カナロ・ペレア オープニングフリーシナリオ

 参加案内はこちら

『はじまり』

◆パレードの日
 皇帝即位五周年記念パレードの日、大通りは人でごった返していた。
 セルジオ・ラーゲルレーヴは目が回りそうな人の多さにすっかり圧倒されてしまっていた。
 ただ立っているだけでも、後ろから来る人に押されたりすれ違う人とぶつかったり。時には文句を言われることさえあった。
 そこで彼はハッとして、一緒にパレード見物に来たミコナ・ケイジがちゃんといるか確かめた。
「す、すごい人ですね……」
 ミコナは興奮したように行き交う人々を目で追っている。
 このままでははぐれてしまう──
 セルジオはとっさにミコナの手を掴む。
「え、あ、あの」
「ここではぐれたら見つけるのは難しいと思うので。あ、もし嫌でしたら別の……」
「ううん。嫌じゃない……このままで」
 ミコナの小さな手がセルジオの手を握り返した。
 二人は人の流れに沿って通りを歩いた。
 街道脇にある飲食店はどこも満席で、記念品を売る店も多数あった。中には外に売り場を設けて客を呼び寄せている店もある。
「ミコナさんは、こういう賑やかな街を訪れたことはありますか?」
「兄に話しを聞いたことがあるだけで、体験するのは初めてです。セルジオさんは?」
「僕も初めてです。父から様子を聞いたことはありますが、百聞は一見に如かずですね」
 そもそもセルジオは幼い頃は体が弱かったため、家と学校と近隣しか行ったことがなかった。
「それに、ここはもともとは離宮だったそうですから、本当の帝都はもっと栄えていたんでしょうね」
「想像がつきません……」
 途方に暮れたような顔をするミコナ。セルジオも同じような気持ちだ。
 その時、通りの先が大きくざわめいた。そしてそのざわめきはどんどん近づいてきている。
「パレードかな」
 セルジオは背伸びをして様子を窺おうとしたが、人だかりで見えない。そこで、ミコナの手をしっかり握りながら人をかき分けて最前列まで進み出た。
 大通りはスヴェルが交通整備を担当し、沿道にはロープが張られていた。
 周囲の歓声が最高潮に達する中、騎士団に先導されて皇帝と皇妃が乗る馬車は目の前を悠然と通り過ぎていった。
 パレードの最後尾が見えなくなっても、人々の興奮は冷めやらない。
 ミコナも頬を赤くして感動していた。
「皇妃様、綺麗でした!」
「さすが威厳のあるパレードでしたね」
「セルジオさん、記念品を見に行きませんか? パレードを見たら欲しくなってしまいました」
 記念品を売っている店はたくさんあるので、選ぶ時間も楽しいに違いない。
「異国の地で皇帝のパレードを見てお店を巡るなんて、何だか新婚旅行みたいですね」
 弾む気持ちのまま出てしまった言葉に、ミコナはハッとして顔を真っ赤に染めた。
「いえ、今のは、その……」
 うつむいてゴニョゴニョと何かを言うが、言葉にはなっていない。
 そしてセルジオにもそれは伝染していた。
「す、少し歩きましょうか」
 ミコナは自分と新婚旅行をするような関係になりたいと思ってくれているのだろうか──セルジオは脳みそが沸騰したようにクラクラしていた。

 

 

 パレードの最中。
 傭兵騎士となったウィリアムは、宮廷に訪れていた。
 使用人にウィリアムが会いに来ているとアーリー・オサードに伝えてほしいと伝言を頼んだが「忙しいのでまた今度と仰られている」と、面会を断られてしまう。
「部屋に籠りっぱなしで忙しいとかないだろ」
 ため息をつきながら、ウィリアムは使用人の制止を無視して彼女の部屋のドアノブに手をかけた。
「入るぞ」
 鍵はかかっていなかった。
 ソファーに座っていたアーリーが立ち上がり、戸惑いの表情を見せる。
「よう、差し入れ」
 ウィリアムはアーリーに近づき、屋台で買った菓子をアーリーに差し出した。
「ありがとう」
 視線を避けるかのように、アーリーは受け取った菓子に目を向けていた。
 何を話したらいいのか――2人は、少しの間沈黙した。
「……一人で抱え込むなよ」
 彼女の想い、全てを理解していたわけではないけれど。
 今のこの状況は、彼女が思い描いていた理想からかけ離れていることだけは解る。
(待遇が良すぎる、人質なら妃にする必要もねぇだろうし)
 遠目で見ただけだが、皇帝は女好きという感じでもなく、そういう噂も聞かない。
 ならば、継承者絡みの無茶でも振られているのだろうかと、ウィリアムは考える。
「燃える島、知ってるだろ? そこの調査に行くことにした」
 ウィリアムの言葉に、アーリーはビクリと反応をして、顔を上げる。
「あそこに、放出された魔力が――マテオの力場が移動してきた可能性もあるし、レイザに関する何かが有るかもしれんし」
「行かなくていいわよ。私が行くわけじゃないし、もう関係ないでしょ。あなたには、自分の幸せだけ考えて生きてほしい」
「あの島の状態は、アーリーに関係ないのか?」
 ウィリアムの問いに、アーリーは頷きかけるがそのまま沈黙した。
 もう少し、近づきたいとウィリアムは思う。拒否していても、彼女は人を必要としている。自分のことも、嫌いになったわけではないはずだ……。
 だけれど、絶対的な力を持つ、皇帝の妃に求められた彼女に、これ以上近づくことなど許されるわけもなく。
「……それじゃ、今日はもう行く」
 ドアの前でウィリアムは振り返る。
「俺、お前の事を諦めた訳じゃないからな」
 そう言葉を残して、ウィリアムが部屋の外に出た途端。
 アーリーはドアへと近づいて、彼の背に向けて言う。
「どういう意味? 次に来る時ははっきり言って」
 アーリーは苦しげにそう言ってドアを閉めて、鍵をかけた。

 


 パレードの騒ぎも一段落した頃、ローデリト・ウェールは自宅でのんびりとお茶を飲んでいた。
 この家には彼女の他に住人はいない。
 五年前の大洪水で両親は失った。その後は祖母と暮らしていたが一年前に死去。それからは一人だ。
 けれど、ローデリトは悲観していなかった。
 従兄妹はいるし、その従兄妹の幼馴染とも仲良くなった。
「パレード、すごかったなー」
 お茶を一口飲み、ここ五年間で一番の賑わいを思い出す。
 この国にはこんなに人がいたんだと驚くほど、人、人、人だった。
 皇帝をひと目見ようと大通りは息苦しいくらいにギュウギュウで。でも、華やかなパレードに人々はみんな笑顔で。
 と、そこで広場であったワンシーンに、ローデリトは眉を寄せた。
「あのお姫様殺せコールはダメだなー」
 そのため皇帝の演説に素直にバンザイと言えなかったのだ。
 ローデリトは顔も知らないウォテュラ王国の姫のことを思った。
 ──姫が何も失っていないって、誰が言い切れる?
 世界を水没させたのは確かに姫の国だ。けれど、だからと言って即処刑に繋げるのは違うのではないか。
 そんなふうに考えた。
「水の魔力が暴走して大洪水なら……」
 ここでなぜかローデリトの思考はとんでもない方向へ飛躍していく。
「もし皇帝へーかの地の力が暴走したら地震や地割れ? 僕、地底人だったかもなぁ」
 正確には皇帝の地の魔力の暴走ではなく、地の魔力の吹き溜まりが暴走したらひょっとしたらローデリトは地底人になっていたかもしれない、ということだ。
 そして、地底人になった自分を想像して小さく噴き出す。
「ま、どうなるにしろ、おとうさんとおかあさんなら憎んで殺せと言うより、何がホントーのことか知りなさいって言うに違いないね」
 真実を知っていけば、皇帝が言ったように自分達が選ばれた者かどうかわかるだろう。
 そしてそれがわかった後は……。
「まー、なるようにしかなんないかー」
 あれこれ考えても結局ローデリトはいつもの地点に着地した。
 ちょうどカップの中身もなくなった。
 おかわりしようかなー、とローデリトはのんびり席を立ったのだった。

 


