陽の光の世界へ

 

 新たな世界の魔力を統べる王が誕生して4年。

 マテオ・テーペに残る人々の救出は終盤を迎えていた。

 最後まで残る決意をしていた夫、バート・カスタルと、息子のリィト・カスタルと共に、ピア・カスタル(旧姓グレイアム)も、今だ海の底で暮らしている。

 これはおよそ10年ぶりに、一時的に海の上に出た時の話。

 

 海の上に出たという知らせを受けてすぐ、ピアはバートと共に、リィトを連れて箱船の甲板に出てきた。

 ちょうどその時、雲に隠れていた太陽が姿を現して、甲板に暖かくて眩しい光が降り注いだ。

 懐かしい光の世界に、ピアの目にじわりと涙が浮かぶ。胸が詰まり、しばらく声が出なかった。

「ああそうだ、この感覚だ」

 バートは遠くをしみじみと眺めている。

「……んー? んんんん?」

 リィトは不思議そうに首を傾げる。

「リィト、海を見ましょうか」

 少しして、ピアが聞くと「うん」とリィトは元気に答えた。

 甲板の端に近づいて、三人ならんで広大な海を眺める。

「船が揺れたら危険だから、大人しくしていてくださいね」

 踏み台の上に立つリィトの背にピアとバートが左右から腕を回し、ガードしていた。

「なんかヘん、へんだよ、へん。みずしかみえなーい。うねうねしてるー」

 リィトの表現に、ピアとバートは顔を合わせてクスリと笑う。

「あついよ、あっちっち」

 続いて、リィトは太陽の方に手を伸ばして不思議そうに言う。

「『ベーカリー・サニー』のサニーは、あのおひさまの事なんですよ」

 サニーは、ピアの実家のパン屋であり、リィトの記憶にもある。

「おー、サニー! こんにちはーーーー!」

 大きな声を上げて太陽に手を振るリィト。幼子がはしゃぐ姿に、周囲の人々の顔にも笑みが浮かんでいく。

「久しぶり」

 バートは眩しそうに空を見上げながら、そんな言葉を漏らし、共に眺めるピアの口からも自然に声が出た。

「また、お会いできてうれしいです」

 と。

「よーし、それじゃたんさくかいし~! おたからはどこだー!!」

 突然、リィトはぽんと踏み台から降りる。

 甲板の探索に繰りだすようだ。

「おーし、とーちゃんが先に発見するぞー!」

「まけないもーん!」

「ふたりとも、危ないですよ。走った方が負けです」

 ピアがそう言うと「はーい」とリィトだけではなくバートも元気に返事をして、手すりにつかまりながら船上探索に繰り出していった。

 ピアは穏やかな表情で見守りながら、二人についていく。

 暖かな光。風と、海の香りと――懐かしい空気に、心を躍らせながら。

 

 長時間の探索を終えた三人は、甲板に備え付けられた長椅子に腰かけた。

 全力で遊んだリィトは、疲れてうつらうつらしている。

「寝ていいぞ、リィト」

 リィトにそう声をかけてから、バートは軽く深呼吸をした。

「なんだか、感無量というかんじで、言葉があまりでない」

「私もです」

 この世界で生きている時には、あまりにも当たり前だったこと。

 風が吹いていて、海には波があり、眩しすぎて太陽は直視することができない。

 水平線に、大空を舞う鳥の姿。綿のような白い雲。

 この世界に帰ってきた。だけれど、本当に帰るのはまだ少し先。

 ピアは水の障壁の中で過ごしてきた日々のことを思い浮かべる。

 今も残っている少しの土地、人工の太陽、神殿に対しての敬意を持ちつつ、本当の自然に再び触れられたことに感謝した。この後大地に降り立ち、植物に触れることもできるだろう。

