アイヒマン兄妹の日常~騎士兄妹の朝~
大洪水から5年が過ぎ、必死に生きてきた人々の生活は随分と改善した。
ただ、海面が下がったせいか、冬の寒さは厳しく春が近づいた今も朝は大変冷え込んでいた。
騎士とはいえ、裕福ではないアイヒマン家には、当然魔法具の暖房などというものはなく。
放っておくと、アレクセイ・アイヒマンは温かくなる時間になるまで起きてこないだろう。
(いや、寒くなくても兄様は起きないけどね!)
兄、アレクセイは朝に弱い。
だからこうしていつも、妹であるタチヤナ・アイヒマンが先に起きて朝食の準備をしている。
「兄様、朝だよ。起きて!」
タチヤナはずかずかと、アレクセイの部屋へと入る。
彼の部屋は本だらけで、ベッドの脇にも本が置かれている――。昨晩も、遅くまで読書をしていたようだ。
さっと、カーテンを開くと、朝日が部屋に射し込んできた。
「ん……」
顔に光があたり、アレクセイは小さく唸り声をあげて、毛布をかぶった。
「もう少しだけ……」
「駄目だよ、もう朝食できてるんだから。冷めちゃうよ」
もうっ、とタチヤナは膨れながら、毛布に手をかけて強引に引っ剥いだ。
「……ううっ、寒」
「ほら、顔洗ってきて、兄様」
タチヤナは丸まっているアレクセイの腕を引っ張って、ベッドから下ろそうとする。
「……強引だねぇ」
欠伸をしながら、アレクセイはしぶしぶ起き上がる。
乱れた明るい金色の髪。潤んだ気だるげな碧瞳。白くて綺麗な肌――。
(か、か……かわいすぎる……っ!)
胸がきゅんきゅんしてしまうほどそんな兄の姿は可愛らしく、タチヤナは平常心を装いながら内心兄の可愛さに悶えていた。
(やっぱり神様は、私と兄様の性別を間違えたに違いない!)
兄、アレクセイは、初対面ではほぼ女性と間違われる美貌の持ち主である。
物腰が柔らかく、雰囲気も穏やかで美しい洗練された女性そのものだった。
対して、妹のタチヤナといえば、見かけは凛とした雰囲気を持つ爽やかな好青年で、初対面ではほぼ男性と間違えられる。
兄と一緒ならば、兄妹ではなく、大抵姉弟と見られる。タチヤナとしては、男装しているつもりはないのだが、長身の彼女に合う動きやすい格好や、騎士として相応しい格好となると、女性らしさの欠片も出ない服装となるのだった。
彼女に洒落っ気がないのは、アイヒマン家は没落貴族であり、いつか政略結婚をさせられるであろうことを、諦めて生きてきたから、でもあるのかもしれない。
それに。
(どう足掻いても兄様の可愛らしさには勝てないし)
という諦めもあった。
今日は天気が良く、朝日が射し込んでいるお陰で、ランプは必要なかった。
アレクセイを起こして、彼が顔を洗っている間に、沸かしておいたお湯は程よい温度になっていた。
「きたきた、はい、座って」
まだ寝ぼけ顔の兄を、タチヤナは椅子に座らせる。
「ありがとう」
「う……うん」
ふわっと微笑む兄の姿に、タチヤナはくらくらとしてしまう。
女の、毎日見慣れている自分でさえ、この状態である。
日々、我が兄は初対面の男性の心を射ぬいてしまっているに違いない。
「どうぞ」
てきぱきとタチヤナは紅茶を淹れてアレクセイに渡し、自分にはコーヒーを淹れる。
アレクセイは紅茶にミルクをたっぷりいれて準備を済ませて。
2人でいただきますと微笑み合い、食事を始めた。
テーブルに並べられているのは、タチヤナ手製の芋とチーズをサンドしたパンに、豆のスープ。
質素だけれど温かな食事だった。
「うん、今日も美味しいよ、ターニャ」
「本当? よかった……!」
「いつでもお嫁に行けるね」
タチヤナはスープを変な風に飲み込んでしまい、咳き込む。
「ち、ちょっと何言ってるの、兄様。今はそれどころじゃないっていうか、考えられないっつーの」
この兄を1人にするなんて、絶対無理だから。
『働かないで、一日のんびり本を読む……紅茶とクッキーもあれば最高だね』
なんて呟きを、耳にしたことが何度もあったし、実際兄はそういう人であり、それはタチヤナが騎士になった大きな理由でもある。
怠け者の兄の負担にならないよう。支え合って生きて行く為に、彼女は騎士になった。
兄妹共に、家が貧しかったために満足な教育は受けられなかったけれど、兄は魔力に秀でており、妹のタチヤナは身体能力に秀でていて、剣術が得意だ。
家族は2人だけになってしまったけれど、こうして支え合って5年間生きてきたのだ。
咽びながら首を振っている妹を見つめて、アレクセイは微笑んだ。
「髪は……もう伸ばさないのかい?」
優しい声だった。
5年前の大洪水直後、世界の状態を知り、人々が絶望に包まれたただ中。タチヤナは長かった髪をばっさりと切った。
「短い方が楽だよ。それに似合ってるでしょ?」
ニカッと明るく笑う姿は、兄であるアレクセイの目から見れば可愛い女の子なのだけれど。
他の、特に彼女を良く知らない人の目には、好青年に映っていることは、アレクセイも良く知っている。
髪を伸ばしドレスを纏えば、今の20歳になった彼女は、どれだけ美しい女性へと変貌を遂げるのか。
「兄様こそ、身を固めてもいいと思うんだけど」
「ふふ、私にはターニャが居るから」
「そういう言い方はズルイと思うよ!」
すぐ、タチヤナがそう返すと、アレクセイは話を逸らすように窓の方に視線を移した。
「ああ、今日は良い天気だね」
外を眩し気に見遣りながら言う兄に、タチヤナが言葉を浴びせようとした瞬間。
「ターニャは今日、パトロールをするんだっけ? 夕食は私が作ろう」
彼女の方を見てアレクセイはそう言い、途端タチヤナの顔に笑みが広がる。
「わ、兄様の料理? やったー!」
アレクセイも料理は得意なのだ。ただ、怠け者なのでそんなに作ってはくれないのだけれど。
「リクエストしてもいい? あーでも、楽しみにしておこう!」
まんまと話題逸らしに引っ掛かった妹に、アレクセイは微笑みを浮かべた。
「それじゃ、行ってくるね!」
食事と片付けを終えたあと、夕食を楽しみにタチヤナは出かけていく。
「気をつけて、ターニャ」
朝の光の中に駆け込んでいく彼女を、眩しげに、温かい目でアレクセイは見守っていた。
■登場人物
■作成クリエーター
川岸満里亜
2019/4/26 ご注文内容受信エラー発覚により、内容の修正を行いました。申し訳ございません。
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