アルディナ学園の学園祭!?

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◆年に1度の学園祭!


「さぁさぁ、管弦楽部名物のぐるぐる巻きウィンナー!」
 出店の立ち並ぶ中庭で大きな声を張り上げるのは、コタロウ・サンフィールド。彼は管弦楽部の定番出店、焼きウィンナーの呼子である。
「香ばしくこんがり焼けたホルン型のウィンナー、濃厚なケチャップソースで召し上がれ」
 炭火に落ちた脂が焦げて、食欲をそそる香りがあたりに立ち込める。彼の声につられて、ふらふらと人が寄ってくる。髪をぴっちり後ろにまとめた学生たちがコタロウに話しかけてきた。
「あ、ウィンナー1つ、いっすか」
「はい、ありがとうございます! ベルティルデちゃん」
「はい。こちらどうぞ」
 出店の奥で額に汗の球を輝かせながら、ベルティルデ・バイエルがぱりっと焼きあがったウィンナーをプラトレーに乗せて差し出す。コタロウはそれを受け取って、お客様へ。
「オリーブオイルとレモン汁もかけ放題ですよ」
「え、マジで? お前めっちゃかけろよ」
「おい、やめろって、おいー!」
 わいきゃい言いながら、ウィンナーにオリーブオイルがどぱどぱと掛けられていく。
「あ、すっげー油っぽい……でも、意外と合うな、こんだけかけても」
「は? 嘘だろお前。すみません、俺も1つ」
「毎度」
 コタロウは微笑んで、もう一度ベルティルデを見る。彼女もそのやり取りを見ていたらしく、同じように顔をほころばせていた。
「お疲れ様。そろそろ交代しようか?」
「あら、もうそんな時間ですか?」
 ベルティルデは驚いて、校舎に付いている時計を見る。
「もうお昼なんですね。気付きませんでした」
「頑張ってた証拠だよ。……ところで、部員なのにこのウィンナー食べてなかったよ」
 コタロウはベルティルデにお金を渡し、「ウィンナー1つ下さい」と言った。ベルティルデは焼き台の上から、よく焼けた1つを拾い上げてトレーに乗せる。
「どうぞ」
「いただきます……んっ、美味しい……これは宣伝した甲斐があったよ」
「コタロウさん、口のところ、ケチャップ付いてますよ」
「えっ?」
 驚いたコタロウの口元を、紙ナプキンが撫でる。
「あ、ありがとう……」
「いえいえ。それでは、お店番、よろしくお願いしますね」