 そして、亡くなった人々の鎮魂と冥福を心から祈った。

「お花見とのことですけれど、残っている全ての人を救いだす助けになれればいいですね」

 アルディナ帝国の要人や、神といえる存在になった帝国皇帝にも会えるという。

 全ての人を救う希望を持っている。という話をピアがバートに話すと「そうだな」バートは答えた。

「バートさん?」

 声のトーンに若干の不自然さを感じたピアは、不思議そうにバートに目を向ける。

「それはそう。そうなんだけどさ、全ての人を送り出して、一人残って障壁を解除する役目って、カッコイイと思わないか?」

「……何を言ってるんですか」

 諌めるような目で見ると、バートは「はははははっ」と笑みを浮かべた。

 夫は、本当にそんなことを考えているのだろうかと、ピアはじっと見つめ続ける。

 すると、バートはばつが悪そうに、目を逸らしていった。

 これは本当に、そういったことを考えているのかもしれないと、ピアは不安になっていく。

「隠し事は、しないでくださいね」

「んー……」

 バートに寄りかかって、リィトは眠っている。

 息子の様子を確認してから、バートはピアに語り始めた。

「最後の一人も連れて全員で海の上に出る。自分自身も生き残る。そんな決意のもと、生きてきたのは嘘じゃないけど」

 どうにもならない事もある。

 自分が出来るのは、動くことだけで……その行動さえ、満足に出来なかった日々。

 その中で、考えていたのは。

「子どもを残したかった」

 親が、友が、大切なものを護り命を落とした。

 次は自分の番だと思っていた。子孫を残す、夢が叶ったら。

「リィトを連れて、船に乗ってくれって何度も言おうとした」

 バートはピアの家庭的なところに惹かれた。彼女と家庭を持ちたいと、共に子どもを育てたい、自分の子を母として守ってほしいと思っていた。

「バートさん、言ってましたよ。飲んだ時には特に」

 くすりとピアは笑みをこぼした。

 ピアの答えは、ノー。

 バートが乗る船に乗る。彼が最後まで残るのなら、最後の船に一緒に乗る。

 それは譲れない想いだった。

 ただ、本当に危険な状態になった時に、リィトを連れて船に乗れと言われたら……どうしただろうか。

 バートに毎日あったかいご飯を作って帰りを待つのが日々の幸せで、彼を支え、家庭を守ることがピアの生きる理由だった。

「そっか。で、ピアはホント頑固だよな。うん、解ってたんだ。マグマの中に行った時から」

「はい。だから今回の旅も、望む未来に繋げるものであればいいと思うんです。バートさんは……」

 ピアは夫の目を、じっと見つめ続けている。

「水の中の世界に残る気でいるんですか?」

「……いや。今は全く思ってない。団長やナディアに相談したことはあった。最後の箱船を送り出す力になりたいって。けど、魔力のない俺が残ってもただの無駄死で、全くの無意味だって言われた」

 ちょっとふて腐れたような顔でいうバート。

 彼は自分より年上で、出会ったころから頼りになる人だったけれど。

 こういうところは少し、子どもっぽいなとピアは思う。

「君はこの旅で、何か得られればと思って乗ったみたいだけれど、俺はさ」

 どこか申し訳なさそうな、真剣な眼差しだった。

「俺と一緒に最後までマテオに残るつもりの……大切な家族を、地上に置いてくるために乗りたいと思ったんだ」

 ピアは思わず息を飲んだ。

「それは本心ですか」

「本音だ。……少し前までの」

 ふっと表情を崩し、バートは穏やかな笑みを見せた。

「今はそんな気はない。だから話した」

「ん……おかあしゃん……」

 リィトの口から、寝言が飛び出した。

 ピアは息子の小さな体を抱き上げて、愛しげに背を撫でた。

 守らなければならない、命。大切な大切な、バートと自分の子ども。

「ピア」

 名前を呼ばれて顔を上げると、バートの顔が間近に迫っていた。

 そっと目を閉じて、彼の唇を唇で受けた。優しい、キス。

 バートの大きな身体がピアとリィトと包み込む。

 二人の気持ちは同じだった。

 これからも傍で、支え合って生きていこう。

 希望を持ち続け、一緒に歩み、叶えよう。

 

■登場人物

ピア・カスタル(ピア・グレイアム)

バート・カスタル

リィト・カスタル

 

■作成クリエーター

川岸満里亜