Kの迷宮と野望の城

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 リモス村を出航した箱船が謎の島に近づくにつれ、全貌もはっきりしてきた。
 ルース・ツィーグラージスレーヌ・メイユールは、甲板からじっと島に目を凝らしている。
「あの壁みたいなのが迷宮を作っているってわけね。その真ん中に城がある、と」
「そうだと思いますけれど……非常識なくらいに高くありませんか?」
「そうね。いったいどうなってるのかしら。それに、何か変な感じがするわ。どう表現したらいいのかわからないけれど」
 戸惑ったように言うルースに、ジスレーヌも同意した。
 やがて船着き場が見えてきた。
 迎えの馬車が数台停まっているのも見える。
「あら、気が利くじゃない。さすがベルね」
 ルースはベルティルデが用意したものと決めつけて褒めるが、内心は複雑だった。
 そのベルティルデが、謎の島の王妃だと名乗ったのだから。
「……私は、後から行くわ」
 ぽつりと、曇り顔で告げるルース。
 ジスレーヌはその表情からルースの心情を感じ取り、頷いた。

 船から降りたジスレーヌ達は、御者達に歓迎された。
「ここから分かれて馬車に乗っていただきます。途中で気分が悪くなったりしたら、遠慮なく声をかけてください。では、前の馬車からどうぞ」
 御者に案内されるまま、ジスレーヌも順番が来た馬車に乗り込んだ。
 船着き場からは一本の馬車道が迷宮へと伸びている。
 見える景色は、美しい緑の草原と点在する林だけで、人家や畑は見られなかった。
(国民を募集中と言っていましたが、お城で働く人以外は人がいないのでしょうか。それに、御者達……人間かな?)
 ジスレーヌの目には、友好的な彼らがどこか人形じみて見えていた。
 馬車に揺られながら、彼女の頭の中は島への疑問でいっぱいだった。
(突然現れた島に、すでにこれだけのものが……? 先行調査に出た人達は無事でしょうか)
 あれこれ思案しているうちに、遠くに見えるだけだった迷宮の壁が存在感を増してきた。
 そして馬車が停まり、降りたジスレーヌは眼前に聳え立つ壁に圧倒された。
 迷宮を構成している壁は、何十メートルもの高さがあったのだ。
 正面の大きな鉄扉は開放されている。
 ジスレーヌ達は、期待や不安を抱いて門を潜った。
「すごい……」
 入ってすぐのそこは、広場になっていた。
 中央に芸術的な彫刻が施された噴水があり、囲むように配置された花壇には種類も豊富な花々が植えられている。
 風が吹くとやさしい花の香りがして、緊張で硬くなっていたジスレーヌの口元が緩んだ。
 噴水の向こうにいくつもの道が伸びているのが見える。
 道の幅はそれぞれで、仕切っているものも煉瓦だったり植物だったりと様々だ。壁の高さは外壁ほどではないが、簡単には乗り越えられそうにない。
 ジスレーヌは持ち物の確認をしてから、歩み始めた。

 

★ ★ ★


 調査員としてこの島に赴いた者も観光のために訪れた者も、一様に周囲を見回しながらゆっくり歩みを進めるのがほとんどの中、迷いなく突き進む者がいた。
 リンダ・キューブリックである。
 いつもの重装備のリンダは後ろに騎士見習いを一人従え、先行調査員としてここのどこかにいる夫のエクトル・アジャーニを目指す。
 エクトルの居場所に心当たりがあるわけではない。
 勘のままにリンダは足を動かしている。
 外壁に似た石で造られた通路の先にエクトルはいる――そんな予感がした。
 しかし、現れたのはエクトルではなく敵だった。
 少し開けた石畳の広場に出たと思ったら、急に霧が立ち込めてきたのだ。
 そして、霧の向こうから人の背丈ほどもある甲虫が姿を見せた。
 頭の先に鋭く尖った角が一本生えている。
 ギチギチと鳴く甲虫から、リンダは敵意を感じ取った。
「魔物……いや、違うか」
 もっと動物的な敵意だ。
 自分の縄張りに侵入してきたものに対する敵意だと、リンダは感じた。
 同時にこんな怪物が棲んでいるような迷宮にいるエクトルの身を案じた。
 腰を低く落として武器を構え、リンダは巨大な甲虫を見据える。
「お前の住処に無遠慮に踏み込んでしまったようだが、こちらも『守るべき家族』を見つけなければならない――押し通る」
 言葉が通じたわけではないが、相手はリンダの闘志に反応し意外なスピードで突進してきた。
「オオオオオッ!」
 応じたリンダのヘビーメイスと甲虫の角が激突し、火花を散らす。
 力と力の押し合いになった。
「ふんッ」
 いったん弾き合うように離れた両者は、再び得物をぶつけ合う。
 力自慢のリンダの腕をもしびれさせるような打ち合いが、数回続いた。
 このままでは埒が明かない上、甲虫の頑丈な角にヘビーメイスをへし折られてしまう可能性もある。
 と、その時、リンダはその角にわずかな亀裂を見つけた。相手も状況は似ていたが、彼女のほうに運が傾いたようだ。
 柄を握り直し、狙いを定める。
「これで終わりだ!」
 ダンッと力強く踏み込み、ヘビーメイスを渾身の力で振り下ろす。
 甲虫もリンダを打ち倒すべく凶暴な角を突き出した。
 バキンッと折れて飛んだのは、甲虫の角のほうだった。
 半ばから折られた角は回転しながら放物線を描いて遠くへ飛んで行き、重い音を立てて地面に突き刺さった。
 甲虫はまだリンダの行く手を塞いでいたが、やがて敵意が静まっていき、ゆっくりと後退して道を開けた。
 リンダは無言で頷き、前に進んだ。
 しばらくすると一本道の通路が、次第に熱を帯びていく。
 暑さで額に汗がにじんだ。
 見習い騎士を従えて突き進んだ先、あちこちが燃えている開けたところに探していたエクトルがいた。
 彼は骨でできた巨大なドラゴンと対峙していた。逃げるに逃げられないといった感じだ。
「エクトル!」
 叫び、地を蹴るリンダ。
 炎を飛び越え、リンダはドラゴンの後ろ足にヘビーメイスを叩きつけた。
 骨の欠片が飛ぶが、たいしたダメージではなさそうだ。
 リンダはさらに数回打ち付ける。
「よせ、リンダ!」
「早く逃げろッ」
 ヘビーメイスで滅多打ちにしながらリンダが怒鳴る。
「この先は道が細い。エクトルが行ったら自分も行く!」
 巨体故に動きが鈍い骨のドラゴンが動く。
 ただ方向転換のために足を動かしただけだが、人間に当たれば簡単に弾き飛ばすくらいの威力がある。
 リンダは骨のドラゴンの注意を引くため、正面に躍り出た。
「ウオオオオオッ!」
 ヘビーメイスを高く掲げて吼えたリンダに、骨のドラゴンも敵対心を向けて口を大きく開けた。
 骨のドラゴンの視界から外れたエクトルが走り出す。
 彼が充分離れたのを確認したリンダに、巨大な口の影が覆う。
 鋭い牙が並ぶその口に噛みつかれたら、一瞬で死ぬだろう。
 リンダはしっかり目を見開いて動きを見定め、ギリギリで身を投げ出してかわした。
 勢いで転がりながら、骨のドラゴンが頭から地面に突っ込んだことがわかった。
 もうもうと土煙が舞う中、リンダもエクトルのほうへ駆けたのだった。