 美術部のブースには、怪しげな壺をじっと見ている男がいた。
「これは……うーむ」
 茶道部部長のリキュール・ラミル。実家はあの有名な『ポワソン財団』の理事を務めており、彼もまたその後継者として美食や工芸品収集に精を出す学生だった。見た目は先生みたいだが、学生なのだ。
 リキュールは、白磁のように見える壺を指で弾く。ピィン、と甲高い音色が響き渡る。
「うむ……いい音色でございますねぇ……」
「いいものなのでしょうか?」
 一緒に回っていた茶道部員が不躾に聞くと、リキュールは「もちろんでございます」と笑った。
「白磁は古代の東洋で編み出された美しい陶芸作品の一種。西洋でも後年作られることになりますが、どちらも透き通るような美しい白さと輝きが特徴的なのでございます。少しでも歪みがあれば、その分だけ釉薬が厚くなりほんのりと青みを帯びるのでございますが……これは少しの歪みもないようでございます……まさに、職人技……。しかし、これほどの白磁を焼くだけの窯と職人がこの学園にいらっしゃったとは……これはどなたの作品でございますか?」
「それが、分からないんです」
 美術部員が首をかしげる。
「分からない?」
「はい。美術部の部室に、時々焼きあがったこの壺があるだけで……」
「なるほど……」
 リキュールは壺を手に取り、じっと見る。
「ちなみにこの壺、おいくらで売っているのですか?」
「はい、こちら」
 ごにょごにょと耳打ちする美術部員。
「むぅ……確かにそれくらいの値段を付けられるのも分かります。まったく正当な評価と言えるでしょう……しかし……」
「それでは……」
 美術部員は懐からそろばんを取り出して、パチパチとはじき出した。
「ここだな、怪しい壺を売ってるってのは」
 ウィリアムアーリー・オサードと並んで、壺の様子を見ている。
「確かに怪しい壺ね……大丈夫かしら、突然中からモンスターが現れたりしないわよね」
「大丈夫だって。自分から『怪しい壺』だなんて言ってんだ、本当に怪しいとも限らないじゃないですか。裏の裏を読めば表なんですわ」
「ただの裏だったらどうするのよ」
「魔術研、白い粉を取引らしいんですわ。それも上物、相当ぶっ飛ぶ奴らしいぞ」
「それは『空を飛べる白い粉』とかいうやつでしょ? さっき空を飛んでる学生を見たわ」
「え、マジで空を飛べるの? 隠語じゃなくて?」
「そうよ。結構怖いみたいで、誰も使いたがらないみたいだけど」
「とにかく、もしかしたらこの壺、何かを隠すために使われてるのかもしれないぜ」
 ウィリアムは壺を乱暴に持ち上げて覗き込む。
「エリザベス先生の薔薇騎士物語の新刊込みフルセットとか」
 その言葉に、アーリーはびくりと肩を震わせる。
「そ、そうなのかしら、私、興味ないけど」
 最新刊が出ていたのか……アーリーはきょろきょろと辺りを見回して、「何か入ってた?」と聞く。
「んー、メイド服+15とか入ってるかと思ったけど、空っぽだな」
「そんな防具あるわけないでしょ、いい加減にしなさいよ」
 ごちんと後ろからどつく。ウィリアムは「まあまあ」とたしなめて、壺を置いた。
「そちらの金額で、是非とも手前に買い取らせてください!」
 その隣でずっと交渉を続けていたリキュールが満面の笑みを浮かべている。
「あ、買い手が決まっちまったのか」
 なんだ、とウィリアムはつまらなさそうに言った。丁寧に包装されていく白磁の壺。
「ここでお渡しも出来ますが、ご自宅へのお手配も出来ますよ」
「そうしましたら、それを私の家へ確実に届けてください……それは、いいものだ……!」
「そうなんだ……」
 熱のこもったリキュールの口ぶりに、ウィリアムはこれが「単純に高価な壷」であるということを理解した。
 リキュールがホクホク顔で立ち去った後、美術部員が棚の下から別の形の白磁の壺を取り出す。
「えっ、壺、1つじゃないのか?」
「はい。たくさんあります」
 美術部員がしれっと答える。さっきの壺がいいものだったことは、リキュールの表情を見て分かったが、これがいいものなのかどうか……。
「これ、いくらなんだ?」
「そうですねえ、これは……」
 美術部員は壺を丁寧に持ち上げ、じっと見る。
「オークションにかけましょう」
「オークション?」
「ええ。値段をつけ難い、といいますか、人によって評価が相当分かれそうなので」
「姉御!」
「……え、何?」
 エリザベス先生の新刊が入っていなかったので、すでに若干気を抜いていたアーリー。呼びかけられて、ウィリアムを見た。
「姉御、お金貸してくださいよ!」
「は?」
「あの壺を落とせるのは、今日だけかもしれませんよ!」
「あのねえ……」
 アーリーは壺をじっと見る。そしてキラキラ輝いた瞳のウィリアムを見た。
「ちゃんと返しなさいよ」
「ありがとうございます!」
「3倍で」
「え?」
 アーリーは押し付けるようにウィリアムに金を渡すと、「3倍で」と、もう一度念押しした。

 優美な香りをまき散らしながら、校内を練り歩く女の子の姿があった。……いや、よく見ると女の子ではない。それは、セーラー服の上からセーターを着た、アレクセイ・アイヒマンの姿だった。
「美術部です~、美しい壺はいかがですか~?」
 手には、ブースに並んでいるのとよく似た白磁の壺。だが、こちらは売り物ではなくあくまでも客寄せのためのものだ。中にはキャンディーがぎっしりと詰まっており、小腹が空いているであろう男子学生に手渡していくのである。
「はいどうぞ」
 アレクセイの外見に騙された学生は、彼の笑顔に胸を撃たれ、その後姿をじっと眺めている。
「あれ、美術部?」
「あんな美人、この学園にいたんだな」
 そんな言葉が背後で飛び交っていた。
 ふと、廊下の向こう側から見知った顔がやってくるのに気付いたアレクセイ。それは、チェリア・ハルベルトだった。
「チェリア先生、見回りですか? お疲れ様です」
「……?」
 見慣れない顔の生徒に、チェリアは首を傾げる。
「私ですよ、アレクセイです」
「え、あ、ああ、本当だ。なんだ、そんな格好して」
「美術部の営業中です。部員の皆にこの格好でと勧められて……似合ってますか?」
 アレクセイがくるりとその場でターンして見せると、スカートの裾がふわりと開く。あたりに、あでやかな花の香りが広がった。
「壺売りの少女……なんちゃって」
「似合っているも何も、女子学生にしか見えなかったぞ」
 チェリアはまじまじとアレクセイの姿を見た。チェリアの言うとおり、女の子にしか見えない。
「そうだ、チェリア先生にも、はい」
「ん? なんだ」
「花とキャンディーです。勧誘用ですみませんが」
「この花……本物のバラか?」
「いいえ、造花です」
「造花!?」
 確かに、茎にとげがない。だが、花びらの1枚1枚に宿る瑞々しい深紅は、今朝摘んできたばかりのそれと見まごうばかりである。
「私が作ったんですよ。キャンディーも」
「……まったく、器用な奴だな」
「美術部員ですから」
 チェリアは「ありがとう」と言い、受け取ったキャンディーを口に放る。
「そうだ、チェリア先生、少しだけ一緒に歩いてもいいですか?」
「ん? 構わんが……見回りのルートは外れられんぞ」
「いいんです。私も営業の途中ですし」
 アレクセイが向きを変え、チェリアの横に並ぶ。
「少しの間だけでも、一緒に回っている気分を味わいたいのです」
「……おかしな奴だ。クラスメイトと回ればいいものを」
 2人の影が、寄り添いながら廊下の奥へと消えていく。

