第1章 燃える島のバカンス
海賊たちがかつて愛した温泉は、『燃える島』の名にふさわしく、沸騰に近い状態になってしまっているものが大半だ。だが、人間が浸かるのにちょうどいい温度のものも残されている。
この「入浴可能な」温泉には小さな休憩所があり、雨風をしのげるようになっている。奥に見える細い1本の廊下が、男女混合の脱衣所、温泉へと続いている、というわけだ。念のため、今の時間帯は女性専用である。
「ふふふ」
メリッサ・ガードナーは休憩所の椅子に腰かけ、膝の上でくたっとしているフェネックの頭と背中を撫でていた。隣のイスに座っているトゥーニャ・ルムナが、メリッサとフェネックの様子を見ている。
「懐いてるね~」
「そうかな? なんか、この子を見るとこうしてあげたくなっちゃうんだよね」
てれっと笑って、フェネックの耳を、こしょこしょこしょ……。フェネックは気持ちよさそうに首を傾け、メリッサの指に翻弄されている。
「ね、可愛いでしょ」
「気持ちよさそ~」
「……この子、一緒に温泉入れちゃダメかな?」
「え? いや、いいと思うけど……ちっちゃいから溺れないように気を付けてあげればいいんじゃないかな~」
わたわたとフェネックが慌てる。急に頭を持ち上げて、わぅわぅと情けない声を上げた。
「イヤかな? どこかの誰かさんみたいに、女の子の裸が好きなんじゃないかと思ったけど」
ニヤニヤしながら鼻先をちょんちょんとつつく。
「直接入るのが怖かったら……ほら」
メリッサは湯浴み着の襟を少しだけ開いて、「この中に入れば安心」と言った。くわっとフェネックの瞳孔が開いたが、すぐに、ふいっとそっぽを向く。だが、尻尾がパタパタ動いているのを見ると、どうにも落ち着かないようだ。メリッサは襟をもとに戻して、小さく笑った。
休憩所に、まだ普段着のアールが入ってくる。メリッサとトゥーニャ、それにフェネックの姿を見つけ、軽く手を振った。
「お、いたいた。って、もう湯浴み着?」
「待ちきれなくて」
メリッサの答えに、気が早いなあ、とアールが笑う。
「フェネックはどうする?」
アールの問いに、メリッサは少しだけ考えを巡らせた。一緒に入れてあげたいような気もするけど、それを言ったら止められるような気もするし……。
「誰かの腕に掴まらせるか、ちょっと浅いところがありそうなら、連れて行ってもいいと思うんだけど」
「そう?」
冷静を装ったメリッサ。
「それじゃ、私が責任をもって、この子を預かるから」
トゥーニャはその様子を、ニヤニヤと見ていた。フェネックは相変わらずそっぽを向いたまま、尻尾を振っている。
アールが笑って、廊下のほうを指差した。
「それじゃ、行こっか」
ごつごつとした岩に囲まれた浴槽は、明らかに最近になって人の手が加えられている。今日の日のために、海賊たちが形を整えたのかもしれない。
「いや~、極楽極楽~」
トゥーニャは目を細めて天を仰ぐ。
「ん? 『ごくらく』って何だっけ」
彼女は不意に、その言葉が指し示すものの意味を見失って、ぱちりと目を開けた。それから、うーんと小さくうなって、「……まぁ、気持ち良いから何だって良いや~」と、また目を瞑る。
「ちょっとトゥーニャちゃん……」
フェネックを抱きかかえたメリッサが困惑ひとしおの顔で彼女を見つめる。
「タオル1枚って……」
「ん? 変かな~?」
「売ってたでしょ、湯浴み着」
アールとメリッサが着ているものだ。メリッサは幾分かオシャレにアレンジされているが。トゥーニャは、へへっ、と笑う。
「別に気にしなくてもいいって~。どのみち、女の子しかいない『はず』だから」
ちらっとフェネックを見る。温泉が気持ちいいのか、それともぎゅっと目をつぶっているのか、限界いっぱいの糸目になって、瞳の奥が覗けない。
「おっ、やってるな」
その声に3人が顔を一斉に向ける。
「あ、バルバロちゃん!」
「ちゃ……ちゃんって、おま……!」
バルバロの顔に、すっと赤みが差す。
これまでも何度か注意してやろうと思ってたけどなあ……!
その気持ちがぐっと喉元まで出掛かったが、ゆっくりとため息に変わる。せっかくの温泉だ。騒ぐのも無粋。それに、持ってきたものがマズくなっても困る。
「う~……今回だけだぞ! これ以降は気をつけろよ! いいな!?」
「はーい、出来るだけ気を付けまーす」
メリッサの確証の得られない返事に、バルバロは「ったく……」と吐き捨てた。そして、「まっ」と気を取り直す。
「せっかく来たんだ。奢ってやる」
とんっ、と酒と杯を岩の上へ。
「奢り!? いいの? ありがと~!」
「いや~、奢ってくれるなんて有難いね~」
2人が浴槽の中を泳ぐようにして酒に群がっていく。
「おう、お前、その……悪かったな」
トゥーニャの顔を見て、バルバロが、無理に笑顔を作った。
「悪かった? 何が~?」
「人質の件」
「あぁ、そんなこと~? 気にしない気にしない~」
トゥーニャは岩肌に体を預けると、風の魔力で浮かせた杯を傾けて、もう1口目に取り掛かっている。彼女の、本当に何も気にしていないという態度に、バルバロの凍った笑顔は解け、柔らかな笑みが戻る。
「工夫して色々作ってるんだね。湯浴み着もあるし、至れり尽くせり、って感じ」
「おうよ、これが海賊のおもてなし力だ」
メリッサの誉め言葉に、バルバロは思わずドヤ顔。
「この前はちゃんと入れなかったし、今日は楽しんで行けよ」
「ん! このジュース、トロピカルでおいしい!」
バルバロの言葉を聞きながら、ぐぐっと一気に酒を呑み込んだメリッサ。バルバロは驚いて目を丸くした。
「あっ、おい、酒飲むならゆっくりにしとけ! あと水分不足に気をつけろよ! 倒れたら金取るからな!」
「えっ、お酒なのコレ!?」
かぁぁっ、と、メリッサの顔に赤みが掛かっていく。
「そもそもだけどさ~、ぼくにお酒なんて飲ませて、大丈夫なの~?」
幼い見た目のトゥーニャが、いたずらにそう聞く。
「なーに」
バルバロは浴室用の低い椅子に腰を下ろして、ははっ、と軽く笑った。
「この島じゃ、私らがルールだ。細けぇことは気にすんな!」
「おっ、いいね~」
トゥーニャはもう一口傾ける。
「折角、温泉でお酒を飲んでるんだもんねぇ、細かいことは気にしないで楽しまなくっちゃ~」
風の魔法で近くまで酒を引き寄せると、猪口になみなみと注いだ。
「まっ、ぼくは29歳なんだけどね~」
「はあっ!? 年上!?」
バルバロは衝撃のカミングアウトに顔を硬直させた。
「なんだ、それも魔法か!?」
「違う違う」
「じゃあ逆サバ読みだろ!」
「本当に29歳なんだって~」
トゥーニャは、あははっ、と軽く笑って、また一口酒を飲み下した。それを見て、どうやら年齢に偽りがないらしいことを感じ取ったのか、バルバロは「ほー」と変な感嘆の声を上げた。
「奢ってもらってなんだけど、ご一緒にいかが~?」
「ん……悪い、今はパス。ドジった奴の火傷の手当もしなきゃなんねえし、一応な」
バルバロが残念そうな顔をしたのを見て、トゥーニャも「そっか~」と残念そうな表情を浮かべた。
はたで会話を聞いていたアールは、お湯を手ですくって肩にかけると、「ふぅ」と甘くため息を吐いた。
「何だかんだ、客入りがあって良かったぜ」
バルバロはアールに、小さく耳打ちするように言った。
「そうね。ムサい男の相手ばっかりさせられるんじゃないかと思って、ちょっとヒヤヒヤしたけど」
「な」
ふふふっ、とお互いに小さく笑いあう。
「海に出るのも良いが、こういうのも悪かねぇな」
バルバロは、お酒だったことに気付いてしまって顔を真っ赤に染め上げているメリッサと、頑なに目を閉じたまま、まるで青春修行でもしているかのようなフェネック、そして美味しそうに酒を飲んで温泉を堪能しているトゥーニャを見た。
「海賊なんて、馬鹿ばっかだからよ。こんなことしか出来ねえが」
「『こんなこと』だからいいんじゃない。私は好きよ、こういうの」
アールが、ニヤっと笑った。
「ところで、馬鹿な海賊って、あんたのこと?」
「あ!?」
売り言葉に買い言葉。勢いに任せた強い言葉が出たが、アールの顔を見て、思わずバルバロは熱くなった自分が恥ずかしくなってきた。
「ったく……」