 通路へ駆け込んで少しすると、ドシンッと足元や壁が揺れた。
 細くなっている通路の隙間から、骨のドラゴンが見えた。
 リンダ達はそのまま通路を駆け抜けた。
 再び現れた開けた場所は、花が咲き蝶々が舞うのどかで小さな庭だった。
「どうなってんだ、ここは」
 エクトルのこぼした声には苛立ちがあった。
「何かわかったことはあったか?」
 リンダが聞くと、エクトルは気を静めるように大きく息を吐き出して答えた。
「まだ詳しいことはまだ何も。先ほどの場所で土のサンプルを集めていたら、ヤツが現れたんだ。……助かった、礼を言う。だが、全員無事だったからよかったものの、リンダのあの行動は無謀と言える……」
「躊躇する理由などない。それだけだ」
 ――エクトルという男は、成り行きとはいえ自分みたいな厄介者を正妻に迎えてくれた稀有な人物だ。男子も産まれた。いろんな事情から今は別居中であるが、ようやく手に入れた『守るべき家族』だ。
 リンダの中には、このような想いがある。
 言葉少ないリンダの気持ちを察したのか、エクトルはそれ以上の小言は口にしなかった。
「せっかくだ、この庭の草花も調べてみよう。見たことのないものがあったら呼んでくれ」
「わかった」
 リンダ達はしばらくの間、この庭に留まった。

 危険な生物と戦ったリンダとは逆に、アレクセイ・ハルベルト(アレクセイ・アイヒマン)とチェリア・ハルベルトの夫婦はとても平和な調査を行っていた。
 いや、真面目に調査をしていたのはチェリアだけで、アレクセイにとってはデートであった。
 花のアーチやハーブの小道を、手を繋いで周囲を観察しながらゆったり歩く――誰がどう見てもデートである。
 子供は預けてきたので、久しぶりに二人きりだ。
 しかしアレクセイは、あえてそのことを口にしなかった。
 口にしてしまえば、真面目なチェリアはアレクセイとは別行動をすると言い出すだろうから。
 彼女とデートもそうだが、いつも忙しくしているから慰労したいという思いもある。
 チェリアは時々足を止め、草花をじっくり観察した。
「ふむ……これは本土でも見たことあるな。ハーブの一種だったか」
「そうだね。カモミールかな」
「さすがだな」
 すぐに名前が出てきたアレクセイに、チェリアは感心して微笑んだ。
 小さな花を、間近で並んで覗き込んでいたアレクセイも笑顔を返す。
「この迷宮を抜けて城へ到着するのはもちろんだが、帝国では見ないような生物や他の何かを見つけたら教えてくれ」
「わかった。次は向こうのほうに行ってみよう。ちょっとした森になってるみたいだ。何か見つかるかもしれないよ」
 バラのアーチの向こう側に、木々が生い茂っているのが見えた。
 甘い香りがするバラのアーチが続く小道を潜り抜けて森へ入る。
 空気がスウッと冷えて、心が静まっていくような清らかな森の匂いに包まれた。
 頭上を覆う木々の葉の隙間から差し込む陽光が、森をいっそう深く神秘的に見せていた。
 どこからか、小鳥の囀りが聞こえてくる。
 ここが迷宮であることを忘れてしまいそうになった。
 二人は、足元が踏み固められただけの小道を、辺りに注意しながら進んだ。
 熊などの獣が出てきても不思議はない雰囲気だが、リスなどの小動物の姿を見かけるだけだった。
 しばらく歩くと、水が流れる音が聞こえてきた。
「あれは……」
 小川に橋が架かっている。
「人の手で整えられた庭のようだな……いや、迷宮というからには、この森も造られたものなのだろう。ふむ……」
 何かが引っかかるのか、チェリアは木々を見上げながら考え込んだ。
「チェリア、ここはとても怪しい……」
 アレクセイもやや緊張した顔で呟くと、考え事で歩みが止まりかけていたチェリアの手を引き、足早に橋の半ばまで進む。
「おい、アレクセイ……」
「静かに。僕達はけっこうお城に近づいたと思う。妨害もなかったしね。ここを抜けたら、お城の間近かもしれない。そうなったら、後はわからない。友好的ではあったけど……」
「……」
「だから、決戦前に腹ごしらえしないとね!」
 張り詰めた雰囲気から一変して明るくウインクするアレクセイに、チェリアは目を丸くした。
「ほら、あそこ。バーベキューしてくださいと言わんばかりの場所!」
 アレクセイは小川に沿って広がる水辺へとチェリアを誘う。
 その時、チェリアは気づいた。
「まさか、その大荷物は……」
「さあ、チェリア。いっぱい食べて力をつけよう♪」
 小川に沿って歩いていくと、木箱が見えてきた。開けると、中にはバーベキューをするのに必要な道具が揃っていた。折りたたみ椅子と小型の折り畳みテーブルまで収納されている。
「座って待っててね」
 と、折りたたみ椅子に座らされたチェリアは、この展開に軽く眩暈を覚える。
 その間にもアレクセイはテキパキと準備を進め、辺りにおいしそうな匂いが広がっていった。
 勧められるままに食べてワインも飲んで、チェリアは自分がとても空腹だったことがわかった。
 アレクセイが一緒だったとはいえ、未知の場所――それも迷宮に踏み込んでいたのだ。
 自分でも気づかないくらい、そうとう気を張っていたようだ。
「アレクセイ、ありがとう」
「ん? おかわりならあるよ」
 アレクセイはチェリアのカップが空なのに気づいてワインを注ぐと、ちょうど食べ頃に焼けたバーベキューを取りに立った。
 二人で綺麗に食べ終わり、陽の光を反射してキラキラと輝く小川や、神秘的な森を眺めていると、時間はとてもゆっくりと流れているように感じられた。
 お酒も入りリラックスしたからか、チェリアはウトウトし始めた。
 アレクセイはそっと肩を抱き寄せ、彼女の頭を膝に乗せる。
 やさしく髪を撫でると、気持ち良さそうに目を閉じた。
(お酒、飲ませ過ぎたかな? でも、これくらいしないと休んでくれそうにないし)
「少しくらい、いいでしょ」
 アレクセイは撫でていた髪を寄せて、露わにした額にキスを落とした。

