カナロ・ペレア後編 2~3
●新たな脅威
皇帝ランガス・ドムドールのもとに、各地にいる特殊能力を持つ山の一族からいくつかの情報が集まってきていた。
大きな報告として、まず、Sスヴェルが激戦の末に確保したグレアム・ハルベルトの件について、皇帝も重鎮達もその内容を重く受け止めた。考えていた以上に、犠牲が多かったのだ。このことは、敵勢力への認識を改めるきっかけとなった。
Sスヴェルの今後の作戦については、第2フェーズの作戦内容の見直しが必要になったが、今はグレアムの身が何事もなく帰還することを待つだけだ。
次に、報告自体はSスヴェルのものより先に届いていた箱船からのものだ。
こちらは、早急に対策を練らなければならない内容のものだった。
それは儀式の前に箱船で行われた話し合いの中で、ウォテュラ王国の王子が氷の大地にいるのではないかという推測がされたことである。
ウォテュラ王国の王子の姿は大洪水後には確認されておらず、死んだと思われていた。
もし生存が確実で、水の魔力の暴走などに関わっているならば、彼は皇帝の計画に対する大きな障害となるに違いない。
皇帝の計画とは、すなわち全ての魔力を統べる王になることである。
「厄介なことになりましたな……」
重鎮の一人が渋い表情で唸った。
他の重鎮や皇族達も同様だ。
皇家には、こんな伝承がある。
『女は、命と力を捧げて、魔力を静める。男は、命と魔力を取り込み、制圧して王となる』
女とは各属性の痣を持った女性継承者を指し、男とは各属性の痣を持った男性継承者を指している。王とは、男女一対で成るものなのである。
「魔力を統べる王の意思を司るのは女性のほうではないかと考えられている……。ルース姫の精神を得て、王になろうというのか? だが、それなら……」
高齢の皇族が重く言い、ため息を吐いた。
わからないのは、王子の意図だ。
王になることが目的なら、わざわざ洪水を起こす理由がない。
そのようなことをしてルース姫が死ぬようなことがあれば、その目的は果たせないからだ。
「何にしろ、水の神族の王が誕生したら脅威ですぞ。思惑はわかりませんが、世界を水没させたような人物です。世界を助けるために王にならんとしている陛下でなくては、人類のみならず世界中の生き物が滅ぼされかねません」
この中では比較的若い重鎮が、危機感も露わに訴える。
彼が言う水の神族とは、帝国で言う地の神族と同等である。水の継承者の一族や地の継承者の一族、と呼ばれることもある。また、例外もいるが、ほとんどの皇族がこれに当たる。
「Sスヴェルの報告から、水の継承者の一族の能力は非常に恐ろしいものと思われます。これまで私達は、彼らの能力はさほど実戦的ではないと考えていましたが、改めねばなりません。──特に、これから冬になるのですから」
現在の帝国本土の冬は厳しい。
大地は雪に覆われ、寒さで命を落とす者もいる。
あまり雪が降らないのは、燃える島とリモス島だ。
「その気になれば、氷の大地から瞬時に水を渡って領内に現れ、深い雪で身動きがとれない私達を、大波や雹で襲うことができるでしょう」
「ここが、戦場になるということか……!」
年配の重鎮が震えた。
人間同士の場合、雪の季節に戦を行う者はいない。
特に攻め手に不利だからだ。
しかし、水を操る者にはそうとは限らない。
それも特殊能力を持つ継承者の一族なら、なおさらである。
帝国に住む者達は、一方的に虐殺されるだろう。
集まった人達の目が、皇帝へと向けられた。
彼の心は決まっている。
「もし、水の継承者である王国の王子が生きているのなら、魔力を吸収したところを討ち、魔石を得る」
彼は全体を見渡して、力強く言った。
それに全員が同意した。
ふと、皇族の一人が調子を変えて皇帝に尋ねた。
「こんな時にルーマ殿は何をしているのでしょうか? 魔力塔にもあまり来ていないと耳にしていますが」
「彼の家族が誘拐された。今、Gスヴェルと捜索に当たっている。心配はいらない、儀式の準備が整い次第呼び戻す」
「なんと……わかりました」
皇族は頷いた。
ルーマ・ベスタナ本人はここで皇帝の身代わりをしているが、そのことを知らない者も出席しているため、この皇族はこのように聞いたのであった。
なお、本物のランガスが魔力塔を留守にしている間は、その役目は地の継承者の力を持つ者が交代で行っており、現在はビル・サマランチという少女が代行している。
●宮殿地下
宮殿の地下室は、ある人物のために厳重な仕掛けが施されている。
この部屋では、一切の魔法が使えない。
そこにラダ・スヴェルダムがいる。
ハーフの彼は以前、歪んだ魔力で我を見失い皇帝に襲いかかった。
その時は幸い事なきを得たが、ラダは自分を恐れて自らこの部屋に入ることを望んだのである。