バルバロは立ち上がると、「あんま長湯すっとのぼせるぞ!」と言って、彼女たちに背を向けた。
川での釣りは禁止されており、本島の街では魚が非常に手に入り難い。更に海賊の影響により、海での漁も行えていない状態だ。
「見たことも無い魚も混じってそうだが、まぁ死にゃしねぇだろ。万一くたばっちまったら魚の餌にすればイイしな」
などと呟きながら、海賊のエンリケ・エストラーダは温泉側で魚を焼き始める。
服装は何故かシェフの格好。海賊船の本船には食料はあまりないが、衣服は沢山あるのだ。女性や子ども用中心だが、エンリケはその……なので問題なく着れる。
周囲に広がっていく美味しそうな匂い。
「魚だ」
「なんていい匂い!」
訪れていた客たちの視線が集まる。
「これはこれは、なんとまあ素晴らしい」
イベントの開催を聞き、商機あり! と駆け付けたリキュール・ラミルも、久々の旨そうな匂いに、涎をだらだら流さん勢いで、エンリケの店へのたのた走り寄る。
「本島じゃ貴族でもなかなか活きの良い魚、食えないんだろ? どうだい、この機会に海の幸をたっぷり満喫するってのは?」
炎で熱されている岩盤の上で、串に魚や貝を刺したものを焼いている。
「おいくらでございますか。買わせていただきましょう」
値段を聞くより早く、リキュールの心は決まっていた。
趣味が食道楽の彼にっとて、滅多に手に入らない新鮮な魚介類なんて……こんな久しぶりの馳走を前に、待ってなんていられない。
(商人か? 金持ってそうだな)
「なにしろ本島じゃ手に入らないモノばかりだ、お代はそれなりだぜ? ひとつ、100Gでどうだ?」
「さすがにそのお値段は高すぎでございましょう。こちらの屋台と貴方ごとであれば、そちらのお値段で買わせていただきたい所存でございます」
「俺のバイト料込みかよ? 面白ぇこと言いやがる」
「ところで、こちらの鮮やかな魚はなんという名前でございましょう?」
リキュールは桶に入った赤、白、黒の模様のついた魚を指差した。
「……アジモドキウオ、だぜ」
リキュールはにこにこ笑顔を浮かべながらも瞳を鋭く光らせ、エンリケに耳打ちする。
「手前、少々食に通じており、塩や魚の流通を商っておりました関係上、この魚が猛毒であることを存じております」
こいつは騙せない。
そう悟ったエンリケはリキュールと目を合せる。
そして、2人はにやりと笑い合った。
「よし、それじゃ一緒に店やろうぜ。これは前金ってことで」
言ってエンリケは焼けたばかりの串をリキュールに差し出す。
「商談成立、ということでございますな」
誰よりも早く、リキュールは手に入れた魚介類の串を、ふうふう息をかけて冷まして、涎と涙を流さん勢いで、美味しくいただく。それから。
「『温泉』そして『名物料理』ときましたら、やはり『酒』の存在は欠かせませんでしょう?」
背負っていた籠をおろし、資材を組み立て、酒樽を設置。
エンリケの『燃える島名物魚介の岩盤焼き』の屋台は、名物料理と酒が堪能できる店にランクアップした。
「こっちも食べごろだ、どうだ? 魚のアラ汁なんかもオススメだぜ」
扇いで匂いを船着き場に送りながら言うと、訪れた者達がぞろぞろと屋台に寄ってくる。
「……でも安全なのかしら」
並んでいる客のひそひそ話が、エンリケの耳に届く。
「心配ねぇって、うちは安全第一衛生第一で商売しているんだからよ。危ねぇことなんてこれっぽっちも無いぜ」
エンリケは陽気な笑顔を見せる。
「こちらのシェフの腕は、ポワソン商会の代表の手前が保証いたします。あ、こちらの鮮やかなお魚は観賞用でございます」
リキュールがそう添えると、客たちの不安が消し飛び、屋台に寄らない人が居ないほど店は繁盛し、エンリケはしたこま儲けたのだった。
リキュールの方は、今日の儲け分は全て屋台で使い果たした。存分に料理を堪能し、またの開催を熱望しながら、大満足して帰って行った。
「毎度あり~。2名様ご入場しまーす」
最後の舟で訪れたセルジオ・ラーゲルレーヴは、安全料としてアールに料金を支払い、炎の壁を開けてもらった。
「湯浴み着の販売してるけどどう? 案内とセットなら安くしておくぜ」
「では、お願いします」
自分1人ならどんな扱いを受けても構わないのだが、今日は大切な人――ミコナ・ケイジを連れてきているから。彼女を巻き込むわけにはいかないため、料金は海賊たちの指定通り、素直に支払っていく。
今の時間、温泉は混浴のようだった。
一緒に来たのだから、一緒に入りたい……ミコナのそんな思い、そして無防備な彼女をこのような場所で1人にはできないということもあり、混浴の時間に2人は一緒に温泉に入ることにした。
ミコナが買ったのは、ワンピースタイプの湯浴み着であった。
露出度はそんなには高くはなく、乾いた状態では体のラインも分からない。だから、セルジオはいつものようにミコナを見れたが、ミコナの方は上半身裸のセルジオの姿を見た途端、真っ赤になって俯いてしまった。
大丈夫? と声をかけるのも変だし……自然にしていた方がいいかなと。
セルジオは彼女に近づいて、手をとった。
「温泉、久しぶりですね。ゆっくりしましょう」
「は、はい……っ」
ミコナはとても緊張していた。
セルジオの方も緊張していないわけではなくて。
ゆっくり一緒に湯船につかりながら、セルジオの鼓動も高鳴っていく。
湯船に肩まで浸かると、自然と二人は背中を合せていた。
湯浴み着を挟んで、セルジオとミコナの身体が触れ合う。
「ミコナさん、熱くはないですか?」
「ちょうどいい、です。でも久しぶりだから、のぼせないうちに出ないと、ですね」
「そうですね。それでよかったら、僕に寄りかかってください」
言った後、セルジオは足を底から離して、背をミコナに預けた。
「僕も、ミコナさんに寄りかからせてください。お互いに、ゆっくりしましょう」
「はい……っ」
ミコナもまた、セルジオに背を預けて、2人はもたれ合いながら大きく息をついた。
心地良い湯、そして背に感じる互いの存在が、心と体を優しく癒していく。
「セルジオ、さん」
ミコナの細い声が、セルジオの耳に届く。
「1人では、怖かったと思うので……側にいてくれて、ありがとうございます」
ミコナの腕が、セルジオの腕に触れた。
セルジオが後ろから、彼女の腕に腕を絡めると、ミコナはセルジオの手を握りしめてきた。そっと、セルジオは握り返す。
「こちらこそ。一緒に来てくれて、ここに居てくれてありがとう」
他に誰もいなければ、胸の中に引きよせて、胸に飛び込んで、いただろう。
そんなことを考えながら、2人は再び、ゆっくりと、深く穏やかな息を吐いた。
第2章 リモスの海岸にて
バーベキューと聞けば、参加者は自分のポジションをそれぞれに考えたりもするものだ。
どさり、と肩から袋を下したのは、ヴィーダ・ナ・パリド。
「大猟だったぜ」
火起こしの下準備をしていたシャナ・ア・クーに、袋を開いて中を見せる。関節で切り離されたイノシシの脚のような肉の塊と、野鳥。
「こっちもだ」
ヴィーダと一緒に狩りをしていたセゥも、似たような大きさの袋をその場に置いた。
「これだけあれば、お肉は十分そうね」
シャナは微笑んで、2人の顔を見た。
「……ところで、水着には着替えないの?」
「え?」
ヴィーダはシャナの言葉に、あたりを見回した。参加者は全員、それなりに肌を露出させた水着や服を着ている。反面、ヴィーダとセゥは、小枝で細かい傷を負うことがないよう、長袖長ズボンだった。しかし、日光が燦燦と降り注ぐ海岸線では、多少軽装になったほうがいいだろう。
「で、でも」
ヴィーダはちらっとセゥを見た。セゥは彼女の心持ちが分からないのか、首をひねる。「向こうで貸し出しもやっているみたいだぞ」と、指を差した。そこまで言われては、退けない。
「……分かったよ」
彼女はシャナに手を振ると「ちょっと行ってくる」と言って、その場を後にした。
「今日はよろしくでござるよー!」
火のすぐそばで、威勢のいい声が上がる。ジン・ゲッショウだ。彼は鮭と、白味の強い茶色の固形物を持ってきている。
「なんですか、それ?」
見たことのない色味の物体に、ジスレーヌ・メイユールは目を奪われた。
