『魔力の理』

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●儀式の地へアフター
 箱船の食堂での話し合いが終わり、解散となった。
 コタロウ・サンフィールドも自室に戻ろうとして、ふと考え直す。
 そしてある人物を探すと、ちょうど食堂を出ようとしている背を見つけた。
 小走りに駆け寄り、呼びかける。
「ベルティルデちゃん、少し話したいんだけどいいかな?」
 振り向いたベルティルデ・バイエルは、コタロウの誘いに微笑んだ。
 二人は再び食堂の椅子に腰を下ろした。
「どんなお話しでしょうか?」
 尋ねるベルティルデに、コタロウは儀式のことだと前置きしてから言った。
「ちらっと話しに出てたけど、ベルティルデちゃんに魔力を供給したりできるの?」
 出ていた話とは アトラ島の儀式のことだろうかとベルティルデは思った。
 ベルティルデは、どのように儀式が行われるのかよくわかっていない。
 その時になればわかる、と教えられてきた。
 そのことをコタロウに話した上で、自分の考えを言った。
「わたくしではなく神器に送るのではないかと思います。神器に魔力を送り、神器を介して暴走した魔力を静めるものと考えています」
「そういう感じか。例えば俺の場合だと風属性の魔力だけど、そういった属性の違いは関係ないのかな」
「アトラ島の儀式で、シャナさんと共に魔力を捧げた方は何人かいらしたらしいですね。属性もいろいろだったのではないでしょうか」
「そう、だね……集まったみんなが同じ属性って、偶然にしては……確率はゼロではないだろうけど……。まあ、俺の魔力じゃあまり足しにはならないかなぁ。何か力になれることがあればと思ったんだ」
「コタロウさん……ありがとうございます」
 ベルティルデは、コタロウの気持ちに感謝した。
 とても難しい儀式になることは、ベルティルデも予想している。
「箱船で儀式が終わるのを待ってる予定なんだけど……いざという時は駆け付けようって思ってる」
 本当は、そんな時など来ないほうがいい。
「もし、そんな状況になってしまっても、きっと生きて帰りましょうね」
 だいたいいつもコタロウから言ってくれる言葉を、今日はベルティルデから口にした。
 そうすることで、望む未来を掴もうとするように。

 回復薬セットの中身を確認したユリアス・ローレンは、厨房でスコーンを作るとカサンドラ・ハルベルトのもとへ足を運んだ。
 確か彼女は、栽培室へ行くと言っていた。
 栽培室とは水耕栽培を行っている一画のことだ。ここで育てた野菜が、長期の船旅特有の病気を防ぐのに役立っている。
 中に入ると、カサンドラは一心に掃除をしていた。
 その様子は、心を落ち着かせるために何かに集中しているように見える。
 ユリアスがそっと呼びかけると、カサンドラはハッとしたように顔を上げた。
 ユリアスは微笑みかけた。
「少し休憩にしませんか。スコーンを焼いたんです」
 いただきます、とカサンドラも微笑んだ。

 食堂で、スコーンと紅茶を味わいながら二人は他愛のないおしゃべりをした。
 二杯目の紅茶を注いだユリアスは、ふと表情を改めた。
「暴走する水の魔力の背後にいる『意思を持つ何者か』がベルティルデさんの双子の兄なら、彼を王にしてはいけないと思います」
 カサンドラも、姿勢を正して話に耳を傾ける。
「もし大洪水を引き起こした氷の大地で行われた実験に、男の水の継承者も関わっていたとしたら、王になって再び大洪水を起こすつもりかもしれません」
 そうなれば、今度こそ人間を含む地上の生き物は、死滅してしまうだろう。
 カサンドラの顔が緊張に強張る。
「私の夢……まだ、そこまで見えないの。混乱して、ごちゃごちゃで……断片を、捉えることもできない……」
 これでは役に立てない、と俯くカサンドラ。
 予知夢のこともあるが、ユリアスには他にも心配事がある。
 彼女の特殊能力が、懸念される人物に狙われるという可能性だ。
「僕は、あなたを失いたくない。大切で、大好きなあなたと一緒に生きていきたい。だから、気を付けてください」
 カサンドラは、硬い表情のまま頷いた。
「それから……予知夢の影響が大きくなっているのも心配です。いつか、夢から覚めなくなってしまうのではないかと……」
 眠り続けるカサンドラの姿を想像するだけで、ユリアスは怖くなる。
 けれど、すぐに思い直した。
 コントロールできない予知夢を見せられるカサンドラのほうこそ、不安で怖いはずだと。
「──僕が弱気になっても仕方ないですね。もし、そんなことになってしまっても、僕がきっと目覚めさせてみせます。その方法を見つけます」
「うん……大丈夫」
 ユリアスの言葉に力を得たカサンドラに、やわらかい笑みが戻った。

 食堂での話し合いの後、充分な休息をとったアウロラ・メルクリアスはカサンドラを連れてベルティルデの部屋を訪ねた。
 恐縮するカサンドラの背を押して、部屋に入るアウロラ。
 彼女がカサンドラを連れて来たのには理由がある。
 ベルティルデもカサンドラも同じリモス村で暮らしていながら、会話らしい会話はほとんど交わされてこなかった。
 アウロラは、この二人は仲良くなれるのではと思い、この機会におしゃべりでもと考えたのである。
 しかし、相手が一国の姫であると知ったカサンドラは、カチコチに硬くなっていた。
 見かねたベルティルデが、リラックスさせようとやわらかく話しかけた。
「楽にしてください。実はわたくしは公の場に出たことはないので、姫として扱われることにはあまり慣れていないのです。アウロラさんとお話しするようにしていただけると嬉しいです」
「は、はい……」
 まだまだ肩に力が入ったままの様子に、アウロラは苦笑した。
「それに、カサンドラさんも充分『姫』ですよ。公爵家のご令嬢ですから」
「わ、私なんて、そんな……っ」
「言われてみればそうだね。私、二人の姫様と同席してるんだね。もっと感激するべき?」
 アウロラがおどけて言うと、カサンドラもようやく少しだけ力が抜けたようだった。
 それから、ぽつぽつとリモス村のことなどを話した。
 アウロラが思った通り、この二人の相性は良いようだ。
 そして話題は自然と儀式のことに移っていく。
 儀式の──暴走している水の魔力の背後の存在へと。
 水の魔力が暴走したのは約六年前。そうさせた人物がいるとしたら、その者はもっと前から画策していたことになる。
 恐ろしいことではあるが、何も望みがないわけではないとアウロラは思っている。
「カサンドラちゃんが見ていた夢が不安定だったのは、皇帝と姫様のお兄さんのどっちが王になるかがわからないからっていうことだったけど……。逆に言っちゃえば、今見てる夢は、起きるかもしれない未来っていうだけで、確定した未来じゃないってことだよね?」
「……うん。二つの未来を同時に夢に見て……頭の中が、ごちゃごちゃになるの……」
 カサンドラは俯いた。
「どっちが王になるかっていう部分だけ確定してないのかな……。それでも私達は一度未来を変えている。きっともう一度変えられるはず」
 望む未来を手にするために、細心の注意を払って行動する──。
「姫様も頑張ってくださいね。自分を見失わない、それが大切だと思ってますから」
 ベルティルデはしっかりと頷いた。
 また、アウロラの隣では、カサンドラも決意の表情を浮かべていた。