 少しして目が覚めたチェリアは、状況を把握すると真っ赤になって飛び起きた。
 そして、恥ずかしさをごまかすように「行くぞ!」とアレクセイを急かすのだった。

 

★ ★ ★

 

 ヴォルク・ガムザトハノフとジスレーヌは、いつの間にか墓地に入り込んでいた。しかも、頭上を覆うものもないのに薄暗い。日が暮れるほど時間は過ぎていないというのに。
「ヴォルク君、どうやら私達は時間的にも迷子になってしまったようです。それとも、妖術か何かでしょうか」
「うむ……ちょうど墓地だしな。何か出てくるかもしれん」
「な、何かですか!?」
 ビクッと肩を震わせるジスレーヌ。
「それはつまり……幽霊やゾンビのような……?」
「あるいは――鬼」
「お、鬼……?」
 重々しく頷くヴォルク。
 ジスレーヌは鬼を見たことはない。
 ――と、ヴォルクの纏う空気が鋭くなった。
 彼は腰の剣に手をかけ、どこからかこちらの様子を窺っている敵の気配に目を細めた。
 この剣は、片刃でゆるやかな反りがある特徴的な形をしている。
 斬ることに特化した『刀』という東方の武器だ。
 また、その刀を扱う東方で着られている前合わせの変わった衣服を、ジスレーヌの分も合わせてどこからか調達していた。
 ジスレーヌに刀はないが、代わりに竹を渡された。咥えるものらしいが、顎が痛くなったので紐を通して首に提げている。
「いるのはわかってる、出て来い」
 ある一点を睨み、呼びかけたヴォルク。
 一際背の高い墓標の後ろから、影のように何者かがゆらりと姿を現した。
 とたん、ジスレーヌは背筋がゾッとするような寒気を覚えた。
「ヴォルク君、あれは……異常です!」
 冷や汗をにじませて言ったジスレーヌに、ヴォルクも頷く。
 彼は刀を鞘に収めたまま、独特の構えをとった。
 姿を見せた異常な存在は、二人をねっとりとした目で観察して言った。
「活きがいいな……その血は、さぞ甘かろう。一滴残らず飲み干し、我が眷属にしてやる」
「鬼は鬼でも吸血鬼か」
「吸血鬼って、架空の化け物だと思ってました……! ぎ、銀の武器なんて、持って来ていませんよ」
 青ざめた顔で言いながらも、ジスレーヌは護身用の短剣を抜く。
「ここにいるってことは、姫様の配下ということでしょうか……」
 そう思うと悲しくなってくるジスレーヌだった。
 しかし、それは目の前の吸血鬼自身が否定した。
「配下ではない。国民だ」
 ジスレーヌは思い切り驚きの声をあげた。
「そんなに驚くことか?」
「お、驚きすぎて頭がどうにかなりそうですよ!」
「まぁ、国民と言っても、まだ仮のものだ。本物の国民になれるかどうかは、お前達次第だな」
「意味がわかりません。姫様は何をお考えで……遊びに来る人を歓迎するとおっしゃっていましたのに」
「歓迎しているだろう?」
 話が通じない、とジスレーヌはヴォルクに助けを求めた。
「歓迎をしてくれたのなら、礼をしなければな」
 動じる様子もなく言ったヴォルクは、直後、ジスレーヌの視界から消えた。
 びっくりしたジスレーヌの視界の端で、吸血鬼の体が上下に真っ二つになる。
 ハッとして目を向けると、いつの間に距離を詰めていたのか刀を抜き放った姿勢のヴォルクが見えた。
 瞬時に間合いを縮めての一撃だった。
 そして吸血鬼は。
「ふふ、はははははッ!」
 何がそんなに楽しいのか高らかに笑い、その体は次第に霧と化していく。
「素晴らしい腕だな! まぁ、今日は挨拶に来ただけだ。次はじっくりと語り合おう」
 声だけを残し、吸血鬼は霧散した。
 静かに刀を収めたヴォルクのもとに、ジスレーヌも短剣を鞘に戻してから駆け寄る。
「お怪我はありませんか?」
「ない。長男だからな!」
「ふふふ、何ですかそれ」
「それにしても、ベルは俺様の部下のクセに、断りもなく王国作るとか生意気」
「うーん、そのことですが……あの映像の姫様は普通ではない感じでした。それに、あの吸血鬼の言葉……仮の国民とか、私達次第とか、どういう意味でしょうか」
「直接問い質せばいい」
 明快な返事に、ジスレーヌは視界が開けた思いになった。
「では、行くとしよう」
「はい!」
 薄暗く不気味な墓地を進む二人の足取りは軽かった。

 

★ ★ ★

 