 陸上部のブースは、プロテインドリンクの提供を行っていた。
「そこの可愛らしいお嬢さん達、飲んでいきませんか? さあ、どうぞどうぞ!」
 男子用の陸上ユニフォームに身を包んでいるのは、タチヤナ・アイヒマン。プロテインにタピオカを沈めた奇抜な逸品を女子に勧めているのである。とはいえ、見た目はタピオカミルクティー、ミルク多めという風に見えなくもない。ただし、タピオカの沈むプロテイン自体はバナナヨーグルト味。その変わった味も密かに人気になっているらしい。
  ルティア・ダズンフラワーは、ストロベリー、チョコ、バニラなどのプロテインをシェイキングして手渡している。割るアイテムは、通常は水か牛乳というのが定番だが、コーヒーなどのちょっとアクセントのついたものも用意した。せっかくの学園祭なのだから、より楽しんでもらえるように工夫した、ということだろう。
 ふと陸上部員たちは、人ごみの中にひときわオーラを放つ存在を見た。
「グっ、グレアム先生っ!?」
 グレアム・ハルベルトは見回りに出ている。当然部活動が出店を行っている中庭も巡回ルートの一部。周囲を見渡しながら、にこにこと笑っている。一見、見回りというよりはただの参加者だ。だが、タチヤナの目にはそうは映らない。
『ど、どうしてグレアム先生が! こ、こっちに来てる……こんな格好、おかしいって思われないかな? 鏡……鏡は……持ってくればよかった……! グレアム先生にもぜひ飲んでもらいたい! 先生においしく飲んでもらえるようにと改良を重ねた自信作……! でもこんな格好では……いや、待って、この格好なら私とバレないのでは?』
 タチヤナの鼓動が高まる。だが、グレアムはまっすぐ陸上部のブースに近づいてくる。
 先に声をかけたのは、ルティアだった。
「あら、グレアム先生、お疲れ様です」
「陸上部は……プロテインドリンクですか? 面白いですね」
「ありがとうございます。警備の途中だとは思いますけれど、おひとついかがですか?」
「そうですね……どんなものがあるんですか?」
「こちらの5種類の粉と、3種類の割りものから選んでください」
「あっ、タ、タピオカもあります!」
 タチヤナは精一杯の王子様スマイルでボードを掲げて目を隠す。そこには『今流行りのタピオカ、ついにプロテインと合体!?』と書いてあった。
「タピオカは女の子向けではありませんか?」
「そ、そんなことないですよ、グレアム先生にもおすすめです!」
「そうですねえ……」
 グレアムはうーん、と考えて、それから「そうだ」と微笑んだ。
「タピオカ入りとタピオカなし、どっちも下さい。2人が作るドリンクを、それぞれ飲んでみましょう」
「先生、いいんですか?」
「あ、その代わり、サイズはSで」
 2人がシェイカーに粉を入れ、液体を入れ、優しく丁寧に、そして真心を込めてシェイキングする。とろりとしたプロテインドリンクが出来上がる。
 先に仕上がったタピオカ入りドリンクを、一口。
「ん……新触感ですね。なんでしょうこれ……ミルクティーより飲みやすい気もしますよ。斬新ではありますが、なんで今までなかったんだろう、ってくらい美味しいです」
「やったーっ!」
 タチヤナはブースの中で飛び跳ねる。
「……ところで、なんで男の子の格好してるんですか?」
「……へ?」
 タチヤナは瞬間、我に返る。
「あ、え、えと、これはその」
 慌てたタチヤナの様子を見てグレアムは笑う。そして、空になったタピオカ入りプロテインドリンクの容器を持ち上げた。
「ごちそうさま。そしたら、次はこっちの、タピオカが入っていないほう……」
「おすすめで、とのことでしたので、男性一番人気のチョコレート味とコーヒーの組み合わせでお作りしました」
「いただきます」
 一口。
「……ミルクも入ってますね。少し苦めのコーヒー牛乳とチョコレート、って感じ……これもなかなか。プロテインドリンクって感じはしませんね。飲みやすくて、とっても美味しいです」
「ありがとうございます……それと」
 ルティアはショーケースの端から、ラッピングされたクッキーを差し出す。
「どうしたんですか、これ」
「昨日家で作ったんです」
「自分で?」
「はい。先生のお口に合えば嬉しいです……」
「ありがとうございます。こんなに可愛くラッピングされてたら、開けるのもったいないですね」
 グレアムは微笑みながらそれを受け取ると、「見回りながら食べてもいいですか?」と聞いた。
「ええ」
「あとで、感想をご報告します」
「ありがとうございます」
 グレアムは手を振りながら、中庭を後にした。