「え? それじゃその石を飲むと、私達の一族のような能力持つことができるの?」
 シャナ・ア・クーは、マルティア・ランツが持つ小さな石を、不思議そうに眺める。
「はい。この『魔石の欠片』は、服用すると継承者の一族の能力を秘めるんだそうです。ただ、身体に凄まじい負担がかかるみたいで、体力のない人は寿命が大幅に減るだろうとも聞いています」
「うーん、あなた体力なさそうだから、飲むのは危険だと思うわ」
 そうかもしれない。
 だけれど……。
 マルティアは痣を持つ継承者の1人であるシャナに、気持ちを語り始める。
「みんなの命を諦めたくないから」
 自分に出来る事が、まだあるのではないか。と、何か、何かと探して考えてしまう。
「私にあるのは、身体と知識と魔力、心と魔石の欠片と命」
 首にかけた小さな石に、マルティアは手を当てた。
 必要とされるのならば、この全てを世界へ還すことも考える。
 でもそれは、最後にすること。
 身体と知識と魔力を使用して、心を尽くして命を燃やす。
「そしてみんなの命を守る」
 優しい瞳に、強い意志を宿してマルティアは言い切った。
「……命を愛する」
 そして、この魔石の欠片も。
 何故だろうか、マルティアにはこの小さな石が、命の欠片に思えていた。
 服用すれば、自分の寿命が減る――命が短くなるというのに。
「マルティアの属性が風なら、私達と風を通して会話することができるようになるし、特殊な風の呪術も教えることができたのだけれどね」
 水ならば、ベルティルデに力の使い方を教えてもらい、マテオ・テーペに残る水の継承者の一族の娘や……生きているかもしれない、ベルティルデの片割れと会話を試みることが出来たかもしれない。
 地ならば、地の一族の誰かから習い、大地に触れることで、帝国本土の地の継承者の誰かと連絡をとることが出来たかもしれず――。
「火の一族の力は、どのように使うのでしょうか?」
 マルティアの問いに、シャナは知らないと首を左右に振った。
「あなたがそれを持っていること、もしかしたら大きな希望かもしれないって思う。あなたが使わなければならないってわけでもないわよね。体力のある仲間や、必要としている友達に託すこともできるんじゃない?」
 使えば寿命が減ると解っているようなものを、誰かに託せるだろうか。
 マルティアはその『誰か』の命だって守りたい。
「今は未だ決められませんけれど……」
 力が必要と思える時がきたのなら、マルティアは迷わず服用するのだろう。
「この石もそうですが、魔石や儀式、継承者の方達や、世界を統べる王」
 これまでに聞いた話を思い浮かべながら、マルティアは切なげな笑みを浮かべた。
「この世界は悩み多き世界なんですね」
 そして「知れて良かった」と続けた。
「シャナさんにはこの世界はどう見えていますか?」
「みんなにとっては、洪水で小さくなってしまった世界だと思うの。だけれど、ずっと外に出してもらえなかった私には、広くて、希望ばかりの世界かな」
 だって、自分は二十歳で、何も知らずに死ぬはずたっだ。
 だけれど今、多くの人と出会うことができて、見たこともない世界を沢山見れている。
「そう、私だけじゃなくて、他の継承者や一族のみんなや、生きている人全員に希望はあるわよ」
 シャナが明るい笑みをマルティアに向ける。
 ああ――この彼女の笑顔も守りたい。マルティアはそう思うのだった。

●向上心と絆
 手品とは、ヴォルク・ガムザトハノフが考えていた以上に奥が深いものであった。
 魔王軍軍団員の一人から教わった基礎を繰り返し、体に覚え込ませていく。
 そもそも手品を習得しようと思ったのは、戦闘に役立つかもしれないと思ったからだ。
 観客の注意を別のものに引き付けている間に、彼らをアッと言わせるための仕掛けを施す──。
 これを発展させれば、例えば他の存在が本質から目を逸らさせたい事象を看破することができるかもしれない。
「虚実皮膜……いやいや」
 芸術論の一つであるが、ここでは当てはまらない。
 しばらくの間、コインやカードを使って練習を続けていたが、さすがに集中力が切れて来た。
 ヴォルクは休憩がてら、軍団員の特訓計画を練ってみた。
 教える武術は、ヴォルクの母直伝の『愛氣』が良いと思っている。
 これは、力と技と愛の三位一体の武術だ。
(うまく伝わるだろうか……)
 あの三人は、あまり賢そうではなかった。
 それぞれが力、技、愛を担当して三人で一人とか言い出しかねない。
(不安だ。いや、不安は俺も同じか。母レベルへの到達……)
 ヴォルクの愛氣は、風魔法による補助が付いている。
 そのため、本来の愛氣の奥義にはまだ遠い。
(共に修行だな。あいつらと熱く教え合う。我が軍団の基本理念……これは譲れない)
 ヴォルクの訓練姿勢は、熱血である。
 体も魂も熱く滾らせ、全力で励む。
 役割としてはヴォルクが教官の立場にあたるが、彼とて軍団員から学ぶこともある。
 良いと思ったら教え、あるいは教えられることで軍団の結束力も上がるのである。
「……よし、やるか」
 計画が立ったら実行あるのみ。
 ヴォルクはさっそく軍団員を呼びに行くのであった。


●アルザラ1号甲板
 氷の大地で魔物の引き付けを行った、ストラテジー・スヴェル団員たち。
 指揮をしていたグレアム・ハルベルトの身柄の確保をして、一旦、アルザラ1号へと戻った。……全員ではなく、戦いで命を落とした者もいた。
 作戦はまだ終わっておらず、主に騎士達は治療と作戦会議を終えてすぐ、また戦場へと向かわねばならない。
 帝国騎士ルティア・ダズンフラワーは、氷の大地を見つめ、命を落とした仲間に祈りを捧げていた。
 グレアムの身体の世話などを担当する時間はないが、出発前に姿を見る程度の許可はもらえそうだった。
(どんな姿を見ても、何を目の当たりにしても、私は見届けるわ)
 グレアムが受け入れ命をかけた姿を、ルティアは心を強く持ち、見届けようと思っていた。

「兄様、助けてくれてありがとう」
 意識を取り戻したタチヤナ・アイヒマンは、兄、アレクセイ・アイヒマンに手当をしてもらっていた。
「兄様は怪我は大丈夫? 無理はしていない?」
「私は大丈夫だよ。無理もしていない」
 アレクセイも無傷ではない。だけれど、そう答えて首をふるっと振った。
「グレアム団長……確保できてよかった……本当によかった。兄様や皆のお陰だね」
 グレアムの命に別状はない。目覚めてすぐにタチヤナはそれを確認していた。
「本土に帰れば……きっと団長の精神を元に戻す事が出来る筈だよ。だから、私は絶対挫けたり諦めたりしないんだ」
 強い眼差しで言い切る妹を見て、深く頷きながら、妹はいつこんなに強くなったのだろうと、アレクセイは感慨深く思う。
(眩しくて……少し、寂しい……)
 そう感じていることに、アレクセイは胸の内で苦笑するのだった。
 自分も負けていられない。
「次はチェリア様だね! チェリア様も絶対に取り戻そう!」
 タチヤナは拳を強く握りしめる。
「レイニさんの言う通り、連携が大事だよね。グレアム団長の時は、私は気が逸ってしまったから……」
 状況に沿った連携が出来なかったことをタチヤナは反省していた。
「一緒にいた女の子とチェリア様を上手く引き離して、チェリア様に魔法剣を使うのが良いかなって思う」
「そうだね、二人を引き離して、チェリア様を確保して魔法剣を使うのが理想かな」
 答えながら、アレクセイはグレアムと戦った時のことを思い浮かべる。
「グレアム様は魔物を盾にしていた……同じ轍を踏まないように他の皆の攻撃と連携が大事だね。私も積極的に前に出るつもりだよ」
「兄様、チェリア様に呼びかけてみるのも試してね。完全に歪んだ魔力に囚われていないなら、声だって届く筈だって私は思う」
「うん、伝わらなくても……いや、違うな。伝わるまで。私も何があっても挫けない」
「兄様、頑張ろうね」
 タチヤナがアレクセイの手に手を伸ばして、ぎゅっと握りしめた。
「ありがとう、ターニャ。ターニャの手は温かいね」
 握り返して、アレクセイは微笑した。
 鍛錬を積んだ、タチヤナの手。
 温かな手の感触が、記憶の中のチェリアの手の感触と重なった。
 自分の声は、彼女に届くだろうか?
 グレアムを一心に見ていたチェリアの姿が思い浮ぶ。
 否……届かなきゃいけない。
 諦めるつもりなんて微塵もない。命だって懸けられる。
(だから、神様がもし居るならば……お願いします)
 チェリアの悲しげな顔が思い浮かび、アレクセイの胸が痛くなった。
(俺はもう、悲しいチェリア様の顔を見るのは嫌なんです)
 笑って欲しい。
 幸せであって欲しい。