当初は拘束してくれと申し出たが、皇帝はそれは受け入れなかった。
ラダの特殊能力は千里眼と言い、最初は名前通りはるか遠くのものを視るというものだった。
しかし、他のハーフがそうであるようにラダの能力も高まるにつれ、距離に加えて時間をも超えて視れるようになった。触れたものの過去の出来事を視ることができるのである。
この部屋では遠く離れたところを視ることはできないが、直接触れるなら対象の過去を視ることができる。
そんな彼に視てもらいたい、とSスヴェルが燃える島の遺跡から持ち帰ってきた古い書物や道具類が届けられた。書物のほうはSスヴェル本部で、専門家により解読が行われている。
他にも古い書物がスラム民からGスヴェルに渡った。これもおそらく、かつての海賊達が遺跡から持ち帰ったものと思われる。
こちらのほうは神殿で解読が進められ、ごく一部が最近翻訳された。
『2000年に一度、神の力を持たぬもの──人類は死滅する』
そう記されていたらしい。
ラダは、一つ一つ丁寧に並べて順番に手に取って視ていく。
彼の脳裏に知らない場面が流れ込んできた。
いつの頃なのかはっきりしないが、視えた人々の服装からはるか昔と思われた。
彼らは皆、理性や自制といったものを失ったような顔をして、殺し合いをしていた。
それが戦争によるものではないことは明らかだ。彼らは騎士や兵が持っているような装備をしていなかったのだから。
その光景は、ついこの前この地を襲った混乱に酷似している。
ガーディアン・スヴェルの働きにより、帝国全体が巻き込まれる前に抑え込むことができた。
原因は、怒りや悲しみなど負の感情を取り込み歪んでしまった魔力。
(けれど、そのどちらも世界には普通に存在していて、人や動植物に影響を及ぼすようなものではないはず……)
疑問に思ったラダだが、直後、考えたくもない可能性に気づく。
そしてその答えが、手にした古道具から与えられた。
どこか高いところからの視点。
眼下では人々が入り乱れて武器を振り回している。
この道具の持ち主であろう人物が腕を振った。
すると、黒い風が吹き争う人々を魔物の姿に変えていった。
(黒い風……いや、濃い歪みで黒く染まった魔力……。この道具の持ち主は、ハーフ? ハーフが、世界を滅亡に導いている……!?)
そういえば、グレアムは意識せずに歪んだ魔力を街に導いていた──
ラダはその報告を思い出し、愕然となった。
グレアムもチェリアも、国と人々を思っていたことを考えると、心が痛まずにはいられない。
いずれ自分もそうなってしまうのだろうか、とラダの胸は重苦しくなっていった。
●氷の大地、氷の壁の先
現在、Sスヴェルが作戦を展開している地の一つである氷の大地は、かつてのウォテュラ王国にはカナロ・ペレアと呼ばれていた。
世界を水没させた大洪水は、この地で起こった魔力の暴走がもたらしたもので、さらにその時に大部分の氷が溶けてしまったことが原因である。
今の氷の大地は、その後に再び自然に氷に覆われていったところと、人工的に作られた氷からできたところから成っている。
Sスヴェルを阻んだ氷の壁は後者であり、その壁の内側には地下シェルターがある。
この地下シェルターは王国の軍事設備も兼ねていた。
内部には兵器や武器の研究施設および製造設備の他、長期間ここで働くための食料製造設備など生活に関わるさまざまな設備があった。
その中の一つに、魔法具をメンテナンスする整備室がある。
そこで壮年の男性が、黙々と魔法具と向き合っていた。
技術屋と呼ぶには、あまりにも狂気じみた目をしている。
長いことここに籠っているのか、青白い肌は幽鬼のようだ。
沈黙だけの部屋に、静かに現れる訪問客。
茶色い髪と目を持った、かつてリーザと呼ばれていた女性。
彼女の気配に男は初めて手元から顔を上げた。
素早く椅子から下りて、彼女の足元に跪く。
「女神様、どうなされましたか」
リーザは、そう呼ばれるのが当たり前であるかのような顔をしている。
「ルイスは行ったの?」
「ええ、心を得るために」
海底の儀式の場へは、ここからも行くことができる。
ルイスはブレイブ号襲撃後、このシェルターから儀式の場まで繋がっている地下道を通って、ベルティルデ・バイエルのもとへ向かったのである。
「わかってくれるかしらね。人を守ろうとしている彼女が」
「水の姫が堕ちた使いならば、すべては貴女の意のままに。それが精霊達とルイス様のご意志」
「そういえば、もうすぐルイスの二十歳の誕生日ね」
思い出したように呟くリーザ。
その声に、喜びの色はない。
「花火でも上げようかしら、盛大に──」
暗く冷たい声で告げられた案に、男はただかしこまっていた。
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