 校庭の鐘が鳴る。午後二時。各クラスの催し物が始まる頃だろうか。


◆桃太郎やれよ桃太郎を!

 カサンドラ・ハルベルトは慌てふためいていた。
「しゅっ、主役が風邪でお休み……!」
「風邪というよりは仮病ね」
「仮病……!?」
 アールがため息をついて台本を開く。
「いや、だって、この脚本じゃ逃げ出したくもなるでしょ? これ脚本書いたの誰よ? っていうか、書いてないんだけど……」
 真っ白すぎるページ。
「大体こんなざっくりした演劇、ガイドやりたい放題してくれなんて言われたら、桃太郎取るより脇役取って暴れ散らかしたほうが面白いって誰でも思うわよ! ちょっと考えればわかるでしょGM!」
「ガイド……? GM……?」
「ああ、こっちの話……」
 アールはため息をついて台本を閉じた。
「それで、どうすんの? 主役。まさか『桃太郎不在の桃太郎』なんて出来ないわよ」
「うっ、そ、それは……」
 あたりをキョロキョロと見回す。カサンドラ。目の前のアールはサル役で出演が決まっている。奥にいるパルミラ・ガランテは、すでにグレアムのサインをもらうという条件でキジ役の出演をお願いしてしまった。
「あんたしか残ってないわよ」
「そ、そんな……わっ、私、ムリです……」
「大丈夫」
 アールがいたずらっぽく笑った。
「どうせまともになんかなりゃしない」

 マーガレット・ヘイルシャムは、漆黒に輝く炭酸飲料とポップコーンをもって、観客席の最前列にいた。
『モモタロウ。確か、オークの王を桃から生まれた勇者一行が倒して世界を救う、という東の国の物語。ヒロイン不在、男のライバル不在と、作家的にも腐女子的にもやや物足りない展開であったことを覚えています……さて、どんなアレンジになることか……』
 ポップコーンを1つ摘み上げて、口の中へと放り込む。
 開演ブザーが鳴り、教室の照明が落ちた。