 パレードが終わってからも続いた喧騒がようやく静まった頃、スラムと一般居住区の間くらいにある宿酒場の二階。その薄暗い一室にエルタと酔った男が入って行った。
 エルタはここに住み込みで勤めている。
 この宿酒場は夜のみ営業し、場合によっては女性従業員は客と一夜を共にする。
 そういう店だった。
 今エルタと部屋に入った男も、そんな客の一人だ。
 男はフラフラしながらエルタを抱き、ベッドに倒れ込む。かなり酔っている。
「今日はなかなか人が途切れなくて、私のような者しかあいていないのです……」
「いやいや、あんたけっこうイイと思うぜ」
 呂律の回っていない男の言葉に、エルタは静かに微笑んだ。
「あんた、前に騎士団にでもいたのかい?」
「いいや。どうして?」
「かなり鍛えてるだろう」
 エルタは以前、傭兵として腕を振るっていた。しかしそんな中で右腕の肘から先を失っている。今は傭兵稼業からは身を引き必要とあらば武器を取る程度だ。
「もしかして、ここの用心棒か? 人手が足りなくて駆り出されちまったか?」
 そりゃ悪かったな、と酒に酔った赤い顔で男は笑った。
「間違いではないかな」
「あはは、そうかそうか。転がり込んで悪かったなァ」
「お客さんが気にすることはないですよ」
 それに、接客も仕事のうちだとエルタは続けた。
「パレードは見たかい?」
「少し」
「皇帝の演説にはしびれたぜ。世界の敵の王女を働き次第で許そうっていう寛大さ! 俺には真似できねぇよ」
 男は昼間の皇帝の演説を思い返しているのか、ニヤニヤと笑んでいる。
 エルタは何か返そうとしたができなかった。
 彼女はウォテュラ王国の国民ではないが、そこで傭兵として雇われたことがあった。そのため現状の王国人の扱いには同情するものがあったのだ。
「お客さん、喉は渇いてませんか」
「ん~、なんも……今日は、このまま……」
 眠くなったのか、男はエルタの腰に腕を回したままいびきをかき始めた。
 彼がすっかり寝入ったのを確認し、エルタはそっと腕を離して起き上がる。
 階下の店はまだ騒がしい。
 エルタは男に毛布をかけると、ベッド脇の椅子に腰かけ浅い眠りについた。

◆優雅なお茶の時間を
 皇妃カナリアが主催したお茶会は、宮殿の庭で行われた。立食形式の気楽なお茶会だ。
 丁寧に手入れされている庭は初春の花々に彩られ、訪れた招待客の目を楽しませている。
 小さな白い花を満開に咲かせた木の下に軽食や飲み物類が用意されていた。
 帝国の貴族や富裕層が数多く集まる中、マーガレット・ヘイルシャムはマテオ・テーペ出身でありながらも貴族ゆえか、とても自然に溶け込んでいた。
 公国にいた頃は病弱のため家にこもりがちだったが、作法は学んでいたおかげだろう。
 マーガレットはここで暮らしてからはマテオ・テーペ回顧録の執筆をして過ごしていたが、その一方ではかの地の日々が思い出されていた。
 親しくしていた人達は元気だろうかと、感傷的になってしまう時間が増えていく。
 ほとんど会話をしたことはないが、宮殿に身を寄せたアーリーは部屋に閉じこもったままである。
 また旧王国の姫とも親しくはなく、彼女の家が行ったことを知ったこによりなおさら話しかけにくい気持ちになっていた。
 このように、今のマーガレットには気軽に声をかけられる人が少ないのだ。
 何人かの帝国貴族と他愛ない会話を交わした頃、明らかに雰囲気の違う女性を見かけた。
 皇妃である。
 今までは少し離れたところにいたが、近くまで来てしまったのなら挨拶しないわけにはいかない。
「本日はお招きいただき光栄にございます」
「ごきげんよう、マーガレット様。そんなにかしこまらず、どうか楽になさってください。ここでの暮らしはどうですか。ご不便などはありませんか」
「ええ。私にはもったいないくらいです。お部屋の調度品も素晴らしく──さすがに歴史ある帝国の文化だと感激しました。この目で見ることができて、とても嬉しく思っております」
 できることなら、違う形でこの国を訪れたかったとマーガレットは思った。
 カナリアはその心情を察したのだろうか、公国の工芸品について触れた。
「公国にはとても腕の良い職人がいると聞いています。このような事態になってしまったことを惜しく思っています」
 カナリアの言葉に嘘は感じられず、マーガレットはやわらかな微笑みを返した。
 そこに給仕達が新しい紅茶と茶菓子を運んできた。
「今日のお客様が下さったのよ。──ふふっ、良い香り」
 カナリアの言う通り、心が華やぐような良い香りの紅茶だった。また茶菓子も紅茶にぴったりのものが選ばれている。
「どちらの方からですか?」
「あの方ですよ。──ラミルさん、素敵なものをどうもありがとう」
 マーガレットにリキュール・ラミルが紹介された。ポワソン商会の代表だという。背が低く太めの体型は鈍重そうに見えるが、代表というだけありその目は商人らしい鋭さを持っていた。
「紅茶もお茶菓子もとても良いですね。こちらのマーガレット様もお気に召したようですよ」
「気持ちが明るくなるような、そんな素敵な香りでした」
「それは光栄でございます。皆様に喜んでいただけたらと選りすぐったかいがありました」
 カエルに似た風貌のリキュールが笑うと妙な愛嬌が出る。
 いつでもご用命くださいと言い、リキュールはカナリアの前から下がった。
 それから彼は知り合った貴族や商人のところへ戻り、話の続きを始めた。
 話とは、漁業の再開についてだ。
「皆様もかつて口にした魚料理を覚えていらっしゃるでしょう? ……え、肉料理の味しかご存知ない? そういうお方はぜひともこの機会に魚料理の世界へまいりましょう。手前がご案内いたします」
 キリュールは食糧事情の現状の危機からこのように話を展開していっている。
「たしかに周りは海。そこに魚がいるというなら、それを食べない手はないな」
「お肉の生産も限界がありますしねぇ」
 この話の輪には商家の娘のヴィオラ・ブラックウェルも加わっていた。彼女は魚料理が好きだ。
「ですが、漁ができる唯一の海岸は、海賊が占拠していますよね……」
 やりきれない現状に思わずため息が出てしまうヴィオラ。
 今の帝国は周りを海で囲まれてはいるが、漁ができるのは東側の海だけだ。その他は無数の渦巻きにより船を出すのは不可能である。
「退治するなり懐柔するなり……対応が必要でございますな」
「物価が高くなっているのも海賊のせいかしらねぇ」
 扇で口元を隠しながらも目で海賊への嫌悪を露わにする貴族の夫人。
 物価の上昇は、特定の品が値上がりしているのではなく、全体的に少しずつ値上がりしている。
 そこから貴族達は、農家が怠けているだの誰かが買い占めているだの、根拠のない噂話に興じ鬱憤を晴らし始めた。
 ヴィオラはそれらを聞き流しながら、絶妙な焼き加減のスコーンにジャムをつけて食べた。
(一通り挨拶もしたし、顔も覚えたかな……)
 少しすると貴族達の気が晴れたのた、話題は魚料理に戻った。
 あそこで食べたあの料理、あのお店のシェフのアイデアの斬新さなど尽きることなく出てきていた。
 こんな話も何かの役に立つかしらと、ヴィオラはとりあえず頭の片隅にメモしておいた。
 と、そこにどこからともなく楽し気な笑い声が混ざってきた。
「シェフなら良い人を紹介できますよ……いえ、ここにはいないのですがね」
 テーブルに軽く体を預けているリュネ・モル。どことなく不自然な姿勢をしていた。
「あなた、マテオ・テーペの人よね」
 と、ヴィオラはリュネの出身を思い出す。
 カナリアが態度を変えないからか、この場でマテオ・テーペの人を悪く言う声はなかった。
「海の中だとお魚は捕れたの?」
「障壁で覆われていましたので、魚は池にいたごくわずかなものだけでした。こことたいして変わりませんね」
「そうなの……。ところで、腰、どうかしたの?」
 ヴィオラの指摘に、リュネはあいまいな微笑みでごまかそうとしたが、周囲の貴族からも注目されてしまい観念して事情を明かした。
「ガラスのハートならぬガラスの腰……なんですよ」
「え、と……?」
「まあまあ、詳しく聞くのはよしましょう」
 若いヴィオラにはいまいちピンとこなかったようだが、同年代のリキュールはリュネに同情の眼差しを送った。きっと今も貧血を起こしそうな痛みに襲われているのだろう、と。
 リキュールはリュネにこっそり囁いた。
「椅子を用意していただきましょうか?」
「いえいえ、なんのこれしき」
 リュネはやせ我慢をした。
「それよりも私……大失態を犯してしまったことにたった今気づきましたよ」
 肩を落としたリュネの視線の先には、貴族達と歓談するカナリアがいた。
「あの大輪の花を前に、花束を忘れてしまいました……」
 リュネの落ち込みようが大げさに見えたのか、周りの貴族達がクスクスと笑う。
 次に期待ね、などと励ます声もあった。
 ヴィオラも洗練された立ち居振る舞いを見て、さすが皇妃様だと見とれてしまう。
「皇妃様、きれいよね。招待状をいただけて本当によかった」
 お茶会の様子はしっかり両親にしっかり報告しなくちゃ、とヴィオラは思った。