 通路の壁に左手をつけて、タチヤナ・アイヒマンは慎重に足を進めていた。
 迷路になっている場所はこうして進めばゴールへの道が見つけられる――兄のアレクセイが教えてくれたことだ。
 タチヤナの行く手には何度も分かれ道が現れたが、彼女は兄の言葉を信じて左手を壁から離さずにひたすら進んだ。
 しかし、道が途中で軽い起伏のある森に変わってしまったことで、タチヤナは戸惑い足を止めた。
「これは……」
 焦りそうになる心を深呼吸で静め、注意深く周囲を確認する。
 湧き上がる疑問は捨て置き、目の前の現実だけに目を向けた。
「――うん、大丈夫。行ける」
 道は消えてなどいなかった。
 細い上に雑草や落ち葉で半ば隠れてしまっているが、ちゃんと人が通るための道が伸びていた。舗装はされていないが、間違いない。しかも一本道だ。
「道っぽいものと間違えなければ」
 タチヤナは濃い森の匂いの中へと踏み出した。

 こんな時じゃなければのんびり歩けるのに、と思ったのは少し前のことで、今、タチヤナは襲撃者から逃げるのに必死に駆けていた。
「キキッ、キーッ」
 甲高い声をあげて追ってくるのは、森のサル達だ。
 どうやらタチヤナが背負うリュックの中身が目的らしい。
 剣で斬り捨てることも躊躇われ、タチヤナはひたすら走った。
「これは貴方達のものじゃないってば!」
「キキキッ」
「うわっと」
 すぐ後ろの高いところから何かを感じ、タチヤナは斜め前に飛ぶ。
 そこにサルが飛び降りてきていた。
「いい加減、諦めてよっ」
 体力があるとはいえ、ずっと走り続けていられるわけもなく。
 そろそろサル達が諦めるか、撒くかしないと終わりだ。
 その時、聞き慣れた声に呼ばれた。
「タチヤナ、こっちです!」
 小道の向こうで手を振るのは、グレアム・ハルベルトだった。
「団長!」
 安堵と同時に力が湧き、タチヤナの足が加速する。
 グレアムは彼女を追うサル達に小石を投げた。
 小石をぶつけられたサル達は、キャンキャンと鳴きながら足を止める。
 その隙に、タチヤナとグレアムは小道を駆け抜けた。

 次第に木がまばらになっていき、ついに二人は森を出た。
 サルの追手も、ここまでは追いかけてきていない。
 なんとか道を外れることなく逃げ切ってたどり着いたのは、池がある静かな庭だった。
 池のほとりに四阿を見つけ、二人はそこで体を休めることにした。
「ひどい目にあいましたね……ですが、とりあえずこの庭に出て来れたのは幸いでした」
「ええ、本当に。森に迷い込んで方角もわからなくなったらと思うと、ゾッとします。ところで団長、お腹減りません?」
「けっこう走りましたからね。喉も渇きましたし……」
「実は、ちょっとしたものですが持って来ているんです」
 タチヤナはリュックを下ろすと、中から軽食を取り出した。
 レタスにハム、卵、ポテトサラダ等を挟んだサンドイッチと、クルミ入りのクッキーが、型崩れをしないようにきっちりと箱に詰められていた。紅茶も持って来ていて、こちらも漏れないようにきつく蓋をされたポットに収まっている。
「これはありがたいです」
「どうぞ、召し上がってください」
 いただきます、とグレアムは最初に紅茶で喉を潤した。
 それからサンドイッチを手に取る。
「とてもおいしいです。ありがとうございます」
 そう言って微笑んだグレアムを見て、タチヤナも幸せな気持ちになった。作ってきたかいがあったというものだ。
 クッキーも二人で綺麗に食べ終わり、そろそろ行こうかと思った時、リンダ・キューブリックエクトル・アジャーニが姿を見せた。
 意外な遭遇であったが、ここで情報交換をしておくことになった。
「そうですか、怪物には遭っていませんか……」
 何故自分達の前には怪物が、と難しい顔になって考え込むエクトル。
「不審な点は他にもあります」
 グレアムは、この島に上陸してからずっと疑問だったことを口にした。
「突然現れたこの島……いろいろと整いすぎています。庭はもちろん森、動物……迷宮や城が遺跡だったとしても、これまでに見つけた島とはまったく様子が違っています」
「確かに。島が見つかった場合、どこも何年も海の中にあった影響で生き物と言えば貝類や海藻類くらいでした。ここには、それらの名残がない……」
「ええ、その通りです」
 エクトルの発言に頷くグレアム。
「綺麗でおもしろい島ですが、何かありそうです」
 この後、また二手に分かれて彼らは調査を開始した。

 

★ ★ ★

 