「あっ、あの……あっ、わ、私、その……もっ、桃っ、桃から……」
 顔を真っ赤に染めたカサンドラが、舞台の真ん中でもじもじとしている。衣装は確かに桃太郎のもの。だが、極度の緊張から今にも泣きだしそうなカサンドラ桃太郎。
「桃っ……あぁっ、やっぱり私っ……ごめんなさいっ……!」
 カサンドラは駆け出し、舞台袖へとはけてしまう。
「え……な、何が起こったんですか、今……」
 マーガレットは舞台袖を見つめる。
 なんだろう、この心にうずまく「ツッコミ」という感情を超越した何かは……。そう……これが気弱なショタへの萌え……掻き立てられた庇護欲……! 『マクラ・ソウシ』に書かれたと言われる、『ちっちゃい男の子が着物着て本読んでるのがすっごく可愛い』を目の当たりにしているのだ……!
「大丈夫! 行けるよ!」
 舞台袖からアールの声が漏れてくる。
「ほら、行って! 行くの!」
 追い出されるようにして出てきたカサンドラは、いよいよ泣き出しそうだ。
「あっ、わ、私……その……鬼、たっ……退治にっ……はぁっ……」
 ちらりと舞台袖に目をかける。だが、許されなかったようだ。
「鬼退治にっ……はい……行きます……すみません……ああ、私……ごめんなさい……」
 心の底から応援したくなる。この「絶対お前じゃ倒せないよ」感。マーガレットは固唾を飲んで、我が子を見守るような気持ちで舞台上の彼女を見つめた。
 反対側の舞台袖から、イヌのコスプレをした女性が出てくる。アウロラ・メルクリアスだ。
「あうーん、わんわんっ!」
「あっ、アウロラさん……」
「イヌだよイヌ!」
 舞台上で思わずツッコミを入れるアウロラ。
 マーガレットの鼓動が高鳴ってくる。今度は犬のコスプレ……いや、コスプレと言ってしまえば演劇なんて皆そういうものなのだが、それにしても、可愛らしい犬耳と尻尾……この演劇、私を悶えさせるために作られているのか……?
「あっ、イヌさんっ……あの……おね、お願いします……」
「何を?」
「こ、これ……」
 手に握られているのは、小道具のきびだんご。
『ここで、エサを1つあげるから一緒に鬼退治に行きましょう、って提案してきてね』
 アウロラの頭の中に、ついさっき、演劇が始まる前に交わされた言葉が蘇る。カサンドラの顔を見る。……到底、できそうにない。なんなら、今この舞台の上に立ち続けていること自体が奇跡と言っても過言ではなかった。
 アウロラは、かつて桃太郎という物語をどこかで聞いたことがあった。確か、桃太郎という男から食べ物をもらったイヌ、サル、キジが、鬼退治させられる、という話だ。明らかに仕事に対して報酬が見合ってない超絶ブラック労働を戒めた話で、「モノにつられて知らない人に付いて行っちゃダメ」という教訓を与える話、だったはず。
 ここで何とかうまく話を回さないと……。
「えっ、お、鬼退治に!?」
 アウロラはこちらから話を切り出すことにした。助かった、という表情を浮かべる桃太郎。
「わかりました。そのエサ1つで鬼退治をすればいいんですね!」
「んっ……んん……!」
 ぶんぶんと首を縦に振るカサンドラが、そのままアウロラにきびだんごを全部手渡すと、急いで舞台袖にはけてしまった。
「あっ、ちょっ……そ、そういうこと……?」
 下請けから急に元請けになってしまったアウロラは、舞台中央から袖を覗き込んだ。カサンドラは、もうこれ以上ムリらしい。むしろ彼女にしてはよく頑張ったほうなのかもしれない。アウロラは、覚悟を決めた。
「仕方ない……ぼくが鬼退治します! 仲間、大募集!」
 想定外の展開に、マーガレットは愕然とする。それは、推しのキャラが5話目くらいで明らかな死亡フラグを立てたときの衝撃に近い。この展開、あの目を潤ませた桃太郎は、もう多分出てこない。加えて、元々彼女の知っていたストーリー、つまり桃太郎が鬼を退治するという本筋が、大きく外れた瞬間でもあったのだ。思わず、ドリンクを握る手に力が入る。

 元請けとなってしまった犬さんは、別に鬼退治とかには興味がなかったので、そのままエサを食べて街に戻っても良かったのですが、可愛い桃太郎の頼みということもあって、仕方なく鬼がたくさんいるという鬼ヶ島アイランドを目指しました。
「い~ぬ~さん、い~ぬ~さんっ、お腰につけた~、エサっ、1つ私に下さいなっ」
 めちゃくちゃ音節を無視しながら歌って出てきたのは、サルに扮したアール
「いいよサルさん! ただし、エサ1つで死ぬまで戦ってもらう」
 イヌさんがすごむと、「わっ、分かりましたっ、ウキーっ」とサルさんは声を震わせてイヌさんの後ろに並びました。
「あら、キジってどうやって鳴くんだっけ……キジー?」
 パルミラは首をひねりながらゆっくり歩いて出てきます。
「あっ、キジさん! このエサ1つで働いて!」
「えーっ、それって最低賃金下回ってるんじゃないの?」
「グレアム先生のサイン」
 イヌさんがぼそっと言うと「働く働くーっ、キジー」と飛び跳ねて、ようやくキジさんの役になったパルミラが仲間になりました。