 治療を終えた帝国騎士リンダ・キューブリックは、氷の大地を背に皆の前に立つ。
 仲間を失い、グレアムの身柄確保以外の目的を達成できなかったため、意気消沈している者も多かった。
「我らは『帝国』の名を冠する騎士団である」
 騎士団員に向けて言う。
「父祖の代より幾多の困難を乗り越え、遍く諸族を征服し、諸国を併呑してきた歴史を背負っている。むろん不利な戦況で理不尽な命令を受けることなど珍しくも無い。今さら何の躊躇いがあろうか?」
 彼女は命令が下されずとも、氷の大地に戻るつもりだった。
 逆境であろうがリンダは戦意を失わない。敢闘精神は極めて旺盛だった。
「そうだ。我らは遠く離れていようと、本土に生きる人々の命を背負い、この場にいる。任務は必ず果たす。そして忘れてはいけない。Sスヴェル団長代理の言葉――『この戦いで死者を出すことは許されない。それが団長の意思だ』。それを、我々は果たせなかった。犠牲を出さず、作戦を果たす方法はあったはずだ。次は我ら騎士団員が中心となり、作戦を立てて、成功に導く。役割分担と連携が必要だ。歪んだ魔力や感情に流されて、単独行動に走るなよ」
 指揮を任された騎士団員――作戦の隊長がリンダの隣に立ち、騎士団員たちに言った。
「次の任務だけど、チェリア・ハルベルトの奪還を優先し、奪還は無理でも、一度だけでも歪んだ魔力を弾き出すってことで間違いないか?」
 発言したのは帝国に帰化した傭兵騎士、ナイト・ゲイルだった。
「そうだ」
「歪んだ魔力をはじき出すのに必要な地の魔法剣を、作戦参加者全員に持たせることは可能か? 隊長から歪んだ魔力を弾き出す手は多い方がいいだろう?」
「騎士団から魔法剣の提供はされていないわ。先の戦いの報告を聞く限り、魔法剣の所持者は多いくらいだと感じているのだけれど」
 レイニ・ルワールがそう答え、隊長が頷いた。
「地の魔法を扱える人物ならば、欲しいところだが、魔法剣は魔物には効果がない。敵の攻撃を受けることも出来ない刃のない剣だ。また使用には多少の魔力も消費する。皆が装備して、チェリア・ハルベルトから歪んだ魔力をはじき出すことだけに集中をしたのなら、他が手薄になり、彼女の下にたどり着く前に、全滅しかねない」
 能力を持った者を、彼女のもとに導くための連携が必要であり、臨機応変に貸し合うことがベストだと隊長は言う。
「誰が接近するか。接近出来たものに、投げて貸すとかか。魔法剣を持った者が囮になるとか。敵に奪われても危険なものじゃないしな」
 チェリアの側には、またあの少女がいるだろう。
 水の強力な魔法の使い手――継承者の一族の力を持っていると思われる。
「水の上というか氷の上を高速移動しているなら、そこに油を撒いて移動を阻害できるか? で、こちらは油踏んでも滑らないよう鋲を付けた靴を履く」
「滑らせるのか?」
「それだけじゃなくて、氷との間に別の異物を入れることで、魔法を邪魔できるか? っていうのもあるんだが」
 更にタイミングを見て油に火をつければ、魔物やチェリアと一緒に居た黒髪の少女への牽制になる。
「なるほど。……確かお前は、火の一族の力を持っているんだったな?」
「ああ」
「私も持っています」
 アレクセイが手を上げる。
「油は用意できるか?」
「多くはないけど、出来るわ」
 ナイトの問いに、レイニが答えた。
「一族の力を行使すれば、私たちは火の中でも行動ができます」
 アレクセイが火の一族の能力について簡単に語る。
 熱を抑えることができ、魔力を飛ばして火を点けた先にいる同族の者と、離れていても会話をするこができる、と。
 そして直接触れている相手も、熱から守ることができる。
 ただそれらの力を行使するのには、魔法を維持する必要があり、集中、魔力、体力が必要となる。
「それでチェリア隊長と一緒にいたあの少女誰? 隊長達の親族か何かか? 知っている人いる?」
「燃える島の調査の際、兄を探しに来ていた女の子です。私はあまり関わってなくて……ナイトさんこそ何かご存じではありませんか?」
 そういばそんな娘がいた。アレクセイに言われて気付く。
 ナイトは記憶をたどる……。
 兄を探していた少女。海賊たちをまとめていた女性と触れたあと、体調を崩し、チェリアたちと共に本土に戻った。その後、チェリアは島に戻ってこなかった。
(兄を探して……? あの時、島にいたのは――レイザ。黒い髪、赤い瞳)
 雰囲気がレイザに――火の継承者の男性に似ていたことに、ナイトは気付く。
「レイザの妹、だったら。火と水の一族の、ハーフの可能性も」
「……だとしたら、非常に怖い存在ね。油、使い処を間違えると大変なことになるわ」
 それに。
 黒髪、赤い瞳の少女がハーフで、見かけに変化はないものの、歪んだ魔力と一体化――魔物化している場合、彼女の意識を奪っただけでは、魔力行使を完全に防ぐことはできない。
 植物や、身体を持たない魔物が存在するように。
 グレアムも火や風の魔法の行使能力を持っていたら、生きたまま船に乗せることは出来なかったはずだ。
「そして、歪んだ魔力を弾き出したら、そのまま身柄を確保したい。船はどれだけ待てる?」
「……1時間待てるかどうか。魔物が襲ってくるようなら、直ぐに出航するわ」
「了解。次に船が来るまで、ベースキャンプでチェリア隊長を護るっていうのは大変だしな。極力、隊長を船に乗せて兄と一緒に帰還させる」
 ナイトがそう言うと、アレクセイや帝国騎士達が強く頷いた。
「不可能ではないはずだ。だが、皆の負傷状態、状況や先の戦いでの皆の動きをみるに、歪んだ魔力をはじき出すだけで精一杯とも思える。連携が必要だ、手柄を焦る者はいないと思うが、親しい者同士だけではなく、メンバー全員と連携だ。突出して、人質にされたりするなよ」
 隊長の言葉に、作戦に当たる者達が姿勢を正す。
「チェリア隊長へのアプローチも考えておかないと、呼びかけるのは勿論だが両親からの言葉とか……あれ? 隊長の両親ってどうしてたっけ?」
 ナイトの問いに隊長が答える。
「ハルベルト公爵は、本土で活動をしている。すぐには連絡をとれない。母は、ウォテュラ王国から亡命してきた、水の継承者の力を持つ女性だという。既に亡くなっている」
 父方の祖母が元皇族で地の一族の能力を持っており、ハルベルト公爵もその力を受け継いでいた。
 チェリアは地の一族の力を有する父と、水の一族の力を有する母の間に生まれたハーフだということだ。
「魔力の歪みは、負の感情のエネルギーによるものではないかって話を聞いているわ。チェリアさんがあの場に連れてこられた理由は、兄が傷つく姿を彼女に見せて、彼女の負の感情を煽り、歪んだ魔力と完全に一体化するよう、仕向けるためかもしれない。だから」
 レイニはこれまでの様子から、チェリア救出への想いが強いと思う者に、目を向けていく。
「決して彼女の前で、倒れてはだめ。命をかけてはだめよ。一緒に帰ってくるの」
 自分のせいで、大切なものが傷つき、倒れる姿を見たのなら。
 自分を助けるために、大切な人が命を落とせば――チェリアの身体の命は助かっても、心は負に支配され、彼女という人格は死ぬ。
 アレクセイはレイニと視線を合わせて、頷いた。
 自分が命を賭すのはその先だ。チェリアの心を救出して、それから彼女と、妹が、笑って過ごせる世界を取り戻すために。
「人の想いはさ……負けないって信じたい」
 出発の準備を始めながら、タチヤナが言う。
「想いだけではどうにもならない事があるって、現実は何時だって叩きつけてくるけど……それでも、私の想いは消えていないから。だから……」
 強い目を、兄へと向ける。
「決して後悔なんてしてやるもんか。全力で抗ってやるんだ。そして……」
 船室の方に目を向ける。
「もう一度、笑顔でグレアム団長に会うの。おかえりなさいって、とびきりの笑顔で」
 アレクセイも強い眼で、タチヤナに頷いた。
 ルティアもまた、船室の――グレアムの身体が在る方向を見ていた。
(グレアム様の身体が無事に本土に帰り、彼の心が元に戻りますように)
 強く、強く願う。
 チェリアはグレアムの妹。彼が大切に想っている人。
(絶対に取り戻すわ)
 そして、彼女を取り戻し、またこの船に乗り――グレアムの身体の体を護り、共に帰還する。それを成せる可能性もあるのだということに、胸の高鳴りを覚えていた。
 今、語られたことを、頭の中で反芻し、自分のすべきことを考えていく。
 全力を尽くす。
 胸に手を当て、強く決意する。

 リンダは氷の大地を見据えていた。
 以前から抱いていた疑問がある。
 自分のように戦場でしか生きられぬ一介の武辺者が、何故あの大洪水で生き残ったのか。
 ようやく答えが判った。
(いま戦わずして、いつ戦うのだ!)
 押し寄せる魔物達。
 元人間だった魔物もいる。
 そして、黒い髪、赤い瞳の少女の姿をした魔術師。魔物化して、決して人に戻ることがないとしても、一般のSスヴェル団員が、若い騎士が刃を向けることができるか?
 激しい戦いを控え、胸が震えた。
 たとえ滅びが人の運命だとしても、それは構わない。
 しかし、最後の最後まで運命に立ち向かおう。
 人として打ち勝たんが為に――。

●宮殿にて
『中立な視点で冷静に話を聞き、情に流されずに適切な判断ができる人がいるのなら、知りうる範囲の歴史や状況を、その人には説明してあげてもいい』
 ストラテジー・スヴェルの本部に戻ったジスレーヌ・メイユールは、団員たちにエルザナ・システィックのその言葉を伝えた。
 帝国騎士であるエルザナが把握している歴史や状況を聞くことを望んだものは思いのほか多く、宮殿で会合が行われることになった。