◆宮殿の穏やかな日々
 帝国騎士であることに誇りを持っているジェザ・ラ・ヴィッシュは自己管理を怠らない。世間に対して恥ずかしくないよう、常に緊張感を持って日々を過ごしている。
 即位五周年記念パレードも終わり宮殿にも静寂が戻ると、ジェザは魔法図書館で勉強でもしようと思い足を運んだ。
 そこでばったり近衛騎士のチェリア・ハルベルトと出会った。
 彼女はまだジェザには気づいていないようなので、彼のほうから声をかけた。
「こんにちは。勉強ですか?」
 顔をあげたチェリアの口元が緩む。
「調べものだ。お前のほうこそ勉強か?」
「ええ。仲間に後れを取るわけにはいかないので」
「良い心がけだ。そういえば、パレードの準備でもよく働いていたと聞いた。ご苦労だった」
「当然のことをしたまでです」
「皆がお前のように熱心なら良いのだがな」
 怠ける者も中にはいる。どこでも同じだ。
 それからジェザは、パレードという大仕事の後は何が控えているのか尋ねた。
「ほぼ通常通りの任務が下されるはずだ。あとは、騎士団から選抜したメンバーで燃える島の調査を行う」
 燃える島と呼ばれてはいるが、二年前は遺跡があるだけの島だった。いっこうに鎮火の気配がないのはなぜなのか、それを調べに行くのだ。
「もっとも商売人にとっては炎や遺跡の謎よりも、海賊が居座るせいで店先に並ばなくなった魚介類のほうが重要らしい」
 先日のお茶会の様子を思い出し、ククッと笑うチェリア。
「と、言いますと?」
「商会の者も参加していたのだが、漁業の再開を熱心に説いていたぞ。確かに魚介類が収穫できて、それを卸せるとなればその分利益が増えるだろうからな。私達は海賊の対処のほうに目が行きがちだが、立場が違えば見方も変わる……おもしろいな」
「つまり、漁業を再開させたいからさっさと海賊を何とかしてくれと」
「直接そうは言わなかったが、まあ、そういうことだろうな」
 海賊の海岸占拠は、漁業で生計を立てていた者達にとっては職を失ったも同然だった。
 それを思うとジェザも怒りを禁じえないが、一人でどうにかできることでもない。
「いつどんな任務がきても万全で臨めるようにな」
 チェリアは微笑みの中にも真剣な色を混ぜてそう言った。

 


 ロスティン・マイカンが魔法図書館を訪れると、今日もいつもの席でエルザナ・システィックが本を開いていた。
「ミーザ……おっと、エルザナちゃん今日も元気? 筋トレも終わったし勉強しにきたよー」
 彼の声に顔をあげたエルザナが笑顔で歓迎した。
 今日は彼女がいるテーブル近くの本棚にチェリアの姿もあった。時々見かけるが親しく話したことはない。しかしロスティンはいつもの調子で挨拶をする。
「チェリアさんは今日も美人ですねー」
「毎日熱心だな」
 チェリアは微笑むが、どこか冷めたものだった。
 そして彼女は探していた本が見つかったのか、その場を去って行った。
 ロスティンは先日から読み始めていた本の続きを棚から持ち出し、エルザナの正面に座った。見える範囲に他に人はいない。
「もしかして人がいないのは俺が入り浸ってるせい……? いや、そんなわけないな。たとえそうだとしても気にしない!」
「ふふっ。どうしたの?」
「帝国の人が俺達をどう思ってるかくらい知ってるよ」
 そこでロスティンは気づいた。
 エルザナと会うことは、彼女の迷惑になっていないか?
 それはロスティンの望むところではなかった。
「……もし、エルザナちゃんに迷惑かかってたらごめんね。その分は今後がんばって取り返してみせるから……」
「そんな。私のほうこそ」
 気弱になりかけたロスティンの言葉をエルザナが遮る。
 彼女はまっすぐロスティンを見つめて「迷惑なんて一つもない」と断言した。
 けれど、すぐ後には不安そうに瞳を揺らしてうつむいた。
「あの……本当のこと話したのに、傍にいてくれてありがとうございます。私は、マテオ・テーペじゃなくて……帝国が一番なんです。だから、もし他に好きな人ができたら、言ってくださいね」
 私からお別れは言えないから、と最後にとても小さな声で囁いた。
 瞬間、ロスティンの頭からつい先ほどまで言おうとしていたことがすべて吹き飛んでしまった。
「どうしたの、何か悩み事?」
 エルザナの不安を少しでもやわらげようと、ロスティンは手をのばして彼女の手に触れた。
「……ごめんなさい。ただ……」
 ロスティンの故郷に味方できないことで彼に嫌われてしまうのが怖いのだと言えれば楽だが、それはあまりにも自分勝手すぎやしないかとエルザナは口をつぐむ。
 どう言ってエルザナに元気を出してもらおうかと考えながら、ロスティンは彼女の小さな手を包み込んでいた。

◆ガーディアン・スヴェルのいつもの仕事
 その日、リィンフィア・ラストールは班長として年少メンバーを率いて農家の手伝いに行った。花を育てている農家だ。
 場所はスヴェル本部がある街からは少し離れたところにある、のどかな景色のところだった。
 花の農家は家族で経営しているのだが、四人いる子供達のうちの二人が風邪で寝込んでしまったため、スヴェルに手伝いの依頼が来たのだ。ちょうど出荷予定の花があるため、どうしても人手が必要だったという。
 仕事は順調に終わり、戻ってきたリィンフィア達を迎えたのはルティア・ダズンフラワーだった。
「おかえりなさい。うまくいったみたいね」
「この子達がすごくがんばってくれたんです。農家の主人も喜んでくれました」
 リィンフィアが答えると、やんちゃそうな男の子が「へへっ」と得意気に笑う。続いておさげの女の子が目をきらきらさせてルティアに言った。
「明日にはお花屋さんにいっぱいお花が届くのよ!」
「ふふっ。それは楽しみね」
 ルティアが女の子の頭を撫でると、彼女は照れたように笑った。
 ところで、とリィンフィアがルティアの手にある剪定鋏を見て不思議そうに言った。
「ルティアさんは何をなさってるんですか?」
「植え込みの手入れよ。管理人さんが手を傷つけてしまったそうで、代わりに植え込みの手入れをしてくれる人を探しているとヘーゼル様がおっしゃっていてね」
 引き受けたのよ、とルティア。
 リィンフィアより先に子供達が心配の声をあげた。
「おっちゃん大丈夫かよ」
「大怪我したの……?」
 管理人のマリオ・サマランチは、ここの子供達によくなつかれていた。
「大丈夫よ。ただ二、三日はあまり手は使えないの。だから管理人さんが困っていたら助けてあげてね」
 ルティアが言うと、子供達は元気に返事をした。
 それからリィンフィアが解散を告げる。
「みんな、今日は朝早くからご苦労様。ちゃんと手を洗ってゆっくり休んでね」
「リィンねーちゃん、またな~」
「お姉ちゃんもちゃんと休んでね」
 子供達は手を振って本部内へ走って行った。
「さて、私は報告に行ってきます。失礼しますね」
「いってらっしゃい」
 ルティアに見送られてリィンフィアは事務室へ任務完了の報告に向かった。
 事務室に入った彼女は、そこで同居人のキージェ・イングラムに気づいた。団長副官のヘーゼル・クライトマンと何やら話し込んでいる。
 キージェは依頼についての説明を受けているところだった。ヘーゼルと事務員がこの依頼のことで話し合っているところに彼が通りかかり、担当に申し出たのだ。
 内容は酪農家からのもので、チーズや肉類の輸送の護衛を求めるものだった。魔物の出現が増えたことで、スヴェルにはこうした依頼の数が増えたのだ。
「あなたになら任せられるな。もう何人か増やそう。よろしく頼むよ」
 はい、と頷いたキージェだが依頼に対して絶対の自信があるわけではない。彼には大洪水の時に母親を助けられず自分だけ生き残ったという深い傷がある。鍛錬は欠かさないから五年前よりは強くなったと思っていても、心に抱えた暗く重いものはいまだ居座ったままだ。
 その時、耳慣れた声に名前を呼ばれた。
「ジェイ、グレアムさんの手伝いをしてたんじゃなかったの?」
 キージェが家族を失った後に世話になっている家の娘のリィンフィアだった。
「ここに書類を届けに来た時に、この依頼のことを知ったんだ。アサインしようと思って」
 リィンフィアにも依頼書を見せる。
 魔物か……と、彼女は表情を曇らせた。
「気を付けてね」
「ああ。しっかり準備していくさ」
「無茶したらダメだよ」
「心配しすぎ。俺一人で行くわけじゃない」
「念のため、もう数名増やす予定だ。安心してくれ」
 ヘーゼルにも言われて、リィンフィアは自分の焦りに気づいた。
「そういうこと。じゃ、また後でな」
 キージェは団長の執務室へ戻ることにした。