「これは、拙者の生来の地方に古くから伝わる調味料でござる。大豆などを発酵させたものでござるよ」
「美味しいんですか?」
「もちろんでござる! 野菜を少し分けて下されば、鮭とこの調味料で、鉄板料理が作れるでござるよ!」
ジスレーヌは未体験の調味料に、胸を躍らせる。手持ちの野菜を彼に手渡すと、「よろしくお願いしますね」と、期待に満ちた目で微笑んだ。
「ん、魚で被ったか?」
どさりと巨大な肉の塊を下したのは、リンダ・キューブリック。
「魚? その塊が、魚肉でござるか?」
ジンは目を丸くして、リンダと肉塊を交互に見る。
「ああ」
リンダはニヤリと笑った。
「これは、海獣の肉だ」
「なッ!?」
ジンは驚き、思わず身を引いた。もちろん、ただの切り落とされた赤身肉にしか見えない。だが、これが散々自分たちを苦しめてきた生き物のなれの果てだと思うと、どうしても体がそう反応してしまったのだ。
「毒はないのでござるか?」
「大丈夫だ、問題ない。元漁師たちが喜んで食っているくらいだ」
かくして、食材は出揃った。大量の肉と、未知の物体たち。鉄板や網の上に、それらがどんどん乗せられていく。
「拙者、火の扱いには少々覚えがある故、火の番も引き受けるでござる。こう見えて、長きに渡る独り身……人並みに、調理も出来るでござる」
ジンは目をしばたかせて、軽く咳き込んだ。
「……ううむ、いかん、煙が目に沁みるでござるよ」
「まだ火点けてないわよ」
シャナが呆れた声でツッコみを入れた。ジンは軽く咳ばらいをして「予行演習でござる」と呟いた。
炭火で焼きあがると、徐々に香ばしい匂いがあたりを支配する。参加者一同、目をらんらんと輝かせ、食材に火が通るのを待っていた。
リベル・オウスは、火からは少し離れた場所に、パラソルと敷物で簡単な休憩所を用意していた。
「素肌をさらしている奴、日焼け対策は大丈夫か?」
彼は肉待ちのバーベキュー参加者に声をかける。
「陽気に浮かれるのはいいが、きちんとケアをしておかないと、後で泣きを見ることになるぞ」
リベルが手に持っているのは、薬草数種類を混ぜたものだ。完全に日焼けを防止することはできないが、少なくとも真っ赤になるほどの事態は防げる。
「それでは、よろしいですか?」
ベルティルデ・バイエルが手を挙げ、彼の元へと歩み寄った。リベルはベルティルデの水着姿に少しドキッとさせられたが、すぐに冷静を取り戻し、「こっちへ」と休憩所まで案内した。
「水着、どうでしょう?」
ベルティルデは、比較的露出度の低い水着を着ていた。だが、その分布地によってボディラインが鮮明になっている。
「似合ってる、と思うぞ」
リベルはわずかに高鳴ってしまった鼓動に気付かれないよう、それだけ返した。
「そんなにたっぷり付けなくてもいい。表面に薄く延ばす、ってイメージだ」
リベルは自分の腕に少量の薬を取り、指で延ばして見せる。
「露出している部分は日焼けしやすいからな。腕、脚、顔……一応口に入っても大丈夫なものしか使ってないが、念のため、唇には塗らないこと」
「ありがとうございます」
「……俺が塗ろうか?」
ベルティルデは少しだけ戸惑って、それから「自分で出来ます」と微笑んだ。リベルの持った薬壺に手を入れる。
「あぁ……ひんやりして気持ちいいです」
そして一掬いし、体に塗っていく。リベルの言った通り、腕、脚、顔……。
「首筋も塗ったほうがいいぞ」
「そうですね……」
ベルティルデは少し戸惑った顔をした。だが、「いえ、こうすれば、大丈夫かと」と、パーカーのフードをかぶって見せた。
「それでもいいが……暑くないか?」
リベルはベルティルデの表情を伺った。
「大丈夫です」
「くれぐれも熱中症には気をつけろよ。ちょっとでもめまいがしたら、すぐに涼しいところへ」
リベルの言葉に、ベルティルデはうなずいた。
「その日焼け止めも、予防くらいの効果しかない。食べ終わったら、日の当たらない場所に避難したほうがいいかもしれねえ。今日は天気が良すぎる」
そう言って空を見上げる。雲1つない快晴。行楽日和ではあるが、体調不良者が出ないかちょっと心配だというのも、医に連なるものの本音だろう。
「ああ、そうだ。このあとバーベキュー組に、薬草を届けてくれよ。あんな脂っこい食事じゃ、胃腸に悪い」
ベルティルデはこくりとうなずいた。
ベルティルデに日焼け止めが塗り終えられて彼女が戻ってきた頃、ようやく食材たちにしっかりと火が通った。
「まずは海獣肉だ」
リンダが撲殺した海獣の肉。彼女はそれを網の上から拾い上げると、何も付けずに、そのまま口へ。果たしてその味は――。
「……お? これはうまいぞ」
「ホントに……?」
「本当だ。疑うなら食べてみろ」
驚きから、真顔になるリンダ。正直なところ、彼女自身も「腹に入ってしまえば皆同じ、すべてが滋養」と思っていた。元海賊たちが海獣の肉を食うのも、安価で大量に手に入る肉だから、という理由が大きいと思っていた。だが、これは金を出して買う価値だってある。
「……あ、ホントだ! なんだろ……魚というよりは、肉に近いような……でも、こってり脂が濃いってわけでもなくて……ちょうどいい旨味」
「でも、あの海獣の肉って思うとちょっとなあ……知らなければ美味しい、かな?」
参加者たちはリンダの様子を見て、次々に海獣肉を口へと放り込んでいく。反応を見るに、「知らなければ旨い肉」という感じのようだ。
「あの美食家気取りの『カエル』なら、とてもじゃないが気付けない逸品だな」
リンダはもう一切れ摘み上げて、溢れる肉汁に舌鼓を打つ。
「こんな旨い肉なら、魔物にしておくのはもったいないな。養殖出来ないのか?」
彼女のその過激な発言に、「うまい」と賛同してくれた人も思わず苦笑い。
「一応、どんなことになるか分からないしやめておいたほうが……」
「暴れるならば撲殺するまで」
瞬間、鬼神の形相になったリンダに、参加者たちは「まあまあ落ち着いて落ち着いて」と彼女をたしなめた。
「こっちの鉄板焼きもいい感じでござるよ!」
ジンの作っていた鮭と野菜の焼き物。鉄板の端のほうでほんのり焦げた例の茶色い調味料が、甘辛い匂いを放っている。
「これをこうして……」
金属のコテのようなもので鮭の身を軽くほぐしてやると、辺りにほわんと焼けた鮭の脂の香りが広がった。
「うむ、うまそうでござるな……どれ」
そうして、一口。
「おっ、あふっ、あふいっ」
真夏だというのに、口からはふはふと湯気が吹き出ている。それを何とか噛んでいき、ごくんっと勢いをつけて飲み込んだ。
「ん、んん……! うまい……! 酒がないのが悔やまれるでござる……ッ!」
くぅっ、とジンは口惜しそうな声をあげ、それからもう一口、鮭の焼き物に手を伸ばした。
「んっ……これは、なかなか……!」
先ほどこの新種の調味料に興味を示していたジスレーヌも、鮭を口に放り込んで目を丸くしている。
「楽しんでるか?」
2人が獲ってきた肉がよく焼けたのを見計らって、ヴィーダはセゥに取り分けて、隣に座る。
「ああ。色んな人がいて、色んな笑顔があふれている……しかしヴィーダ、なんでこんなに暑いのに上着を?」
「あっ……」
彼女はちらっとシャナを見る。シャナは口元を動かして「似合ってるって」と伝えた。
「わ、笑うなよ……」
そう言って、上着を取る。シャナの選択で、露出度の高いビキニを着ているヴィーダ。恥ずかしさからか、顔がほんのり赤らむ。
「……素敵だ」
「なっ……」
突然のセゥの言葉に、彼女は受け渡し中だった皿を押し付けるようにして「いいから食え!」と言った。
「ん、なんだ? 怒っているのか?」
ヴィーダは、ふいっ、とそっぽを向く。セゥはその理由が分からず、首をひねった。
「まあいい。せっかくだから、いろんな人と交流しよう」
「そうする」
「……それなら、立って動いたほうが好都合だろう?」
「……察しろよ」
ヴィーダの言葉でようやく何かを理解したのか、セゥは立ち上がるのをやめ、ただ彼女の横で小さく微笑みながら肉を食べ始めた。
バーベキューの傍らで、夏を堪能している男がいた。ロスティン・マイカンだ。
「フーッ!」
海岸線に見える、水着美女、水着美女、水着美女……。
