ペンタスはいつか咲く
氷の大地に置いてきてしまった仲間達を連れ帰り、弔いを済ませてから一ヶ月ほどが過ぎたある日のこと――。
ルティア・ダズンフラワーは、休暇日に宮殿にいるグレアム・ハルベルトを訪ねた。
「お久しぶりです、ルティア。あの葬儀からは、なかなかお会いすることもできませんでしたね。そちらはもう落ち着きましたか?」
「ええ。スヴェルも街の人達も平常運転です。グレアム様のほうはどうですか?」
「こちらも一段落着きました」
挨拶を交わしながらグレアムが案内したのは、庭を眺めることができるテラスだった。
ルティアは、テーブルの上に持ってきたバスケットを慎重に置いた。
「それが例の物……ですか?」
「はい……それなりに、見られるものになったかと思います」
そうは言うものの、ルティアに自信はない。
自分に厳しいルティアのことだから、少し大げさに考えてしまっているのではないかと、グレアムは思っていた。
皿に盛られたのはジャムクッキーで、形もよく整っていてとてもおいしそうだ。
「もっと自信を持っていいのでは? これだけ作れれば……」
充分だと思います、と続けられるはずだったグレアムの言葉は、皿の端に隠されるように添えられたクッキーを見て途切れた。
気まずそうに目を伏せたルティアは、真っ赤になってうつむく。
それは、形がいびつなクッキーだった。
「それが、私主体で作ったものです……。綺麗なのは、型に入れるとかジャムをのせるとか……仕上げだけ私が」
ボソボソと説明しながら、ルティアはその時のことを思い出していた――。
少し前に、元スラム民支援のためのイベントが開かれた。
広場には、公爵の別邸だった支援の場で各技術を磨いた元スラム民達が作った家具や置き物、アクセサリーなどの露店が並び、街の人も露店を出して盛大に行われた。
その中に、焼き菓子を売る露店を出した元スラム民グループがいた。
ルティアも一緒に作らないかと誘われてやってみたのだが、結果は惨憺たるもので自身でもびっくりするほどであった。
(屋敷の料理人達は、あんなにおいしい料理をいつも作ってくれてるのに私は……)
ショックですっかり落ち込んでしまったルティアだったが、すぐに気持ちを立て直した。
できないなら、できるようになればいいと。
屋敷に戻るなりルティアは厨房へ足を運び、料理の指南を申し込んだ。
「お嬢様……いったいどうされましたので?」
近くにいた料理人が面食らった様子で聞いてきた。
「実は……」
ルティアは情けなさと恥ずかしさで視線を落として事情を話した。
「忙しいのは承知しています。けれど、他に頼める人もなくて……お願いします!」
ルティアが頭を下げると、その料理人は慌てふためいた。
「お、お顔を上げてくださいっ。私のほうはかまいませんから。むしろ、お嬢様とお菓子作りができる日が来るなんて、こんなに嬉しいことはありません!」
ゆっくりと頭を上げたルティアの目に、ニコニコと笑う料理人の顔が映った。
頼みを聞いてくれたことに感謝し、ルティアは安堵の笑みをこぼした。
そんな彼女に、料理人はいたずらっぽく言った。
「ちゃんとついてきて下さいね」
「まずは、ほぼその料理人が用意して私は型に入れるだけとか、そういった簡単なことから始めていったんです。……そう、ただ型に入れるだけ、なんですけれど……ただ入れればいいわけではないことを教えられました」
「お菓子作りは、そう甘くはなかったということですか……」
「掛けても新しいクッキーは出て来ませんよ」
「それは残念です」
二人はクスクスと笑い合った。
「でも、こちらのクッキーも今の努力の証でしょう?」
そう言ったグレアムが、いびつなクッキーを口に運ぶ。
「見た目は個性的ですが、おいしいですよ。うーん……俺も、お湯くらいは沸かせるようになったほうがいいですかね」
グレアムも少し前のルティアと同じで、料理をしたことのない人の一人である。
紅茶を一口飲んだルティアは、グレアムのほうは最近は何をしているのか尋ねた。
「剣の鍛錬は言わずもがなですが、カサンドラとチャリティーイベントの企画を練っています。収益金は治療院へ寄付する予定です。ヘーゼルにも相談して、内容を煮詰めていっています」
「それ、私も協力させていただいても……?」
「いいんですか? ただでさえ、いろいろと抱えているでしょう?」
「ええ、たいしたことはできないかもしれませんが……」
「ありがとうございます。君さえよければ、ぜひ。いろいろな人の意見を聞きたいと思っていたので。よろしく頼みます」
「こちらこそ」
グレアムはさらに、いつか芸術関係の催し物も開きたいと言った。
「まだ、そう思っているだけなので中身は何も決まってないのですけどね。貴族のコレクションや街の人の作品を展示して、みんなで楽しめたらいいなと」
グレアムは、少しずつ前に進もうとしている。
ただし、記憶に関しては何も言わないことから、戻っていないのだろうと思われた。
ルティアはおもむろに、屋敷から持ってきた一振りの剣をグレアムの前に披露した。
「我が家にある剣のうちでも、これはなかなかのものと思っています。グレアム様はどう思われますか? どうぞ、お手に取ってご覧になってください」
ルティアは単に剣を見せたかったわけではない。
グレアムが記憶と共に剣やナイフへの愛着まで失ってしまってはいないか、確かめたかったのである。
グレアムは――何も変わっていなかった。
ルティアの手から剣を受け取った彼は、鞘や柄の装飾に賞賛の眼差しを向けてから、ゆっくりと剣を抜いた。
ほぅ、と感嘆の息を吐く。
この時、グレアムの目には剣しか映っていない。
非常に熱っぽい目で、よく手入れされた剣を根元から切っ先まで見ていく。
「とても大切にされてきた、誇り高い君……今日こうして会えたことを、君も喜んでくれたなら光栄です……」
うっとりとした顔で、グレアムは人に対するように敬意を払って話しかけた。
スヴェルにいた頃、こうなったグレアムは落ち着くまで放っておくか、多少手荒な手段をもって正気に戻すしかないと言われていた。
『団長のお楽しみタイム』などとからかわれていたが、ルティアはこんな一面も好意的に感じていた。
そのため、この癖が健在だったことに安堵した。
「グレアム様」
呼びかけたが、グレアムは剣を愛でることに夢中で、やはりルティアの声は聞こえていなかった。
五回くらい呼んだだろうか、やっとグレアムの意識が現実に戻った。
彼はルティアがいることを思い出し、すみません、と恥ずかしそうに目を伏せる。
そして剣を鞘に戻してルティアに返した。
「本当に、良い剣です。ありがとうございました」
グレアムは、とても幸せそうだった。
「それで、何を言おうとしていたのでしょうか?」
「失くされた記憶のことです。関係する場所を回ってみませんか?」
「そうですね……。あれから、何を忘れてしまったのか父上や妹達にもいろいろと聞いてみました。どうやら、最も関係が深い場所は燃える島のようです。ですが、個人的なことで上陸の許可が下りるとは思えません」
「それなら、本土内を馬車か馬で回るのはどうですか? 思い出すきっかけにでもなれたら……」
ルティアの提案にグレアムは笑顔で頷いた。
「馬で遠乗りにでも行きますか」
景色の中に、もしかしたら手がかりを見つけられるかもしれない。
グレアムの力になりたい――ルティアのひたむきな想いだった。
■登場人物
■作成クリエーター
冷泉みのり
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