「わたくし、信頼と実績、そしてなにより誠意のひと、リュネ・モルと申します」
 本土の宮殿に訪れたマテオ民、リュネ・モルは門番の騎士を前に、そう自己紹介をした。
 過去に自分が携わったゴーレムクレーンで得られた動力の効率化の知識を民需転用、粉ひきや水車小屋などの動力の効率化に落とし込み普及させたい。
 担当者に合わせて欲しい! そう熱烈に訴えていくリュネ。
「特に稼働する大型船が増えることを見越して、浜から崖の間を漁船をあげさげするクレーンをゴーレム化、大型化したあたりは誇りたいです」
「それは確かに。ただ、そういった民からの案は、ここでは受付けていない。というか、貴様は帝国の民でもないのだろう?」
 不思議そうな顔で答える騎士。
「たしかにわたくしは、公国の民。ですが、この案はここ帝国の母なるだだだだだだいちち(緊張でどもっただけである!)を、更に豊かにするための案なのです! 
 今の人口2万人が3万それ以上に増えても食わせることができます。豊かになれば出自は厳しく問われなくなります。聞いてください!」
「いや、管轄が違うから……あ、けど今日はSスヴェル団員を集めた相談が行われるらしいから、そこで提案してみては?」
 騎士から話を聞いたリュネは、Sスヴェルの本部を訪ね、資格を得てから再び宮殿に訪れるのであった。

 当日、約束の時間の少し前。
 ポワソン商会の代表リキュール・ラミルは、単身先に宮殿に訪れていた。
 腐れ縁の帝国騎士、リンダ・キューブリックの紹介で彼が面会を求めた相手は、エルザナではなく、開発部門に携わるエクトル・アジャーニだった。
 リキュールは街では名の知れた商人だ。
 しかし、Sスヴェル団員として活動する中、自分が知らない情報の多さを強く実感していた。
 自分も凡俗な平民に過ぎないのだと。
「スヴェルの建物の管理人? ……そういえば、子息が地の一族の力を持っているみたいだから、皇家と血縁があるのかも」
 リキュールはエクトルに事情を話し、マリオ・サマランチの名を出してみたが、彼はマリオを良く知らないらしかった。
「子息とはダリア様のことでございますか?」
「いや、長子のビル・サマランチの方」
「そうでございますか……」
 なるほど、と、リキュールは大いに納得をした。
 エクトルの反応から、彼は知らないのだと察する――マリオ・サマランチが皇帝のランガス・ドムドールであることを。
「歴史や状況を把握したいのなら、エルザナさんの話を聞くといい」
「エルザナ様とはどのようなお方なのでしょうか?」
「先代の皇帝陛下の庶子。洪水時はウォテュラ王国から独立した小国、コーンウォリス公国で諜報活動をしていた」
 前皇帝のお手付きで生まれた下女の子であったが、地の継承者の一族の力を持っていたため、帝都に呼ばれ、スパイとしての訓練を積み、公国に送り込まれたそうだ。
 水の障壁で守られたマテオ・テーペの内部から、ここ帝国本土に、一族の力を用いて情報を送っていたともいう。
ジスレーヌ・メイユール殿の御父上の館に、メイドとして潜伏していたということでございますかな?」
「ああ。彼女からの情報で帝国は随分と助けられ、ウォテュラの姫も確保できたわけだが……肝心な目的を、彼女は果たせてないんだよな」
 公国の貴族に惚れたせいで。
 と、エクトルはため息をついた。
「研究開発面の補足と、エルザナさんの言動の監視目的で、僕も顔を出そうと思う」
 そして、エクトルはリキュールと共に、話し合いが行われる広間へと向かった。