 植え込みの手入れがほぼ終わった頃、ルティアのところにマリオがやって来て感謝の言葉を言った。
「本当に助かったよ。入口のところだからどうしても整えておきたかったんだ」
「管理人さんのイメージ通りにできているといいのですが」
「充分だよ。疲れただろう、休んで来てくれ」
 ルティアはマリオに礼を言って休憩をとるため食堂へ向かった。
 ここの食堂には料理人が雇われていて、朝と昼に団員のために腕を振るっている。
 食事時の忙しい時間以外なら団員が厨房を使うのは自由だ。
 そのためここにはだいたいいつも人がいる。
 任務から帰ってきた者や養成所での勉強や鍛錬を終えた者、これから行く任務のメンバーとの待ち合わせなど理由はさまざまだ。
 ルティアが食堂を訪れた時間はちょうど隙間の時間だったが、なぜか厨房が騒がしかった。
「何してるの?」
 顔を覗かせると、近くにいた女性団員がひょいと菓子パンを突き出した。
「あの人が作ったのよ。はい、あなたの分。おいしいわよ~」
 菓子パンを受け取り厨房の奥を見ると、長い黒髪をポニーテイルにした男性が使い終わった調理器具を洗っていた。
 彼はハッとしたように振り返り、
「グレアムさんの分……!」
 菓子パンが盛られた皿にまだ充分残っているのを確認して安堵していた。
「グレアム様に持っていくのね。私、お茶を淹れるわ」
 おいしいパンだったと彼──シャオ・ジーランに礼を言って、ルティアは紅茶の支度を始めた。
 その頃、グレアム・ハルベルトがいる執務室ではカーレ・ペロナが相談を持ち込んでいた。部屋にはキージェもいて端のほうで話に耳を傾けている。
 カーレの相談事は、燃える島についてだった。そこで調査員の一員として活動することを考えているという。
「スヴェルは燃える島の調査には参加するのでしょうか」
「いえ、燃える島は騎士団の管轄になります。スヴェルは参加しません。ここでは主に国民からの依頼である日常的な手伝いや街のパトロールをします。あとは、魔物への対処ですね。最近増えてきているので、何とかしたいところなんです」
「そうでしたか」
「ここ数年でいろいろな変化が出てきて、あちこちで人手不足です。もちろん、ここも」
 グレアムはちゃっかりカーレを勧誘していた。
 その時、ドアのノック音が部屋に響いた。
 キージェが誰何するとシャオとルティアの名を告げられる。
 グレアムが入室を許可しキージェがドアを開けると、室内にふわりと甘い香りが流れ込んできた。
「グレアムさん、休憩の時間アル!」
 ドドン、と菓子パンの乗った皿をグレアムの真ん前に置くシャオ。
「皆さんも少し息抜きしましょう。キージェさんも座ってね」
 と、ルティアがカップに紅茶を注いでいく。
 シャオの菓子パンはここでも好評だった。
「紅茶にもぴったりですね」
「アイヤー、この菓子パンは……うまくできたかもしれない……マテオ時代よりも上達した……アル」
 グレアムが褒めるとシャオは少し照れたように返した。それから思いついたように身を乗り出す。
「これならスヴェルの料理担当として公認スタンプ頂くこと可能かネ!?」
 シャオの気迫に気圧されながらも、グレアムは引き出しから判子を取り出す。
「スタンプ、これでいいですか? これからも団員の胃袋を支えてくださいね」
 ポン、とシャオの額に判子を押すグレアム。
 シャオの額には、かわいらしい小動物がスタンプされた。この判子は職人に遊びで作ってもらったものだ。
 ルティアに手鏡でスタンプを見せてもらい「アイヤー!」とシャオ達が騒いでいると、再びドアがノックされた。
 どうぞ、というグレアムの返事の後に入ってきたのはアレクセイ・アイヒマン
「グレアム団長、パトロールの報告とあとクッキーを焼いてみたのですが……あ、取り込み中でしたか」
「ご苦労様。ああ、お茶もあるんですね。ちょうどなくなったところです、入ってください」
 引き返そうとしたアレクセイだったがグレアムの言葉により室内に入り、シャオの額のスタンプを見て小さく噴き出した。
「アレクセイも押しますか?」
「妹に笑われてしまいます……」
 判子を押したそうにしているグレアムから距離を取りつつ、アレクセイはお茶とクッキーを用意していく。
「よかったら皆さんもどうぞ」
 とアレクセイが勧めると、すぐにいくつもの手がクッキーをつまんでいく。「おいしい!」という声が手の数だけあがった。
 グレアムもクッキーをもらいながらパトロールのことを尋ねた。
「特に異常はありませんでした。ただ、魔物への不安の声をいくつか聞きました」
「そうですか……せっかく国が落ち着いてきたというのに」
 大洪水による帝国の混乱を体験してきた、シャオを除く帝国人達はため息を吐いた。
 シャオは彼らを眺めながら皇帝の即位五周年記念パレードの広場の様子を思い出す。あの時の国民達のルースや旧王国への怒りは凄まじいものだった。
 だから彼は聞いてみた。
「……グレアムさんは、正直我々マテオの民のことどう思ってるかネ?」
 先ほどまでの陽気さから一変したシャオの空気を感じ取り、グレアムは嘘偽りのない気持ちを伝えた。
「どこの国の人であっても実験に直接関わっていないなら、みんな被害者だと思っています」
 シャオは黙って頷いた。
 そのやり取りを見ていたアレクセイは、被害者という言葉に納得しながらも別のことを思っていた。誰にも言えないことを。
 あの大洪水でアレクセイは妹以外の一族をすべて失った。そんな悲劇に見舞われた国民は大勢いて、そのせいで自殺者が後を絶たないほどだった。
 けれど、アレクセイは失った一族を悼みながら同時に開放感を覚えていた。
 帝国の没落貴族の家だったアイヒマン家。アレクセイは一族復興の期待を一身に背負わされていた。
 期待に応えようと努力する日々は、とても窮屈だった。
 それが大洪水によりすべて消え去ったのだ。
 ──自由になれた。たくさんの本を失ったことは残念だけれど。
 あとは、大切な妹の幸せを見届けて、まだ見ぬ世界を旅するだけだ。
 たとえば、燃える島とか。
 アレクセイは今、幸せなのだ。
 そこで彼はふと思った。
 公爵家の長男という地位でガーディアン・スヴェルの団長を務めるグレアム。彼を縛りつけるものも昔の自分に負けず劣らず多そうだ。
 だから……。
「グレアムさんは今、幸せですか」
 グレアムはアレクセイが淹れたお茶を一口飲んでから、自分に言い聞かせるように答えた。
「恵まれていると思っています」
 何を思ってそう言ったのか、今はまだわからなかった。

◆陽気な海賊
 拠点にしていた島が炎に包まれて以来、海賊は拠点を本土の東海岸に移した。
 バルバロは今日も遠くに見える島が燃えているのを確認すると、駆け足で不安定な岩場を崖の下まで移動した。これだけでも土の上を走るるより体力使い、良い鍛錬になる。
 この海岸はもともとは高地であったため砂浜はなく、平らな磯のような形状になっている。
 それから彼女は魔法の練習を始めた。
 地属性の彼女は砂や石礫を操作できる他、怪我をした時にはその治癒力高めて回復を早めることもできる。
 しかし、バルバロには物足りなかった。
(もっときちんとした治療ができりゃあな……)
 残念ながら彼女に薬草の知識はない。
 崖のところどころから生えている草花の中にそれがあったとしても、まったく見分けがつかないのだ。
「あ~あ……ま、仕方ねぇか」
 肩を落としてため息を吐き何気なく上を見て……目を剥いた。
 人が……女が、崖のわずかな出っ張りを頼りに危なっかしく下りてきているではないか。
「おま、何して……って、危なねぇだろうが!」
 思わず怒鳴ってしまうとその声が聞こえたのか、女はわずかに首を傾けてバルバロの姿を確認し──足を滑らせた。
「おいっ」
 バルバロはとっさに魔法を使いそこらの石礫を集めて女の足場にしようとしたが、すぐに崩れてしまった。
 女も地属性なのか、バルバロと同じように試みたがやはり体重を支えることはできない。
 そうこうしているうちに女が手をかけていた出っ張りも崩れ、彼女は真っ逆さまに落ちてきた。
「クソッ」
 地を蹴り、バルバロは女の落下地点まで走る。幸いさほど離れてはいない。間に合うはずだ。
 バルバロは女の真下に飛び込んで受け止め、衝撃を逃がすため転がった。

 軽い打ち身とかすり傷で済んだバルバロメリッサ・ガードナー
 バルバロは無茶をしたメリッサを叱りつけたが、その後彼女がここを目指した理由を聞いて怒りを静めた。
「大事な人を探しにはるばる外国から来たわけか。あそこはもう二年も燃えてんだが……ま、もしあんなとこでも生きてたなら、お前が無茶して死んじまったら意味ねぇだろ」
「うん……そうだね。前はもっとちゃんと足場を作れたんだけどね」
「ふぅん。けどよ、何であんなとこから下りてきてたんだ? 道ならあるだろうが」
 狭いけど、とバルバロが崖に設けられた梯子を指さす。とても頼りない梯子だった。
「あれは……道とは言わないと思う」
 ははは、となぜか笑うバルバロ
「……えーと、私がやってたのはクライミングと言ってね、こーゆー岩壁を登ることで、私の趣味で……」
「お前、下りてたよな」
「……そ、それはいいの! 私の目的は燃える島だから! つまり、あなた達が燃える島に渡る時は私も一緒に乗せてほしいと思って。役に立って見せるから。あ、お宝狙いじゃないよ!」
「それはわかってる。要するに、俺達の仲間に入れてくれってことだな?」
 頷いたメリッサの目は真剣そのものだった。
 本気であの地獄のような島にいるかもしれない人物を探し出そうと思っていることは、バルバロにも伝わった。
「わかった。ま、仲間にするかどうかは私が決めることじゃねぇから……面白い奴がいたってぐらいは伝えとくぜ」
「うん、ありがとう」