「いやーっ、マテオの時は周りが海に囲まれてたってか海に沈んでたから『海水当たり前』だったけど、こういうのもいいね! 夏バンザイ! 海岸サイコー!」
そう言ってはしゃいだが、背後からふと、じっとりとした、梅雨のような視線を感じて振り返る。
「……ロスティンさん……」
そこには彼が誘ったエルザナ・システィックがいた。絶世の美女。渋い顔をしていても、整った顔立ちは変わらない。その美しい顔に睨まれるのも……と口に出しかけたが、どうやらそんな軽い冗談で済ませらる状況ではないらしい。ロスティンは彼女の眼を見て、出方をうかがった。
ロスティンとエルザナの間に流れる沈黙。耐えきれなくなったロスティンが、ごほん、とわざとらしく咳をした。
「美人のエルザナちゃんがいるから、目の保養になるし。ね?」
「……」
「いや、まあアレですよ。美術品を愛でるのとかと似てない? 自然美、みたいな」
「……」
「別腹的な、そういった……」
ますますエルザナの顔が曇る。
「あー、はい。さっきのは、不用意な発言でした」
彼がおとなしく頭を下げたのを見て、エルザナは「まったくもう……」とため息をついて小さく微笑んだ。
「とりあえず、気を取り直して。お詫びと言ってはなんだけど」
ロスティンは、ドーンと大きな肉を取り出した。
「こ、こんな大きなお肉、どこで……?」
「宮廷の厨房」
「えっ!?」
「筋トレ代わりに食材の運搬とか手伝って、そこで頼み込んで分けてもらったんだ」
……と思う。多分ね。ロスティンは口の中でその言葉を飲み込む。
「これから色々ハードになりそうだし、筋力と体力、つけておかないとね。エルザナちゃんを物理的にも精神的にも支えられる男にならないといけないし」
「ロスティンさん……」
さっきまでのじっとりとした目線は晴れ、代わりに、優し気なまなざしが戻ってきている。
「そしてエルザナちゃんも、ナイスバディになるために、しっかりお肉を食べて運動しよう」
「……」
また彼らの周りだけ、季節が梅雨に戻ったようになる。ロスティンは「あ、いや、ね?」とおどけて見せた。
遠浅の海は、多少ならば沖に行っても足が付く。腰下まで海水に浸かったアレクセイ・アイヒマンは、チェリア・ハルベルトの華麗に泳ぐ姿を目で追っていた。
「っはぁっ……!」
彼女は顔を上げ、アレクセイを見る。
「こういう感じだが」
「すごいですね……」
泳ぎの苦手なアレクセイは、チェリアに泳法を習っているところ。だが、一見して覚えられるほど、簡単なものでもない。
「無理に泳ぐ必要もないだろう。このあたりなら波も穏やかだし」
チェリアの言う通り、波はわずかに寄せて返すだけ。海岸線には小さな白波が立っているようだが、今2人がいるところは、わずかに体が上下する程度なのだ。
「そうかもしれませんが……」
アレクセイは、せっかくなら彼女と一緒に楽しみたいと思っていた。
「……チェリア様は、楽しんでいますか?」
「なんだ、急に」
チェリアは面食らって、目を丸くする。
「私は、こうして本でしか知らなかった『海』というものに触れることが出来て……チェリア様が隣にいて、とっても幸せです」
「変なことを言う」
チェリアは、ふふ、と小さく笑った。
「知っていますか、チェリア様。貴女が笑うと、私は……いえ、周囲の皆が、ほわっと嬉しい気持ちになるのです。貴女の笑顔は、とても素敵だから」
その言葉に、彼女はわざと顔を引き締める。
「どうした? 日の浴びすぎでおかしくなったか?」
「いいえ、本当のことをお伝えしたまでです。ですから、私は今日、いっぱいチェリア様の笑顔が見たいのです」
アレクセイはゆっくりと、気付かれないように、海中で手のひらを彼女のほうに向けた。
「今日は、上司と部下という関係を忘れて、ただただ海を楽しみませんか? ……部下の私が言い出すのもおかしな話ですが」
「……元から、上下など、強く意識するつもりはない」
「それじゃ」
アレクセイが、勢いよくチェリアの顔に水を掛ける。
「遠慮なく!」
「ぶっ……な、なにをする!」
「隙あり、ですよ」
アレクセイがニコニコ笑っているのを見て、チェリアも思わず笑顔になる。
「上官に逆らったらどうなるか、覚悟するんだな」
「今日は立場の上下は無いと言って下さったではありませんか」
笑いながら抗議する彼にも、思い切り海水が。
「んぶッ!? ちょっ、ちょっとチェリア様……」
「待たんっ!」
チェリアは上手に手を組んで水鉄砲を飛ばしたり、アレクセイを追いかけまわしたり。2人の笑い声は、遠くにいる者たちの元まで響いていく。
「お姉ちゃん、楽しそうだね」
波打ち際では、アウロラ・メルクリアスがカサンドラ・ハルベルトと並んで、その様子を見ていた。
「海、入ってみる?」
「……」
カサンドラは足元にぴちゃぴちゃと掛かる小さい波の涼やかさに、心を躍らせた。じーっと海水を見つめ、それから小さく、とても控えめに、こくりとうなずいた。
「それじゃ、水着選ばないとね」
アウロラは、少し離れたところにある水着の貸し出し屋台を見た。実に色とりどりである。2人は近付いて行くと、どんなものが並べられているか、探し始めた。
「私は、海で遊ぶのなんて初めてなんだよね。前住んでたところは内陸だったから機会が無かったし、家族で海に旅行に行ったら……」
ふと、アウロラの頭の中に、過去の思い出が蘇ってくる。彼女は頭を振って、その記憶を遠くに追いやる。
「ごめんごめん。水着選ぼうね。えーっと」
ワンピースタイプと、ビキニタイプ。女性用の水着は大きく分けるとこの2種類になる。
「どれも可愛いなぁ……」
アウロラは、軒先に吊るされた何通りもの水着に目を奪われている。同じように、カサンドラも、食い入るように水着を見ていた。
「あ、ねぇねぇ、カサンドラちゃん、これとか似合いそうじゃない?」
アウロラが指差しているのは、ピンク色のワンピースタイプの水着。彼女はそれを手に取ると、彼女の胸のところにあてがって、「いいと思うよ」と言った。カサンドラは頬をうっすら赤く染めて自分の体を見る。アウロラの手から水着を取って、「……これにします」と微笑んだ。
「私は……っと……このワンピースとかどうだろ……あ、でもこれ、胸のところのサイズが……」
色々と目配せをして、最終的に彼女は、白いビキニタイプの水着を手に取った。
着替え終わった2人は、お互いの水着姿を見つめてニコニコしている。
「それじゃ、さっそく遊ぶぞー」
アウロラは勢いをつけて海の中へ……。
「わ、わ、なんか……感触がすごい……引っ張られたり押し返されたり……」
初めて波に揉まれた彼女は波打ち際からさらにもう一歩奥へ。
「カサンドラちゃんも、おいでよ」
アウロラが楽しそうにしているのを見て、カサンドラも、おずおずと水へと近付いていく。そして、足の甲が浸るくらいまで進むと、アウロラが感じた波の感触を味わう。
「……不思議……」
彼女はそう呟いて、さらに一歩、アウロラのほうへと足を進めた。
「ふう……」
ステラ・ティフォーネは、しばらくぶりの開放的な服装に、少しばかり気を楽にしていた。
何せ、こちらに来てから露出度の低い服ばかり。夏の暑い日くらいは、こうした格好もいい。だが、その肉体は、異性の目を極端に引いている。この格好で村の中を歩く、というのは、到底できそうにない。
彼女が着ている黒いホルターネックビキニによって、豊かな胸はより主張を強めていた。布地からあふれるほどの白い肌は、思わず吸い付いてしまいたくなるようなフェロモンを放っている。強調された谷間の間に吸い込まれていく、夏の汗。野獣たちの目を引くのはそこだけではない。柔らかく肉に食い込んで、張りを見せつけているパンツ。上と下の2か所の黒に挟まれて白く浮き上がっているお腹は、すっきりと締まって美しい。彼女の体は、まさに生唾ものである。海岸線にいる『飢えた男たちの視線』が彼女に吸い込まれていくのは、避けられない運命だったといっても過言ではないだろう。
まあ、気にしていなければ、どうということはないですし……。
ステラはそう思って、視線をあえて無視した。見られて減るものではないし、本当に不快に感じ始めたら、少し沖に出ればいい。それよりも、少しでも開放的な格好をしているこの瞬間で、沈みがちだった気分が少しでも晴れていくほうが、彼女にとってはメリットが大きかった。