 ジスレーヌから話を聞いた者が広間に集まっていた。
 帝国騎士のカーレ・ペロナ
 エルザナの伴侶である、元公国貴族ロスティン・マイカン
 帝国に帰化した元公国貴族マーガレット・ヘイルシャム
 ガーディアン・スヴェル団員のキージェ・イングラムリィンフィア・ラストール
 傭兵騎士のマテオ民、ウィリアム
 火の継承者の一族の生き残り、アーリー・オサード
 メイユール伯爵邸で働いていたマテオ民クラムジー・カープ
 各方面の連絡役を務めているアトラ民で、公国の港町出身のミコナ・ケイジ
 そして新規事業の理解と協力を求める名目で訪れたマテオ民、リュネ・モル
「それぞれ聞きたいことがあるみたいだけれど、先に継承者の歴史と、世界の状況について知ってる範囲で話させてもらうわね」
 エルザナ話し始めようとしたその時。
 ドアが開いて、エクトルとリキュールが姿を現した。
「えーと。うろ覚えだったり解釈違いだったりあるかもしれないけど」
 2人が端の席についたところで、ロスティンが口を開く。
「まずは4属性の一族の継承者が協力し歪んだ魔力を調整してた」
「いえ、魔力は元々歪んではいませんでした。大洪水を切っ掛けに、水の魔力に歪みが生じたようです。あと、協力して調整が行われたことがあったかどうかはわかりません」
 大洪水前にも、魔物は存在し、魔力の歪みもないわけではなかったが、さほど多くはなかった。
 エルザナの言葉を聞いて、ロスティンは言い直す。
「ええと、4属性の一族の継承者が協力し魔力が暴走しないように調整していた、もしくはしようとしていた」
 それには神器や聖石といった、魔石化した証のある一族の人の体を加工した物が必要だった。
 風の一族がどういった理由かは知らないけど神器を持って離脱。
 以降は20年毎に女性の証のある人――継承者が命を投げ打ち鎮めていた。
「これが基本サイクルになってるのだよな?」
「そうだと思います」
 そうなのですか? と、リキュールがエクトルを見るが「僕はよくしらない」と首を横に振った。
「んで、帝国の勢力拡大に対抗するため、水の継承者の一族である、ウォテュラ王国が火の一族の力を利用した兵器実験を開始。その結果暴走して洪水が発生した。
 ……これが帝国で調べた最近の経緯でいいのだよね?」
 ロスティンの言葉に、エルザナが首を縦に振る。
「風の一族とは、アトラ・ハシス島にいる、山の一族のことで、継承者の証をもつシャナ・ア・クーさんが今はまとめ役となっているようです。風の継承者の一族がもっていた3つの神器と、マテオ・テーペの魔法具に使われている聖石は、2000年前に、それぞれの魔力を集めた男性の継承者の身体から作られたものです」
 記録は残っておらず、多少真実とは違うかもしれないけどと前置きして、エルザナは続ける。
 世界には、各属性の魔力の吹き溜まりがあり、集まった魔力を調整する役目を、20年に一度、女性の継承者が担う。
 また、恐らく2000年に一度、身体に証をもつ、男性の継承者も生まれる。
 男性の継承者達は膨大な魔力を身体に取り込むことができ、女性の継承者の精神を得ることで、魔力を制し、世界の魔力を統べる王となれる。
「魔力を制する女性の精神がないと、王とはなれない。だけれど、膨大な魔力の結晶石――特殊な魔法鉱石である『魔石』となることはできるの。……できるっていうか、魔石にすることができるって言えばいいのかしら」
 僅かに皮肉が籠められた口調だった。
「うん。で、もうすぐ2000年になるこれからは、魔石化した火の継承者の肉体と、皇帝が王になることで沈静化、世界を元に戻そうとする」
 ロスティンの言葉にエルザナは頷きかけるが、首を横に振った。
「暴走した水の魔力の調整が成功して、それだけで世界が元にもどるのなら、それが一番なんです」
「そうすれば、皇帝陛下は『王』という人非ざる存在にならずにすむ、ということでございますね……」
 リキュールは家族を持つマリオの姿を思い浮かべながら、そう呟いた。
「王が生まれても2000年経てばまた魔石の寿命が来て同じことが起きるのかな? というより、誰かを生贄にしたり、重責背負わせないといけないというのがなぁ」
 ロスティンが眉を寄せる。
 王の誕生により、世界の魔力が安定したとしても、20年の1度の調整は必要なのだろうか。
 王の寿命はどれくらい? 2000年生きるのだろうか。
 疑問は次々に湧いてくるが、その答えは誰も知らない。
「ところでさ、なんで、祭具盗んだ風の連中を盗まれた連中が討伐の為に動かなかったんだ?」
 ウィリアムが問いかける。
「動かなかったのは、何か理由があるんじゃないかね」
「記録にはこうありました。『水の継承者の一族たる王国の王家は、長い探索の末、火の一族を見つけ出した』と。恐らくですが、火と風の一族は、一族以外の人間との交流を断ち、辺境の地に隠れ住んでいたのではないでしょうか」
 答えたのは、マーガレットだった。
「山の――風の一族が暮らしているアトラ・ハシス島は風によるものか、海流の状態が異質で、船が近づき難くなっているそうです。そのため、私達難民がたどり着くまで、島が発見されることはなかったようです」
 説明をしたのは、ミコナだった。
 そして、大洪水で沈まなかったのも、島に集まる風の魔力のお蔭らしい。
「ふーん。水が発見してたら、火の一族と同じパターンになってたんだろうな。で、地が発見していたら、侵略して植民地化か」
「併合してたとは思うけど、言い方が悪いわよ」
 エルザナがウィリアムを睨む。
「継承者の負担減らすには、4属性の一族だけでなく、世界中全員の力を集められるシステムとかあればとか?」
「まぁ、継承者の犠牲が今後も必要なのかは重要な点ですわね。青臭い話ですけど、誰かの犠牲が不要な道があるのならば……よいのですけど」
 ロスティン、そしてマーガレットが呟き、皆、それぞれ考え込む……。
「あの……少し、いいでしょうか」
 手を上げたのは、ミコナだ。
 ミコナは洪水前に避難船に乗って生き延びた、港町の住民である。
 魔法学校で魔法を学んでおり、優れた魔法能力を持っている。
 彼女の親は没落貴族であり、祖先は王国の貴族だった。
 恋人と共にこの地に訪れたミコナは、現在は連絡係として、リモス村、街、宮殿を行き来している。
「アトラ・ハシス島で、山の一族の儀式が行われるより前に、魔力の調整について、私達の村の魔法研究所で話し合われていたと聞いています。研究所でその研究に携わっていたホラロさんは、今、ここで魔法具の開発に参加をしています」
 彼は昔、大陸で魔法科学工学の第一人者だった。だが、軍事機密データーを盗んだことで国を追われ、アトラ・ハシス島にたどり着いた。
 大洪水前から島の原住民に、魔力の根源の仮説に万物の理。引いては、自然の均衡が崩れる……という話を語っていたという。
「アトラ島の私達の村には、魔石もなく、継承者もいませんでしたが、魔力を静める方法はありました……魔力制御装置という魔法具を、継承者でも一族でもない魔法堪能者が使うことで」
「魔力制御装置、ですか」
 マーガレットが記憶をたどる。魔法能力に乏しい自分に扱えるものではなかったが、確かあの時――火山の魔力を鎮めた時、その装置の名を聞いたことがある。
 周辺の魔法エネルギーを集めて、制御、利用する装置だ。
 つまり、恐らくマテオ・テーペにも開発の技術があった。
「航海士のレイニさんたちご夫婦は、世界の魔力を調整することを目標としていました。設備はこちらほど整っていませんでしたが、研究は5年行っているはずなので、それ相応の資料や技術を提供できていると思うのですが……」
 ミコナは、ホラロと共に研究を行っているエクトルに目を向けた。
「……集まった魔力を制御するために、一つの確固たる意思が必要。それが、生き残った風の一族がもたらした魔力調整の真相、だったな」
「はい、魔力制御装置も、一つの強い意思で使う魔法具です。だから同じ意思を持たない、多くの人で扱うことは、かえって危険を伴います」
「その類の魔法具の作成が進められている」
「それが完成したら、継承者が犠牲になることはなくなる?」
 ロスティンの問いに、エクトルはため息をつきつつ、首を横に振る。
「現段階ではなんとも言えない」
「それで、私はお伺いしたいのですが」
 ミコナは拳を握りしめて緊張を隠しながら、話していく。
「アトラ島の難民村の人達も、私も港町の――マテオ・テーペと呼ばれている場所に今もいる、親戚や、友人、故郷の人たちの救出を切に願っています。そのために、私達は出来る限りの協力をしていると思います。だけど、何故でしょうか……。ホラロさんが今手がけている開発と並行して何か1つくらい魔法具を作成できるって仰っていたんです。それで、私はどんなものが良いか、相談したり考えたりしていたのですが、その間に、ホラロさんは別の方の依頼を受けてしまい、手一杯になってしまいました」
 ミコナは視線をエルザナにむけていた。
「それはどんな魔法具ですか? 帝国は、どうして貴重な開発を、マテオ・テーペいにる沢山の人達を救うために使ってくださらないのですか?」
 その指摘に、エルザナの顔が強張る。
 極めて深い知識を持つ、ホラロ・エラリデンという男。
 その者が帝国と共同で行っている開発の他に、手がけているもの――それは、ただ1つの精神を、1つの命だけを保護するものだ。
「マテオの火山での魔力調整のこと、燃える島でのことも聞きました。火の男性の継承者だったレイザ・インダーさんは、私の兄の幼馴染で、私も魔法学校で何度か見たことがあります。だから死んでほしくはなかったです。だけど、騎士であった私の兄なら、彼が使命を果たすことを全力でサポートしたと思うんです。継承者だからではなく、貴族として、騎士として、命を賭して民を護ることは当たり前のことで、彼も望んで身を賭そうとしたのではないのですか?」
 迷うことなく、火山に身を投じていたら。
 彼の精神に、燃える島を護らせていたら。
 失われずにすんだ人の命が複数あった。
 それが繰り返されようとしている。
「まあ、騎士道とか持ってるやつにはな」
 ウィリアム皇帝の近衛騎士だった男性もそんなことを言っていたなと思いだす。
「継承者の一族の、一つの命や、一つの心を護ろうとして、死ななくてすむはずの人たちを、多くの人を犠牲にしてしまっている、と思うんです」
 決して一つの命を犠牲にしていいというわけではなくて、と、ミコナは震えそうになりながら、感情を抑えて話を続けていく。
「マテオ・テーペから訪れた人たちは、犯罪者が送られる島にあるリモス村で、魔法鉱石の採掘作業に従事させられていました。水の魔力の調整を行う際に、魔法具の装置が必要で、その装置製造に必要な魔法鉱石を採掘する必要があるからと」
 入口や坑道には魔物が巣食っていて、命懸けの作業だった。帝国からは、魔法具の貸与なども一切なかった。
 リモスには最初、病院もなく環境は劣悪で、マテオから訪れた人々は、囚人たちと同じように扱われ、それに耐えてきた。
 魔物との激しい戦いがあった。多くの人が重傷を負った。命を落としかけた……。
「必死に皆で協力して、必要量の魔法鉱石を採掘して、国に納めました。そして、帝国は魔法具を作りました。……世界に、影響を出さないための魔法具。それは儀式を行う人達をサポートするためのものではなく、姫や協力者を犠牲に、地上を護るための装置ですよね?」
 誰も深く考えていなかった、考えようとしなかったが、そうともいえる。
「残りの魔法鉱石は、魔法剣などの開発や、この地を豊かにするために、使われているかと思います。そして、最後の一つの開発も」
 ミコナはちらりと、エルザナを見た。
「マテオ・テーペの皆が、酷い扱いを受けながら命を賭して手に入れたもの、全てが……マテオに還元されていません。それが、リモス村の、マテオ・テーペ視点の現状です」
 ミコナがクラムジーに視線を向けると、クラムジーは何も言わずに、軽く頷いた。