 その頃、王の住まう城では。
 謁見の間でコタロウ・サンフィールドが王と対面していた。
 彼が国民になりたい意志を伝えると、馬車はまっすぐ城へ走ったのであった。
 玉座にはK王が、その隣にはベルティルデ・バイエルがいる。
 K王はニコニコしながらコタロウに言った。
「そなたが国民第一号だ、おめでとう! 心から歓迎する。ささやかだが祝いの品を贈ろう。役立ててくれ」
 K王に続き、ベルティルデが贈り物の目録を読み上げる。
「コタロウさんには、自宅と農地それから馬を一頭贈ります。生活用品については後でカタログをお渡ししますので、お決まりになりましたらわたくしまで申請してください。これからも、よろしくお願いしますね」
 微笑んだベルティルデは雰囲気こそ何か違うが、コタロウとのこれまでの関係を忘れたわけではなさそうだった。
 K王の隣から下りてきたベルティルデは、目録が収められた王の印が押された封筒をコタロウに手渡した。
「あなたのおかげで、この国は世界に定着できそうです。本当にありがとうございます」
「世界に、定着?」
「今まではどっちつかずだったのですけれど、人間の国民ができたことで国として成立できました」
「うん? えと……ベルティルデちゃん、結婚してたんだね」
「はい。急だったので何もお知らせできず、申し訳ありません」
 ベルティルデが結婚したのは、リモス村に映像メッセージを送る数時間前であった。
「友人として祝福させてもらうよ。おめでとう!」
「ありがとうございます、コタロウさん」
 不安そうだったベルティルデの顔は、コタロウの言葉で安堵したものに変わった。
 それからコタロウは、K王に向けて言った。
「王様、ベルティルデちゃんはとても素直で温かくて、俺の自慢の友人です。どうか彼女のことを幸せにしてあげてください」
「もちろんだ。妃は私にとっても、非常に大切な存在だからな。ずっと、憧れて想い続けてきた……いや、まあ、そんなことはいい」
 照れたのか、K王は軽く咳払いをした。
「王は、蔭からずっとわたくしを見守ってくださっていたそうです。コタロウさんのこともご存知だそうですよ」
「そうなんだ」
 そのわりに、K王の顔には見覚えがない。いや、忘れているだけか?
 見守っていたのなら、リモス村にいたのだろうか。
 マテオ民ではないだろう。
 それなら、流刑囚?
 疑問が湧き出る。
 思考に耽りそうになった時、謁見の間の扉が派手に開かれた。
「やっと着いたか……見つけたぞ、ベル」
 クタクタに疲れた様子のジスレーヌを支えたヴォルク・ガムザトハノフが、そこにいた。
「あら、ヴォルクさん。迷宮を踏破したのですね。おめでとうございます」
「うむ。なかなかの修行になった。だが、これはどういうことだ。お前は俺様の部下だろう」
「魔王軍のことですね。実は、とても急なことでしたので、結婚のことも含めてお話をすることができませんでした」
「国くれると言うなら許してやろう」
「やるわけないだろ!」
 ベルティルデより先に、K王が叫んだ。
「王様、落ち着いてください。ヴォルクさん、国を差し上げることはできません。ところで、迷宮踏破でお疲れでしょう。お食事などいかがですか? ジスレーヌさんも限界のようですし。もちろんコタロウさんもご一緒に」
 ヴォルクに向けて目を吊り上げるK王を宥め、ベルティルデは三人を食事の間へ案内した。

 食事の間は広く、芸術性の高い置き物が品良く配置されていた。
 長いテーブルに掛けられた白いテーブルクロスが、清潔さを表している。
 そこではコタロウが話題を振ったことで、マテオ・テーペの思い出話に花が咲いていた。
「住まいとさせていただいていた伯爵の館はもちろんですが、造船所や市場、神殿……あと温泉も。忘れられない思い出です」
「私もです。あそこで学んだ畑仕事が、リモス村で役に立っています。ヴォルク君にも、会えました」
 と、言った後でハッとして赤くなるジスレーヌ。
 しかし、ふとベルティルデが憂い顔になり視線を下げた。
「大切なあの場所の皆さんを助けたかったのに……わたくしは、力不足でした。救出がよりスムーズに行われるようになってからも、ずっと申し訳なくて。助けられた人達と一緒に働いていても、どこか後ろめたくて……そんな時、わたくしに呼びかけてくる声がありました」
 ――ああっ、このまま終わってしまうなんてっ。嫌だ、嫌だァ! あんたもそうなんだろ? 悔しさと心残りでどうしようもないんだろ? なぁ、最後に賭けをしないか?
 何のことかわからなかった。
 しかし、声はじわじわとベルティルデの胸の奥に染み渡っていく。
 ――いいもの見つけたんだ。私とあんたで、これを使う。
 どうして自分なのか、ベルティルデは尋ねた。自分はもう、水の継承者ではないのに。
 ――い、言わせんなよ。終わってしまったら、この想いも何もかも伝える前になくなっちゃうってこと! さ、始めよう。
 ベルティルデは、この声の主が誰なのか、どこにいるのかを聞いた。
 ――いずれ会える。私は、今すぐにでも会いたいが、それはできないんだ。……そもそもゾーンに落ち、あ、いや、扱われ方が雑だった……そう、そういうことだ! 会いたくても会えない、告りたくても告れないッ。ああああっ、もどかしいーっ!
 声の主は情緒不安定な人物のようだとベルティルデは思った。
 何とか落ち着かせて、その日は終わった。
 それからベルティルデは短い時間ながら、謎の声と言葉を交わすようになり……。

 本人が知らないうちに、声の主の暗い情念に侵されていったのである。

 ヴォルクは吸血鬼が言っていたことについて、ベルティルデに尋ねた。
「先ほどコタロウさんにも少しお話ししたのですが、この島はただの島ではないのです。人間の国民を得て初めて世界に定着するという、特殊な島です。吸血鬼や他の怪物達は、それまでは曖昧な存在として島にいたのですが、コタロウさんが国民になってくださったことで、彼らもこの世界の一員になれました」
 仲良くしてあげてくださいねと、ベルティルデは微笑んで言った。

 

★ ★ ★

 