バーベキューを堪能して海へと足を向けたジスレーヌに近付いていき、声をかける。
「ジスレーヌ様」
「はい?」
「可愛らしい水着ですね」
ステラは優しく微笑み掛ける。ジスレーヌは褒められたのに照れたのか、「そっ、そうですか?」と顔を赤らめた。
「ええ。とっても良くお似合いですよ」
「でも、わ、私、その……スタイルが……」
同性のジスレーヌすら、ステラのどこに目をやっていいのか分からないらしい。
「いえ、そんなことはございません。とても、素敵ですよ」
ステラがそう言ったのは、決して嫌味でもなんでもない。
「顔を上げて、ちょっとだけ振り返ってみてください」
ジスレーヌが彼女の言う通りにすると……そこには、良くも悪くも、好奇な視線がたくさん注がれていた。彼女は顔を赤くして、すぐにステラに向き直る。
「沖、行きましょう!」
「ええ。一緒に泳ぎましょう」
ステラは彼女と一緒に、また少し岸から離れていく。
「あ、でも、沖のほうまで行き過ぎると流れが速いみたいですから、ほどほどに」
ジスレーヌは彼女の言葉にうなずいて、ゆっくり海の中に身を隠した。
日が傾き始めたころ、焼き台の網の上にはしなしなに干からびて食べられなくなった残骸がわずかに残っているばかりで、ほとんどの食材がキレイになくなっていた。あれほど大量に用意されていた食材だったが、海で水浴びを楽しんだ人々も巻き込んで一緒に食べているうちに、すっかり片付いてしまったのだ。
「鎮火するぞ」
ヴィーダは火に魔術で水を操って、赤く燃え上がった炭を消していく。
「……皆で、こうして食事をするのも、楽しいものでござるなぁ」
ジンがしみじみと言った言葉に、その場にいた多くのものがうなずいた。
「同じ釜の飯を食った仲、という言葉もござる。この国の各々方の事情などは詳しく知らぬが、少なくとも拙者にとっては、リモスの方々も仲間だと思っているでござる。今度は、本土に、リモスの方々を招くのはいかがかな」
ベルティルデは、それは難しいかもしれない、と思った。だが、希望の意味も込めて、「そうなるといいですね」と、ぽつりと答えた。
ゆっくりと遠くの海に、日が落ちていく。
第3章 花火
花火開始少し前。
イベント開始前からずっと見回りを続けていたナイト・ゲイルは、流石にもう不審者はいないだろうと、ふと夜空を見上げた。
真っ暗な空に、人工ではない月が浮かんでいて、星々が空全体に散らばり、小さく光っている。
なんて、綺麗なんだろうと、ナイトは感動……ではない、複雑な気持ちに覆われていく。
マテオ・テーペにいる皆に、見せたい。
結界はまだ大丈夫なはずだ。だけれど、結界内にいると、どうしても閉塞感を感じてしまう。
地上に出て、猶更そう思うようになった。
自分を気持ちよく見送ってくれた者たちのためにも、早くなんとかしなければ……そうは思っても、すぐに何か進展させることができるわけではなく。
(中々、思うようにいかないんだよな)
ため息をつき、ナイトは美しい夜空を眺め、自分自身を慰めようとする。
「何してるんだ。流れ星でも見つけたか?」
声をかけられ、視線を移すと――そこには、チェリア・ハルベルトの姿があった。
「いや。見回り終わったんで花火待ち。この辺りは飽きる程見回ったんで、ここはきっと見晴らしがいいと思うんだよね」
小高くなっているここからは、海岸で花火を待つ人々も見渡せる。
と、その時。ドン、ドドドンと音が響き、空に光の花が咲き始めた。
「始まったな」
2人は並んで、次々に浮かんでいく光の花を見ていく……。
星々に飾られた空を、より鮮やかに綺麗に変えて――そして、溶けるように消えていく花。
花火を観たのは何年ぶり、だろうか。
前に観た時が現実で、そのまま時は止まっていて。
今起きていることは、全て悪い冗談で、問題なんか何もなく、友人達がここに来るのを待っているだけ――などという、幻想がナイトの中に浮かんでいく。
(……折角の企画だ、この時間だけは、そんな思いに浸ってもいいだろう)
ナイトは目を細めて、悩みや不安を自分の中から追い出し、穏やかな幻想を心に満たしていく。
「綺麗だな」
隣で空を見上げているチェリアに、ナイトは目を向けた。
チェリアはどうなのだろうか、気を張ってはいないか……。
「隊長楽にしてる? 愚痴あるなら聞くよ?」
「ん?」
「気を抜ける時に抜いておかないと、いざという時に上手くいかないからな」
「……そうだな」
ナイトの言葉に、チェリアは苦笑する。
「こんな時が、長く続けばいい――そう思ってしまうな」
(思ってしまう? 普段なら、民の幸せが長く続くよう、身命を賭すのが我等の務めとか言いだしそうなのに。今は気を張っていない、ということか)
花火を観ている彼女の横顔は、任務の時とは違い穏やかだった。
「隊長は日中は何してたの? 俺は見回り」
そう言うと、チェリアは軽く吹き出した。
「お前はそればっかりだな。私は日中もイベントを楽しませてもらい、今は帰りの船を待っているところだ……。そうだ、お前くらい体力があれば、本島まで泳いで帰れるかもしれんな。乗せてってくれ」
「は? 俺船じゃないし。背に大人乗せたら、普通に溺れるって」
「大丈夫だ。今日の私はかなり軽い」
「無理だって!」
そんなくだらない話で笑い合いながら、2人は次々に浮かんでいく光の花を楽しんでいた。
日中、バーベキューを楽しんだマーガレット・ヘイルシャムはバリ・カスタルと海岸で花火を鑑賞していた。
「今日は楽しかったですけど、さすがに少し疲れました」
「どこかで休むか? といっても、この村、休憩できる宿とかないからなぁ」
彼の横顔が記憶の中にあるバート・カスタルの顔と重なり、マーガレットは切なさを覚える。
「大丈夫ですわ。花火を最後まで観たいです」
2人が居るのは、打上げ場のすぐ近く。光の花は真上に大きく咲いていた。
「こうやって花火を近くで見るのは実はほとんど経験がないのですよ。私はもともと病弱で部屋の中での読書ぐらいが楽しみで、外に出ること自体少なかったですから。外でいろいろやるようになったのは、バートと出会ってからですね」
兄の名前が出ると、バリは期待の目をマーガレットに向けてきた。
もっと、兄のことを聞かせてくれというような。
くすっと笑って、マーガレットはバートと交わした約束を思い出していく。
「彼からは先に弟にあったら、自分のことを伝えてくれと頼まれていました。こうして貴方に会って話すことが出来て約束を果たす事が叶いました」
「そっか……俺も、兄ちゃんの話が聞けて、すげぇ嬉しい。会いに来てくれてありがとな」
けど……心配だとも、バリは言葉を続ける。
マーガレットが教えてくれたバートは、とてもカッコ良くて、誇らしかった。
だけれど、マテオ・テーペの状況を聞くと……多分、最後まで残るだろう兄のことを、救う手だてが判らなくて。今も元気にしているのかどうか、も。
「彼が今どうしているかやはり心配ですが、傍らには素敵な人がいつもついていますから、きっと今も元気でいると思いますわ」
そんなバリの不安に気付き、マーガレットは優しく彼に言った。
「……私ではその役には役者不足でしたから」
「兄ちゃんは、自慢の兄ちゃんだけど、その、マーガレットさんは兄ちゃんにとって高嶺の花だったんじゃないかな。役者不足は兄ちゃんの方だよ。俺もこうして、側にいてくれるの申し訳ない感じだしっ」
貴族で、とても美しいマーガレットに目を向け、バリは照れ笑いを浮かべる。
「ありがとうございます。ところで、貴方の方はどうですか? リモスでの生活はどうですか?」
「船が帰っちゃってからは、結構きついけど……。まあ、生活力はあるほうだし、なんとか頑張ってる」
「もし、他に一緒にいたい人がいるなら別に私に気にせずいってきてもよいのですよ。一人ぐらいいるのでしょう? そういう方が?」
マーガレットの言葉に、バリは少し複雑そうな顔をする。
「貴方は気づいてないだけで先方は待ってるかもしれませんよ? 貴方にもバートと同じ血が流れているのなら、その可能性は十分にあり得ます」
何故か言葉に熱が入ってしまう……!
