ルティア・ダズンフラワーの日常
パシュンッ――。
鋭い音が、朝の澄んだ空気を切り裂いた。ダーツの矢が、ボードに突き立っている。ルティア・ダズンフラワーは無言のままボードへと近づいていくと、アウターブルよりわずかに上にそれてしまった矢を引き抜いた。
朝晩の日課であるダーツは精神鍛錬と趣味を兼ねている。自室の床に書いてあるスローラインまで戻ると、彼女はもう一度的を見据えた。息を呑む。軽く手を引いて、ボードの中心を目がけて、投げる。
パシュッ、と音を立てて刺さった場所は、さっきとほとんど同じ、アウターブルにわずかに入らない位置。リリースが早いのか、あるいは力が入りすぎているのかもしれない。彼女は、ふう、と息を吐く。
「もっと訓練を積まなくてはいけないわね」
そう言って、ボードに刺さったダーツの矢を、また抜きに行った。
日が少しずつ高くなり始めている。彼女は愛犬グロウのリードを握って、頭を撫でる。グロウはルティアと散歩に行けることを気取って、嬉しそうにその場でグルグルと回って尻尾を振った。
彼女はグロウの頭をわしわしと撫でてやる。それから、「お手」と声を発した。グロウはぴたりと止まって、ルティアの差し出した右手の上に前脚を置く。「お座り」と言うと、それに合わせて、ちょこんと地面に座ってみせる。だが、尻尾は期待で千切れんばかりだ。
「よしよし」
ルティアはもう一度グロウの頭を撫でてやると、「行こう」と笑った。
彼女たちは軽快に街を駆けていく。スヴェル団員としての用がないときは、こうしてグロウの散歩を兼ねたランニングを行うのも、彼女の日課だ。郊外に向かって伸びる街道は彼女たちのお気に入りのルート。行く先には、少しだけ高くなっている丘がある。息を切らしながら、彼女たちは斜面を上っていった。
「っはぁ、はぁっ、はーッ……ふーっ……」
中腹の高台まで来ると、振り返って街の様子を見下ろす。眼下には、彼女たちの守っている、人々の暮らしがあった。
「今日も、良い1日になりますように」
額にうっすらかいた汗を拭うと、グロウが小さく「バウッ」と返事をしてくれた。
街へと戻ってきた午後、ルティアはちょうどスヴェルの会議に向かう最中であった。通りに、困った顔をしたおばあさんが、腰に手を当てていた。ルティアは、その顔に見覚えがあった。この近くに住んでいる農家のおばあさんに違いない。
「あの、すみません」
「えっ、はい?」
ルティアの声掛けに、おばあさんは驚いたような声を上げた。だが、すぐに「あら、あなた、スヴェルの?」と、その表情は笑顔に変わった。
「いつもありがとうねえ。畑仕事までしてもらっちゃって」
やっぱりそうだ。ルティアは「大したお手伝いは出来ませんが」と微笑んだ。
「何言ってるのよ、大助かりだわ! ……でも」
おばあさんは、ちらりと足元を見る。
「お陰様で、たくさん穫れすぎちゃって」
ルティアはその視線を追いかける。なるほど、確かにおばあさんが1人で運ぶには大変そうなほどの大量の芋が、破れた麻袋からあふれて地面に転がっている。
「運ぶの、お手伝いしますね」
彼女の申し出に、おばあさんは「本当に、悪いわねえ」と頭を下げた。
会議が終わって家に着いたのは、既にとっぷり日が暮れた後だった。
おばあさんの手伝いをしたお陰で会議には遅れてしまったが、人助けをしていたということを伝えると、誰も文句を言うものはいなかった。それどころか、「スヴェルのみんなで」と言われて断れずにいただいてしまった芋を見せると、拍手されたほどである。
自室のダーツボードから矢を1本引き抜いて、彼女はスローラインに立った。ランプの明かりが揺れる。意識を研ぎ澄ませる。
パシュッ――。
朝にはどうにも嫌われたインナーブル。彼女の放った矢は、そこを捉えていた。
ルティアは、瞬間、柔らかな笑みを浮かべたが、また凛々しい表情に戻ると、しっかりとした足取りでダーツボードへと歩み寄っていった。
■登場人物
■作成クリエーター
東谷駿吾
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