 ずっと家族旅行をしたいと思っていた。
(新婚旅行もできてなかったし……)
 状況的に不可能だったのだけれど。
 しかし今、目の前には家族旅行を楽しめるものが揃っている!
 門を入ってすぐの広場でいくつもの通路に枝分かれしている迷宮入口。
「うーん、起こしたほうがいいか?」
 ラトヴィッジ・オールウィンは、背負った愛娘に目をやる。
 彼女は箱船ではしゃぎ疲れて、ぐっすり眠っていた。
「眠らせておきましょう。起こすのも、ちょっとかわいそうなくらい気持ち良さそうだから」
 妻のサーナ・シフレアンは、我が子の無垢な寝顔に目元をやわらげる。
 ラトヴィッジはサーナの考えに頷き、アイビーのアーチから始まる通路を選んで歩き始めた。
 道の両脇は色とりどりの花でいっぱいだ。
 遠くに目を向ければ、分岐点が見えた。
「はぐれないように、手は離しちゃダメだぜ、サーナ」
 ラトヴィッジがサーナの手を取ると、小さくやわらかい手がキュッと握り返してきた。
 こうして二人(と、背中の娘)で、花の香りに満ちた道を並んで歩く。
 サーナが胸いっぱいに香りを吸い込んだ。
「やさしい香り」
「ああ、心が落ち着いていく」
 目についた花があれば足を止めて、観察をしながら進む二人は笑顔が絶えない。ヒラヒラと舞う蝶々を、時折、目で追う。
「あそこ、分かれ道になってる。どっちにする? 右がバラで左がハーブみたいね」
 先ほどラトヴィッジが見た分岐点だ。
「さて……欲を言えば両方見てみたいが、楽しみはまた次の機会に取っておくという手もあるな。サーナならどっちを選ぶ?」
「私は……ん~、今日はバラの道にしようかな」
 サーナが選んだバラの道は、甘い香りに包まれた甘い道だった。
 可憐で小ぶりな黄色いバラのアーチを潜り、腰くらいの高さに調節されたピンクや白のバラの花壇を見て回る。
 幾重もの花びらを持つゴージャスなバラもあれば、形は基本的でも何とも表現しがたい美しい色のバラもあった。
 壁を這うように高く伸び、堂々と花開くバラも見た。
 そうしてたどり着いたのは、周囲を様々なバラに囲まれて中央に噴水がある庭だった。庭の隣には、沢山のバラの花で形作った動物の小さな公園もある。
 二人はベンチに腰を下ろした。
 ラトヴィッジはまだすやすやと眠っている娘を、起こさないように抱き直した。
 噴水の水は陽光にきらめき、いっそう夢のような眺めにしている。
 隣で見惚れているサーナの横顔を、そっと見やる。
 ――綺麗になったな、と思った。
 ハッとしたように、サーナがラトヴィッジを見上げる。
 ラトヴィッジは、口に出してしまっていたのだ。
「い、いきなり、何を……」
 照れたのか、彼女の頬が赤い。
 それさえも愛しいと、ラトヴィッジは素直な気持ちを今度はきちんと言葉にした。
「サーナは昔から可愛かったし綺麗だけど、こう……大人になったな~というか……。ああ、俺の奥さんがサーナで幸せだなぁって、思ってさ。たぶん、俺、世界一幸せ者だと思う」
 心からの想いを伝えているうちに、ラトヴィッジの胸の中にある幸せが膨らんでいく。
 サーナは耳や首筋まで真っ赤になっていた。
「そ、そんなの、私だって……ラトに会えて、私を、好きになってくれて、嬉しくて幸せで。沢山、感謝していて……ありがとう。私もきっと、世界一の幸せ者よ」
 マテオ・テーペでは、たいていいつも一緒に行動しているけれど、こういう場所で同じ時間を過ごすのは格別なものだった。
 お互いを大切に想う目で見つめ合う。
 ラトヴィッジは周囲に誰もいないことをさりげなく確認すると、サーナの唇に素早くキスを落とした。
「……!」
 サーナが目をまん丸にした時、娘がモニョモニョと寝言を言いながら目を覚ました。
「起きたか」
 と、ラトヴィッジが娘の頭を撫でる。
 目が覚めたら花いっぱいの景色に、彼女はしばらくポカンとしていた。
「向こうの公園で弁当にするか」
 娘を抱っこして立ち上がると、サーナも続く。
 一家はバラで形作られた動物達に囲まれて、食事にすることにした。
 夫婦二人で作った弁当も、格別なおいしさであった。

 

★ ★ ★

 

 リキュール・ラミルは商人の視点でこの島を訪れた――つまり、商談である。
 ハオマ亭のパルミラ・ガランテに同行を願い、迷宮を進みながらこの島についてあれこれと意見を交わす。
「国民募集中って言ってましたけど、この規模の迷宮を維持するのにはかなりの人手がいりますよね。なのに、募集中って……まるでここには人間がとても少ないような言い方……」
 疑問点を呟くように口にしたパルミラは、直後、ハッとして隣のリキュールを見た。
「リキュールさん、人が少ないなら開拓しても利益が……!」
 開拓とは、新規顧客の開拓のことである。
 大洪水によって人間の数も生活圏も激減し、経済活動も規模縮小を余儀なくされた。
 リキュールのポワソン商会は、もともとは塩や魚の流通を生業としていたため、様々な事情から漁業ができなくなってからは大変な苦労があった。
 ようやく漁業が再開でき、さらなる躍進を志すポワソン商会にとって、この新興国という場所は商機到来に等しいものだったのだ。
「幸運の女神は前髪しかございませんから」
 とは、パルミラに同行を呼びかけに来たリキュールの言である。
 それはハオマ亭にとっても同様だ。
 今すぐでなくとも、繋がりを持っておけば将来何かしら生かせる時が来るかもしれないのだから。
 リキュールを手伝って急いで商品サンプルをまとめて箱船に乗ったというのに、売る相手が少ないとなると……。
 気合がしぼみかけたパルミラに対し、リキュールは落ち着いた表情で言った。
「まだ決めつけるのは早いでしょう。まずは、予定通りに王と謁見をすることでございますよ」
「……は、はい。そうですね……焦りは禁物ですね」
 リキュールの余裕のある様子に、パルミラも気持ちを立て直すことができた。
 そして二人は、迷宮というよりはどこかの街道のような道を歩き続けた。
 まっすぐに幹を伸ばす背の高い木に挟まれた並木道。周囲にはは草原が広がっている。
 本当にここは迷宮の中なのかと疑ってしまいそうな場所だ。
 一直線に伸びる並木道に、木々の影が縞模様を落としている。
 とても長閑だった。
 やがて並木道が終わる頃、小さな集落の入口が見えた。

 踏み込んだその集落は、無人だった。
 ドアを叩いても返事はなく、どこも施錠されている。窓から中を覗いても、人はいない。そもそも家具がなかった。
 住人が去った集落ではなく、もともと住人がいないとしか考えられない。
 背筋にうすら寒いものを感じながら歩いていたパルミラは、風車の傍に見知った人影を見つけた。
 リキュールもその人物に気づく。
「フランシス様、まさかここでお会いするとは」
「よう、リキュールにパルミラか。来てたんだな」
 リキュールが秘めた恋心を抱くパルトゥーシュ商会の会長である、フランシス・パルトゥーシュだった。
 三人は情報交換も兼ねて、ここで食事をとることにした。
 リキュールが用意したのは商品サンプルだけではない。
 こんな時のためにと、豪華弁当も用意したのだ。彼の手作りである。美食家で通る彼は、自らも料理をする。
「ここの他にも集落を通ったんだけど、そこも無人だったんだよ。……お、うまいな、この白身魚のフライ」
「ありがとうございます。活きの良いのが釣れまして。……無人と言えば、動物もいませんね。馬小屋と思われるものはございますが」
「建物があるだけなんですよね……大きな模型の中にいる気分です。……このツミレもおいしいですね!」
「国民募集の意味がこれだと考えると、ここは空の王国といったところでございますかね」
「二人も船着き場でお迎えがあったと思うけど、あいつら……どう思う? 正直言って、人間かどうか疑っちまった」
「あ、あたしも……。笑顔で迎えてくれたけど、おそろしく精巧な動く人形を見たような感じで」
 フランシスとパルミラの会話を、リキュールは静かに聞いていた。