「ううーん、気になる人はいるんだけど、ここには来てないから」
バリの想い人はアトラ・ハシス島にいるようだった。
「そうなのですか……。あ、そうですわ。実は私マテオ・テーペにいた時に何度か友人と鍋パーティーとかやっていたのです。バーベキューもいいですが、鍋もいいですわよ。こーなんというか皆で同じ鍋を囲む一体感みたいなものがあって」
「鍋かー。そういうの俺すげぇ好き!」
「いつかこちらでもやれたらとは思っているのです。その時は招待しますよ。バートのことを知ってる人たちなので、いろいろ話も聞けると思いますわ」
マーガレットがそう言うと、バリは凄く嬉しそうに頷いた。
ひとつ、ふたつ、連続で花火が上がっていく。
いつか皆で賑やかに――マテオ・テーペの人や、バートも一緒に同じ花火を観ることができるだろうか。
(はっきり言え、か)
ウィリアムは宮廷のバルコニーに出て、空を観ていた。
(弟とか、逃げてたのもあるし)
彼の傍らには、アーリー・オサードの姿がある。
彼女は無言で、遠くに見える夜の花を眺めていた。
空気が重……くはないが、微妙。ここに出てきてから、2人とも無言でただ花火を眺めていた。
「……皇妃って何やるんだ? なんか仕事振られたりするのか?」
花火が途切れた時。ようやくウィリアムが口を開いた。
「何も聞いてないわ。世界がこんな状態だから、外交とかも必要ないしね」
「そうか……。なんつうか、捕まってた時と変わらんな。不自由はないが、自由もない感じがさ」
「そうね」
そして二人はまた沈黙した。
花火は次々に上がっていき、空が美しく彩られていた……。
「その、答えの件だが」
アーリーはウィリアムの方を見ようとしない。
彼女の腕を引き、手すりから離れさせると、その間に入り込んで強引にアーリーの視線を自分に向けさせた。
「俺はまだ、お前と姉、弟とかじゃなく。男女の関係で一緒に生きていけるって思ってるって事だ」
掴んでいる腕に、ウィリアムは力を込めて、まっすぐ彼女を見つめて言う。
「恋愛感情的に好きって事だ」
息をのみ、アーリーはウィリアムを見ている。
開きかけた口を閉じ、目を軽く逸らせて答えに詰まっていた。
「諦められるかよ、この状況を望んでる訳じゃないだろ? 血を利用され、籠に入れられるのは一番望まなかった事だろうが」
彼の言葉に、アーリーはただ、素直に首を縦に振った。
「何とかしてみせるから、その時答えを聞かせてくれ」
「何とか出来るわけ、ないでしょう。私が……先に嫁に行って、あなたを送りだしてあげるから、それから幸せに、なりなさい」
「俺の幸せを勝手に決めるな」
強い眼、強い声で言い、アーリーの顔に手を当てて、自分に向けさせる。
「俺はお前と一緒に居たい。……退屈なんだよ、アーリーのひねくれた感じのやり取りが無いと」
「……そんなの、姉弟の関係でもできるでしょう。私……魅力ないみたいだし」
「ん? 魅力が無いわけじゃないぞ、ただ解りにくいだけで。思い込みは激しいが、基本的に優しいと思うぞ」
「優しくなんかないわよ」
「優しくないなら、皇妃になるなんて言わないだろ。背負ってるものが無いなら、余裕も出来てもっと魅力的になるんじゃねぇかな。その時は狙う男が増えそうで不安だが」
アーリーはなんだかちょっと不満げな表情だった。
ウィリアムは何が原因だろうかと考えを巡らせ、自分の女友達のことだろうかと思いいたる。
「ええと、あれだ。友人の女たちは本当にただの友達だ。いやマジで、お前が考えているようなこと、一切ないからな」
「……そうね。あなた、女性に手を出す勇気なさそうだし」
アーリーは諦めのようなため息を漏らし、空を――遠くに見える花火に穏やかな目を向けた。
「綺麗だな、あれって俺でも作れんのかね?」
何気ないウィリアムの言葉に。
「才能ないから、無理」
バッサリ言い、アーリーは空に手を向けた。
彼女の手から放たれた魔力が、空で弾けて赤い、水しぶきのような小さな火の花を描いた。
「私、家事全般できるし、生活力もあるほうだと思う。だから、どうにもならないときは、連れて逃げてくれてもいいのよ」
この世界に、逃げ延びられる場所なんてないのだけどね。
ともアーリーは悲しげに付け加えた。
「何とかするって!」
もしかしたら、肩でも抱いて引き寄せたら、少しは安心してくれるのかもしれない……。
(いや、燃やされるか? それに、皇帝の妃候補だぞ。手を出せるわけないだろう)
など色々言い訳をして、今晩もこれ以上動けないウィリアムだった。
リモス村でのイベントを企画した側として、ルティア・ダズンフラワーは楽しむだけでなく管理するほうもこなしていた。
特に夜の花火に関しては、打ち上げ花火と手持ち花火の準備に勤しんだ。
おかげで、どちらも大きな危険もなく進められそうである。
ルティア自身も花火を楽しみにしていて、準備をしながら想像をふくらませたり、あるいは花火を見た人達がどんな顔をするのか考えたりと胸を弾ませていた。
スヴェルと騎士団で進めた準備はすぐに終わった。
ルティアはぐるりと周囲を見回し、準備中は何故かほとんど顔を合わせることのなかったグレアム・ハルベルトの姿を探した。
ちょうど妹達との会話を終えて別れたところのようだ。
ルティアが駆け寄り声をかけると、お疲れ様です、と労う言葉をかけられた。
「団長もお疲れ様です。私達もゆっくり花火を見ませんか?」
「ええ、そうしましょう。あの辺りはどうですか?」
と、グレアムが指さしたのは、二人でゆったり腰かけられそうな大きな岩。
そうしましょう、とルティアは頷き、二人で移動する。
今日はグレアムも普段着で来ていた。
ルティアもスヴェルで仕事をする時の服装ではなく、襟付きの上品なブラウスにズボン姿である。
「風が気持ちいいですね」
「街と違ってすぐそこが海ですからね。こんなに風が違うんですね」
グレアムに答えながらルティアは、海のほうに目を向けた。
太陽はすっかり沈んでしまったが、遠くの水平線にはまだかすかに光の名残がある。
穏やかに繰り返される波の音も、街では聞けない音だ。
岩に腰かけ空を見上げる。
「夜空は街と同じですね。……当たり前ですけれど」
「潮の香りが濃いですからね。確かに、別世界に思えなくもないです。あ、そろそろですよ」
グレアムが言う通り、薄闇の中にぼんやり見える人影が、花火の発射装置の周りで忙しく立ち回っていた。
最初の花火が夜空を彩ると、あちこちから歓声と拍手があがった。
二発目、三発目と続き、時には連続で時には変わり種の花火が次々に人々を湧かせる。
「わぁ、きれい……!」
目を輝かせて花火を見上げるルティアも、思わず感嘆の声がこぼれる。
ふと、ルティアはグレアムの様子をそっと窺った。
彼も花火を楽しんでいるだろうか。
「……」
