アトラ・ハシスより訪れし者 オープニングストーリー

 

 5年前、溢れだした水により世界は海の中に沈んだ。

 人類は全て滅んだ……はずだった。

 しかし、幾つかの地域だけ。そう、特殊な魔力を持つ者が存在する場所にだけ、僅かな命が残っていた。

 帝国暦1998年。その一つ、アルディナ帝国の領土であった島に、たどり着いた船があった。

 海流の変化が激しく、船での渡航は出来ないとされていた場所を彼らは航海術だけで潜り抜けた。帝国民は船を歓喜して迎え入れ、互いの生存を喜び合った。

 その者たちは、風の魔力が集まる辺境の島から訪れたという。

 島には原住民と小さな国の港町に住んでいた難民たち、およそ600人が暮らしているという。

 その島の名はアトラ・ハシス――。

シルド・ドレイン
シルド・ドレイン

 

 それから数カ月後、その者たちは身体に痣を持つ女性を連れて、再び帝国の島へと訪れた。

「お待ちしておりました。帝国近衛騎士、シルド・ドレインと申します。宮廷にご案内いたします」

 現れた無愛想な若い騎士に導かれ、航海士として船を導いたレイニ・ルワール、痣を持つ女性シャナ・ア・クー、それから彼女の護衛と数名の船員たちは、本島にある宮廷へと向った。

シャナ・ア・クー
シャナ・ア・クー

 「なにこれ、火が点いてないのにぴかぴか光ってるんだけど!? あ、もしかして光苔? それともおっきな蛍か何かが入ってるのかな」

 魔法具のランプや、見たこともない煌びやかな装飾に、シャナは幼子のようにはしゃいでいた。

「シャナさんお静かに。こういう場所できょろきょろするのは恥ずかしいことです……ってお兄ちゃんが言ってました」

 護衛としてついてきた魔法剣士の少女、ルルナ・ケイジがシャナに耳打ちする。

 シャナは文明が発達していない島で且つ、20歳近くまで敷地の外にも出してもらえず生きてきた女性である。この地の町並みや、宮殿などは本でさえ見たことさえなく、彼女にとっては異世界というより異次元だった。

ルルナ・ケイジ
ルルナ・ケイジ

「世間知らずなことが分かってしまうと、怖い人に騙されますよ? キリッとした顔してれば、凄く頭良さそうなんだから、儀式に臨む時のような気持ちでいてください」

「う……わかった」

 10歳も年下のルルナに諭され、シャナは口を結んで、瞳を動かさないよう注意して歩きはじめた。

「初めまして。ランガス・ドムドール陛下の側仕えをしております、ルーマ・ベスタナと申します」

 彼女たちを待っていたのは、穏やかな雰囲気の男性だった。

「初めまして、アルザラ号航海士のレイニ・ルワールです」

 ルーマと名乗った男性は、レイニと握手を交わした後、シャナにも手を差し出した。 

「山の一族のだだ、代表、シャナ・ア・クーです」

 努めてキリッとした表情のまま、どもりながら手を差し出したシャナだが……。

 バチッ

 2人の手が触れた途端、周りにも分かるほどの衝撃が走った。

「い……っ、たぁぁぁぁぁーーーーーっ!!」

 自らの手をもう一方の手で押さえて、大声を上げるシャナ。

 男性の方はシャナのように叫びはしなかったが、相当痛かったらしく拳を握りしめていた。

「どうやら、本物のようですね」

 ルーマと名乗った男性は、シャナたちに着席を促し、自らもソファーに腰かけた。

 シャナは涙目で腰かけて、ルルナに手を見てもらうが、特に腫れてもいなかった。

「本物とは?」

「各魔力の特殊な力を持った一族同士が直接触れ合った時、魔力が反発してこういった現象が起こることがあるのです。特に風と地は相反する力ですので……。あ、私は地の特殊な魔力を持つ一族の末裔です。陛下とは親戚関係にあり、友人というより兄弟、私の方が兄のような関係です」

 レイニの方を見て、ルーマは友好的な柔らかな口調で話していく。

「私の母は皇族でも貴族でもありませんし、私自身、重要な職に就いているわけでもありません。年齢も近いようですし、肩の力を抜いて忌憚なく話し合いをしませんか?」

 そんなルーマの提案に、レイニはふっと表情を和らげて首を縦に振った。

「そうさせてもらうわ。堅苦しい席って苦手なのよ。とにかく私たちの気持ちとしては、すっごく嬉しい! 私たち以外に、生き残った人々がいたこと。国家を保ったまま暮らしている人々がこんなにもいたことに、とても感動しているの」

「私たちもあなた方の生存を大変喜ばしく思っております。ただ、国民たちは未曽有の大洪水はウォテュラ王国が帝国に攻め入るために行っていた軍事実験が引き起こした人災だと信じ、王国に深い憎しみを抱いています。あなた方の出身国であるコーンウォリス公国は王国から独立した国であり、王国に連なる国であったことは有識者は知っており、それを吹聴する者も現れるかもしれません」

