送りをすませたあと、正装のまま、タウラスは操舵室に顔を出した。
 レイニは操舵士と共に、機器の点検をしていた。
「ん、もうすぐ終わるわ」
「それでは隣の休憩室で。アッシュは寝ていますよ」
 そう言って、タウラスは給湯室でハーブティーを淹れてくる。
 そして、先に休憩室に来ていたレイニの前にカップを置いて、自分も隣に腰かけた。
「はあ……疲れたわね。でも、これくらいカジュアルなら私も楽しめたかなぁ」
 レイニはあまり王侯貴族の相手が得意ではない。帝国の貴族に限らず、あまり良いイメージを持っていないらしい。
「次は是非、一緒にダンスが出来るパーティーだといいですね」
 と、タウラスが言うとレイニは苦笑する。
「あなたはホント、様になるわよね」
 レイニは自分の旦那の姿を眺めて、しみじみと言った。
「ところで、このあたりはやはり特殊な海流なんですか? ア・クシャスの周りのように」
「このあたりは自然現象のようよ。アトラ・ハシス島の周りは、風の魔力の影響だったみたいだけれど……」
「もっと魔力があれば少しは察知できるものなのかもしれませんね。俺たちは素質なしですが、アッシュの属性と素質はどうなんでしょう?」
 乳飲み子の息子、アッシュ・ルワールの属性はまだ解らない。
「うちの家系に魔術師はいなかったわねー。タウラスのご両親も魔法の才能がなかったのなら、アッシュもないでしょうね。そういえば、アッシュはいい子にしてた?」
「はい、航海中、託児室も覗いてみましたがアッシュは楽しそうにしていましたよ」
「それは良かった。今はいい夢、見ていそうね」
 レイニはタウラスが淹れたハーブティーを飲み、ほっと息をつく。
 休憩室に夕日が射し込んでくる。
 まぶしそうにレイニが目を細める……。
「あとどれくらい、こうしてあなたにお茶を淹れられるのかな」
 夕日と同じ、少しさびしさを感じる響きの声だった。
「出航の日付を決めたら早めに教えてくださいね。少しでもゆっくり過ごせる時間を作りたいから……」
「準備が出来次第、すぐってことになると思う。海賊に狙われたりしないうちに」
 そして、船が戻ってくるのは、海賊の問題が収束してからになるだろう。
 戻ってきた船に、タウラスの家族は……。
「言わないのね」
「何をです?」
「置いていかないでって。そう言われたら、お兄ちゃんでしょ、しっかりしなさい! って返そうと思ってたのに」
「子どもではありませんから」
「うん、分かってる。あなたは私の……大切な伴侶。ねえ、タウ」
 何かを求めるような目で、レイニがタウラスを見詰めた。
「はい」
「アッシュも遊び疲れてるだろうし……。今晩、空いてるわよ」
 レイニがタウラスの手に手を重ねた。
 タウラスは彼女の指に自らの指を絡めていき、握りしめる。
 そして、彼女を引き寄せ……。
「レイニ姐さん! 土産にもらったポビャンスカの像どこに置けばいい?」
 突然扉が開き、バッと離れる2人。
「そ、倉庫に入らない? 確か奥の方が……」
 船員と共に、慌てながらレイニは出て行ってしまった。
(……何に使うんですか、それ)
 タウラスはひとり、まだ温かさの残る手を握りしめた……。


●担当者コメント
【東谷駿吾】
船上パーティーにご参加下さり、大変ありがとうございました。
紅茶のある時間は、優雅で素晴らしいですね。
本格英式ティータイムを夢見ながら、まったくイギリスに縁のない私は「午●の紅茶」を飲むのでした。
次回も、どうぞよろしくお願いします。

【川岸満里亜】
ご参加いただきまして、ありがとうございました。
冒頭とレイニ・ルワール、バリ・カスタル、ルルナ・ケイジ、エルザナ・システィック、ミコナ・ケイジ登場部分を担当させていただきました。
本編ではなかなかキャラクター同士の交流をじっくり描く機会はないので、今回描かせていただけて嬉しかったです。
今回参加をされなかった方も、ご参加いただきました方も、また是非ご参加ください!