グレアムは本部内や任務の時とはまるで違った、とてもくつろいだ顔をしていた。
彼は堅苦しい団長ではないので、笑うことも冗談を言うこともあるが、スヴェルとして活動している時と今とはやはり差があった。
まとう空気もゆるやかだ。
「……どうかしましたか?」
不意に、グレアムと目が合った。
そっと見ているつもりが、けっこう見つめてしまっていたようだ。
「いえ、何でもないです」
「そうですか?」
その時、特大の花火が上がり、空と地上を照らした。
花火の色を受けたお互いの顔が、一瞬だけはっきり見えた。
どちらも穏やかに微笑んでいる。
「たまには、ただ楽しいだけの時間もいいですね」
グレアムの言葉に、ルティアは不思議な嬉しさを感じた。
「後で、手持ち花火もどうですか? 遊びすぎですかね」
「今日くらいは、いいんじゃないでしょうか。でも、後片付けもきちんとしますよ」
「ルティアさんらしいです」
グレアムは明るく笑う。
そして、打ち上げ花火が終わると、手持ち花火で遊び始めた人達に混じり、笑い合ったのだった。
もうすぐ花火が打ち上げられる頃。
ユリアス・ローレンはカサンドラ・ハルベルトと一緒に、花火が良く見えそうな上、あまり人のいないところへと歩いていた。
その場所を見つけたのはユリアスだった。
賑やかさから離れていくにつれ、土を踏む小さな音がよく聞こえるようになっていく。
「小さな島ですけど、探すと静かなところもありますね」
「……花火、ゆっくり見れそう。見つけてくれて、ありがとう」
だいぶ暗くなったが、ユリアスにはカサンドラが微笑んだのが見えた。
目指す場所に着くと、ユリアスは持って来た敷物を敷いた。
二人で並んで座り、花火が打ち上げられるのを待った。
「カサンドラさんは、花火を見たことはありますか?」
「うん……小さい頃に、何回か。ユリアス君は……?」
「僕は花火を見るのは初めてなので楽しみです」
「私も、楽しみ……。少し、ドキドキしてる」
興奮を沈めるように、胸を押さえるカサンドラ。
そして、ついにその瞬間が来た。
胸の奥を叩くような音を轟かせ、パッと夜空に光の花が咲く。
「わぁ……!」
どちらからともなく、感嘆の声があがった。
白色、赤色、ピンク色、黄色、青色、緑色と様々な色の花火は、見上げる二人も様々に彩った。
「きれいですね……」
「ユリアス君、あそこ……海」
カサンドラが指さした海面は、花火の光を反射して極彩色に輝いている。
「ここが、流刑地だなんて……誰も、思わない……ね」
朝からたくさんの人が騒いで遊んで、今日はまるで別世界のようだった。
カサンドラが何かを思い出したように、ユリアスに声をかけた。
「あの……あのね、こうやって……」
不意にユリアスは腕を引かれて仰向けに寝かされた。
目を丸くして横を見ると、カサンドラも仰向けになっていた。
「寝転がって見ると……とても、大きくて……きれいなの。小さい頃、お兄様が……教えてくれたの」
お行儀悪いかな、とユリアスを不安そうに見つめるカサンドラ。
その顔を、花火の光が一瞬だけ淡く照らし出す。
はかなくも幻想的な瞬間だった。
「いいと思います」
「……よかった」
カサンドラが安堵の微笑みを浮かべた時、特大の花火が上がった。
一つ一つの光の粒が、降るように瞬く。
視界すべてが花火だけになる。
二人は黙って花火を見続けた。
お互いの存在を、隣に感じ合いながら──。
最後の花火は特に豪勢で、終わった後も二人はしばらくぼんやりと夜空を見上げて余韻に浸っていた。
目を閉じれば、まだまぶたの裏に美しい花火がよみがえる。
「……終わっちゃったね。ちょっと、さびしい……かな」
ぽつりと落としたカサンドラの呟きが、海風に流されていく。
「でも、思い出はずっと残ります」
「うん……そうだね」
ユリアスは、昼間の海岸で見つけた貝殻をカサンドラにプレゼントした。
桜色をした花びらのような貝殻だ。どこからか流れ着いたのだろうか。
夜でもその色の美しさを見ることができた。
「きれい……ありがとう、ユリアス君。大切に……するね」
カラサンドラはいろんな角度から貝殻を見て、色や曲線に目を輝かせた。
それから、丁寧にハンカチに包んだ。
「お部屋に……飾っておくね。今日の、思い出……」
今日のカサンドラは、いつもより笑顔が多い。
ユリアスにも笑顔が浮かぶ。
「また一緒に花火を見られたらいいですね」
「……うん、きっとまた」
微笑み合いながら、約束をした。
少しだけ涼しさの出始めた夜風。タウラス・ルワールは、リモスの診療所の屋根の上で、それを感じていた。そろそろ、花火が上がる頃のはずだ。
サク・ミレンとインガリーサ・ド・ロスチャイルドが、隣で酒を傾けている。
「ワインで花火鑑賞とは、優雅なもんだな」
サクの言葉に、「1人酒というのも淋しかったものですから」と笑った。
「ところで……こっちの、その……マターは何かしら?」
インガリーサが指さしているのは、白い皿の上に乗った『何か』。見た目はとっても美味しそう。だが、インガリーサは妙な胸騒ぎを覚えている。
「これは、島で作った保存食に手を加えてみたものです。以前に妻が作ってくれたのを、見よう見まねで」
「あら、そうなの?」
「妻はね、魚を使った料理がとっても上手いんですよ。航海中も、釣った魚をその場で捌いてふるまったり、保存食にひと手間加えて飽きないようにしてくれたり」
「お、魚か」
うまそうだな、いただくぜ、と言いながら拾い上げて、サクはそれを口に放りこむ。
「んぐ」
サクの鈍い声がした。
「……お口に合いませんでしたでしょうか?」
タウラスは、「おかしいなあ」と首をひねった。
「レイニさんとおんなじようにやったはずなのですが」
サクは何も言わないまま、目にいっぱい涙を溜め、じっとりとまとわりつくような視線でタウラスをにらんでいる。彼の口の中に広がっている味は、例えるなら、木材の食感の土、煮込んだボロ雑巾、2週間常温にさらした生卵……。いや、無理だ。どんな言語をもってしても、その味を形容することは不可能なのだ。サクを見てほしい。時々、「んぐ」と嗚咽を漏らしながら、体を上下に揺する。それがこの「料理」のすべてだ。あんなに見た目は美味しそうだったのに。
「……私の本能が正しかったようね」
インガリーサはゆっくりとワインを傾けた。
「……良ければ、別のものもお持ちしますが」
「アレを見ちゃったら、もう何も信じられないわ」
彼女は即答して、微笑む。
「それよりも、彼を何とかしてあげて」
「んぐ」
今にも吐き出しそうになっているサク。だが、人の家の屋根に嘔吐するわけにもいかないと、必死にこらえているらしい。なんとけなげなことか。
「飲み込めば良いのではないでしょうか?」
そんなことしたら本当に命にかかわるぞ!