 フルメンバー(ただし桃太郎はいない)になった一行は、鬼ヶ島へとたどり着く。
 鬼ヶ島には、強そうな鬼が2体いた。リベル・オウス扮する「鬼ヶ島のラスボス」と、リンダ・キューブリック扮する「鬼が島のラスボス」である。派閥争いみたいなものがあった。鬼だって一枚岩ではないのだ。
「おっ、いたいた」
 イヌさんが鬼ヶ島に上陸すると、まずはリベルが仕掛けてくる。
「来たな、桃太郎……あれ、桃太郎は?」
「桃太郎の下請け一行です。桃太郎は舞台袖に」
「下請け……ふん、まあいい」
 一瞬呆気にとられたリベルだったが、金棒を担ぎ、ぎょろりと目を輝かせる。
「この舞台『桃太郎』をハッピーエンドにしたいなら、俺よりも輝いてみせるんだな!」
 そう言うと、リベルは舞台中央に進み出て、くるりとターンした。バンっ、と強い音とともに、スポットライトがリベルに当たる。音楽が流れる。リズムに乗りながら、リベルが歌い出す。
『俺様は、鬼ヶ島で1番強い、真のラスボス。
 人間なんて、ひとひねり、一瞬で返り討ちだ!
 逆らうからには、容赦はないぜ。
 泣いても、わめいても、許しはしないぜ。
 さあ、お前の輝き、俺に見せてみろ!』
 ビシリと指を差し向けられたアウロラは、困惑して「あ、え、そういう方針?」と小さくつぶやいた。
「おいおい、違うだろ」
 リンダがその奥から割ってきて、リベルを後ろへと押しやる。
「真のラスボスはこの自分……黒鬼様だ」
「あれ、黒鬼様、トラ柄ビキニ衣装だったんじゃないの?」
「あんなもん着れるかッ!」
 珍しく顔をほんのり赤く染めて怒りを露わにするリンダ。
「まあいい」
 リンダは天然理心流の八角木刀を上段に構え、「どのみち帰れはしないのだ……あのビキニごとお前らを屠ってくれるわ」と不敵にほほ笑んだ。剣道の防具で全身を覆ったその姿は、鬼というよりは、武者に近くも見える。
「待て待て、輝きがないぞ」
 リベルが割って入る。リンダは木刀を一度下に向け、彼をにらみつけた。
「だからその輝きってなんだよ」
「役に入り込めば、おのずと輝きが出る……歌や踊りも、ほら」
 腰を低くし、ステップを踏むと、なぜだか低音のピアノ伴奏が入る。
「な?」
「いや、な、じゃなくて。どういうシステムだそれ」
「いやいや、なるだろ。ほら」
 リベルはもう一度舞台中央へと躍り出る。
『子請け、孫請け。俺らを甘く見すぎだぜ。
 桃太郎(アイツ)がいなけりゃ、こっちの勝利は絶対だ。
 さあどこからでも来いよ。
 じわじわ苦しめて、ここに来たこと、後悔させてやるさ!』
 リベルが振り返ってリンダを見る。
「な?」
「いや、な、じゃなくて……そんなことよりも物理的に行ったほうが絶対いいだろ。鬼だぞ」
「鬼でも、まずは演劇だ。演劇である以上、『輝き』で決着をつけるべきだ」
「大体、鬼の最強はこの黒鬼様だろうが」
「『輝き』基準なら俺のほうが上だ」
「鬼なんだから暴力で解決するんだよ!」
「だから演劇だって言ってんだろ!」
 リンダが深く息を吐く。
「……貴様とは、一度、どちらが最強か、ケリを付けなきゃいけないと思っていたが……この場で貴様を血祭りに挙げて、自分が真のラスボスであることを証明せねばならんようだな」
「ふん……望むところだ」

 鬼の内紛を遠巻きに見ていたイヌさん、サルさん、キジさんは、桃太郎からもらったエサをすっかり食べてしまいました。
「ねえ、サルさん、キジさん」
「何?」
「やっぱり、こんなお団子1つで、歌ったり踊ったり、木刀持った怖いお姉さんと戦ったり、できないよね」
 サルさんが首を捻ります。
「んー……それは確かにそうかも……」
 キジさんも、うんうん、と首を縦に振りました。
「グレアム先生のサイン色紙も、ネットオークションで落とせば買えなくはないかもしれないし……」
「いや、それはちゃんと本人からもらえばいいんじゃないかな……多分それ転売だよ」
 イヌさんはキジさんの行動をたしなめます。
「とにかく、なんか鬼同士がラスボス争いしてるし、今日はもう帰ろっか。あれだけじゃ見合わないよね」
「じゃあ、ここで解散?」
「そうしよ、そうしよ。お疲れー。あ、そうだ、連絡先交換しない? 今度街に遊びに行こうよ」
「あー、いいねー」
 3匹は、わいわい言いながら舞台袖へとはけていきます。
 こうして、鬼は退治されませんでしたが、鬼同士が殴り合って共倒れになったので、結果的に世界は平和になりましたとさ。
 めでたしめでたし。
「あっ、ちょっと待て! まだ俺の輝きは終わっていないぞ! ライトを消すな!」
「劇の中で決着付けさせろ! まだ見せ場の戦闘シーン全然やってないぞ! 教室は破壊しないから戦わせろ! おい!」