 おいしい弁当に満足した三人は、無人の集落を後にする。
 時々上空を舞うトンビの鳴き声を聞きながら、爽やかな風がそよぐ街道を歩いた。
 街道の先に、もう城が見えている。
 ほどなくしてリキュール達は城に到着し、はるばる異国からやって来た商人として王への謁見が許された。

 平伏するリキュール達に対し、K王は畏まらなくていいと大らかに言った。
「様々な海産物を扱うそうだな。何があるのか聞かせてくれ」
「かしこまりました。では、こちらを……」
 リキュールがパルミラに目配せをすると、彼女はリュックに詰めてきた商品サンプルを披露した。
 彼はそれらの商品を、丁寧かつ簡潔に紹介していった。
 フランシスは口を開くことなく、K王とベルティルデをそれとなく観察している。
「帝国での漁業再開はそれほど昔のことではなかったはず。よくここまで開発できたな。努力の賜物か。帝国ではさぞ名が知られていよう」
「手前は平民に過ぎませぬ。商人としての分は弁えているつもりでございます」
「謙虚だな」
「おそれいります」
 K王は扉の脇に控えていた兵士の一人を呼び寄せると、商品サンプルのどれか一つを味見するように言った。
 失礼しますと断りを入れてから、兵士は並べられたサンプルの中から一つを手に取り口にした。
「おお、これは……!」
 感動と驚きの声から、とてもおいしかったことがわかる。
 K王は頷くと、商品サンプルを譲ってほしいとリキュールに求めた。
「後で皆で試食し、購入を考えたい。食の充実は大切だと、私も思う」
 それからリキュールは、この迷宮のことを知らしめた映像のことに触れた。
 K王は楽しそうに笑う。
「なかなか言うことを聞いてくれないのが難点だがな」
 ひとまずの面会が終わり、リキュール達が王の前を辞するかという時、扉がいきなり開かれた。
「なんだ、またか……って、あ、あんたか」
 怯えたような目をしたK王の視線の先には、サク・ミレンがいた。
 彼はベルティルデに目を向けると、
「悪いな。急ぎの客だ」
 と、短く告げる。
 すると、サクの横から駆け出す人影があった。
 箱船でジスレーヌに「後から行く」と沈んだ顔で言ったルース・ツィーグラーだった。
 勇んで箱船に乗り込み迷宮を訪れたはいいものの、別人のようだったベルティルデにどう接したらいいのかわからなくなったルースは、下船をためらった。
 ようやく決意して箱船を降りようとした時、サクが来た。
 この島でやることを終えた彼は、箱船で帰るつもりだったのだ。
 出航まではだいぶ時間があるが、ひと眠りするなり何なりで時間は潰せるはずだ。
 そのつもりでいたサクをルースが捕まえ、城まで案内させたのである。
 物凄く嫌そうな顔をされたが、ルースは引かなかった。
「近道で! 今すぐ!」
 と、押し切ったのだった。
 そして城に乗り込んだルースは、
「ベル、こんなところでいったい何をしているのよ」
 と、王の隣にいるベルティルデに詰め寄った。
 ベルティルデはルースの剣幕を受け流し、歓迎の笑顔を見せる。
「ルース、来てくれたのですね。一言の相談もなく村を出てしまってごめんなさい。でも、こうして会いに来てくれてとても嬉しいです」
「あのねぇ」
「ルースのお部屋は、一番見晴らしが良いのですよ。後で案内しますね」
「そういう話をしてるんじゃないのよ。あなたは、ここで何をしているの?」
「王妃です。さっき、コタロウさんとヴォルクさんも来てくださったのですよ」
 二人の名前が出ると、K王の表情が若干歪んだ。
 ベルティルデと親し気に話す彼らにヤキモチを焼いたのだ。
 ちなみに彼らにはぜひ城に泊まっていってほしいと言って、ベルティルデは部屋を用意した。
 ルースはじっとベルティルデの目を見つめた。
 彼女の行いが本気なのか、正気なのか、それとも何かの影響を受けているものなのか、見極めようとしたのである。
「……」
 そんなルースを窺うK王の目は昏い。
 やがてルースは小さく息を吐き出した。
「わかったわ。あなたが用意してくれた部屋に泊まっていくわ。せっかくだもの、自慢の眺めを堪能するわね」
「ぜひ、そうしてください」
 何を考えているのかわからないベルティルデは、嬉しそうに微笑んだ。
 謁見の間から出て行く際、ルースはリキュール達に乱入したことを詫びた。
 何故かサクは出て行かず、隅のほうで面会の様子を眺めていた。

 

★ ★ ★

 