「マテオの皆さんも、私も、帝国の人達と仲良くなり、ここに生きる人たちのことも、守りたいって思っています。自分や、自分達だけではなくて、生きている全ての人達を守るために、自分達に都合がいいように私達を利用するのではなくて、きちんと協力し合いませんか?」
「大洪水を引き起こした国の属国民と、被害者である我が国の民を一緒にするな」
 嘲るようにエクトルが言った。マテオ民が奴隷として帝国に尽くすのは当然だとでも言うように。
「ウォテュラ王家が火の一族に対して行った非道や、最終的に大洪水を引き起こし、多くの罪のない人たちの命を奪ったこと。マテオ・テーペの民には直接非がない、むしろ被害者側といってもいいとは思います……けども」
 マーガレットは思わずそう言葉を漏らした。
「先ほども記録と仰られていましたが、何かご存じのようでしたら教えてはいただけませんか? それから、罵りの言葉は私の方で承ります」
 マーガレット、そしてエクトルとエルザナを見て、クラムジーがそう言った。
「水の神殿に残されていた書物で、ウォテュラ王国の王家が把握していた歴史を知る機会がありました」
 マーガレットが話しだす。
 世界の魔力を安定させるには、それぞれの魔力が集まる場所で、属性の継承者と4属性の特殊な魔法鉱石から作りだした、3つの神器と1つの聖石による調整が必要だった。
 しかし、3つの神器は遥か昔、風の継承者の一族によって持ち去られてしまった。
 それにより、他の属性の継承者の一族は、それぞれの魔力を鎮めるために、中和作用がある継承者の身をもちいるより他なく、犠牲を強いられていた。
 火の特殊な魔法鉱石から作られた聖石は、火の継承者の一族が預かっていたが、長きにわたり、火の継承者の一族の所在は不明となっていた。
 長い探索の末、水の一族は火の一族を見つけ出し、管理下に置くことに成功した。
 そして火の魔力の吹き溜まりでの実験により、魔力の調整を行わなかった場合、世界的な危機が訪れることが実証された。
 水の一族は、この巨大な力を制し、王国のものとすれば、世界は安定し、恒久的な平和が訪れるだろうと、考えた。
「……これが、ウォテュラ王家視点の、歴史ですわね」
 マーガレットはずっと黙っているアーリーの方に目を向けた。
「話してみればいいんじゃね」
 黙っているアーリーの手の上に、ウィリアムは自らの手を置いた。
 今の彼女なら、きっと冷静に話せるだろう。
「私の祖先である、火の継承者の一族は、マテオ・テーペと呼ばれている辺りで、ひっそりと暮らしていたの」
 一族の中には、何時の時代も、体に龍のような蛇のような痣を持つ女性が1人存在しており、その女性は聖女と呼ばれ崇められていた。
「王国や帝国が継承者と呼んでいる存在のことね」
 聖女が二十歳になる頃に、一族が護る山に必ず異変が起きる。
 山から溢れる魔力を鎮めるために、痣を持つ女性は山の火口に身を投げるのが慣わしだった。
 今からおよそ100年前。異変が起きる数か月前に子どもを宿した聖女と恋人がウォテュラ王国に連れ去られた。
 一族は山から溢れる力を鎮める手段を失い、やがて火山が大噴火し、辺り一帯は滅んだ。
「一族の中で生き残ったのは、私の曽祖父だけだった」
 子どもだった曽祖父は、ただ一人森で動物のように生きてきた。
 数年後に、王国から移り住んできた人達――後のアルザラ港、港町の住民に保護されるまで。
 曽祖父は彼らと共に港町の住民として生きて、家族を儲けた。
「大噴火後、あの地が人が住める場所になったのは、出産後に聖女が戻ってきて、恋人と共にその身で魔力の暴走を鎮めたから」
 そこで一度、アーリーは言葉を止めた。
 荒ぶる気持ちを抑えるかのように、深い呼吸をして再び話しだす。
「王国は、聖女をこう騙して連れて行ったの『王国の力で、魔力を抑える。君が死ぬ必要などない、犠牲など出す必要はない。他にきっと方法がある。力を合わせよう』と。でも、王国は何もしなかった。子どもを産み落としたあと、結局、聖女は火山に身を投げて魔力を鎮めた」
 そして、王国は手に入れた聖女の子に洗脳教育を施し、以後火の一族を管理してきた。
 火の継承者――魔石と化したレイザから聞いた話を、アーリーは感情を押し殺して話す。
「聖女が残した子供は女の子だった。一族が暮らしていた地は王国の領土とされた。その地の領主となった王国貴族の私生児として聖女の子は育てられ、10代のうちに義兄との間に3人の子供を儲け、二十歳になる頃、痣を持って生まれた長女――赤子と共に、火山に身を投げて次なる魔力の暴走を防いだ」
 領主の館の管理を、王国は次女に任せた。長男は漁港を管轄するアルザラ家に婿入りさせた。
 長男は、子どもを儲けてすぐ事故死。
 次女は2人の子供を儲けた。うち1人に痣があった。
「魔術によるこの地の回復と、火の力を押えるための神殿――水の障壁を張っている神殿のことね。それを設ける代わりに、王国は次女に痣のある子の身柄を求めてきた。火山で犠牲になるよりはと、次女は娘を王国に渡した」
 それ以降、火の儀式は行われず、火の魔力は押さえ続けられてきた。
「伯爵の館の管理を担っていた……火の継承者の男性、レイザ・インダーは聖女の子孫。彼には双子の姉がいた。その姉は、王国の魔導兵器の実験に使われていた。痣のある身体に、巨大な魔力に干渉する力があるということを……水の継承者の一族が把握していて……」
 アーリーの声が震えていく。
 彼女がレイザから聞いたその話は、盗み聞きし、ウィリアムは知っている。
 そして――スパイだったエルザナも。領主の館で、その歴史が記された文書を見ている。
「火の魔力は水の魔力よりも、兵器に適していて、継承者の一族の魔力、身体能力も他の属性の一族よりも優れている。……実験材料、兵器の材料として適した素材だった、から」
 そして、感情を殺したまま、淡々とアーリーは言う。
「私は、王国が憎い。
 王国の甘言に負けた聖女も憎い。
 兵器開発に携わった人、私たちを犠牲に守られてきた人々も。
 侵略者のくせに、我が物顔であの地の恩恵を受けていたマテオ・テーペの人達も憎い。
 大洪水のきっかけは……きっと、実験材料にされていた火の女性の継承者の死」
 アーリーの話に、クラムジーは強い衝撃を受けていた。
(公国が王国から独立したのは、約50数年前……)
 火の一族が暮らしていた地を領地とした王国貴族――それが、ジスレーヌの祖先だろうか。
 そしてその貴族は、火の継承者の双子の祖先でもあるということだ。
「人と仲良くなって、共に生きて、結ばれて子孫を残したとしても、その子孫が未来、犠牲になる。そんな未来を作るくらいなら、私は死を選ぶ……つもりだった」
 だが、アーリーは今、生きている。
 それはスパイとしてマテオの領主の館に潜伏していたエルザナの導きによるものだと言う。
 彼女が地の継承者の能力である、大地を通じて声を届ける魔法を用い、ここと連絡をとり箱船とアーリーをこの地に導いた。
 アーリーが箱船に乗ったのは、自分が大切に想う人を安全な場所に避難させるため。
 その者達の安全が確保されたら、自分の命を終わらせることも考えていた。
 だが、地の男性の継承者であるランガス・ドムドールの言葉を聞いて、考えが少し変わった。
 アーリーにはもう一人、出来れば救いたい人がいた。
 出会った人の中で、火の一族を除き、一番同調してくれた人。気持ちを解ってくれる娘――サーナ・シフレアン。
 水の継承者の一族の力を持つ彼女は、聖石を扱い、マテオ・テーペを支える要になっているため、最後まで残らなければならない。
 アーリーはその彼女を救うための交渉をランガスと行った。
「世界の魔力を統べることができるというのなら、その力で水を退け、あの地を隆起――もしくは大地と切り離し、浮上させることも不可能ではないと考えたわ。でも、今のここの状況からして、皇帝自らこの地を離れることはもう不可能だと解ってる」
「そう彼女は自分を盾に、私達に自分の大切な人を護らせようとしている」
 憐れむような顔で、エルザナが言った。
 未来が見えないまま、アーリーがここで生き続けているのは、自分達を生かすため、幸せにするため。サーナを助ける為……。
(解っていたが、アーリー本人を地の縛りから救いだす手立てがない)
 ウィリアムの脳裏に、1人の女性の顔と、声が響いた。
『護らなくていい、生きていい』
 人を愛し、護りたいと思う心が、継承者たちを束縛し、守るために犠牲になる未来を、護るために、子孫を犠牲にする未来を、作らせる。
 例えばマテオで生命力で箱船を出航させているように、1つの定められた命だけを犠牲にするのではなく、皆で負担する方法を得たとして……。
 マテオ同様『弱者は死ぬ』。失う命の数は増える。
 結局、今はその方法を得たとしても、いずれ継承者が犠牲になる未来が戻ってくるのだろう。
「だから、風の一族も、火の一族も、人と距離を置き、最低限の犠牲で魔力鎮めていくことに決めたんじゃないかしら」
 そうして人知れず最小限の犠牲で、魔力を安定させていた。
 だけど結局、人と関わり、愛し合った。そして犠牲が増えた。火も風も。
 人間をまとめる立場となった水と地には、守りたいものが増え、護るために力を得ようとした。知識を得ようとした。戦い、支配しようとした。沢山の命を犠牲にしながら。
 アーリーのその推察は、概ね正しい歴史かもしれない。どの立場のものも、そう思った。
「ありがとうございます。貴女のお蔭で、随分と歴史が解りました」
 クラムジーがアーリーに礼を言い、それからエルザナに目を向けた。
「伯爵の館で、何度かお世話になったことがありますよね? 貴女があの地にいた理由を、もう少し詳しく教えてくださいませんか? 何をしたのかも」
 どんな理由で、何をしていたとしても、中立な視点で冷静に話を聞き分析をしたい。エルザナや帝国を非難したりはしないと、クラムジーは約束する。
「私があの領主の館に送り込まれたのには、幾つか目的があったわ」
 あの地は、発見されてからまださほど経っていなく、帝国にとって未知の場所であったこと。
 王国から独立し、公国領となった場所であるにかかわらず、場にそぐわない水の神殿があること。
「帝国と王国はいつ開戦してもおかしくない状態だった。帝国はこの地に、王国が何らかの力を隠している可能性を考えたの。それに帝国から盗まれた技術――皇族の血を引いた、軍事兵器開発の一人者である男が関わっている可能性が考えられていた。私の使命は、あの地の調査と、王国の戦力を削ぐこと、そして離反者の抹殺」
 エルザナは館の管理人――アゼム・インダーと接触をして、地の継承者の能力で操り、情報を得ようとしたが、抵抗にあい、その心を壊してしまった。
 離反者の男が、領主の館のどこかに匿われている可能性が高いということまでは掴むことができていた。
 アゼムが認知能力を失ったために、孫のレイザ・インダーという男――当時は知らなかったが、継承者の男が、領主の館に戻ってきた。
 エルザナは時間をかけて彼に近づき、情報を得ようとチャンスをうかがっていた。
「それでその男性は見つかったのですか?」
 クラムジーが聞くと、エルザナは首を左右に振った。
「今もまだ、あの地で生きている可能性があるわ。高齢だから大洪水前に死んだかもしれないけど」
 その男の調査、魔石から作られた重要な魔法具である聖石を手に入れることなど、マテオ・テーペ内に残ってすべきことはまだ沢山あったのだが、エルザナは彼女に親しみを感じてくれた人達の手配により、箱船に乗ることとなった。
「命惜しさに、任務を放りだしたようなものだ。騎士の風上にも置けない」
 侮蔑の感情を籠めて、エクトルが続ける。
「皇族の血を引いていなければ、命令違反で厳罰に処されてもおかしくなかった」
「ここ帝国本土は、マテオ・テーペより洪水発生地点から大分離れているのでは? エルザナさんが流した情報で、この地の多くの人々が助かったとも言えます」
 エルザナに友情を感じているマーガレットは、ジスレーヌがエルザナのことをメイドと認識していたことや、こうしてエクトルが見下した態度をとることを快く思わなかった。