 メリッサと別れたバルバロがアジトに戻ると、入口の近くで仲間の二人が何やら話をしていた。
「よぅ、何の話してんだ?」
「よぅ、バルバロ。ボスの話だよ。ボスは神出鬼没な三十代で愛人が三人くらいいるんだよなって話だ」
「なんだ、もしかしていねぇのか」
「きっと愛人のとこだぜ」
「愛人じゃしょうがねぇな」
 バルバロと海賊男が笑い合っていると、エンリケ・エストラーダが呆れたような顔でため息を吐いた。
「お前ら呑気だな。……なぁ、おい、パレードが成功したのは知ってるよな?」
「凄かったらしいな」
「それは国民が今の皇帝のやり方を良しとしている証拠だ。そいつに反抗しようってんだ……ボスはどう考えてんだろうな」
 エンリケとしては、ボスが個人的な利益のために自分達を利用しようとしているのかという懸念があって言ったのだが、二人には思いも寄らなかったことのようできょとんとしていた。
 海賊男が「反抗?」と首を傾げる。
「何だよ、ボスは今の政治体制に疑問があってそれに反発しようってんじゃねぇのか」
「初耳だ。つーか、エンリケはそんなこと考えてたのか? そういやお前、最初からいたわけじゃなかったもんな」
 海賊男は自分達が海賊になった流れを話し始めた。
 ここにいる者の多くはスラムの住人で、生きるためにやむを得ず犯罪に手を染めた者達だ。彼らは自然と集まり、まだ燃えていなかった島が出現すると本土を脱して島を自分達の住処とした。ボスはいるが明確な主従関係はない。
「政治体制がどうこうとか、そんな難しいこと考えちゃいねぇよ。この国で生きにくいからこうなった。それだけさ」
 ふぅん、とエンリケが話を飲み込んだところでバルバロがメリッサのことを話した。
「おっぱい大きくてかわいい女の子は大歓迎だぜぇ!」
 だらしなく笑う海賊男に、メリッサは女の子という年齢ではなさそうだったことはあえて言わないバルバロだった。

◆リモス村のお花見
 島の主にマテオ難民がまとめられた居住区にある、ちょっとした広場。
 ここでヴォルク・ガムザトハノフとジスレーヌ・メイユールはほぼ日課となっている魔法の練習に勤しんでいた。
 ジスレーヌはここの畑の土の回復力や人間の怪我等の回復力を少しでも高めるために、集中力を養う鍛錬を欠かさず行う。
 そしてヴォルクは技の向上を狙った練習を重ねていた。
 着想はこの島を囲むように渦巻くいくつもの渦巻だ。それをクリークヴォルカと名付けた従来の風の魔法に応用させてみたのだ。
 風玉を、潰れるような圧縮ではなく渦潮のような回転にすることで、クリークヴォルカよりも威力のある魔法になるはず、とヴォルクは考えた。
「名付けて、クリークヴォルカ・バダヴァロート!」
 ゴウッ、と音を立ててつむじ風が起こる。
 辺りのゴミや木桶、砂埃などが空高く巻き上げられていくのを、離れたところからジスレーヌは感心したように見上げた。
「凄いですね! これなら魔物も空まで飛ばされちゃいます!」
 魔法を解除したヴォルクは、
「次の段階も考えてある」
 と言って、先ほど以上に精神を集中させた。
 ジスレーヌは危険を感じてさらに距離をとる。
 風がある一点を中心に渦を巻き、その回転はどんどん速くなっていく。
 魔力を集中させているヴォルクの手が震えているのを見て、ジスレーヌは息を飲んだ。
「ヴォルク君……」
 砂塵を巻き込む猛烈な風の回転により、向こう側の景色は見えない。
「まだだ……」
 さらに回転を加えて圧縮を──!
 しかし、そこでヴォルクの記憶は途切れた。
 目を覚ましたのはなぜか自室のベッドの上。
「あ、気が付いた? ヴォルク君、倒れてしまったのですよ。体に負担がかかりすぎたのだと思います」
「……」
「あの技は危ないので封印しましょう。無理に使えばヴォルク君が死んでしまいます」
 目の前でヴォルクが鼻血を出して倒れた時、ジスレーヌは彼が死んでしまったのかと恐怖に震えた。
「いけると思ったんだけどなぁ」
「もう少し休んだらお花見に行きませんか?」
「花見か……いいな。よし行こう」
 起き上がった時ヴォルクは軽く眩暈を覚えたが、それもすぐに治まった。
「急がなくてもいいんですよ。もっと落ち着いてからでも」
「いや、もう大丈夫だ。心配かけて悪かったな」
「ふふっ。ヴォルク君の向上心は私も見習わなくては」
「無茶して倒れるなよ」
 ヴォルク君が言うの、とクスクス笑うジスレーヌ。
 ベッドを下りたヴォルクと二人、花見が催されている広場に向かったのだった。

 インガリーサの屋敷の近くにちょっとした広場がある。花見の場はここに設けられた。
 今が見頃の小さな白い花をたくさんつけた花木が並ぶ中に、テーブルやベンチが設置されている。
 腰かけるのにちょうど良い岩などもあり、人々は思い思いの場所でくつろいでいた。
 ふだんは鉱山にいるか畑にいるかどちらかであるユリアス・ローレンも、今日はこの場を訪れていた。
 もともとの囚人に加え、アトラ・ハシスやマテオ・テーペからの難民がいることで村はずい分と賑やかになった。
 けれどユリアスは気持ちの問題からマテオ・テーペの人達とは馴染めない。ゆえにこれを機に話しかけるということもなく、自然といつもの囚人仲間に目が行く。
 けれど今日は、広場の隅の花の木の下にいたカサンドラ・ハルベルトに目が留まった。
 あまり姿を見せないが、花見には興味があったのだろう。
「こんにちは。カサンドラさんも花見に来たんですね」
 ぼんやりと花を見上げていたカサンドラは、ユリアスに気づいていなかったためとても驚いてしまった。
「あっ、あ、あのっ、こんにちは……」
「すみません、驚かせるつもりはなかったのですが」
「気にしないで……私が勝手にびっくりしただけだから……」
 うつむいたまま、もじもじしながら話すカサンドラ。
 このままここを去るのも寂しいので、ユリアスはもう少し話を続けてみることにした。少なくともカサンドラから拒絶の気配はない。
「花が好きなんですか?」
「う、うん……花は、きれいだから……」
「どんな花が好きですか?」
「どれでも。何色でも、どんな大きさでも、形でも……花は、好き。だから、今日は楽しいの……」
 ユリアスと目を合わせることはないが、カサンドラの口元に笑みが浮かんだ。
 つられてユリアスも微笑む。
 カサンドラは身分こそ公爵家の息女だが、こうしていると引っ込み思案なふつうの女の子にしか見えない。
 それがどうして家を離れてこんな島に来ているのか。
 公爵家では体験することのない苦労もあるだろう。
(少し、気を付けておこうかな)
 ユリアスはそんなふうに思った。
「もうしばらくは、この花を楽しめますね」
 彼の言葉に頷くカサンドラ。
 ユリアスは頭上を覆う白い花を眩しそうに仰いだ。
 その白の向こうに、大洪水で亡くした家族を見た気がした。
 特に会話はなくとも穏やかな雰囲気で、しばらくの間二人で風にそよぐ花を眺めていた。
 と、そこに不思議な空気をまとった子が漂うようにやって来た。実際、その子は宙に浮きながら移動していた。
「こんにちは~。お花、きれいだね~」
 トゥーニャ・ルムナだ。
「こ、こんにちは……」
 焦った様子で挨拶を返すカサンドラの隣で、ユリアスは観察するようにトゥーニャを見ていた。彼女がマテオ・テーペからの難民だからだ。
 彼のそんな様子に気づいているのかいないのか、トゥーニャは自分のペースでのんびり話し続ける。
「ここ、数年前に現れた島だって聞いたけど、海の中にあったのにもう花見ができるなんて、みんな頑張って土地を開拓してきたんだね~」
「えっと、土地は……魔法の上手な方ががんばっていて……でも、この花の木はインガリーサさんが移植したものなの」
「そうなんだ~。鉱山の仕事ってきつそうだもんね~。何かを楽しむのは大事だと思うよ~」
 見た目だけならカサンドラやユリアスとあまり変わりないような年齢に見えるトゥーニャ。けれど、言葉には経験を積んだ者のような気配があった。
「ところで、きみ達はもうこれは食べた~?」
 トゥーニャは持っていた箱の中を二人に見せた。
 そこにはホットンサンドがきれいに詰められている。
「街から屋台が来ててね、おいしそうだから買ってみたんだ~」
 本来なら許可のある人以外の出入りは認められないが、皇帝即位五周年記念日の今日は特別に許可を得れば一般人でも入ることが許されていた。
「あとは、お酒があればよかったんだけどね~」
 この島での飲酒は許可されていなかった。
「お酒……ですか」
 ユリアスはますますトゥーニャの年齢がわからなくなる。
「んじゃ、ぼくはそろそろ行くね~」
 トゥーニャは軽やかに手を振り、ふわふわと移動していった。