サクの怒りと悲しみのボルテージも最高潮。大きい一発目の打ち上げ花火が、夜空を明るく染め上げた。
マティアス・リングホルムは、リモスから遠く、宮殿にいた。
「どこがいいかね?」
ルース・ツィーグラーは「早くしないと」とだけ答える。遠くから打ちあがる花火の音が聞こえていたからだ。彼らが捜していたのは、花火鑑賞の特等席。宮殿はこの辺りでは1番高い建物だから、見るなら絶好の位置だろう。
「高いところがいいんじゃないか? どっかの屋根の上とか」
2発目の花火の音が聞こえてくる。マティアスはルースと一緒に「ああだこうだ」と言いながら、宮殿の屋上近くまで来た。
「わぁ……」
やや息を切らせた2人は、そこから見える花火のあまりの美しさに、息を呑んだ。リモスまでの距離があるために、迫力こそ少し落ちるが、それでも障害物もなく、美しく咲く花火が見えている。
「今頃、みんなもリモスで見てんのかな……」
「そうね。行かなくて良かったの?」
「ああ」
ルースはリモスまで出て行くことができない。マティアスが花火を見るなら、それは。
いや、それ以上は野暮というものだろう。彼は壁に体を預けて腕を組み、花火を見つめる彼女の後ろ姿を見ていた。
俺よりも、ベルと一緒に見たかったんじゃないか。
ふと、そんなことが頭をよぎった。
「……なあ」
彼は1歩前に進み出て、ルースの隣に並ぶ。そして、柵に肘をかけ、その顔を覗き込んだ。
「なに?」
その表情は、どこか嬉しそうで、さっきの疑念を確かめることはあまりにも酷に思えた。
「……王国にいたとき、花火とか見れたのか?」
「王国にいたとき?」
ルースは首を傾げて、「あったにはあったけど」と返す。それから、また遠くで打ちあがる花火を見た。
「でも、こっちのほうが、綺麗に見えるわ」
「そうか」
マティアスはその答えを聞いて、ふぅ、と小さく息を吐いた。
「……来年、また一緒に見れたら良いな」
「来年も、再来年も」
ルースの顔が、ふと綻んで明るくなる。
「その次も、ずっと、こうして一緒に見ることが出来たら」
それって。
妙な沈黙の間に気付いたルースが、慌てて、わたわたと手を振り回す。
「あっ、いや、へ、変に誤解しないでね。みんなで楽しく花火を見れたら、ってそういうことだから!」
「わっ、わかってるって、そんな」
ははっ、とおどけて笑うマティアス。それから、沈黙。打ちあがる花火を、また眺め始めた。
「でも、ホントにそうだな。少なくとも、こんな状況じゃないことを、祈るぜ」
「……本当に」
色鮮やかな花火が、2人の心の中にしっかりと刻み込まれていくようだった。
時は、この花火が打ちあがる少し前に戻る。
リモスに出ている屋台のすぐそば、臨時で置かれた幾つかのベンチの1つに、コタロウ・サンフィールドは座っている。彼は、ベルティルデの横で、空に咲く大輪の花を待ちわびていた。ベルティルデは、ブラウスの上から薄手のカーディガンを羽織っている。少し長めのスカートが、夜風に揺れていた。
「昼間はバーベキューだったらしいね。楽しかった?」
「ええ。まあ……変わった食べものも色々ありましたけど」
そう笑うベルティルデの表情に、嘘はない。コタロウは「それはよかった」と言って、微笑み返した。
少し離れたところで、人が動いている気配を感じる。
「……さて、そろそろかな……」
彼がそう言うや否や、ヒューッ、と空気を切り裂いていく音が響く。
ドンっ――。
「これは……!」
2人の顔が、鮮やかな光に照らされて輝く。
「思ったよりかなり本格的な花火だね!」
「綺麗……」
ベルティルデは瞬間それ以上の言葉を失ったように、ぽかんと空を見つめた。花火の火球1つ1つは、ぱらぱらと散って、一瞬で再び静寂の夜がやってくる。遅れて、辺りから拍手が沸き起こる。
「いつも同じようなこと言ってる、って思うかもしれないけど、さ」
コタロウは、ベルティルデの横顔を見つめた。
「はい?」
彼女はコタロウの顔を見る。
「いつか、この満点の夜空と花火……マテオ・テーペのみんなにも、見せてあげたいな」
ベルティルデは表情を変えず、ただまっすぐに、彼を見た。
「そのために出来ることを考えて、見つけて……自分なりに頑張ろうと思うよ」
もう1発、花火が夜空を彩る。ベルティルデの顔が、赤に黄色に、照らされて光る。
「ごめんね……折角のイベントだし、固い話は抜きにして、今夜は気楽に花火を楽しもうか」
そう言って、さっき買ったばかりのジュースに刺さったストローに吸い付く。氷が入っていて、ほんのり熱を帯びた体に冷たく気持ちいい味だ。
どん……パラパラパラ……。
一瞬輝いて、すぐに燃え尽きる花火。
「うん、本当に見事な花火だね!」
コタロウの声に、ベルティルデはまた顔を上げ、花火の余韻を感じているようだ。
「折角のイベントだからこそ、忘れてはいけないのかもしれません」
花火の間に発せられた、ベルティルデの声。それは、強くまっすぐな意思を持ったものだった。
「必ず、見ましょう。これを、この光景を、『みんな』で」
ベルティルデがきゅっと拳を握りしめる。大輪の花に続いて、地から湧き上がるようなスターマインが始まる。金色に輝く水平線が2人の表情を明るく照らしていた。
間近で花火に照らされていたのは、この2人だけではない。ヴォルク・ガムザトハノフは、ガッチガチに拳を握り固めて、ジスレーヌの隣に座っていた。彼の着ている浴衣の背中には遠く東洋で「灼熱の太陽」を意味すると呼ばれる文字、『修造』が刻まれている。読み方は分からないが、かつて行商から買ったときに、確かそんなことを言っていた気がした。だが、今の彼は、どちらかと言えば寒いのではないかと思わされるほどに震えている。
ドドドド、と連続で吹き上がる火の粉は、いたずらに鼓動を早めていく。ヴォルクは、ちらりと隣を見た。ジスレーヌの手。白く美しく、繊細で、守ってあげたいような……いや、守らなくてはいけないと思わされるような、手。
ヴォルクは息を呑んだ。固まっていた自らの拳を開いて、念入りに、何度も裾で拭う。そして、意を決して、彼女の白い手の上に、手のひらを重ねた。
「……」
ジスレーヌは、何も言わず、ただ手を重ねられている。花火が上がる。ヴォルクは、「綺麗だな」と呟く。「そうですね」と、ジスレーヌも、ただそう答える。昼間に日に焼かれた、乾いた大地のにおい。沈黙を、音とこのにおいが埋めていく。
「あの、さ」
「なんでしょう」
花火を見つめる2つの表情。でも、彼らには、今それ以上に大切なことがあった。再び、夜空に大きな花火が打ちあがっていく。これまでよりも色味の強い、少し小ぶりな花火。赤と緑が、夜空にハートマークを描く。
「ッ――!」
「いたっ……」
ヴォルクは思わず、ジスレーヌの手を強く握ってしまった。
「あっ、す、すまない……」
ようやく、2つの視線が絡み合った。
「その……」
ジスレーヌの頬は、日に焼けたのか、うっすらと赤い。彼女はヴォルクのほうを向いたまま、目を閉じた。
花火の音がどんどん大きくなっていく。
ああ、もう、これ以上は我慢できそうにない。
ヴォルクは彼女の頭を抱きかかえると、その額に、口づけをした。
きゅうっと、胸が締め付けられる。
ジスレーヌは接触した彼の気配が遠ざかったのを感じて、目を開けた。
「……おでこ、ですか?」
そういたずらっぽく笑う。
ひときわ大きな花火が上がった。ヴォルクは彼女を抱き寄せる。ジスレーヌの瞳が、ふわっと大きく開く。2つの小さかった影は、また1つになる。それは、少しばかり大人になっていた。今度はおでこではなく、もう少しだけ、下のほうに――。
夏は、まさに今が盛りである。
●担当者コメント
【川岸満里亜】
シナリオ、イラスト全ての公開が完了いたしました!
沢山の方にご参加いただけまして、とても嬉しいです。ありがとうございました。
ライター陣それぞれの担当箇所、分かりましたでしょうか!?
今回川岸は、第1章の後半(☆より下)と第3章の前半(☆より上)を担当させていただきました。
また、第3章の中盤(グレアム、カサンドラ登場シーン)につきましては、冷泉さんが担当してくださいました。
その他は東谷さん担当となります。
イラストの描写につきましては、ご指示のない部分やお任せいただきました方につきましては、川岸とイラストレーターさんのイメージで作成させていただきました。
やっぱりイベシナいいですね……! 皆様の生き生きとしたご行動や、ほのぼののんびりとした行動、イラストにとても癒されました。
また行いたいです。
次はクリスマスあたり?
【冷泉みのり】
こんにちは、冷泉みのりです。
担当の予定はなかったのですが、アレがこうなってこっそり参加しました。
いつも忙しいPCの皆様の息抜きになれたなら幸いです。
【東谷駿吾】
夏祭りイベントご参加くださり、ありがとうございました!
私はバーベキューも花火もないまま夏が通り過ぎました……悔しい……ッ!
残暑が厳しいという方もいらっしゃいますでしょうが、季節の変わり目、ご自愛ください。
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