「そして今私たちのもとに新しい魔石があるのもエルザナさんの功績があってのこと。正式に皇族として認められていないとはいえ、現皇帝陛下の妹君ですよ」
「血縁上はな。そのくせ自覚がなさすぎる。魔石確保だって、くだらない情に流されたせいで、死にかけ、必要のない犠牲を出している」
 エルザナは元々、貧しい平民として生きてきた。
 成長して魔法を扱うようになり、皇族の力を持っていることが判明し、当時の王都に呼び出され、訓練を積まされた。
(こんな考えの皇族や貴族と一緒じゃ、苦労しただろうな。今も。俺が実績を上げて、エルザナちゃんと独立しなきゃな!)
 と、ロスティンは思う。
 庶子のエルザナは、宮廷の血縁者とあまりうまくいっていなかったという話も、聞いたとがある気がする。
「ロスティンさんはもう結婚しちゃったので諦めてもらうとして、私、あなたに友達と思ってもらえたり、庇ってもらえるような人じゃないのよ」
 エルザナがマーガレットに申し訳なさそうに言い、アーリーが「そうね」と言葉を発する。
「前にも言ったけど、この娘はどちらかといえば、私達の敵」
 アーリーはウィリアムにそう言い、言葉を続けていく。
「火山に魔力の調整に行った時――レイザ・インダーがその身を犠牲に、火の魔力の暴走を鎮めようとした時。彼女が同行していたせいで、私は彼に、王になる方法をきちんと伝えることができなかった」
「帝国としては、陛下以外の王の誕生は阻止しなければならないし、帝国を脅かす存在は、潰しておかなければならなかった。だから、彼が生還したら、邪魔になりそうな騎士共々、生き埋めにするつもりだったわ」
「この子は、マテオの救出を望んでいないのよ」
「一般の民たちは助かってほしいと思ってるわよ」
 アーリーに、エルザナはそう返した。
「現在の帝国の状況では、マテオ・テーペは助けられない。帝国はマテオの水魔術師と約束をしたわ。2隻目の箱船出航は全力でなしとげる。そしてマテオが沈んだあとの、難民たちの保護と支援を」
「出来ればマテオ全てとも、思っていたのだけれど、状況を聞く限り皇帝に動いてもらうのはもう無理ね。多くを護ろうとすれば、本当に大切なものを護れなくなる――たった一つの開発が、マテオのためでも、世界の為でもなく使われるのは残念だけど」
 アーリーはエルザナ、そしてロスティンを見て口元に笑みを浮かべた。
「それも彼女を護ると決めた人の想いが勝っただけ。行動の結果。彼女は勝者ね」
 箱船は、エルザナの情報をもとに探索に出ていた帝国船に発見され、帝国へといざなわれ、以後完全に帝国主導で事が運ばれている。
「先に、私達の船と出会って、アトラ・ハシス島にたどり着いていたら、帝国と対等に交渉できたのではないでしょうか」
 ミコナは語る。
 アトラ・ハシスの難民たちには造船の技術がある。
 そして風の吹き溜まりがある彼の地では、魔法鉱石が発掘できる。
 風と水の継承者の一族。
 魔石をもとに造られた、3つの祭具(神器)と、1つの聖石。
 帝国が必要とするものすべてに対して、港町の住民側が主導権を握っていたら。
「といっても、こちらにもそういう交渉や駆け引きにたけた人、いないかもしれませんが……」
(私達が知っていると信じていたことが、全てフェイクだったということか)
 クラムジーはそんな感覚を受けていた。
「継承者の一族同士が、利用し合い、争い合ってるように思えるな。それで……一番初めの犠牲は、どのように始められたんだろう?」
 疑問を口にしたのは、キージェだった。
「ああ、最初はどうなってたんだよっていうのは気になる、こういう仕組みを誰が作ったんだって処? 生贄捧げなきゃ鎮められないって、本能で生贄が必要とか察するとか無理だろ?」
 ウィリアムも疑問を投げかけるが、それは誰も知らないことだった。
「生贄事態が年月が立つうえで今は、義務みたいな話になってはいるが、少しずつ捻じ曲げられてきた考えとかあるんじゃねーかなぁ。歪んだ魔力に関しても、このまま義務みたいに生贄にしていくとまた溜まるだけな気はするしな」
 ウィリアムの言葉に頷いて、キージェはこう尋ねた。
「帝国が、マテオがというか、世界が終ってしまいそうな勢いだが、世界の始まりのときもあったろうし……死ぬ前に、先に、生まれて生きてなきゃ死ねない。神話や伝承の域でも構わないので『世界のはじまり』からの話があれば、聞かせてくれないか」
「……神と救世主の物語なら、魔法図書室で読んだことがあるけれど、はじまりからは知らないわ」
 そういうエルザナに代わり、エクトルが話しだす。
「子どもの頃から神殿で聞かされている物語がある」
 名家の子が、幼い頃から聞かされている物語。
 あくまで神話の一つだと前置きをして、エクトルは話していく。
 世界を創りだした神は、分身の精霊たちに世界を管理させた。
 世界に生きる動物たちの中に、意思を持つ人間という存在があった。
 人間は精霊たちの存在を感じ、崇め恐れていた。
 いつしか人間たちは精霊への恐れを忘れ、精霊たちの領域を侵すようになった。
 精霊たちの中でも、人間に興味を持ち、人間と交わるものが出た。
 そして、人間は精霊の力を、魔力を持つようになった。
 魔力をもった人間は、利己的に魔力を用い、自然のバランスを崩していく。
 人間と人間と交わった精霊が犯した罪をあがなう為に、人の身体を持つ救世主が世界に産み落とされた。
 救世主は世界の王となり、己の人の身を犠牲に、人々と精霊たちを罪から解放した。
 そして世界は安定の時を迎える。罪で満たされる時まで。
「なるほど……他国ではどうなんだろう?」
 キージェが元公国貴族のマーガレットとロスティンに目を向けた。
「どうなんだろ?」
 そういう伝承や神話に全く興味をもっていなかったロスティンは勿論知らない。
 マーガレットは公国に伝わる神話を思い浮かべる。
「同じような神話は聞いたことがあります。国民に信じられているものではなく、数ある神話のうちの一つですが……何だか少し、こちらのお話し、信ぴょう性があるような気がしますね」
 公国や王国では、帝国のように君主が神として崇められていることはなく、国教というものもなかった。 
「その救世主が、現在の皇帝陛下。罪で満たされた時代……」
 カーレの口から、そんな言葉が漏れた。
 カーレは貴族として、皇帝と帝国への忠誠心を持ち、全ての精霊への感謝と祈りを忘れずに続けている。
「そう言えば、救世主と人の童話は小さい頃、母から聞いたことがあったな」
 キージェは母が語ってくれた話を思い浮かべる。
 確か人間が救世主と共に、魔物と戦う話。
 身分ある子たちが聞かされてきた話より、子供向けの――ハッピーな話だったと思う。
「グレアム団長たちが歪んだ魔力の影響を受けやすいって件は? 何か理由があるのか」
「彼らをその宿命から解放する方法はあるのでしょうか?」
 キージェとカーレがエルザナに問いかける。
「理由はわからないんだけど、ハルベルト家の兄妹は、地の継承者の一族と、水の継承者の一族のハーフなの。50年くらい前に水の継承者の一族の力を持つ姉妹が、帝国に亡命してきて、それぞれ当時の皇子……私の血縁上の父である前皇帝と、ハルベルト公爵との間に子どもを儲けたの」
 それがグレアム、チェリア・ハルベルトカサンドラ・ハルベルトの3人と、宮殿にいるラダ・スヴェルダム、行方不明のミサナ・スヴェルダムの5人だという。
 グレアムは養子であるため、血縁的に両親はラダやミサナと一緒――父親はランガスや自分と一緒だとエルザナは話した。
「彼は継承者のお義姉様をとても慕っていて、ハルベルト家の養子になる前に行われた地の儀式――お義姉様が身体を捧げた儀式に立ち会い、お姉様の精神を封じた魔法具を託されたって聞いてる」
 この地の民は知っていることだが、この地には地の魔力の吹き溜まりがあり、魔力を鎮めるために、証を持って生まれたランガスの双子の姉が、20歳の時に犠牲になっている。
 ただ、ランガスが全ての魔力を統べる王となるために、片割の女性の精神が必要と思われていたため、彼女の精神は魔法具に封じ込められ、グレアムに護られてきた。
 その魔法具は、グレアムが肌身離さず持っていた指輪――ネックレスのことだと、グレアムと親しい者は気付く。
「ハーフは継承者の一族の能力は持ってなくて、それとは別の弱い特殊能力を持っている……と思われていたけれど、歪んだ魔力を体に蓄積するにつれて、その能力は高まっていったみたい」
 そして、魔物化――完全に、歪んだ魔力と一体化すると、両親の両属性の魔法、一族の能力をも行使できるようになる。
「ハーフのうち、ミサナさんは既に魔物化状態と考えられているわ。彼女の属性は水だけど、地の魔法も行使していたみたいだから」
 軽く目を泳がせつつ、エルザナはそう言った。
 一般人に語るべきことではないことだと、エクトルは思ったのだが、彼自身も興味がある話であったため、眉を顰めつつも黙っていた。 
 流石に詳細はエルザナもこの場で語らなかったが、ミサナは海賊のボスを地の一族の力で操っていたと思われる――エクトルの父をはじめ、多くの犠牲を出したあの事件は、皇家の血を引くものが起こしたとも言えるというわけだ。
「なるほどなるほど、過去に地と水の二つを無理くり一つにしてみたら暴走しましたーというわけですな。いえいえ、なんでもございませんよ。私はこ、このちちちちちを、更に豊かにするための提案に訪れた、誠実で善良ないち庶民でしかありません」
 リュネはクラムジーの後ろに身を隠す。
「お偉い人たちには、そういう事情でつがいにされた成果も多そうだ。やりきれないだろうな、子供の立場としちゃあ?」
 キージェの言葉に、エルザナは複雑そうな顔になる。
 彼女は皇帝のお手付きで出来た子だ。望んで継承者の力を持って生まれたわけじゃない。
 だが……。
「特殊な能力があれば、より陛下を支え、民を護る力となれる。子として喜ばしいことだ」
 エクトルはさも当然そうに言う。
「歪んだ魔力は大洪水がきっかけで発生したものと思われる。燃える島に歪んだ魔力が集まっていたのは、火の継承者を野放しにした者が悪い」
 エクトルはちらりとエルザナを見た。
 ただ、ウォテュラ王国が元凶だ、とは言わなかった。
 そうだと思っているが、魔導兵器の開発に、離反した技術者の――帝国の技術が使われている可能性が高いということも判っていたから。
「自覚が足らず申し訳ありません……」
 謝罪の言葉を口にしたあと、エルザナは皆に視線を戻す。
「歪んだ魔力と完全に一体化してしまったら、どんな動植物も元に戻すことは出来ないのだけれど、一体化していない状態ならば、地の強い回復魔法で弾き出す事が出来るっていうのは、皆も知っているわよね? ハーフからも弾き出し続けることで、魔物化は防ぐことが出来るはず。グレアムさんの身体は既に一体化してしまっているけれど……。彼の精神はこちらで預かっているから、元に戻す方法もあると思う」
「人の魔力の心臓部分は精神だ。身体に精神を戻すことで、歪んだ魔力を追いだすことも不可能ではないはず。本人に戻る意思があれば、だが」
 氷の大地での作戦の結果からして、厳しいかも知れないとエクトルは考えていた。
「他にも何か聞きたいことあるかしら?」
 エルザナが言うと、リィンフィアが手を上げた。
「遺跡で発見された物に関しての調査は進んでいますか?」
「氷の大地からの連絡は先に宮殿に届くけど、遺跡での作戦はこちらよりSスヴェルで聞いた方が早いわ。ただ、さっき話したラダさんが千里眼の能力を持っているの。解読できない本や、品物は騎士団員が預かり、宮殿の方で調べさせてもらう事になると思う」
「わかりました」
 リィンフィアは今聞いた話と共に、本部に持ち帰って引き続きの情報収集と整理をしていこうと思う。
(彼女の都合の良いように事が運んでいる。彼女……エルザナが勝者ならば……)
 敗者は、マテオに生きる多くの者だろうか。その代表である自分達だろうか。
 そして、火の一族も敗者なのだろう。
 クラムジーは複雑な思いを抱きながら、団員と共に街に戻っていった。