 村の住人それぞれが好きな場所で花見を楽しむ中、ヴィーダ・ナ・パリド達三人はゆったり歩いていた。
 ヴィーダを真ん中に右に夫のセゥ、左に親友のシャナ・ア・クー。
「何もない村だと思ってたけど、ここだけは綺麗ね」
「ああ、きちんと手入れされているようだ。この花は今の季節だけなんだろう?」
「ちょうど今が見頃だな」
 風に吹かれて舞い落ちてきた花びらを、手のひらに掬い取るヴィーダ。
 ふと、彼女は思い出したようにシャナを見る。
「そういやシャナ、あんたまだ誰かイイ相手はいねぇのか?」
「い、いきなり何よ。いないわよ」
「なんだ、いねぇのかよ。セゥだって大事な妹に恋人ができたら嬉しいだろ?」
 と、今度はセゥに話を振るが、彼は何とも言えない顔をしていた。
「嬉しい……のかな? どうだろう」
「俺に聞くなよ……。もしかして、複雑ってとこか?」
「相手によるな」
「そりゃそうか。俺にとっちゃ大事な親友だ。安心して預けられるような相手じゃないとな」
 ヴィーダとセゥで頷き合っていると、シャナがクスクスと笑い出した。
「二人とも、私の親じゃないんだから」
 ほんのりと風に香る花の下を他愛ない話をしながら歩き、やがて弁当を広げるのにちょうど良いテーブルを見つけた。
 落ちていた花びらをセゥが払うと、ヴィーダとシャナで手際よく弁当を広げていく。
 蓋を開けられていく弁当箱の中身を見て、セゥは心の中だけで頷いた。
(環境が変わったくらいで変化するわけないか)
 セゥの妻であるヴィーダは、男らしい料理を作る。良く言えば豪快悪く言えば食べられるだけのもの。
 そのことにセゥが何かを言ったことはない。
 しかし彼は言わないが、一緒に調理場に立つことがあるシャナは遠慮なく言う。
 そしてシャナが作った弁当は、言うだけあって整ったものだった。いろいろと教えてもらった成果である。
「スープは行き渡ってるな。そんじゃ、食おうぜ」
 ヴィーダの合図で食事が始まった。
 気心知れた三人で手作りの弁当を楽しみながらも、ヴィーダは周囲に気を配っていた。ここにいるのは難民を除けば罪人ばかりだ。いつ難癖をつけられるかわからない、と警戒していた。
 しかしどの人も騒ぎを起こす気配もなく、のんびりしている。
 と、そこに移動して来たトゥーニャがふらりと顔を出した。
「あ、お弁当だ。おいしそうだね~」
「うまいぜ。一緒に食ってくか?」
「ありがとう~。じゃあ、これと交換しようよ」
 と、屋台で買ったホットサンドの一つを差し出すトゥーニャ。
「あの屋台で売ってるやつね。ちょっと気になってたのよ」
 シャナがトゥーニャの分を取り分けて彼女の前に置いた。
「んふふ。おいしいよ~」
 トゥーニャがまた気ままにどこかへ行くまで、四人は楽しい時間を過ごした。

 この島に来てある程度の日数が経ち、アウロラ・メルクリアスもだいぶ生活に慣れてきた。マテオ・テーペよりも厳しい環境だが、持ち前の芯の強さで悲観することなくやっている。
「う~ん……」
 島の人達が花見をしている広場へ来たものの、アウロラはそこの様子に思わず苦笑してしまう。
 出身場所により見事に分かれていた。
(これから一緒に仕事していくんだし、こういう雰囲気はなぁ……)
 アウロラも彼女なりに帝国人に話しかけてみてはいた。
 無視されることはなかったが、友好的にされたこともない。
 アウロラだって自分達に冷たい感情を向けてくる人に声をかけるのは緊張する。
 どうしようかな、とやや迷っていると隅のほうに年の近い少年少女を見つけた。帝国人だろう。二人は屋台で売っていたホットサンドを食べていた。
 アウロラは思い切って声をかけてみることにした。
「こんにちは。少しお話ししてもいい?」
 怖がらせないように笑顔でやさしく呼びかけると、少年──ユリアスからはやや警戒の視線を向けられたが、少女のほう、カサンドラからはアウロラもよく知る人見知りの態度をとられた。けれど、小さな声で挨拶を返し拒絶はしてこない。
 アウロラはホッとしながら、広場の花がきれいであることなど当たり障りのない話題から始めた。
「あ、まだ名前を言ってなかったね。私はアウロラって言うの。仲良くしてくれると嬉しいな」
「アウロラさん……うん、私も……よろしくね。あの、よかったらこれどうぞ……」
 カサンドラは恥ずかしそうにうつむいたまま、アウロラにホットサンドを勧めた。
 礼を言って一ついただきアウロラは声をかけた理由を話した。
「ここって私達みたいな女の子が少ないでしょ。だから、せっかくなんだしって思って。私達のこと、良く思ってないのはわかるんだけど……。あ、もちろん男の子とも仲良くできるならって思ってるよ。こんな環境だし……ね」
 アウロラはどんな反応が返ってくるか、期待と不安と半々くらいで返事を待った。
 カサンドラは、手を取り合ってくれるだろうか。
 少しして彼女はわずかに顔をあげた。
「……うん。私も、そう思う」
 カサンドラの控えめな微笑に、アウロラはにっこりと笑顔を返した。
 ユリアスは敵意こそないようだが、まだ距離を測りかねているかんじだ。
 それから三人の間にぽつぽつと会話があった。
 その中でカサンドラはアウロラの足を心配した。
 アウロラは両足の太もも半ばから義足である。
 ここでの生活は厳しいだろうと気にかけたのだ。
「もう慣れたよ」
 と、明るくアウロラが言うので、カサンドラもそれ以上は何も言わなかった。

 今日だけの許可を得て本土から屋台を出店しているのはフィラ・タイラーである。
 リモス村に来る本土の人間といえば必要物資を運んでくる定期便の人か、視察に来る騎士団の者くらいだ。そのため屋台はとても注目された。
「はいっ、次のお客さんお待ちどうさま!」
 箱に詰めたホットサンドを手渡すと、朗らかな笑顔の青年が「ありがとう」と言って受け取った。
 顔には出さないが、地味な男だと失礼なことを思ってしまうフィラ。自分もそう大差ないことは棚に上げて置く。
 そんなことを思われているなど露知らず、連れのところへ戻っていくコタロウ・サンフィールド
 じっくりと平凡な背を見送る間もなく次の客に催促される。
「ねーちゃん、いくら祭りとはいえこんなとこまでよく来たな。あんま儲からねぇだろ」
「ん……ま、でも本土は競争率凄いからね。ここは人は少ないけど、全部売れちゃいそうだから。何せライバルがいない」
「ははは、確かに! 儲かっただろう?」
「ぼちぼちね」
 などと言ってみたフィラだが、実際はぼろ儲けとはほど遠い。堅実な利益をあげたといったところだ。火の車の家計を立て直すにはまだまだだ。
(あんな大洪水さえなければ、平凡で幸せな日々を送っていられたというのに……! 由緒平たき帝国平民ははるか遠くになりにけり……いやいや、コツコツやれば必ずっ)
 一発あてるか地道にやるか。フィラは両方だ。でかいヤマを当てるための資金をコツコツ貯める。
 その後もホットサンドは売れ続け、本当にすべて売れてしまったのだった。
 ところで、フィラに地味な男だと思われたコタロウは、ベンチにベルティルデ・バイエルと並んで腰かけホットサンドと花を楽しんでいた。
 そんな中、コタロウは自分達がこれから力を尽くさなくてはならないことについて確認した。
「ベルティルデちゃん、これから俺達がするべきことについてだけど……」
「はい。第一は鉱山で魔法鉱石を採掘することです。魔法鉱石は水の魔力を調整する時に使われる装置に必要ですから、指定された分は必ず集めなくてはなりません」
「確か、坑道の入口をふさぐ海水はベルティルデちゃんが魔法で操作してくれるんだよね?」
「ええ。わたくしと水の魔術師の皆さんで」
「それで、入口付近は魔物が出るから先に討伐してからだったね」
「はい。坑道の中も出ることがあるそうですから……原因はわかっていないと聞きました」
 そのため、採掘担当の他に護衛がつくという。
「順調に魔法鉱石が集まったとして、完成した装置を使って魔力の調整を実行するのは、だいたい秋ぐらいだったっけ」
 頷いたベルティルデに、コタロウはにっこりと笑顔を見せた。
「魔物対策が鍵だね。あとは計画を立てて役割分担して、進捗管理しながら……楽勝じゃないかな、うん」
「楽勝……ですか」
 コタロウから出た気楽な言葉に、ベルティルデは目を丸くした。そんなふうに考えたことがなかったからだ。鉱山での採掘も、自分の使命も命がけだと思っていた。
 彼女の驚いた顔を、コタロウはにこにこしながら見ていた。
「それでうまくいったら、この島にマテオ・テーペのみんなが移住してくるだろう」
「えっ。ちょ、ちょっと待ってください。二千人もこの島に入れませんよ」
 マテオ・テーペに残されている人は、約二千人いる。この島はそこまで大きくない。
「あ、そうか。でもさ、ここじゃなくても再会する機会はあると思うんだ。今度はみんなで太陽の下で……どんな生活になるんだろう」
 コタロウの言葉に導かれるように、ベルティルデの脳裏にマテオ・テーペでの日々が巡った。
「その時は……ベルティルデちゃん、以前マテオ・テーペの風景を見て回った時みたいに一緒に散歩でもしよっか?」
 そんなに昔のことではないはずなのに、ベルティルデはとても懐かしい気持ちになっていた。おそらくもう見ることはないだろうし、もしかしたらここの寂れた景色も見ていられるのは後わずかかもしれない。
「ぜひ、お供させてください。新しい町……どんなところになるんでしょうね」
 コタロウが言葉に託した『命がけの使命に生き残ってほしい』という願いは彼女に届いただろうか。
 届いているといいなとコタロウは思った。

