月夜とランタン
今日もきれいな満月がマテオ・テーペに上がった。
水の障壁が縮小されてからも、オーマ・ペテテとエリカ・パハーレは人工太陽と人工月の打ち上げを続けている。
魔法研究所の研究員のエリカ・パハーレは、最初の箱船を送り出した後からますます魔法具の研究にのめりこみ、時々オーマに手伝ってもらいながら腕を上げていった。
手伝いに呼ばれるオーマは、たまに痛い結果に終わることもあるが、何とか今日まで大怪我もなく生きている。
「あと何回この月を見れるかな」
人口月を見上げたまま、ポツリとエリカが言った。
返す言葉に窮しているオーマに、エリカが視線を移す。
「あたし、最後の便でここを出ることになったんだ」
夜の静寂に溶け込むように、静かな声でエリカが告げた。
「所長がね、行かないと泣き叫ぶって言うから」
「え……はい?」
「あははっ、やっぱそんな反応になるよね! あたしも、何を言われたのかしばらく理解できなかったもん」
魔法研究所の所長は竹を割ったような性格の持ち主で、泣く姿は想像できても泣き叫ぶ姿は想像しがたい。
「……本音はね、ここで身に着けた技術をリモス村で役立ててほしいんだって。そう言われちゃ行くしかないよね」
口調は明るいが、エリカの表情は寂しげだ。
「……そっか」
「オーマ君はどうするの?」
「たぶん、残ると思う」
「……そうなんだ」
そっと目を伏せるエリカ。
これまでオーマは、エリカに対して最後まで残るのか出航するのか、どちらかを希望したことはなかった。
エリカからオーマに対しても、尋ねたことはない。
少しの沈黙の後、エリカが「あのね」と口を開いた。
「えーと、うー……ん」
しかし、言おうかどうしようか迷っているようで、続きが出てこない。
(一緒に地上に行こうって、言っていいのかな……)
エリカは迷った末に、違う話題に切り替えることを選んだ。
最後の箱船を送り出すまでにはまだ時間がある。
それまでにオーマの気が変わるかもしれないし、エリカに謎の勇気が湧いて何とかして箱船に乗ってもらおうと説得を試みるかもしれない。
(……うん、言葉がダメなら多少強引な手に訴えてでも……)
「エリカ、どうしたの」
オーマに呼びかけられて、エリカは思考の淵から引き戻された。
「何か、怖い顔してたけど」
「え、そんな顔してた? ヤダなぁ、別に怖いこととか悪いことなんて考えてないよ」
「えーと、それはつまり……」
「うああっ、何でもないっ。さ、さぁ、そろそろ帰ろう! 明日の日の出を遅らせるわけにはいかないからねっ」
エリカはごまかすように早口に言うと、先に歩き出した。
彼女が持つランタンの明かりが揺れる。
その明かりを追って、オーマも足を動かす。
夜道に二人分の足音を聞きながら、オーマはいずれ来るその日を思った。
ここで、最後の箱船を見送る選択をしたならば――
(最期まで、笑って見送れると思う……たぶん、他の残留者達も)
オーマにはもう、故郷も家族もなくなってしまっている。
だからだろうか、ここで最期を迎えるなら、ここが故郷だと言えそうな……そんな気がしている。
まだ、わからないけれど。
その日までに何が起こるかなど、誰にもわからない。
このまま何事もないなら、最後まで残る人達の犠牲は避けられないけれど、もしかしたら思いもよらない方法が見つかり、その犠牲を出すことなく終われるかもしれない。
その方法を、エリカ達は模索している。
ともあれ、エリカが最後の箱船で地上に行くと言うならば。
(新天地での幸運を祈るよ)
今はこう思うオーマである。
「ねえ、オーマ君。今、ちょっと新しい料理のレシピを思いついたんだ。明日、試してみるから一緒に試食しよう。あたしの予想だと、けっこうおいしくなるはずなんだよね」
不意に振り向いたエリカが、目をキラキラさせて言った。
――これは、イヤだと言っても無駄なパターンだな。
さて、このよき友人は何を出してくるのか。
明日を待つのみである。
■登場人物
エリカ・パハーレ
■作成クリエーター
冷泉みのり
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