「有識者なら、アルザラ港と港町が実質自治区であったことも知ってるんじゃないかしら? 港町は公国の指揮下になかったし、まして王国の軍事実験なんて全く無縁だわ」

「そうですね……私たちはそれを知らないわけではありません。あなたたちと魔力の安定についての話し合いをする前に、お話しておかなければならないことがあります」

 そう前置きをした後、ルーマの口から語られた話は、レイニやアルザラの港町出身のルルナたちを酷く驚かせた。

 アトラ・ハシス島の民を乗せた船『アルザラ1号』が到着する前に、帝国は2隻、生存者が乗る船が発見していた。

 1隻目は、大洪水から数カ月後。

 座礁した船から、飢えた難民たちおよそ100人が救助された。

 その者達は大洪水を引き起こした王国の民であったとされ、特別収容所で強制労働をさせられている。いわゆる奴隷である。

「それは……軍事実験に関わっていた人達?」

「いいえ。洪水前に、あなた達と同じ港から出航した人々です」

 息を飲み、表情を凍りつかせながらレイニは言う。

「うちの港から避難船に乗った人は、王国の民じゃないわ」

「そうです。ですが、そうして私たちは絶望に打ちひしがれる国民の心を繋ぎ止め、国の安定に努めてきたのです」

 憎しみの対象を作ることで、死を望みかねない民の心を護って来たのだとルーマは説明をした。

「他言無用ですが、その難民には自分達の生活のために働いてもらってはいますが、奴隷として過酷な労働をさせたりはしていません。解っていただけるとは思いますが、陛下は彼らを保護しているのです」

 例え、王国の民だと告げなくても、公国から避難してきた者達を憎しみの対象として、虐げるものは出るだろう。憎しみ合い、殺し合いに発展させないために、真実を告げられる日が来るまでの間、こうすることで難民たちのことも護っているのだという。

「わかった。とにかく会わせて。お願い、すぐに」

「……その前に、2隻目の船についても説明しておかなければなりません」

 2隻目の船――それは、水の特殊な魔力の力で、守られた土地から訪れた人々。王国の姫と護衛の騎士、公国の貴族、そしてアルザラ港の民たち。マテオ・テーペと呼ばれる地域で生き延びた人々、およそ150人だった。

「あなた方の船を停めた港に、もう一隻大きな船が停まっていたかと思います。それが、ウォテュラ王国の姫が乗っていた船です。彼女はあなたと同じ、痣を持つ継承者です」

 ルーマがシャナに目を向けた。アトラ・ハシス島では、生贄となり魔力を鎮める役目を持つ女性のことを『契りの娘』と呼んでいた。ここでは継承者と呼ばれているらしい、とシャナは理解した。

「痣を持つ人が生きているのなら、犠牲を出さずに水の呪力を鎮めることが出来るかも? 祭具は絶対あげられないけど、貸すことなら出来るわ。私か一族の誰かが同席するけどね」

 儀式を行い、風の魔力を安定させたシャナと双子のセゥは儀式後に魔力を失っていた。シャナの魔力は、現在は一般人程度に戻っているのだが、儀式で役に立てるほどではなさそうであり、セゥの方は魔力を失ったままだった。

「元々内陸で高地だったこの地に航海士はいないでしょ?、船は私たちが導くわ」

 と、レイニは言うが、彼女は数か月前に出産したばかりであり、夫に赤子を任せてここに来ている。そのため、航海士は別の者が、そして指揮は夫に任せることになるかもしれないとも話した。

「その船に乗っていた者はほぼ、島で生活をしています。知った顔もあるかもしれません、会ってみると良いでしょう。難しい話は、その後にしますか?」

 ルーマの言葉に、頷いてレイニは立ち上がる。

「会いたい。どちらの人たちにも」

 

 その後、レイニ達は近衛騎士シルドの案内で、特別収容所を訪れた。

 懐かしい人たちとの再会に、涙を流し、抱き合って喜び合う。

 施設で暮らす人たちは本当に迫害などされておらず、貧しいながらも協力しあい暮らしていた。

 ただ、その中にレイニの愛娘、リッシュ・アルザラの姿はなかった。

 リッシュはその船に乗っていたのだが、座礁の際に海に投げ出されてしまい戻ってくることはなかったそうだ。

 

 再び設けられた話し合いの席で、アトラ・ハシスの民と帝国は水の魔力安定と世界の魔力安定のために、情報、技術を提供し合い協力をすると約束が交わされた。

 交易も行おうということになる。

 レイニは収容所の民は島で引き取らせてもらいたいと申し出るも、2000人のマテオ・テーペで暮らす人々までは到底無理だと苦悩する。

 水の魔力の調整については、半年後に決行ということで準備を進めることとなった。

 シャナは、継承者の一族の力を用いて、島の一族と連絡をとることができる。島の準備が整い次第、レイニ達は特別収容所にいる人々を連れて島に戻り、祭具を持って戻ってくる予定だった。