 ブザーが鳴り、教室の扉が開いた。
「……私、一体何を見せられていたのかしら……でもよく分かりませんけれど、アレンジってあそこまで自由にやってもいいものなのかしらね……参考になるような、ならないような……」
 氷はすっかり溶け、炭酸も抜けた飲み物を口に含みながら、マーガレットはいつまでも心の中に残っている小さなわだかまりを見つめていた。


◆夕間暮れの学園警備隊

 夕方、学園の花壇にジスレーヌ・メイユールがいた。普段から手入れしていた花壇がめちゃくちゃに荒らされていたのだ。あたりには鼻から血を垂れ流した他校の学生。
「やあん、怖かったぁ……」
 ヴォルク・ガムザトハノフに抱き着いてそういうジスレーヌ。
「コイツら、ジスレーヌたんがやったの?」
「ううん。私、そんなこと出来ないもん」
 嘘である。ヴォルクが来る数秒前まで、全力でタコ殴りにしていたのだ。ふとヴォルクの足音が聞こえたからやめただけのこと。もちろん、「余計なこと言うんじゃねえぞ」の脅しも一言添えてある。
 どうやらこの世界のジスレーヌは、お嬢様というよりは筋金入りのワルのようだ。よかった、本編じゃなくて。
 そこに、見回りをしていたバルバロが通りかかる。
「ん……あ、お前何してる!」
「え?」
 バルバロはつかつかと寄ってきて、問答無用でヴォルクの頭にゲンコツを与えた。
「あっ……いってぇっ……何すんだよっ!」
「花壇荒らして他校の生徒ボコるとかどういう神経してんだお前!」
「ちっ、違う! 俺が来た時にはコイツはもうこんな状態だったし、花壇もぐちゃぐちゃだった!」
「そうよ! ヴォルクくんは何もしてない!」
「それじゃあ誰がやったってんだよ!」
 バルバロはもう一発ゲンコツを加える。
「っだぁッ……だから俺ではない!」
「……なんだ、本当に違うみたいだな……」
 バルバロは「花壇、元に戻しとけよ」と言って去っていく。
「おい、待て。貴様も不良だっただろう!」
「毒を以て毒を制す、ってことだよ」
 バルバロの後姿を見送って、ヴォルクは頭を押さえる。
「ンだよ……いてえ……」
「大丈夫? ヴォルクくん……ぴろりろりーんっ! 痛いの痛いの、とーんでけーっ!」
「あーっ、シズレーヌたんの魔法で痛みが消えたおーっ!」
 ギリギリの意識を保っていた他校の不良生徒が、そのあまりのバカップルさ加減に意識を失った。

 日が落ちて、いよいよ学園祭は終わりの時を迎えた。大盛況のうちに幕を閉じた学園祭だったが、見回り組はここからまだ仕事がある。
 ナイト・ゲイルは、最後の警備を続けている。校舎内に不審者や生徒が残っていないかのチェックである。ただ、まだ余韻が残っているらしく、手には管弦楽部のぐるぐる巻きウインナー。それも、3本も。うち2本は、簡単に紙の包装がなされていた。
「美味い」
 ちょうど晩飯前の空き始めた腹に、ちょうどいいボリューム感と味付けである。
「早くチェリア先生に渡さないと、冷めちまうなコレ」
 3本のうち、1本は見回りながら食べる用、1本はチェリアへの差し入れ、そしてもう1本は一緒に食べる用である。
 彼は周囲を警戒しながら、詰所へと戻っていく。最後の警備個所は、校舎内に限定される。例の「幽霊が出る」という噂の、あのルートだ。
 詰所にいたチェリアにウィンナーを渡し、一緒に食べる。
「一日中校舎内の見回りだったから、焼き物が全然食べられなくてな……ありがとう」
 肉汁滴るウィンナーをほおばりながら、チェリアはナイトに礼を言った。
「この後の見回り、やるのか?」
「はい、まあ、幽霊の正体見たり枯れ尾花、じゃないけど、噂を確かめに行こうかなと」
「そうか……」
「チェリア先生は?」
「気乗りしないな。誰かの作った適当な嘘だろ」
「そう言ってますが、彼女は意外と怖がりですから」
 グレアムが笑いながら紅茶を飲む。
「そんなことはない!」
「じゃあ行って来たらいいじゃないですか」
「それは……」
「私は行くぜ」
 バルバロは立ち上がり、すでに準備万端、という風だ。
「それじゃあ、スリーマンセルで。私はここで事務処理と、ランガス校長への報告を行っておきますから」