 行き先が迷宮であることから、ルティア・ダズンフラワーは入念に支度を整えた。
 そして今、探検道具として持ってきた筆記具やコンパスを駆使しながら、慎重に調査をしている。
 紙に書き込んできた道順は単純な通路であったことを示しているが、その道中にはいくつか仕掛けが施されていて、ルティアの歩みを遅らせた。
(連続で並ぶ回転ドアで方向感覚を狂わせたり、鏡張りの通路とか……。この先も何があるかわからないわね)
 作成した地図には、目印になるものも詳細に書き込まれていた。
 現在、通路はだんだん細くなっていっている。煉瓦造りでツタが這っている雰囲気のある通路だ。
 それだけではない。通路は緩やかな下り坂になっている。
 そして地下に潜り込み、壁に掛けられた松明の明かりを頼りに狭い通路を進むと、今度は天井も高い地下庭園に出た。
 花のように形作られた水晶が松明の明かりを反射して、まるでほのかな光を放つように咲いていた。
 ルティアは、神秘的な眺めに思わず息を飲む。
 その時、大小様々な水晶の花の向こうにグレアム・ハルベルトを見つけた。
 小走りに駆け寄って呼びかけると、水晶の花を観察していたらしいグレアムが振り向いた。
「ルティア……来ていたのですね」
「はい。いつの間にかこのようなところに着いていました」
「そうですか。俺のほうは、途中で落とし穴に引っかかってしまいましてね。ウロウロしていたら、ここに着いたんです」
 リンダとエクトルの二人と分かれてからタチヤナとしばらく探索を続けていたのだが、途中でカラスの群に追いかけられてしまった。逃げ回っているうちにグレアムはタチヤナとはぐれてしまい、さらに落とし穴にはまって地下まで転がり落ちたのである。
 落ちた先はやわらかい芝生だったため、怪我はない。
 タチヤナとはそれ以来合流できていないので、どうなったかは不明だ。無事であることを祈るしかなかった。
「この迷宮は、本当にどうなっているのやら。調査という任務がなければ、単純に楽しめそうなのですが」
 困り顔でグレアムはため息を吐く。
 二人は神秘的な庭をゆっくりと歩いた。
「グレアム様は、この島、この国についてはどのような印象を持たれましたか?」
「不思議、の一言ですね。迷宮に関しては、いったいどういう仕組みなのか見当もつきません」
 グレアムはエクトル達から得た情報と、ここまでの調査で自分が感じたことを話した。
「リンダが戦ったという化け物に、俺は遭ってません」
「私も、遭ってませんね……」
「美しい庭があったのも確かです。何の災難にも当たらずに、庭でのんびりするだけの人もいるかもしれませんね。俺が落ちた落とし穴も、宙に投げ出されたのではなく、ちょっと急な傾斜を転がり落ちたんです。それなりに、安全性に配慮してあるのかもしれないと考えました。リンダともどちらかが倒れるまでやり合ったわけではないと聞きましたし」
「友好関係を築きたいというのは、本当と考えもいいのでしょうか。そうであるなら、喜ばしいことだとは思うのですが……」
 まだ確証はない。
 やがて天然の草花に囲まれた四阿を見つけた二人は、そこで休憩を取ることにした。
 腰を下ろすと、この庭の静けさを改めて感じることができる。
 明かりは松明と、その光を反射して輝く水晶の花だけ。この四阿を囲む草花のように、所々にある天然の植物が生の息吹を感じさせる。そして、流れる空気は、地上と繋がっていることを伝えていた。
 音らしい音はないが、まったくの無音ではない。
 松明の炎の揺らめき、水晶の花、天然の草花――それらの気配とも言うべきものが、この庭の音だった。
 ここはとても静かだけれど、寂しい場所ではなかった。
 ルティアはしばらくの間この静寂に身を委ねていたが、やがて周囲の草花に導かれるようにそちらへ足を運んだ。
 膝を着き、よく見ると、そこにあるのは帝国にもある草花だとわかった。
 ルティアは一本ずつ丁寧に摘み、小さなブーケを作った。
 四阿に戻ったルティアは、そのブーケをグレアムに差し出す。
「綺麗ですね、見たことある草花ばかりです」
「ええ、そうなんです。この地下庭園に咲いているのは不思議ですけれど。……あ、ちょっと失礼しますね」
 ルティアは少し身をかがめて、グレアムのジャケットの胸ポケットにブーケを差した。
「いい香りがします。ありがとうございます。ルティアは器用ですね」
 お似合いですよ、とルティアははにかむように微笑んだ。
 その後は、彼女が作成している地図にこの水晶の庭園も加え、気づいたことを書き込んでから、二人は地上へ続く緩い坂道を見つけて上って行ったのだった。

 

★ ★ ★

 

 その日の夕方。
 島に留まる人達を残して、箱船はリモス村へ帰っていった。
 城の一室では、K王とベルティルデに加え、イフとサクが今日の出来事について話していた。
「国民を得たことで、私とこの島の契約が確実なものとなった……何よりだ。これからも気を引き締めていかなければな」
「こう言っては失礼ですが、成功するとは思いませんでしたわ」
「本当に失礼だな、イフは。ところで、二人はリモス村に帰るんじゃなかったのか?」
 K王はイフとサクを見やる。
「気が変わった」
「私もです」
「そ、そうか。まあいい、では、これからもよろしくな」
「お二人がいらっしゃると、何かと心強いですから。ところで、今後はどのようにしていきましょうか?」
「もっと迷宮を宣伝して、人を呼び込みましょう。ある程度の日数が経ってからは、有料にしましょうか。内容も種類を増やして割引きなども行い、常に目新しさを失わないようにするのです。国民には手厚い保障も必要ですね」
 イフの提案に、なるほどと頷くK王。
「K王様、帝国を乗っ取り正史を奪い取るまで、共に歩みましょう。……それでは、わたくしはルースのところへ行ってきますね」
 そう言ってベルティルデは席を立った。
 彼女に続き、サクとイフも部屋を後にする。

 一人になった部屋で、K王は瞳に狂気じみた昏い炎を燃え上がらせていた。
「これから、これからだ……クフフッ」
 それからふと、うっとりと頬を染めてにやける。
「……ベルティルデさん、やっぱかわいいなぁ。今度、手を繋いでみたいなぁ」
 妄想し、ウフフフフ、と笑うK王だった。

>>>第二話へ続く
※続きません

■連絡事項
リンダ・キューブリックさん
バルダッサーレ・クレメンティさんは、故コルネリア・クレメンティさんの弟ですので、アクションをかけることができるのは故コルネリアさんのPLさんになります。
今回、故コルネリアさんのPLさんは参加していないので、リンダさんがかけてくださったアクションでバルダッサーレさんに関する箇所はあまり反映できませんでした。
また、NPCとは原則『公式NPC』を指します。
ご了承くださいませ。

■マスターより
大変お待たせしてしまってすみません。冷泉です。
これにてひとまず終了です。続きません……!
当シナリオ、またこれまでご参加してくださった皆様、ありがとうございました。