◆リモス村の日々
 パレードの日の翌日からは、リモス村はいつも通りに戻った。
 ステラ・ティフォーネも家事の手伝いを再開した。とはいえ、マテオ・テーペからの難民に対する村人からの態度は冷淡なため、主に同郷の者の手伝いになる。
 井戸の傍で食器類を洗っていると、ジスレーヌがやって来た。彼女も食器が入った籠を抱えている。
「私がやりますよ」
 ステラは籠を受け取ろうと手を伸ばしたが、首を振ったジスレーヌに断られてしまった。
「自分でできることは自分でしなくては。マテオ・テーペと箱船で学んだことです」
 特に箱船では身分に関係なく協力し合わなければならない環境だった。
「それに、次にお父様にお会いした時に何もできないままだったら、がっかりさせてしまいます」
 マテオ・テーペにいた頃は父親とあまりうまくいっていなかったジスレーヌだが、離れてみてわかったこともあった。
 ステラの脳裏に、ジスレーヌの父のメイユール伯爵や造船所の所長の息子の顔が浮かぶ。同時に罪悪感のような痛みも。
 ステラは報告のために戻ってきた箱船が再出航する時に乗船を勧められた。彼女の風の魔法の腕を買われてだった。
 井戸水を汲み上げ、食器用の道具で洗い始めたジスレーヌがステラに尋ねた。
「どうしてここに残ったんですか? ステラさんなら宮殿で仕事をすることもできたはずですけれど」
「ここで皆さんと苦楽を共にしようと思ったからです。それに、ジスレーヌ様もここでがんばっていらっしゃるでしょう。私も負けずにがんばらなくては」
「ここの生活はマテオより貧しいですよね。でも、それよりも大きな問題があるのです」
 それは何かと問いかけるようにジスレーヌがステラに目を向ける。
 今日までの生活で感じたことをステラは答えた。
「帝国人との溝……ですね。まるでマテオの貴族と平民のようです。……いえ、もっと深刻かもしれません」
 帝国人はマテオ難民を、世界を滅ぼした旧王国に連なる者として憎しみの目で見ている。
 しかしステラは絶望はしていなかった。
「それでも、争いごとにならないようにしている人もここにはいます」
 うまく折り合いをつけていければとステラは思った。

 


 魔法鉱石の採掘は、引き潮で鉱山の入口が開くのを待って行われた。
 アルファルドは作業道具を持って囚人らと中へ入っていく。
 トロッコを走らせ現場へ着いて作業を始めてから約十分。
「あー腰痛い……面倒くさい……六十の身体には堪える……」
 面倒くさがりな性格が、単調な作業に我慢しきれず表に出てきた。
 とたん、この場の班長を任されている男から睨みが飛んでくる。
「はいはい、手は動かしてるだろ」
「頼むぜオッサン……怠けてるのがバレたら俺が殺される」
 情けない顔で訴えるこの班長も囚人だ。
 今日はこの場に囚人監督のサク・ミレンがいないので、この男が任されたのだ。
「おまえも貧乏くじ引いたよな。とりあえず、帰るタイミングは間違わないでくれよ」
 作業終了時には外から連絡が来るが、坑道に海水が入ってくる前に帰還するためにも、班長は帰る時間を感覚で掴むことが必要だった。時計などというものはない。
 知識欲が旺盛なアルファルドは、不器用な囚人達に採掘のコツを教えることがよくある。
 また運悪く帰還時に魔物に遭遇してしまった時は、自分は戦いには向いていないが周りに指示を出して逃げ道を作るなどしていた。
 そこでわかったのは、魔物はいつも採掘現場よりも奥から現れているようだ、ということだった。とはいえ、奥に続く道などないためどこが発生源なのかは謎のままだ。
 そんなふうに囚人仲間の助けになっているアルファルドだが、何か望みがあるのかと聞かれればそうでもない。
 ひどく乾いていた。
 ──自身をこんなところに送り込んだものへの恨みも、反乱の意志もない。希望もない。ただその日が無事に終わればいい。
 そんなふうに日々を送っていた。
 時々班長を困らせながらその日の作業は終わり、アルファルドはまだ日が差す外へと戻った。
 すると、鉱山入口からさほど離れていないところで、辺りを観察するように歩みを進めるリベル・オウスに気が付いた。
「おまえ、何してる」
 アルファルドに咎める意思はなかったが、マテオからの難民であるリベルは今日までの囚人達からの態度から警戒の色を見せた。
「……この島がどうなっているのか調べていた」
「脱出は無理だと思うぞ」
「そんなんじゃねぇよ」
 淡々と答えるアルファルドの周りの囚人達は、あからさまにリベルに嫌悪の目を向けている。
 もちろんそれはリベルの不機嫌そうな態度によるものではない。しかしそれが原因で喧嘩になる可能性もある。
 そう判断したアルファルドは、囚人仲間とは別れリベルを促して移動した。
「脱出計画じゃなけりゃなんだ? いくら調べてもここが極楽の要素は見つからないと思うが」
「この島で薬草を見つけた。扱える奴はいるのか?」
「いないな。そもそも医者がいない。自称薬師ならいるが」
 もっともそんな怪しい奴に頼る者もいない。いるとしたら死にそうな状況でイチかバチかの時くらいだ。
「薬草の見分けがつくのが本当なら、おまえは薬師か?」
「ああ。ところで、ここに住む奴らの顔役みたいなのはいるのか?」
「いるにはいるが……単にいろんな奴が相談事を持ちかけるってだけでなんの権限もないぞ。決めるのはサクだ」
「かまわない。案内してくれないか?」
 アルファルドはリベルをその人物のところへ連れて行った。
 五十半ばくらいの職人風の男だった。リベルを見る目に嫌悪の色はない。
 彼は家の外で、家具の修理をしていた。
「何か用か」
「こいつ、薬師なんだとさ。おまえに挨拶しておきたいそうだ」
 アルファルドに紹介され、リベルは名前を言った。
「そうか。お前がもし本物の薬師なら、魔物で傷ついた奴が出たら助けてやってくれ」
「そうするよ」
「治療費は出せないぜ」
「わかってる」
「マテオの奴の助けなんぞいらんと言われるかもな」
「承知の上だ」
「……人は見かけによらずか」
 男は少し笑ったようだ。
 しかし彼は勘違いしていることをリベルは訂正しない。
 リベルが自分を嫌悪する者にも尽くそうとしているのは、慈善事業などではない。
 一人で背負うには重すぎる責務を負うことになってしまったベルティルデのためだ。
(これも惚れた弱みってやつか)
 自分に苦笑しながらも、悪くない気分のリベルだった。