*   *   *

 

 街に在るSスヴェル本部にて、ジスレーヌは書類の整理を行っていた。
 団員は本職や、別のボランティア、そして宮殿に話を聞きに行っているため、本部には数人しか残っていない。
「戻りました。手伝います」
 一番最初に戻ってきたのは、リィンフィアだった。
「古書の解読は進んでいますか? 宮殿では調査結果などは聞けなかったのですが」
「はい。といっても、あの本は……」
 燃える島の遺跡の祭壇にあった本は、歴代の継承者たちが最後の言葉を記したものだった。
 近年の文字は誰でも読めたが、100年以上前の古い文字の解読には少し時間がかかりそうだった。
 読むことが出来る文章の殆どが、国や愛する人への想いで溢れていて、皆、胸を痛めつつ読んでいた。
 書類の整理を行いながら、リィンフィアは宮殿で聞いた話の報告をしていく。
 その最中にクラムジー、リュネそれから、ミコナも共に本部に訪れた。
「ルース姫のご兄弟の件ですが、双子ということは、風の一族のように、力を合わせて儀式を行えれば一番いいのでしょうね……祭具も使わせていただけるのですし」
 暴走してしまった魔力でも、それなら治めることができるのではないかと、ジスレーヌは考えた。
「地も、風も、火も、この時代の継承者は、双子で生まれているようです。そして、男の継承者は、吹き溜まりの魔力を吸収する体を持っている」
「その魔力を吸収した体を魔法鉱石に変えたものが、魔石と呼ばれているんですよね」
 しかし、ミコナとリィンフィナのその言葉を聞いたジスレーヌの脳裏に思い浮かんだのは――マテオ・テーペ。
「……魔石を、持っていければ……」
 何を考えているのだろうか、自分は。
 ジスレーヌは目を閉じて、俯いた。
(帝国への恭順ではもうマテオ・テーペは救えない。帝国を救出に動かせる方法――水の継承者の一族を『渡さない、出さない』こと。他にもあるだろうか)
 クラムジーは1人、考え込んでいた。
 どのみち、本土にいるクラムジーやジスレーヌに出来ることは少ない。
「一族同士殺し合って解決し、歴史は繰り返される……ってことでしょうかね」
 融和の道はないものだろうかと、リュネは考えていたが、見えてこない。
 ため息をつき、クラムジーは宮殿で聞いたこと全てを、言葉を選びながらジスレーヌに話した。
 重い空気が流れた。
「……私、魔法くらいしか特技がなくて、魔力を失ったら無能になってしまうのですが……それでも」
 エクトルから聞いた神話を思い浮かべ、ミコナが話しだした。
 人が、神の領域を侵したことが、魔力を持ったことが罪だというのなら――。
「魔力も、魔法具もいらないです」
 港町の家庭には、魔法具はなかった。
 自分のように魔法が得意な人は珍しく、皆、魔法に頼らず生活していた。
 船の動力は石炭で、魔法鉱石なんて見たこともなかった。
 支配者なんていなくて、身分もないようなもので。
 海で働きながら、自然と共に、皆で協力して生きていた。
 大好きだった家族や友達。幸せだった毎日が思い浮かび、涙がこぼれた。

 

 

■マスターより

【冷泉みのり】

こんにちは、冷泉です。

リアクションの一部を担当いたしました。

これからのアクションへ繋げられれば幸いに思います。

シナリオへのご参加、ありがとうございました!

 

【川岸満里亜】

川岸満里亜です。

先に『リモス(水の魔力の吹き溜まり)』関係のみ、公開させていただきます。

概ね冷泉マスターが担当されましたが、シャナのシーンのみ川岸が書かせていただきました。

こちら以外のシーンにつきましては、まだしばらくお時間を戴いてしまうと思います。

申し訳ありませんが、近日オープニング公開のイベントを楽しみつつ、お待ちくださいませ!


2020年6月19日追加

お伝えしたいことが多く、完成まで時間がかかってしまいました。
一通りご確認いただいたあとは、アクションに必要な情報のみ、都度確認いただければなと思います……。
なんだか、全て把握していただくのは無理なのでないのかと感じてしまいましたので!(私の頭の中も大混乱です)

物語のラストが少しでも良いものとなりますよう、引き続き皆様と歩んでいきたいです。
どうぞよろしくお願いいたします。