 押し切られたチェリアと、最初から幽霊の正体を確かめてやろうと思っていた2人が、並んで廊下を歩いている。
 チェリアは心なしか小さく震え、ナイトのそばにぴったりと寄り添っている。
「チェリア先生、怖いんですか?」
「そんなことはないっ。第一、幽霊なんてものはあまりに非科学的だ。馬鹿げている、存在そのものが疑わしいものに怯えるなど」
 バウンッ!
「ひぅっ」
「……先生、ボールが棚から落ちただけですよ」
「……まったく、驚かせるなよ……」
 ナイトはそれ以上イジるのが可哀想で、彼女が震えるままにしてやった。
 懐中電灯で廊下の先を照らしてやる。
「あれ?」
 バルバロが奥を照らして目を凝らす。
「あそこに誰かいないか?」
「き、気のせいだろ! 気のせい、気のせい、怖いって思ってるからそんな幻覚が見えるのだ」
 だが、彼女がライトを向けている先は、確かに薄ぼんやりと霧がかっていて、どうにも雰囲気がおかしいように感じられる。しかもそのモヤのようなものは、少しずつこちらに近付いてきているようだった。
 ピチャーン……ピチャーン……。
 小さな水音が、3人分の呼吸音しかないはずの廊下に響いている。それは、すぐ耳元で鳴っているような、不思議な音。
「わ、私、職員室に事務的な用事を思い出したから帰る! 霊はいなかった! それじゃ!」
「あっ、ちょっとチェリア先生! 暗がりを走ると危ないですよ!」
 走り出したチェリアを、ナイトは追いかけていく。
「さて……」
 1人になってしまったバルバロだが、ゆっくりとその半透明の物質に近付いていく。
「どうせお前なんだろ?」
「俺に、何か用か?」
「ああ。今度こそ、白黒つけようぜ」
「まったく、こんなメタいシナリオにまで呼びつけられるなんてな……そんなに俺と勝負がしたいのか?」
「もちろん」
 バルバロが振りぬいた拳は、空間を切り裂いた。実体のなくなってしまった彼に、攻撃は当たらない。
「少し見ねぇ間に、存在が薄くなっちまったなぁ? 殴り合いは無しだ、っていうかムリだろ」
「その通り」
「それじゃ、話し合おうぜ。成仏出来ねぇってことは、何か言い残したことがあるんだろ」
「いいや? 何もないさ。俺は死んだ。ただ、それだけのこと」
「本当にそれだけなのか?」
「ああ」
 男の影が薄くなる。
「あっ、待て! お前の名前!」
「俺に名前などない」
「そんなことはないだろ! どんな人間にも、生みの親がいて名前がある! 誰かと一緒に生活すれば、名前が絶対に必要になるはずなんだ!」
「そんなもの、俺にはないんだよ。俺の家族はお前らだけだった」
「待て、消えるな! それじゃあ、私がお前に名前をくれてやるよ!」
「……好きにしろ」
「それじゃあ……お前は……」
 一瞬だけ懐中電灯の明かりに加えて、もう一つの明かりが見えた。廊下の窓越しに、ぽっと灯って、すぐに消えた。それから、幽霊の噂は聞かれなくなったというが、それはまた別の、そしてもう誰も知ることのないお話。


●担当者コメント
【東谷駿吾】
亜空間シナリオにご参加いただき、ありがとうございました。今回は全編通して私が担当させていただいております。大丈夫かな。大丈夫だよね。ね?
普段のカナロ・ペレアの世界ではなかなか出来ない「学園祭」、しかも役柄も役割も自由になるということで、皆様結構キャラクターをいい感じに動かしていただいていて……本当に「え、ここまで書いていいのかな」と思いながら執筆を進めさせていただきました(笑)
たまにはこういうのもいいかな、とは思いますので、また機会があればこういうタイプのシナリオも開催してみようかなと考えています。
あ……念のため、ここであったお話は「異世界の出来事」なので、皆さんの記憶からは消えます。NPCの雰囲気がちょっと違っても、それは「異世界だから」。許してください、何でもしますから!(何でもするとは言っていない)
それでは、次回のシナリオも、どうぞよろしくお願いします。