◆特殊な力を持つ者
 帝国騎士エルゼリオ・レイノーラは宮廷敷地内にある、魔法図書館へ訪れていた。
「箱船で遣って来た異邦人たち、か」
 自分たち、僅かな帝国人以外でも、大洪水を生き延びた者たちがいた。
「帝国が地の魔術で土壁を造った様に、彼等も魔術で大洪水を凌いだと考えるのが妥当かなあ……」
 異邦人たちのこと、最近増加している魔物のこと、それら諸々の疑問を少しでも解消したく、エルゼリオは本を開いていく。
 ここには魔法に関する本しかおいてはいないが、世界地図つきの各国の魔術師、魔導技術に関する本などが、エルゼリオの疑問に答えてくれていた。
 箱船に乗った民たちが暮らしていた土地は、ここよりずっと北。コーンウォリス公国という小さな国の外れにある港町だった。帝国と対立していた大国、ウォテュラ王国から独立した国らしい。
「そんな小国で、どんな魔法を使ったんだろう? ……まぁ、陛下と同じ位に強力な術者が居るって事なんだけどさ」
「ウォテュラ王国は、我が国と同じく、継承者の一族が治める国だから……いや、だったからな」
 エルゼリオの呟きに、答える声があった。
 顔を上げ、その人物を見たエルゼリオは驚いて目を丸くする。
 難しそうな大量の本を前に、魔術の勉強をしているのは、ハルベルト公爵の長女、近衛騎士のチェリア・ハルベルトであった。
 お堅くて融通が利かなそうで、あまり関わりたくない、出来れば避けたい女性である。
 失礼しましたと言葉を残し、すぐに退散しよう、そう思ったのだけれど……。
 難しい顔をして、熱心に魔道書を読んでいる彼女の姿から、視線が離れなかった。
「チェリア様でも勉強されるんですね」
「ん?」
 チェリアの目が、エルゼリオに向けられた。
「あっ」
 自分の言葉にエルゼリオ自身も驚き、慌てて思わず足を後ろに引きながら言う。
「めんなさい! 今更勉強なんかされずとも何でも出来ちゃいそうだったんで……」
 そんなエルゼリオの態度と言葉に、チェリアはくすりと笑みを浮かべた。
「そうでもない。今も、自分が無知であることを思い知ったところだ」
「いえ、あの娘は特異なので……人外なんですよ、きっと」
 草臥れた様子で、テーブルにつっぷしている女性は――確か、エルザナ・システィック。
 皇帝の親近者だと聞いている。
「お前が言うか」
 軽く声をあげてチェリアは笑い、再び、エルゼリオに目を向けた。
「我が国の皇族が地の特殊な魔力を持っているのと同じように、ウォテュラ王国の王族も水の特殊な魔力を持っていた。その王国の姫が“たまたま”あの地にいたそうだ」
「偶然ですか?」
「それ以上のことは、私も聞かされていない。何か知ることがあったら、教えてくれ」
 そう言うと、チェリアは立ち上がり、エルゼリオの肩をぽんと叩いて魔法図書室から出て行った。
 女性にしては筋肉質な整った後ろ姿を見ながら、エルゼリオは「たまたま、か……」とつぶやいていた。

 


 コーンウォリス公国の騎士、ナイト・ゲイルは傭兵騎士としてこの地で任務に就くことになった。
 マテオ・テーペに戻ってきたベルティルデ・バイエルたちからの報告を聞いたナイトは、マテオ・テーペを守るためにこの地に訪れたのだ。
 マテオ・テーペの中で人々を守っていても、ここ帝国の助けが無ければ、守るべき人々が助かる術はない。
 常人を遥かに超えた身体能力を持ち、乱暴な雰囲気を纏う彼は、友人はそう多くなかった。出発の時、仕事を託してきたのは、元、囚人だった男たち。今は互いに仲間だと思っているが「おい」とか「おまえ」や「てめぇ」など、乱暴に呼び合っている。丁寧な喋り方が苦手なナイトとしては、話しやすい……友でもあった。
 皆と上手くやっているだろうか、助け合って生きているだろうか。
 先にくたばんなよ、と送りだしてくれた彼らのことを案ずるも、ナイトは首を左右に振る。
「大丈夫だ、今まで一緒にやって来たんだし、後の事は頼むと言ってきたんだ、ここで心配するのはあいつらに失礼だよな!」
 そう言い、ナイトは前を見据える。
 自分も、マテオ・テーペにいる人たちのために何かしなければならない。だけれど立場的な問題もある。何をしていいのか、分からなかった。
 それでも、思いつく仕事は、自主的に何でも行なっていこう。
 そんなことを考えながら見回りをしていたナイトは、図書室から出てきた女性に目を留めた。
(あれは、チェリア・ハルベルト……ちょうどいい、何をやればいいのか、聞いてみるか)
 しかし、彼女のことを何と呼べばいいのだろう。
(公爵の長女だから、様付け? それとも隊長と呼べばいいのか? いやだが、まだ隊長というわけじゃなく……)
「何だその目は」
 考えながらチェリアを見ていたナイトに、チェリアは厳しい眼を向けてきた。
 睨んでいたわけではないのだが、そう見えたようだ。
「いえ……あー、チェリア……様におかれましては、ごご機嫌麗しく恐悦至……」
 ナイトが慌てながらたどたどしく言っている最中、チェリアは突然吹きだし声を上げて笑い出した。
ナイト・ゲイルだったか。お前、評判良くないぞ。その風体、そして公国の騎士という身分。皆が不審に思うのも無理はない。私も正直好かん」
 チェリアは笑いながらも、はっきりとナイトにそう言った。
 しかし、ナイトは恐れられたり、避けられたりするのは慣れっこである。仕事に支障が出なければ構いはしない。
「お前はマテオ・テーペの人たちを救出するために、ここにいるんだな?」
 チェリアの言葉に、ナイトはただ強く頷いて見せた。
「金のためではなく、お前には果たさねば、成さねばならぬことがある。そうだな」
 また強くナイトは頷いた。
「仲間であるのなら、そして命令に忠実ならば、お前は類のない逸材と見ている」
「……ただ、魔法は勉強しはじめたばかりで、殆ど使えないが」
「騎士ならば、魔法具の訓練は受けているだろ? 魔力は無でなければ問題はない。ここには魔法武具がある」
 言って、チェリアは不敵な笑みと「期待している」と言葉を残し、去って行った。
 危険な任務で前線に立つことになりそうだと、ナイトは身を引き締めるのだった。

 


 極めて高い魔法知識を持つ、シャンティア・グティスマーレはその知識を買われて宮廷に留まっていた。
 ただ重度の引きこもりで、人付き合いが非常に苦手な彼女は、親しみを感じている人物が側にいないと、普段の会話もままならない。
 そのため、メイドだと思ってきたミーザ……エルザナ・システィックに依存ぎみで、今も魔法を教える名目で彼女と魔法図書室に行き、厳選した本やノートをエルザナたちの前に重ねて、まくし立ててきたところだった。
 魔法について早口で述べながら、合間に信頼できるメイド2人共ややこしい状態で非常に困っているとエルザナに訴えたシャンティア。
 そう言われても……と困っている……というより、難しい魔法の弾丸トークにくたびれ果てているエルザナを残し、シャンティアはもう1人のメイドと思っていた人物のもとに駆けていった。
 廊下に出た途端転び、曲がり角で壁にぶつかり、ドアを開けようとして衝突して。
 痣を沢山作りながら、涙目で「アーリー!」と呼ぶ。
 名を呼んですぐに、ドアは内側から開いた。
「何やってるの」
 その宮廷の客室で生活している女性――アーリー・オサードがシャンティアを部屋の中に入れて、ドアを閉める。
「わたくし、とても困っているんです」
 涙目で訴えるシャンティアをアーリーはソファーに座らせる。そして濡らした布巾をシャンティアの腫れているおでこに当てた。
「それなのに、あなたが引き籠ってどうするんですか……逆ですよね……逆」
 不満そうに、シャンティアはアーリーを睨む。
「……出られないのよ、私はこの身体を守らなければならないから」
「閉じ込められてるということですか?」
「部屋からは出られても、宮廷からはもう出られないわね。2、3人、子どもを産むまでは」
 そうアーリーは暗い眼で笑った。暗くても、狂気のような光が見えたかつての眼とは違う、悲しくて穏やかな暗さ。
「……幸せ感の無い花嫁としてなら、送り出すつもりはありませんでした」
 皇帝の妃になることなど、アーリーは望んでいない。
 皇帝にも、子どもを産む存在としてしか、求められてはいないのだろう。彼女が特別な火の魔力を持つ一族の生き残りだから。
 彼女には、他に好きな異性がいることをシャンティアは知っている。
「絶対にわたくしのメイドに戻って貰います」
 そう言って、シャンティアは強くアーリーを見据えた。
「それなら……逆なんて、どう? あなたが私の侍女になるの。自立できるまで、側にいてもいいのよ」
 それは、側にいてほしいと言われているようでもあり……なぜか、シャンティアの胸に熱い感情が湧いてきた。

 



●マスターより
お待たせしました、リアクションの約九割を担当しました冷泉みのりです。
ご参加していただいた皆さま、ありがとうございました。
これからの帝国での生活もお楽しみいただけたらと思います。
今後もよろしくお願いいたします。

こんにちは、川岸満里亜です。
NPCアーリー登場シーンと、最後の見出しのシーンを担当させていただきました。
皆様のこの世界での生き様、楽しく拝見&描かせていただきたく思います。
カナロ・ペレア、どうぞ最後までお楽しみくださいませ!